時は 技なり
世間さまの事
一週間前は夏日だったが、きょうは最低気温が12℃を割った。
南の島のイメージがあるが奄美大島や徳之島は、想った以上に寒い。
なぜ、気まぐれドナルドは思うツボにはまってくれるのだろう。
そりゃもう、はまりすぎなくらい小学生のノリで、イスラエルを擁護してしまった。
これで、中東の火種が再燃するし、ロスケとメリケンの火種も再燃しそうである。
地球の外側から眺めたような、わかりやすい構図になってしまったことに、私は憮然とする。
なぜそこまで、正しく争い、人類自ら削減する方向を選ぶのか・・・オカシイと思わんか?
反日感情だけは猛々しい南キムチ民族。
朝鮮戦争のとき、米軍から供与された強力な武器を捨てて、敵前逃亡した連中の子々孫々。
北との戦争が始まったとき、連中は逃げ出すことは間違いないが・・・どこへ逃げる気だろう。
ベトナム戦争では強姦と虐殺、近年ではフィリピンでコピノ問題を起こし、欲望に歯止めがない。
そんなのが難民となり、さらなる混血難民のようなのをばら撒くのは自明の理である。
あまつさえ
北の工作員が混じっていても判らないのだから、我が国に立ち入るのは到底承服できぬ。
だが、彼らほどの恥知らず、歴史知らずだから、通常の対応で通用するハズがないのも事実。
万一、ドラえもん的発想の優しさをカンチガイするバカポン人の民意に推され、
難民を受け入れてしまえば、実に厄介な未来が待ち受けている。
徳川時代の鎖国は、明治政府以降、悪法だったような心象を植え付けられているが、
ガイジンが横行すれば治安や風俗が乱れるのは必至であるから、治安には正しい判断である。
今さら鎖国など不可能だが、安易に人道を騙らず、用心にこしたことはない。
気象が激化し
作物の不作にあえぐ北には、あまり時間もない。
オンボロに骨董など、まともな通常戦力がないから、民衆を盾にするだけでなく、
漁船を特攻をさせるなど、武器ににする可能性もある。
努力は、とても面倒である。
毎日コツコツ、モテモテの自分を夢想し、えっちらおっちら鍛えるとか・・・できゃしない。
ただ、せっかく始めたり、道具を買ったりしたら損な気がして、ダラダラ続けるクセがある。
青の読者諸氏は存知だろう。 もっとも長いのが左箸、腕立て伏せ、柔軟運動だ。
高校から、ずっとだ。
大学で自炊を始めてから、スーパーで買い物をするときに、上腕二頭筋を刺激するために、
買い物かごを持つ手と肘を、水平に保つようにしている。
あたかも、昭和の主婦が買い物かごを肘にかけるポーズっぽく、重さに体を慣らしている。
最初の数年は重さが気になったが、ダルくなると持ち替える動作も、ほぼ自動的になった。
対向する客とすれ違う時も、かごの高さが違うのと、かごを取り回し易いので、具合がいい。
合気道の手前、手首を下に向けても、握力が30キロ以上出せるよう訓練したこともあって、
ネコパンチやまねき猫のように手首を曲げたまま、重いものをシッカリ持っていられる。
無論、手首をきめられても、武器を手放したりしない握力を保持できる。
表面的に屈強な武術家ほど、この盲点は克服していない。
けれども
以前は柔軟と腕立ては毎日きっちりやっていたが、今は面倒でチョっとしかやらない。
毎日やっているのは左箸くらいなもので、食事は毎日だから仕方ない。
ほかは、ダラダラと続けているが、思いついたときにチョチョっとやるだけだ。
しかしながら
ダラダラも30年余りともなると、たぶん達者に至っている技もある。
過日、友人宅で話題がてら牛刀を研いだ。
ナイフ研ぎは、刃を砥石に対して一定の角度を保ち、円弧を描くように擦りつける。
難しいので、一般的には市販のシャープナーが便利だが、砥石でできるようになりたいと、
オイルストーンも試したが、今では包丁用の中砥1000番、荒物屋で定番の砥石だ。
和包丁の研ぎでは、砥石をいちいち水に浸して待つ必要があるが、私はやらない。
チョロチョロと蛇口から水を流しながら、シャコ、シャコと研ぐので、とても合理的。
しかもシャコは3回程度で済んでしまう。 1分もあれば研ぎ終わる。
研ぎ方は伝統的?なナイフ研ぎだが、流水で和包丁の砥石を用いるのは、オリジナル技。
実演したところ、友人にスゴく感心されたので、私も有頂天になってしまった。
