ボケが進むと

突っ込むのが島のなりゆき

 


このところ、毎週不満満載の記事で申し訳ない。

私自身、そういう感じなので、ご容赦願いたい。

 

ちなみに

この2週間で、寒い春から暑い初夏にバトンタッチして

どうやらウツサイクルに入っているようである。

少々不眠がきつく、被害者意識は強くなっている。

そのぶん割り引いて読んでいただければ幸せる。

 

もう1つちなみに

幸せを動詞として使うのは山口弁らしく

私にとって「幸せ」は普通に、幸せる、幸せているという感覚だ。

全く意識したことがなかったが、やっぱり幸せは動詞だ・・・


 

無知無礼と老衰が島を襲っている。

 

宜野湾市議が、多忙を理由にアポを断られた町長室におしよせ

会わないのは失礼だなどと・・・わが身の無礼を知ることもなく

はたまた守礼門の禁を平気で破って、乗り込んできた。

オマエは役場に引っ越したことを届け出ていない!と開口一番放った

無礼代表?のS間のバーサマは、カブのまま車と正面衝突で重症

今はサイノカワラを渡るか、遊んで帰るかを迷っている。

友人宅の家具屋には、いつの間にかブルーシートをかぶせられており

ご老体が、ニュースさながらにアクセルとブレーキを踏み違え

あまつさえ人間の道を踏み外して、店舗へ突っ込んだりしたという。

ボケたら、アチコチへ突っ込んでしまうお土地柄らしさが良く出ている。

 

このごろ、もてない男が幼子に手を出したり

両親が乳飲み子にDVアタックしたり

中年は遅れてできた恋人に死ね!ブッサシ攻撃!

したりするのが流行っているが、

当然老人も、認めたくないだろうが、老体ゆえのアヤマチ

というものを着実に犯している。

ま警察も腐り、政権与党が不正や虚偽のカタマリなのだから

いろんなことがアリだ。

 

そんななか

私は差別用語が、このごろ気に入っている。

 

小さいころ、差別用語を使わないように、おふくろさまから習った。

だが、それはかわいそうだから、自分が言われたら面倒だからとか

あたらずさわらずといった印象を持って、教えられたように思う。

だが、用語を使わないことが、逆にその存在を遠ざけて

意識の外にすら忘れ去りたいと思うキッカケになっていないだろうか。

 

一方、

湧き上がる差別の衝動に焦燥し、無理やり押し込めるのが

人としての約束、のように信じてきたかもしれない。

 

ただ、想像通り差別衝動は我々動物に与えられた本能で

群れの中で、傷ついたり、おかしくなって、群れ全体の存続を

危うくする存在を排除しようとする機能だから、

無理やり理性で抑えこむことも、難しい。

 

差別用語を使わないこと、それは被差別者を

心理的に排除することにつながっているように思われてならぬ。

だからといって、薄汚い差別用語を、簡単に用いることは不道徳だ。

 

でも、私はバカなことにはバカという。

私のようなバカチンにバカだと思われることは、深刻なバカだからだ。

 

しかも差別用語を使わないで、微妙な表現で遠まわしにすると

妙な表現になってしまい、痛々しいのだが、今はそういうのがトレンド。

よけいに被差別者や障害者などが、弱者に強調?されてしまう。

むしろ人権をなきものにしているのは、端的に表現できた言葉を

使えなくしたことで溝が深まったためではないか、ということだ。

つんぼ、めくら、ちび、びっこ・・・端的である。

 

さすがに、コジキは微妙だが現実で、乞わなくなっただけもっと不自然、

ドジンは実際にそういう言葉だと思う。土着の人だからドジン、正しい。

響きがドジっぽいのと、黒人のイメージが間違って定着したいきさつで

使用禁止になっているだけで、ちょっと欠番にしておくのは

もったいないくらいシンプルで端的な言葉だ。

インド人の省略形でドジンを復活させるのもアリか?

 

日本語の鋭さを失わせるのは、戦後日本の精神的弱さからくる

安易な文化廃棄主義っぽさがあると思う。

 

けれどもこのごろ困っているのは、ある程度のバカのように

多少改善が期待できるものでなく、加齢ボケである・・・

島は高齢化が進み、飲酒習慣も根強いので

ボケも加速度的に進み、危険な状態だ。

 

加齢臭なんて、そんな程度のものはどうでもいい。

加齢臭で死ぬなら、ぜひ教えてくれたまえ!

