●いやはや道具にこまる

「今度こそ、大物をみんなと食べるのだ」

という使命感に燃えるのとは裏腹に、

那覇から大東までの間は、

飛行機が小さいので離陸できなくなるために重量制限がある。

ギリギリの時は、荷物の後で自分もハカリに乗るのだけれど、

最近太めで体重が気になって仕方がない。

 

10キロ以上は超過料金を課せられるので、

リュックの中身を厳選したつもり、

それでも期待の大きさからしても

いろいろ持っていきたいのが「人情」というもの。

 

ヨセばいいのに、ソフトルアーやら多すぎるルアーの予備、

使ったこともない馬鹿っぽい仕掛けなどを

夢と一緒に?ありったけ詰め込む。

 

遠征の旅に「人情」が厚すぎる自分を

駅までの急な坂道と那覇での超過料金の精算で

つくづく思い知ることになってしまった。

 

那覇空港での琉球エアコミューターへの乗り換えは

乗員に余裕があったようで、「体重測定」が避けられたためか、

ウイウイしい実習生の受付嬢が余計にかわいく見えた。

 

ともあれ、装備は竿とリュックで16キロを越えていたのだが・・・

 

加えて手には宿への土産、

キュウキョ羽田で買った「水まんじゅう」が携えられているのだった。

 

(ちなみに、僕はあのバズーカとも呼ばれる

「土管」的竿ケースを使うほど道具を過保護にしない。

あれ自体モノ凄く重いからで、

竿袋に入れて束ね、それを更に大きな袋に入れているだけ。

でも、輸送中にキズが入ったことはありません。)

 

  

●洋上パラダイス、南大東島へ

 

本来だと那覇から大きめになった

新型高性能プロペラ機「DHC8」39人乗りに乗るはずが、

なぜか前回と同じ、「DHC6」19人乗りだ。

関係ないが、行きは燃料満載のため、12名乗りである。

 

 

島のポスターには

島まで一時間、立派なトイレもついている!と

喜ぶ地元住民の心のトキメキが感じられる

キャッチコピーがあったのだ。

そんな夢のような機体に是非乗りたい!

そう思っても不思議ないではないか。

 

それなのに、1時間半かかるはトイレはないは、

立って移動できないは、エアコンはないは、

与圧していないから、やっぱり上空は寒いはと、前回どおりではないか。

ポスターは何だったのだ!?

 

小さいことを活かして他の立派なジェット機が離着陸する間を

滑走路を半分も使わない頼もしいDHC6は、横入り的に進入する。

 

脇からヒョイッと滑走路を借りて、フワリと飛んでしまう。

 

だだ、エアコンなんて贅沢なモノはついていないので、

夏真っ盛りともなれば「滑走路わき」で離陸を待つ間は温室状態。

 

しかして、

この機体には他にはない心の絶対冷却装置「ウチワ」が標準装備であり、

しこたまぬくもった空気をパタパタとかき回すことで、

涼しさにも似た心の安らぎを得るのであった。

 

もちろん窓は開けらるようには出来ていないわけで、

小くたって船より10倍は速い、赤字で飛んでくれるだけ有り難い、

夏だから暑いのは当たり前、みんなもあついんだナドナド、

こうした様々な究極的条件下での空気の動きを、

「うーん風だ、これは涼しい」と心から感じるわけだ。

 

涼しさとは心から感じるものなんだと

パタパタ労働の汗をコメカミに浮かべて独り速やかに悟る。

 

那覇からは400キロ離れた島につくまでは、

離陸後10分以降、海と空と雲とエンジン音と見慣れた機内しかない、

寝ようにも、スバル360のように、ヘッドレストなどついていないから、

頭を立てていなくちゃいけない。

 

地元の人は器用にあちこちに頭をもたげて寝てしまう。

 

僕はといえば、うまく眠れないし、

とりたててすることもなく、時が進まない。

島が見えたときはホッとして、

太平洋に浮かぶ島がヒトキワ美しく有り難く目に写り、

思わずシャッターを、写真をとらなきゃ!と

冷静ならば思ったほどでもない風景を

つい記録してしまうのである。

 

