人生半分、ここに来て

おもうこと

 


どうして、天気よりも七曜が先なんだろう

どうして、四季よりも仕事が大事なんだろう

どうして、気候よりも経済が優先するんだろう

 

かねがね、長男はこの疑問にぶつかってきた。

宇宙という無限ではないかもしれない、まあ人間から見たら

無限の理(ことわり)の中に、銀河は浮かび、太陽が回り、

地球は更に回り、小さな生物界の理のなかで生きる。

 

単純で跳ね返せない、大きな理というものに気づく。

それは、「差」である。

この世界は「差」で成り立っている。

大は小をひきつける。

大は小を押しつぶす。

それは大きいことが力となり、力はそれをもつものを支え

しかし、さらなる力に押しつぶされることもある。

それは、同じ地球の上の出来事なのか

それとも、それ以上なのか、ミクロの世界なのか

現世のものなのか、異次元のことなのかわからぬが

必ず大きな力が、勝ってきた。

 

最後にたどり着く大きな力、それは一体何なんだろうか?

 

それは物理学者とか、宗教学者だとかに任せておこう。

 

我々の経済も、とりもなおさずこの「差」を利用してきた。

生物界の「差」は、ひとつの大きな力には量で対抗するという

不思議なしくみができている。

だが、経済の「差」は単にエントロピーを食いつぶしていくだけの

また、抗えないしくみでもあるようで、貧富を利用して、富を豊かにする

不思議なしくみである。

 

今の中国がその頂点にあるだろう。

 

列国の工業化に遅れ、多くの人口を武器に

大きなアジアの龍はもがいている。

 

彼らは彼らの中に、その貧富の差をつくり、海岸の富める地へ

内陸から出稼ぎに行っても、3年で、また貧しい内陸へ帰らせる。

これによって、安い賃金により生産力を高めたかのような

かりそめの工業製品によって、世界を揺るがそうとしているが

時限付である事は明白だ。

だが、彼らはそうなってから、また次を考える

そういう大雑把な民族集合体である。

それはアメリカがそうでありつづけるように。

アメリカは黒人を使い、中国は自らの国民を費やしている。

 

大気も、水も、黄河も長江も変わり果て

いよいよ地球の変わり果てる姿の予兆そのものでもある。

 

富めるものは、なお金をむさぼり、貧しきものは叫びながら働く。

そろそろ、このシステムを切り替える頃ではないだろうか。

恐竜が大型化したことに後悔しなかっただろう。

だが、ひとつの環境に特化して大型化したことが、彼ら自体を滅ばせた。

 

我等は違う。

予測する力を持っている。

持っているが、目の前に現れ、体感しないと駄目という

圧倒的な弱点を持っている。

 

多くが、豊かさと富の違いをわきまえることができないのである。

 

豊かであること、それは文化を培い、労働者の小さく作られた

自己実現という枠をはずし、生きるための行為に専念し

無駄のない生き方を考え、皆が手を携えて生きていけること

そのものであろう。

労働のための労働ではなく、豊かさのための糧とは何か

共働きで得られた収入と、失われた子供との時間を埋めるものは

存在しないことを、わきまえることである。

 

何もかもがまっすぐで穏やかで争いもなく

平和とやらの蝕む怠惰に身をゆだねるような

妙な世の中を望む者が時折、チラシを配り、布教らしきをしているが

そのような世の中もまた、無駄なことをわきまえる必要があろう。

 

可能性を求め争うことで、優れることのできるしくみ

それが生き物なのだから。

 

ただ、前者の富めることと豊かさをわきまえない者達への

刺激となる勢力として存在してくれていることには感謝している。

 

現代の社会的システムでは人間の能力を高めることは、

どちらかといえば秘密裏にか、禁断視されているようにも思われる。

特殊な能力は排除されるか、特殊な存在として国家組織によって隔離され

利用されたりしてしまうことがほとんどである。

せいぜい、学習しましょう、筋肉強化剤は控えましょう

プロテインで筋肉を増やしましょう、小さい頃から英語を学びましょう

覚せい剤はいけません、サプリメントはOKよ・・・

それどまりである。

 

あまつさえ、今の日本では、自分達の年金や保険を心配するあまり

将来を省みない、何の施策もなく、ただやみくもに元金が少ないから

配分を減らすということか、負担額を増やすくらいしか能が無い。

 

サラリーマンは、年金や保険の発生装置として、良いカモにされているが

将来に少しでも安定を求めているのか、目の前だけを見て

忙しさにかまけるフリをしているのか、全く生活も働き方も

これまでどおりである。

 

だが、着実にひずみの増大しきった経済最優先主義社会の

ひずみの中に身を置いていることを知ることになるのだが。

 

文化とか、幸せとか、安らぎといったものがどこにあるのかを

人の尺度にたよってはいけない。

それだけは、長男40年足らずの人生だが、ヒシヒシと感じている。

 

でも、そんなことを考えている間に

もう人生の半分が過ぎ去ってしまった・・・

えらいこっちゃ、である。

 

食料自給率は低い、結婚もしなければ子供も産まない、

企業はリストラをしつくし、政府は自分達の不安を取り除くために

国営企業をなくし、まる裸になって

すべてを国民になすりつけようとしてすらいる今

何をすべきなのか、考えついたらすぐに行動するときであろうと思う。

 

人生は一度だけである。

やっておかねばならぬこと、かなえねばならぬ夢

大事なことをかなぐり捨てて、遊び倒して、半分は無駄に働いてきたが

人生折り返すなら、もうそろそろ違う道を選ばないと間に合わぬな・・・

 

さて、独りで出来ることには限界がある。

仲間を探して、新しいことを始めねばなるまい。

やりたい事はアレコレあるが、さあて、何から始めたらよいのやら。

 

秋だから、秋にしか出来ないこともやっておかねば

あと何回、秋らしい秋が楽しめるかも分からぬし

海も、すでに季節がめちゃくちゃになり始めている。

しかし、釣りばかりして遊んでばかりも居られんなあ・・・

 

公園の茂みの奥で

こっそりとコゲラがアケビを食べている

この何気ない営みはいつまで、このままでありつづけられるのだろう。


ではまた