それで死ねるなら、事故が起こる前に

さっさと死んでおいていただきたい。

 

とりたてて

自家用車以外の足がない島は、自動車事故が深刻だ。

スターウォーズに出てくる、スピーダーのように

適当に汚れて凹んだり、傷の入った車が普通で

ワックスの効いた、ピカピカの車はとても珍しい。

というか、何週間に一回くらい見かけるだけだ。

それも、ヤクザっぽい車だ。

 

ちなみにパッソもワックスがけしたことはない。

 

ライトが切れても修理しない、ウインカーは使わない、

携帯電話は使い放題、いったん停止など見たこともなく

歩くのも、前を見るのもやっとのバーチャンが軽トラを転がし

道を譲ったところで、無視して通り去るほどの、無法不人情である。

 

ま、

無免許も何割か混じっているので、無法さは筋金入りだけれど

老若男女、あいさつしない島人が多いのは、とても情けなく思う。

無法も無謀もだが、無作法というのは躾けそのものが無いことによるから

生活の根本が危機的であることを示している。

善悪よりも、利益と手抜きが楽・・・本意で育てられた島人は

精神的にとても弱く、鈍感で、イザというとき頼りにできない。

 

そこに加えて、ボケである。

これこそ差別用語をぶっぱなして

腐れボケジジイ、ババアが車を転がすんじゃねーぞ、このバカチンが!

といいたいところだが、大勢を占めつつあるので、深刻である。

暴言を吐いたところで、まったく反応しない年齢になっている。

 

民間では朝夕一本のバスを維持するのもやっとで

国からの援助を得て、ようやくデマンドバスを導入した。

同じバス会社が運行する。

つまり、電話をしないと走らないバスだ。 かなり面倒。

民間が朝夕一便ずつ、デマンドが二便ずつである。

 

冒頭に書いたが

例の無知無礼の精霊のような、水道集金のS間のバーサマは

車と正面衝突し、なぜかそこだけ常識的に、大敗を喫した。

沖縄へ緊急輸送されたそうだが、復帰は危ぶまれている。

というか、現世への復帰も怪しいらしい。

ヘルメットはいつもかぶっていたので、大丈夫かと思ったが

ご高齢すぎて、全く受身姿勢が取れなかったことは想像できる。

 

事故はかなり後になって知ったが

不思議なことに、私は事故の後と思われる時期に、

Aコープで買い物するバーサマを見ている・・・あれは何だ?

 

もともと油断しきった生活の中で、ひたすら高齢化が進むことは

危機的が的を射すぎて、的を射抜かれ、危機そのものである。

しらないうちに、皆が衰えて、社会的な基準がオカシクなる。

 

左右を確認しないで、ただひたすらヨレヨレと県道を渡ろうとする

ご老体もチラホラ見る。

そんなご老体っぽさ感じのバイクが、時折前を走行して困る。

いつ曲がるのか、いやいつも曲がっているというか・・・

動きが全く読めない、ニュータイプになりたい気分だ。

 

そして、どの軽トラにも、枯葉マークが色あせている。

 

常識的に考えたら、事故が起こるのが当然・・・

というのが島の交通事情だと思うが、その通りになった一幕だ。

 

先の

ブルーシートの家具屋の隣に、同じ経営者のコンビニがあるが

去年の今頃、強盗があった。

無職のオッサンがビール飲みたさに、やっちまったという。

ボケもここまでくると、救いようがない気もするが

そんなに高齢者でもなく60代そこそこだ。

 

でも、アル中ならボケとは関係なく、やっちまって当然だ。

ボケよりも、タチが悪いかもしれない。

 

私も、かなりのアルコール依存的生活で

他力本願ならアルコールは絶てるが、自力ではやはり難しい。

それくらい、アルコールの習慣性は強く、危険を感じるのだ。

あまりに飲むんだときは、飲みすぎる自分がいやになり

せっかくの水割りを捨てることもある。

 

けれど、それなのに、そう簡単に晩酌はやめられない。

私自身も、酒でボケているのかもしれない。

 

島ではタバコを吸わない人が珍しい。

こないだニュースで見たが、内地でトラックの運ちゃんがタバコを

とろうとして、人身事故を起こしていた。

やはりタバコもケータイも音楽プレーヤーも、運転には同様の危険。

 