言うまでもなく、

高度5000フィート(1600m)の上空は

富士山よりマシだが沖縄としては、それはそれはサブイのである。

そんなこともあろうかと、僕は長袖長ズボンで乗り込み、

秘かに「とっくに知ってるんだよー俺は、ザマーミロ!」などと

誰に言うともなく、心の中で痛快に叫ぶのであった。

 

暑い暑いアフリカのキリマンジャロにだって

雪はあるのだ、

今なら分かるぞ!(なんのこっちゃ)

 

 

 

●その名は「吉里会館」

 

この七月からは新しい空港が完成して、

新品のパンツをはくような、

オロシたてのリールを使うような、

とっておきのピン札、一万円で晩酌のワンカップを買うような

何だかシックリ来ないけれど、とりあえず立派は立派なつくりである。

 

 

下のこれまでの空港の方がとても風情がある。

エアコンをつけずとも、なぜか風が涼しい不思議な待合であった。

 

 

これは黄金週間の時の写真で、

ちなみに前を歩いているのが

全然知らない人だけれど

大阪からイグロの馬鹿でかいクーラーと共にやって来た

磯釣り好きのオヤジで

サンザン僕のがーらの刺身を食べておいて、

3キロのおーまち(アオチビキ)を釣っても

一口もくれなかった、ヒトキワ不人情な関西人である。

 

出迎えてくれたのは、パンチパーマが長めでアフロヘアー的な

「吉里」社長で、見た目には実に南国らしい。

 

ここ一番人の良いルックスと、送迎をやってみたり、

朝飯の時には食堂で空になったおヒツを取り替えたりするおかげで、

この方が社長であるということを知る旅人は数少ない。

 

正体不明、地位不明の

アカラサマに怪しく

しかし、見た目にはリタイア後の再雇用従業員的処遇である。

 

社長関連はとりあえずこれくらいにして

ここではバスやタクシーはない。

だから宿から吉里会館ロゴ入りオフィシャルワンボックスでお出迎えだ。

 

同じ便でタマタマ羽田からずーっとやって来たメガネのダイバーと

初めて挨拶を交わし

社長兼運転手さんと親しげに会話する。

もちろん、よりによって台風といっしょにやって来たねと言う会話だ。

 

ダイバーも油断してあまりにもアッケラカンと話すものだから

安心しかけていたところへ、

ここのシケは並みじゃないから当分潜れないよ、

などと意地悪く釘をさしてしまう。

 

都会の悪い空気がまだ僕の肺に残っているようだ・・・

 

走るうち、なぜか既に懐かしい白い宿

島中の個人の建てた住居建築では一番高い

「吉里会館」が見えてきた。

 

玄関を入るなり「おかえりー」という若奥さんの声が密かにうれしい。

この前、黄金週間は3日しか居なかったのに、

そんなに覚えやすい人間なのかなーと個性的すぎる自分に

チョット謙虚になって奇妙な反省をしてみたりした。

 

吉里会館は・・・

 

◆さりげなく寿司屋とサトウキビ栽培を営む、

例のアフロオーナー社長、

 

◆その奥さんで、キモッタマ母さん的なわりに鋭い目つき、

サスガ社長夫人、宿のお食事総括の大奥さん、

 

◆いろいろあって「今は独身」で、社長の弟、

気の良い元キックボクサー国内4位、

島最強の男で、モメゴトにあっては警察以上に治安維持に一役買う、

会館業務頂点の管理職「館長」

 

酒を飲みながら、多くのブチのめした相手の話を聞けるが、

口癖は「誰が郷ひろみヤネン」である。

最近は僕の口癖「ひ・み・つ」をマスターしつつある程の

バイタリティあふれる人物だ。

 

◆次は、フロントに良くいる、あのアフロ社長の娘でありながら、

トッテモ若くてかわいい「若奥さん」(次女)、

この方は国籍不明のエキゾチックな顔つきで、

遺伝子はどこから来たのか?