流水に切り替えたのがいつごろか覚えていないが、柔軟発想からして、横浜時代だろう。
砥石を手持ちして、一定の刃の角度を保つ感覚は、今となっては体が自動でやってくれる。
ナイフ研ぎを始めたのは、ナイフ・デザイナーになろうと妄想していた、大学時代からである。
最初は、刃こぼれしにくいがヤワなステンレスのナイフだけ、しか研げなかった。
バックの、フォールディングハンターとか。 一方、牛刀は錆びない上、硬く薄い鋼材だった。
生活の必要からダラダラ続けてきただけの習慣が、いつの間にか便利な達人技?である。
稼げる仕事のスキル習得は急ぐ必要があるが、そうでなければダラダラが断然有利だと思う。
仕事という架空価値にコダワリがあれば、急ぎを重んじるだろうが、仕事ばかりが技ではない。
現在の仕事で必要とされていない技も、将来には有用になる可能性だってある。
長寿、高齢社会において、かけられる時間は自然に長くなる。
歳をとると能力値が下がるのは仕方ないが、今からナニかを始め、ダラダラ続けていくなら・・・
60歳からでも、20年くらいは上達を続けられる可能性がある。
今さらダメだろうなぁ・・・ と考えてから、20年も経つと別の自分がいる。
アキラメきってダラダラ死を待つ自分か、アキラメたはずがダラダラとナニかを続けた自分か。
20年の歳月がもたらす生活の違いは、そんな軽々しい結果にはなるまい。
アップルで紹介されたのは、82歳のアプリ開発者、若宮さんだった。
還暦を過ぎ、ネットがまだパソコン通信だったころに始めて、今ではプロである。
継続は力なりと謂うが、現代こそ当を得た時代になった。
自炊歴は30年余り、磯でジギングを始めて20年余り、超望遠レンズを有して10年余り経つ。
口笛で、野鳥の鳴きマネを始めてからでも、10年以上経っている。
鳴きかけると、Uターンして身近に飛来したりすることもあり、こちらが驚かされてしまう。
名人というか、鳴人というか、オッサン的な渡り鳥になったらしい。
まだまだ半端で、プロではないにしろ・・・
食べたい魚を狙って調理法をアレコレ試したり、鳴きマネで野鳥を寄せて撮影してみたり。
脳力、身体能力とも減退していくが、過去にできなかった事が、今はできる。
島に来て始めたのは、ルアーの左投げ、自然ブログ、ハブの素手づかみ程度であるが、
このところ、まったくハブが見つからない。
そういえば、Mとか人妻好きというのもあるが・・・いつからか記憶がない。(笑)
Mは最近、カナリ充実している。 アカマタ(ヘビ)に噛まれ、ノコギリガザミ挟まれ・・・
ほか、ごく小さなところでは、ゴキブリやヤモリの素手でブッタタキというのもある。
ゴキブリもヤモリも家中を荒らすので、道具を探すより、素手でつぶすのが近道だからだ。
手の感触は生々しいが、家中や食器を糞だらけにされるよりマシだ。
散髪が高いから自分でバリカンし、歯磨きは毎食後となった。
始めたというか、テレビ視聴しなくなったとか、ガス代が高いから風呂に入らなくなった・・・
というのもあったり。 冬場、湯をかぶるだけ・・・というのは、なかなかビミョ〜だ。
湯船に先行者がいても、気にならなくなったのも、だいぶ逞しくなったと思う。(笑)
ヤスデなど虫が浮いているなんて、どうということはない。 カニが住んだこともあるし。
フツーなら、その水は捨てて張り替えるだろうが、気にせず使っていた。
別に飲むわけではないから、脂性体質のヌルさえ落とせれば問題ない・・・と感じている。
格闘技は、ハブ捕りとか釣りとか調理とか、生活にはサッパリ役立たずだが、
昔、練習したことのあるカマキリ拳法(螳螂拳)のカマキリの手つきの手首で、
拳を受けたり打撃を与える技が、今や泡で濡れた手で蛇口を回すときの技になった。(笑)
毎日楽に、ちょこっとできることを続けるのが、私の好みである。
「毎日5分」というのは意外に大変で、そこまで出来きゃせん。
日々の5分くらい楽勝だというなら・・・全力疾走してみ、息を止めてみ。(笑)
そういえば、青を書き始めてから20年くらい経つ。
ダラダラと勝手な文章を公開し続けているわけだが、それなりに頭の整理には役立つ。
友達がいないから、どこかへ脳内のワダカマリをぶっちゃけたいのと共に、