島の農家のオッサンが

中古(ちゅうぶる)の車で、つきにくくなったシガーライターを

ゴソゴソするのは、けっこうスリルがありそうだ。

 

もともと、脳みそはあまりつかわないお土地柄なので

気づかずに頭が行ってしまっている人も結構居て

人の話をまともに聞かないから、状況分析も無理で

話しがまともに出来ない。

思考をしなさすぎることが、脳の劣化を早めているようにも

感じられて仕方がない。

 

島口でないから通じないのもあるが、島の人は本当に、

自分の言いたいこと、思ったことしか話さないので、

話していても、会話でなく言い放ちなので、

話を打ち切らないとバカバカしくなることも日常茶飯事だ。

 

50代以上の男女は、大半その傾向があるので、

とても会話は難しい。

私を雇ってくれる、わりと理解力がありそうな企画課長も

ほとんど人の話を聞いていない。

自分の中の経験だけに照らして、無駄に解釈し

話をこじらせることが多い。

仕事上の会話は正確さが必要なので、本当に疲れる。

 

思いを正しく伝えようとすると、いったん無駄な解釈をリセットし

もういちど会話の前提から話さないと理解してもらえない。

しかも、職場で相手の立場も気にしながら、リセットするのは

けっこう骨が折れる。

 

島じゅうどこへいっても

体力も、知力も衰え、何を言っても聞かないオッサン、オバハン、

言っていることもワケが分からないし、何度も同じことを言う。

 

島を変えるのは難しいだろうが、日に日にこうして衰え

変わり果てていくことに、ほとんど気づかないで暮らしている。

 

誰も悪気はないが、いろんな無法や無謀を無視して生きるのは

やっぱり悪であるから、悪気が無いとも言い切れない。

ボコボコになった車の、当たった先が必ず存在するように

無法無謀が放たれた先にあるのは、危機である。

 

S間のバーサマや家具屋のブルーシートは、

てげてげに無謀無法を行ってきた歪みの、はけ口の一端。

 

ここへ、粗悪米兵リサイクル施設を持ってくるのは

確かに無理がある。

流行るのは、やはり建設中の土建業を中心にした産業だ。

しかも島内の職人は腕がイマイチなので、島外からの出稼ぎ労働が

多くなるだろうことは、簡単に想像できる。

建設が終われば、多少大型商店やスーパーができるだろうが

すぐにさびれて、何店舗かが倒産するだろう。

結局、飲み屋と色町だけが残っていく。

 

もともと、儲けたいだけでやる商売ばかりで、全く続かない。

その証拠に、10年前からあるお店は、島なのにとても少ない。

始めては、じきにたたんだり、始める前に後継者が島を出たりする。

唯一、集落にある商店は、定価販売だが車にも乗れない方々へ

食料をとどけるため、存続している場合が多い。

 

今も、飲食店も昼にやっている場所がほとんどない。

天城町内で心当たりは、居酒屋てぃーださん、

食堂のきりしまさん、北部の集落にあるラーメン食堂の道の駅さん

くらいではなかろうか。

 

お弁当屋さんは、そこそこ流行っていて

弁当は標準で500円と、内地よりずっと高い。

ただし、肉体労働が多いので、ご飯の量はスゴク多い。

 

このところ、都会からどやどやと報道陣がやってきているので

お弁当屋さんや、飲食店は景気がいいかもしれない。

 

そういえば、昔は新入学や卒業祝いで、贈り物やゴチソウが

すごかったらしいが、今はお祝いはしない、祝い事の相場も

決められていて、集落の放送で金額を流しているところもある。

 

腕のいい寿司屋さんもあるらしいが、今は注文が減って

客も来ないので、なかなかいいネタを仕入れられないそうだ。

もともと島では、通夜や葬式で寿司は出さないので

なおさら深刻なのだと思う。

 

産業が衰えるので、農家以外では、兼業が多い。

大体サラリーマンは、農業か畜産を兼業しているし

スナックなどの従業員は昼間は別の商売があったりする。

 

ゆえに、どれもあまりプロではないような・・・

そんな感じで、ヨケイに産業が寂れていくように思う。

 

まー、ろくに意思疎通できない社会では

農家のように作りっぱなしか、商店のような売りっぱなししか

商売ができないのは仕方がない。

 