と思わせる、独特なとてもカワイイ風貌である。

 

◆続いて「アトトリ?」として兵庫から若奥さんの婿として迎えられ、

今は島の厳しさのためか、腎臓を患っている「若旦那」

 

◆掃除とベッドメイクの「オバンズ」(失礼)

(掃除のおばちゃん3人衆、うち一人は34歳)

オバンズというとオバちゃんたちの意味だが

OVANS(オヴァンズ)と発音するとトッテモおしゃれなので

本人たちとは別に、かなり気にいっている。

 

◆そして、オバンズが一人

34歳大阪出身

オバンズに加えるには抵抗が有り余るほどの

美人でカメラマンのカミさんを持つ

「料理長」またの名を「コックチョー」

(意味はいっしょだ)からなる。

 

◆洗濯や台所を手伝ったり、ただぼんやりしているサブキャラクターも

多少ほかにも存在するが、いまだ正体不明、調査不能。

 

とにかく、大東諸島随一で五十余部屋の客室を有する

立派な宿(民宿?)は、

この吉里家とその他お手伝い衆により、

黒潮からも外れた太平洋の真中の孤島に

力強く存在している。

 

ちなみに南大東を訪れる観光客(ダイバー、釣り人、迷い人・・・含む)は

年間100人位なのだそうだ。

 

え、釣りと何の関係があるか?

大東島への旅で、事によっては最強のパートナーとなってくれる

事によっては何事においても最も頼もしい宿なのだ。

(島で最強の館長付きでもあることだし・・・)

 

風呂は入れるところと入れない部屋とがあり、

僕の泊まった新館は運か日頃の行いによっては

男女共同のシャワー(カーテンがあるのみ)であり、

離島情緒たっぷりだが、今回はシャワー付きトイレ付きのツイン、

言わば大東のロイヤルスイートで贅沢ザンマイだ。

(二食付き、6500円/日程度)

 

一応、全室電気照明機器とエアコン標準装備のようだ。

(コインクーラーなどというシモジモの装備はココ吉里会館には存在しない)

 

 

 

●台風も、ひんがーたいくちゃーもやって来た

 

ついた日(既に夕刻)から早速原付で釣りに出かけようとすると、

真顔の最強館長から

「今日は見てくるだけにしておきなさい」と

さとされる。

確かに、台風の近づく島をナメてはいけないのであった。

 

偵察に出かけてすぐの大通りで、

ヤマトンチュウ(内地人)と素早く見抜いた

対向車のパトカーの駐在さんから

「亀池港閉鎖中!!」とこもった拡声スピーカーから

町内全域に聞こえるほど大々的に、有り難き御忠告をいただいた。

ついそうしたくなるほど、厳重かつ甘くない状況なのだろう。

 

台風のせいで3つの港のうち、

北港一箇所しか釣りできず、他は閉鎖されている。

柵を越えて行くのは簡単だけど、

そんな事しても無駄だということは、

釣り好きながら厳しい自然を知りつくした地元の人のしぐさから明白だ。

 

 

娯楽の少ない中で、大物を手軽に釣れ、

しかも、市販される鮮魚、マグロとサワラ以外が手に入る

「釣り」は島民最大?の楽しみのヒトツであるはずで

その人達すら行かないとあっては、

貧弱旅行者のヤマトンチュウ長男の出る幕ではないのだ。

 

最後に残された北港しかないが、

行ってみればウネリが3メートル位あり、水平線があちこち角張っているから

やはり台風は近いのだと、背筋の寒さと共に納得する。

 

どの港も漁港も兼ねていて、あまりに険しい気候のせいで

必要なときにだけ「クレーンで漁船を下ろす」のだが

 釣る方にすれば魚が散ってしまって仕方がない・・・

 漁船もここからしか海へ出られないから、ションナカ状況だ。

 

 

朝方気合いを入れて、この北港へ久々に乗り込んだが、

13センチの小さなペンシルポッパーを水面に躍らせたらシュボっと

がーらが出て元気に歯型を付けていった・・・。

新宿のオフ会(釣り関連のHPで知り合った方々との飲み会)で、

「裕次郎」こと、きどー氏にチェックされてしまった、

針先(鋭さ)のアマさがあったのだ。

 