いったい自分が何に対して、どういった感情をいだいていているのか・・・を考える時間だ。
青は最初からカウントすると1.000話くらいになるのだが、
自然ブログは年明けには5,000話に届きそうで・・・書き過ぎかもなぁ。(笑)
テレビを視る代わりに、写真を整理し、画像を処理し、関連する情報を調べ、記事を書く。
ブログはほぼ毎日続けており、自然ネタと青のネタは違えたいし、文体も異なる。
たまに、青にもふりがなをふってしまうのはご愛敬。
最初はとても面倒だったが、今は体が自動的にふりがなをふろうとしてしまう。
習慣化すると、厄介事も日常のオート機能になる。
鍛えているわけではないが、自炊にはいつもテーマがある。 美味いもん食うてこそ人生。
このごろ完成の域に達したのは、3年ほどダラダラ研究?してきたマグロの血合いバーグ。
ニオイ消しには、ヨーグルトを用い、30分くらい馴染ませるのがコツである。
ニンニクやスパイスは上書きしかできないから、ヨーグルトの酸味と乳成分で消す。
モチのロンだが、牛刀はキレキレでなければ、筋を断つことができない。
買ってすぐ調理するのでなく、パックを斜めにして血を集めつつ、一晩寝かせてから。
脂少なめ、コラーゲンたっぷり、豚のコーマキブニ(豚足)の調理は、これからのテーマだ。
安くない、けれど高価でもない、ほどほど食材なところが、取り組みとしてビミョ〜な感じだ。
オックステールもいいが、牛より旨味のある豚の筋肉と、骨の髄から出るスープは上質。
考えただけでも、生唾ものである。
そういえば、先のバーグ写真もそうだが・・・料理の撮影は、いやはや7年になる。
ほとんど毎日になってしまうから、上達と謂うか、すっかり慣れてしまった。
レシピ集の取材以来、ストロボワークの練習がてら料理を撮影し続けてきた。
照り、立体感、透明感など、食材によってストロボの当て方が変わる。
ストロボはクロウサギなど夜行性動物用に求めたが、すぐ飽きてしまった。
なにしろ夜行性なくらいだから、地味な動物揃いである。
被写体映えしないし、無闇に天然記念物に圧をかけるのも大人げない。
当初
野鳥撮影ではプロ用一眼レフEOS1Dマーク3を求め、オートフォーカスに親しんだが
動画撮影を同時にやりたくなって、ミラーレスに切替え、マニュアルフォーカス撮影に。
キヤノンレンズに、マウントアダプターを介して他社ミラーレスを接続すると、オートが鈍い。
今では9割以上がマニュアルとなり、コンデジや料理撮影、飛ぶ鳥など一部がオートだ。
野鳥は滑らかな色調で、もとよりオートが効きづらいから、マニュアルにして正解だった。
今や、EOS1Dマーク3は、キッチン専用だ。(笑)
背景が空でないと、すぐにバカメラは鳥から背景に目移りし、マニュアルの方が楽なくらいだ。
オートに頼った自分と、失敗写真の双方に腹立たしくなるより、技前を反省する方がマシだ。
こういうシーンの撮影は、必要かどうか別とすれば・・・ 草地にピントを奪われるから、
最新の一眼レフでも難しい。
人生は意外と長い。
仕事にしろ、趣味にしろ、対人関係にしろ、今すぐ結論を出す必要が無ければ、
先送りにした方が好いこともある。 結論が要るのは、今すぐ決断が必要な時だけだ。
無闇に早く、経験も熟考も、勘どころもなしに結論を出すことなど、愚の骨頂だ。
もちろんだが、デキナイ自分より、未来のデキル自分の方が好ましいに決まっている。
日に一回の小さな行為でも、10年続くと別物になっていくのが愉しいのである。
歳を経るのは、もう嬉しくない年齢になったが、それなりの愉しみ方を覚えた気がする。
サボっても忘れても、ただ続ければイイ。
地味に、時と共に着実に、進化する歳ごろ・・・になった。
美味い納豆ができた。
かつ節としょうゆでしっかり練って旨味を醸し、フルゥの白いところを超みじん切りにて加えた。
フルゥは、内地では売っていないニンニクの葉。 ギョウジャニンニクを思い出す風味である。
島と内地の、クセのある食材どうしのベストバランス。
こういうアイデアが出たとき、ひときわ嬉しい自分がいる。
ちなみに、謂うまでもなく、会話に支障がない程度にフルゥの量はコントロール済みだ。(笑)
何かを求め、究めたい気持ちだけは、最期まで失いたくないものだ。