そこへ、高齢化と経済危機。

 

逆に言えば、ちょっと若くて頭がよければ

儲かりそうな気もするが、なにせネゴがうまくいかないので

ジジババ相手でない、ダイビングくらいしか流行らないみたい。

他は医療機関、養老院関係だ。

伊仙町で友人らが立ち上げた百菜館も、今は病院の仕入れを

担当するなどしている。

要は、段取りということをしないので、段取りが仕事になる。

島の人には、2手先を読むなど、ほとんど理解できないようだが。

 

右脳型っぽい私が、左脳型の習性を理解できないようなものらしい。

仕事の前に段取りするより、やりながら・・・しかできないよう。

まれに、段取りできる人も居るので、そういう人はしっかりした

経営をしているものの、変人扱いされたりしている。

 

過疎化の集落は

日本全国世界中、どこも同じような悩みだと思う。

 

先日、タクシー運転手をしている友人が

どうやら米兵問題に悩んだあげく、自然遺産に登録されれば

島の自然が守れるのか?どうしたらいいか考えてくれ!

と電話してきた。

 

うーん大事な発想も・・・・丸投げとは・・・島らしい・・・

 

ちょっとややこしい問題だから、来週のネタにしようと思う。

一応、ユネスコが権力をふるって、島を救うことは一切無い

という回答はしておいた。

あくまでも「貴重」と認めるだけである。

詳しくは次週の記事にゆずる。

 

結局、島人ではどうしようもない、という現実があるのだろう。

でも、ワラをつかむ以上、覚悟はしていないといけない。

楽して他力本願で助かる方法などないから

ワラをつかんでも、泳ぐ力が無ければ、沈むものは沈む。

 

枯れた見方をするならば、こうして人間によって破壊され

変化していくのも自然の姿・・・といえるので、苦痛でも耐えるしか

ないのではないか、とも思う。

自分達が住み辛くなっても、目の前の生活を続け続けて

果てを目指すのである。

理想が無いので、それしか歩む道がないのである。

 

クロウサギの居なくなった島は

自然破壊の島として名をはせるだろうから、

それはそれで、また有名になる。

多分農業では立ち直れないくらいの有名さだろう。

だって、農薬も除草剤も使い放題だもの・・・

島の黒糖は、味はいいけど、怖いんだもの・・・

 

草取りする体力、気力が無いので、いろんな薬剤をつかうしか

方法がみあたらないのだ。

しかも収穫は狭い畑でもハーべスタ。

収穫にかかる費用を考えると、収益があるのか疑問だ。

高齢化とは、いろんな意味で枯れていく。

 

あー、ウツサイクルに入ると、いろんな想念が噴出してくるなぁ。

そろそろにしとこ。

 

先日の嵐で、干潟の鳥もさっぱり居なくなったから

気分が悪いのかもしれないな・・・

 

今朝の夢を覚えている。

なぜか男子校におり、ありえないことに遅刻して

教室が、なぜか手前にもうひとつある教室を横切らないと

到達できないような困った構造になっている。

窓の外は、いつも向こう側に立つ古いコンクリの壁面が見え

なぜか校内は木造である。

しかも、毎度のことだが日課表をまったくもらっていなくて

教科書も、あるかないか分からないのである・・・

 

いったい何を念じるとこうなるのだ???

 

ああ、ツバメチドリみたいに自由に暮らせたらなぁと

じゅうぶん自由なのにそう思ったりする。

でもほら、のどもとが腫れている。 寄生虫のシワザ。

南国で暮らすというのは、気楽な反面、リスクも大きいのだ。

等価交換というやつではないだろうが

楽しいけれど、だんだん、だんだんムシバマレテしまうこともあるらしい。

 

私もこうして、どこかがイッちゃっているのだろう。

大丈夫、大丈夫と思っている間に、変わって、果てていくのだろう。

 

ま、それはそれで、楽しければよいのだが。

 

今年から、年金を払うのをやめて、積み立てている。

どうせ支給されるまで、生きてないだろうと思うのもあるし

とてもではないが、支給されるような財源もない。

もちろん、5年たっても100万円収めるわけでもないが

たちゆかない仕組みを、うだうだ続けるより

加速度的に危機へ向かわせることも必要なのだろうと思う。

 