オフ会に持参した、あのルアーもそうだったが、よりによって今回も

そのフロントフックだけがナゼか研ぎ忘れられていたのだった・・・。

 

気を取り直して、

ヒラスズキ気分でサラシ(波がつくる泡のベール)を攻めると

その下には、予想通りカスミアジがいた。

足元まで追ってくる5キロ位の食べごろサイズ。

 

数投あと、コキミ良いヒットがあった、ここなら足場も良いし余裕で取れる・・・

そう思った瞬間軽くなった。

 

シゲシゲ見ると、昔シーバス用に針交換したとき、

スプリットリング(針をルアーに固定するリング)までが細めになっていた!

 

なんてこったぁぁぁ、

クニョクニョに延びたリングが、朝日にブラブラしている。

これが大東島なんだなーと心から思ったし

しっかり準備したつもりで居たのに

都会で油断のかたまりとなって生活していた自分に

限りなく情けなくなってしまった。

 

ミノー(小魚型ルアー)は波にのまれやすいので

今度は100グラムのジグ(深い海用のオモリを魚風に塗ったルアー)

ヒラジグラ(平たいジグの商品名だから・・・らしい)で頑張る。

アタリはあるが、見たこともない歯型だけついて上がってくる。

吸血鬼のような鋭い歯が鉛のボディに食い込んだ跡、

ダツにはこれほどのアゴの力はないから、

噛みついた後、竿のしゃくりに引きずられて流れた傷

ちょうどカッターで切りつけた様なキズになるはず。

通りがかりの軽トラのオヤジの話では

どうやらカマス(1m程になるオオカマス)らしい。

 

が、もう一つ歯のない平たい口で食い付いた跡もついている・・・

 

話しているうちにリールのベールがブラブラになって巻き取れない。

おステ(愛用のリール、ステラ)がトラブってしまったのだ。

 

こうなっては撤退しかない・・・

実に情けない瞬間を

我が者顔の軽トラのオヤジに目撃されてしまったものだ。

 

「投げる回数が多いからベールスプリングの代わりは

用意しておいた方がいい」

と言われても、まさに後の祭りであった。

 

軽トラのオヤジは自称「島ではカナリのヤリ手」らしい。

3サイズ大中小のセットアップ済みの仕掛けを

常に助手席に搭載しており

「気が向いたらすぐ出来るんやで」的に

自慢そうにその仕掛けを披露してくれた。

 

 

さて、午後になり、ますます波はたくましくなる。

 

おステはドライバー一本で無事治り、午後の部が始まった。

50センチ位の大きなカマスが追ってきているのが見えるけれど、

ユーターンしてしまう。

 

真夏の昼下がりにふさわしく、ルアーを見破り

「なーんや偽モンかぁ、暑いのにぃもォ」的に、

実にだるそうに、面倒くさそーにユルユルと沖へ帰っていく。

 

 

夕方になってやっとフッキングするも

あと10メートルのところでバラシ。

重いジグは魚が暴れて頭を振り回した時に

重さで口切れしやすいようだ。

 

その後、気は心で100グラムから

80グラムのジグに換えて、投げるわ投げる。

 

時折地元の人の呆れとも、好奇心ともつかない視線を感じる。

 

当たりはソコソコあるのだが、魚が乗らない時間が過ぎていく。

 

オーバーな合わせの後、

地元の釣り客の目をパッと引き付けたものの、

クルクルリールが巻ける、小さい魚だな・・・

先程のオーバーアクションがトッテモ照れ臭い。

 

やっと上がった大望の1匹は

お馴染みの「ひんがーたいくちゃー」ことイシフエダイ。

 

今まではたいくちゃー(オオグチイシチビキ)と思っていたが、

後で色々調べると、どうやらイシフエダイらしい。

47センチくらいで1キロはある。

 

 

こいつには歯がない、ジグを傷つけた平たい口はコイツだったようだ。

  

イサキを戦闘用に改造したようなイデタチで、しかも太い。

イシフエダイは珊瑚礁の沖めにいて小ザカナを狙っているらしいが、

ズイブン速引きしないと来ない、だましにくい奴だ。

  

ワラワラと見物人が集まってギャラリー効果は上々

チョット得意気分。

地元の大物釣りの泳がせ釣りや、

オキアミのカゴ釣りなど岸近くでは来ないので、

地元の人は知らない魚。

ルアーで釣れるところを見たことがない人も多く、

不思議な目で見ている。

 

何だか分からないので、

「アジ」などと言っている人もいて、オオラカなもんだ。

この魚が何であれ、食べらればいいわけで、

ましてや他人の口に入るものが何であっても

別ダンどーでもヨイのである。

 

ましかし、ルアー釣りも変わり種だが、

極地から本土、沖縄本島を経てハルバルやって来たオキアミを使うのは

ずいぶん壮大な気分のするカゴ釣りであって、

釣れてくる魚も本来大きめなのだが、

下手をするとオヤビッチャやら、チョウチョウウオといった、

南国美味しくなさそう系熱帯魚の

オンパレードになりかねないようである。

 

もちろん、ゴカイやウタセエビなんて売ってない。

 

何はともあれ今夜のおかずはイッピン増えてよかった。

吉里家には、餌を使わずとも必ず釣ってくる男として認識されているので、

ほっと一安心だ。

 

しかし、吉里一族や料理長の取り分がないと、

料理してもらいにくいのが気にかかる。

 

さて

久々のファーストリトリーブの連発で

普段マウス、キーボードで鍛えているはずの

腕、肩が痛いのでもう帰ることに。

 

常連の大東開発興業のおっちゃんが、

大きなイスズミを背掛けにした泳がせ釣り仕掛けを

こちら方面に構わず流したがっていたのもある・・・港は地元優先だ。

 

 

●料理長、あなたはイッタイ?

 

さて、たいくちゃーを持って帰ると、

「シケの海で釣ってくるとはタイシタモンや」と

釣りをしないキックボクサー館長が過剰にほめてくれるけれど、

かなりバラシたので苦笑い。

 

さっそく料理長がやってきて、

「今日は洗いにしてみよかぁ」という。

実はどうしようかと悩んでいたのだ。

 

前回の黄金週間での教訓から、

クセのない白身だけれど、あまりにアッサリしているのと

身にしまりがないのを思いやってのこと。

 

唐揚げは旨いけれど、油が大変だし、

鮮度を活かし切っていない。

ただ、素直に美味しいので、

前回は他の釣り人に、ズイブンごしょうばんされたものだ。

 

なにしろ、この人はスコブル料理勘がいい、

素直にオマカセしてしまう。

 

決まったメニューではなく、状況によって

島にある限られた素材で作る献立は想像を絶する。

だがしかしココで、いつも美味しい夕食が待っていて、

旅人は本当にほっとするのである。

  

関係ないが、長い間ヤモメであり、

外食嫌いから、大半を自炊でキメている僕には、

肌身にしみて料理の難しさが分かる気がするのだ。

 

シケが近づいて、週に一度の船便が欠航になりそうだと、

大奥さんが早目に食材の買い占めにあたるのだそうだ。

 

ともあれ、柔らかい白身が、キリッとシマリ見違える歯ごたえだ。

オリオンビールといっしょに、爽やかに喉をすり抜けていく・・・

厨房の奥で料理長も食べて納得し、うなずいている。

 

大概の人が、

この料理長夫婦を何かから逃れてここまでやって来た、

と思うらしいことを

本人から聞いたが、正に僕もそう思っていた。

 

が、美人奥さん、「じゅんこ」さん曰く、

夢と何とかの・・・で仕事をしてみませんか?