でも、今の年収って数十万いくかな?くらいなものだから

「本来なら」払えるはずもない。

まだ多少の貯えはあるが、家計の危機には違いない。

 

ちょっと調べたら、国民の平均年齢は我が年齢とドンピシャで

しばらく同じように推移するらしい・・・こ、怖い時代だねぇ・・・

 

私の精神状態や、眠れない状態も、

実はミュンヒハウゼン症候群だったらどうしよう・・・と思うこともある。

普通なら、予防的に2度も会社を辞め、島に引っ越すなど

ありえないと思うが、守るものが無いので、身を守ってみた

だけのことである。

急激にモチベーションがなくなった2005年あたりからヤバかった

 

なぜモチベーションが上がらないのか、なんて

自分で分かるはずもない。

でも、現象は2002年には十分すぎるほど発現している。

がんばるのが男だ!と思うのが普通なので、仕方ない。

 

よくぞ逃げた!と今では思う。

 

電器屋のままでいては分からないことが、山ほど体験できた。

グローバル企業のがんばり方は、日本の風習と、

自己主張とは名ばかりの、周囲の蹴落とし感が強かったように思うので

か細い良心が崩壊する前に、違う道を選んだのは良かったと信じている。

 

しかも、会社とは関係ないところで出会った友人が

その身を挺して、お礼しきれないほどに助けてくれている。

 

ま、そんなこんなで、意地を張って独立独歩している気分に浸っていたが

そんなちっぽけなコダワリは捨て去り、お世話になる生活をしてみて

まだまだ意地っ張りなところは残っているが、少し変わったようにも思う。

 

ともあれ、私も確実に高齢化していっている。

何だか、年々か細い神経になり、今や中学生のころのような気分だ。

これが、脳内物質の減少によるものなのか分からないが

食欲もない、やりたくなかった事も、やりたい事も全てが面倒で

動けなくなっている今、けっこうヤバさを感じている。

 

季節的なことだったら良いのだが・・・

 

やっぱり背中を押してくれる誰かが居る、というのは

その人の強さになっていくのだろう。

 

そんなこともありつつ、今、友人の企画課長はエジプトだ。

これまで海外に行った事がないから、行きたいのだといって

役場を休んで行ってしまった。

こういうことが出来る社会、素敵だな。

居なければ居ないで何とかなる、だから行ってきます・・・

内地では絶対にできない芸当だ。

でも、それが美しい理想だとすると、内地は壊れ果てている。

 

一方

奥さんは出不精なので、大反対したらしいが

実は、資金はキビ作でコツコツと貯めたお金らしく

奥さんも反対しきれないような策を講じたらしかった。

奥さんは面倒だから畑はやらないという。

畑をやらない女性、島では珍しいかもしれない。

 

我がおふくろ様もそうだが、どうして行かない理由を

積み立てるのだろう・・・

しかも、自分以外の人の可能性まで否定するなんて

悪人ではなくとも、スゲーヒデー奥さんだ。(課長、ごめんなさい)

これも島らしさなのかもしれない。

 

背中を押してもらうこと、押してもらえないからがんばること

いろいろある。

 

私はどっちもないから、ただフニャーンと明日も生きるのだ。

すべてのヤル気も低迷し、ボサッと生きるのは美しくなかろうが

ま、死ぬよりは断然面白い人生だろう。(と思うが・・・だめか?)

 

明日は雨みたいだが、島では雨が曇りみたいなもんだ。

かび臭く、お風呂も台所も生命にあふれた生活や

朝から薄暗い雨降りでも平気な精神に進化した。

明日も至って普通の一日だろう。

 

あー

やっぱり明日は役場へ出勤して、パソコン教室の準備をしようか。

今度やろうとしているパソコン教室は、マウスを知らなくても

キーボードをたたかなくても大丈夫という、前代未聞?のコンセプト。

 

こんな面白いこと、内地じゃ出来ないだろう?

高齢化しようと、事故を起こそうと、みんな優しい島人だ。

だから少しでも役に立てるなら、泥をかぶってもヤル事はやってみる。

1リットルパックに入った豆乳が900mlになっていたり

ヨーグルトがいつの間にか450gだったとして、

世の中すべてが、1割減といった体たらくだったとしても、

何かひとつくらい、増えているものがあっていい。

だらだら生活していても、育まれている何かがアルに違いない。


ではまた