というアフロ社長の考えた新聞広告のコピーに

マンマと釣られてやって来たのだそうである。

そうは言うものの、それ以前に

あの料理長とは不釣り合いだし、やっぱり怪しすぎる夫婦である。

 

  

●台風見物と竹細工とお昼寝と

 

やはりとうとう台風はやって来た。

館長に朝から「ビールでも飲みますかぁ」と誘われて、

朝食直後の至福の缶ビールである。

 

台風でもビールが朝から飲めるからイイカ・・・

数日間は多分やることがない。

 

厚さ7センチくらいある、「南大東村誌」を借りる。

これはこの島の成り立ちから、

開拓移民、現在の様子、動植物、民俗、地質など、

何でも来いの読み物。

 

しかし、閉じこもって読み更けるには、

雨も降らず、雲が速いだけで

外は案外いい天気なのである。

 

ロビーでウダウダしていると

今居るせっかくの観光客に趣向を凝らしたいから、

竹と花を取りに行くので手伝えとの

キックボクサー館長からの要請。

 

イヤだ!と断っては、おそらく命が危険なので、

素直に送迎用オフィシャルワンボックスに乗り込んで出かける。

送迎だけでなく資材調達もこのワンボックスの正しい使い方のようだ。

島のアチコチに咲き乱れる「ソウカ」という花と笹を道端から取り、

吉里家のサトウキビ畑に入って竹を探す。

 

柔らかいテラロッサ?(赤土)に入ってスタックしそうになり、

慌てて館長に確かめると、4駆じゃない・・・やっぱし・・・

 

台風なのに不思議に晴れた空とサトウキビが、

「イージャアアリマセンカ、ソンナコト別段どーでも・・・」と心を促す。

「別に死ぬるわけじゃあないケン、よかばい、天気もエエ事やケン」的な

ゆるやかな気分になる。

 

竹林があるけれど、本土の竹とちょっと違う印象、

でもどこが違うかは、よく分からない。

一番太い竹を切りだして戻るのだが

行きの不安をよそに不思議とスタックしないで、

川口ヒロシの探検なみにあっけなく帰路についたのである。

 

さて今度は問題の玄関先での竹細工だ。

竹の丸太を生かした花活けと

箸置きとヨウカンの楊枝づくりに励む。

ここ、大東にきたら、昼飯はいつも食べないので腹ぺこで

本日は館長の差し入れのオリオン缶ビールだけだ。

空き缶が宿の玄関にうずまくツムジ風にまいあがった。

 

竹の加工は、なかなかコツがつかめない上に道具もなく難航・・・。

ノミがないので、鎌で竹を割ったり、

ナイフがないので僕のフィッシュデバ

(魚をシメるために折り畳みのデバ包丁を持っているが、

釣れないので滅多に使わない・・・)を使って削りたおす。

 

なにやらうまく行かなくて挫けそうになるけれども、

「なんくるないさー」(沖縄語で、なんとかなる)とお互いを励まして頑張り続ける。

ここまで手間暇かけて、絶対後には引けないのである。

 

よりによって仕上げに電動グラインダーまで使って、

轟音けたてて派手に玄関先でやるもんだから、

子供達やオバンズ、ツアーの人達や添乗員の人までが

盛んに質問してくるものの、

とても衛生的とはいえない場所での工作に、

「夕方のアンタラの食卓で使うんですわぁ」などとは

口が裂けても言えないので

館長ともども「ひみつ・・・」を正式に活用して

黙秘を決め込んだのだった。

 

ただただ、都会の人に良くあるが、物凄いケッペキ主義で、

何もかも消毒しないと食べられないようなヤワな人間がいるけれど、

そういう人がいてはマズイと思ったからである。

 

別に洗いもしないで直接食卓にのせる様な

日本人/常識離れした、お土地柄では決してない。

 

あの腕の料理長において、そのようなことは有り得ないのである。

 

 

夕刻に仕上がり、共同制作者の館長と共にお互いをたたえ合う。

素人にしてはよくできた、と。

竹細工はイマイチでも僕は一応プロのデザイナーなんだけど・・・

ま、いっか・・・今は旅人モードだから。

 

 

眠気が誘うので、シャワーを浴びて食事時間までの間、寝床につく。

 

するとイキナリ頭の下からフルボリュームで

和太鼓のけたたましいビートが鳴り響く。

 

驚いて食堂へ降りていくと、

青年団らしき人達が太鼓をたたいているではないか!

そういえば、5時から余興をやると、

昨夜社長の寿司屋で飲んでいたとき言っていたような気がする。

 

無意識にカメラを持って駆け付けてしまったが、

館長も「こっち来て見ろ」というふうに手招きしている。

 

すっかり目が覚め、

いつしか観光客そっちのけで聞き惚れ、

写真を取りまくっていた。

思ったとおりの八丈太鼓なのだが、

やはり、八丈移民なので文化も受け継がれていると納得したものだ。

 

高校のない大東で

里帰りした女子高生が見れるのも、この時期ならでは。

(右奥のブルーの横シマのシャツが僕好みのピチピチ美人の女子である)

 

 

女子高生も大変に貴重だが、至近距離の太鼓もすごい、

写真右上の鶴の額が振動でおっこちてしまった位、大迫力があるのだ。

その後は、スナックホワイトローズのママによる島歌だ。

この島では人より優れた事は、すぐセミプロになる。

 

 

実は右のエグミ漂うおやじの方が偉いようなのだが、

なぜ偉いのかは良くわからない。

最後にカチャーシー(好き勝手自由型の沖縄おどり)で

盛り上がりたかったけれど、

ツアーのジジババがあまりにサメテいるので

出来ない自分が悲しかった・・・

 

 

●珍しいのは観光客

 

気晴らしにと誘ってくれた料理長と車で走っていると

何しろ車より雲の影が速い。

「こりゃー泳ぐどこやナイワ」と全会一致。

実は、京都からやってきた、

ノンべの独身女性「Tさん」も同乗しており、

この人は不覚にもスキンダイビングに来てしまっていた。

 

「釣りもできんけど、泳ぐんはもっと無理やなー」と

いろいろ回ったあげくに、

やっぱり関西風に一同確認する。

 

 

そんなわけで釣りもできないので、西港へ高波見物へ行く。

最初は僕らを含めてひと家族だったが、

気がつくと、キンツリ(近畿日本ツーリスト)のツアーの人が

役場のバスで乗り付けてきて、

知らぬ間にどこかの工事関係者、漁師、その他大勢が集まって、

立派な見せモノになった。

お菓子やジュースが売れそうである。

 

 

見物客の反応を見ているほうが、波より面白い。

ちなみに写真の丸顔のやさしいオネーサンはキンツリの添乗員さん。

都会で暮らしている人や、いつも島で暮らしている人も、

等しく純粋に感心しているふうは、

なんともはや大自然の恵?といったところ。

 

下の写真ではスケール感が無いけれど、

波の高さが海水面から軽く20メートル位上がっている。

が、これがフルパワーではない。

カメラのファインダーからはみ出る波もあるのだ。

見えている波止は普段は高すぎて釣りも出来ない4階建て程の高さ。

左手に行くともっと低くて釣りになる4メートル位の波止がある。

 

 

ツアー客は3泊するそうで、館長いわく本来この時期にしては珍しいらしい。

年末などは、離島好きの人達がホウボウから集い、

越冬するのだそうで、年越しの時などは、

他の離島での武勇伝を語り合うのだそうだが・・・。

 

これまでは年間の観光客など100人位。

確かに、泳げないが海しかない島だ。

鍾乳洞とオヒルギ群落(河口に生えるマングローブが、

川もないのに、ここでは池に生える)

は見物だが、ここまで来て見るにはモノ足りないし、

夜の大東オオコウモリもさほどではない。

 

高齢化と多様化が進んで、

離島の不便を味わっておきたいという人が来るようであるが、

「エー風呂もないのぉ」とか、

なぜか当たり前のオートロックのドアに

「鍵かかって入れないの、開けてぇー」などと

自室のドアをドンドンたたく音を廊下に響かせる姿は、

「変なのはアンタラや!、本土からワザワザ何しに来とんじゃぁ

シャーシーけん、あっち行きんしゃいっ!!!」

と叫ばずにいられない。

 

しかし、そう思いつつも、

さりげなくオートロックを回避する技をコレミヨガシに

やってみせて、教えてしまう自分もお人好しである、全く・・・

 

釣りのできない大東、山あり谷ありのノンビリ生活は続く・・・