心にジュース、お腹に音楽、ん?


朝早起きすると、どうも一日が眠くていけない。

今朝はまたしても4時起きして、港へ出かけてしまったので

これまたずいぶんと眠い。

先日来、ポッパーに反応していたロウニンアジがとうとう出てしまい

試しに掛けてみたものの、やっぱり20キロは軽く超えているようで

どうも6号のナイロンでは手におえない相手。

やっぱりシブキと共にちらっと見えてたヒレの大きさはダテではない。

ポッパーへの出方も豪快で、水面が盛り上がってから、

顔を出してガバッと食い、思い切りヒレを出して水面をかき回して潜る

という、テレビで何度か見たような光景が朝の静かな水面に展開する。

ナイロンに換えてからというもの、パワー不足は感じてなかったけど

このたびのロウニンアジとのファイトでは完敗で

当たり前のように糸はビュンビュン150メートル以上出されてしまって

スプールには200メートルしか巻けないから、糸がなくなる寸前に

ドラグ(糸の出の力調整)をきつく絞め込ん時に、運良く切れた。

しかも、かなり先というか、ルアーに近い所で切れたので

多分損害はルアーから10メートル程度だろう。

切れた原因は道糸(リールに巻く糸)の根ズレ、相当引き出されて初めて

フラットだと思っていた港の近辺の沖合いは多少根があることが判った。

ちなみにルアー釣りでは、ハリス(リーダー)といわれる

ルアーに接した先端3メーターくらいを太くする、先太仕掛けが主流

道糸はその三分の一くらいの太さしかないから、先細の餌釣りとは対照的。

神経質に餌を食わせるのではなく、動きで反射的に食わせるので太さは関係なく

魚の歯や逃げ込んだ岩で切れないよう、太い先糸が必要となる。 

それで、遂に例の小笠原専用改造ロッド「銀柳」の使用に踏み切る。

理由は、本来ロウニンアジを釣るためではなく、カッポレを釣るために

あと一本までになってしまったペンシルポッパーを全力で守る、という事。

テトラポット上での強引なファイトは相当危険が付きまとうけれど

とりあえず、明日からライフジャケットを装着して釣行することにして

たまには全力ファイトもいいかな、男だし力と力で、というのもある。

 

おもむろに、母島に来て始めて手にする銀柳は、なにやら武器のような

ごるご十三(じゅうぞう、さーてぃーんとも言う)がスナイパーライフルを

取り出しているかのような、重々しい雰囲気が漂ってくる。

命をかけるだけの道具の重みというか、決意といったものがあるようだ。

リールはこれまでと同じだが、糸はこれまでとは次元が違う

超強力道糸PE−5号(ポリエチレン繊維をよった糸)に

ハリスとして強力ナイロン24号を、分厚い革手袋をして縛る。

大東では普通だったこの仕掛けも、本来ならばカジキですら

「力対力」で十分対応可能な仕掛けといえるかもしれない。

ただひとつ、人間の力を計算に入れなければ。

仕掛けはできた、後は明日の朝を待つばかり。

 

待つばかりだから、お洗濯とお昼寝である事は言うまでもない

今日も今日とて、ものスンゴイいい天気で、昼ともなると直角な日差しが

光の圧力と共に日陰を無くしてしまい、ヒナタのすべてを焼き尽くす感じ。

特に、朝方ネムリブカとしては大きい1.5メートル級の泳ぐ浜で

昨日失ったルアーの探索をした際に、ふと気づくと財布ごと泳いでおり

海パンでスタンドへ行ったために起こった痛ましい事件に見舞われた。

(一応塩抜きを)

したがって、お札、小銭、カード、免許証、船の時刻表もろもろが

すべて小笠原海域の海水で清められた事とともに

爽やかな風に吹かれ、洗濯物ともども、大変良く乾くのが清々しい。

ちょっとスルメのようになった名刺やお札も、不思議に悪くない気がする。

スンゴイ暑さだけど、とてつもなく涼しい風が畳の部屋をすり抜け

午後のひとときがあっという間に駆け抜けていくなかでオバサンの声がする。

久しぶりに、ノートパソコンで聞く音楽は心にしみ、うとうとしながら

聞き入っていたところへ思わぬ声である。

駆けつけてみれば、オバサンが差し出した手にあるのは、憧れていた

あの、石津家特製(民宿の家の本来の名前)パッションジュースではないか!

魚をさばく時に箱や篭に入ってアチコチ移動され

一部(二十数個)は僕の体をつくり、どうなったかと心配していたところ

オジサンいわく、ジュースにしちまった、とのことだったが

手作りパッションジュースへと本当に姿を変えていたのだった。

ジュースにして時間を置くと、やはり香りは柔らかくまろやかになり

より一層柑橘類に近づいた感じになる。

一粒だけ迷い込んだコップの底の黒い種もご愛敬、網戸の外でゆれる

濃い緑の木々と風の音、鳥の声、そして久々の音楽、廊下を部屋をふきぬける

涼しい風にいっそう涼しい午後のジュース、いい宿に泊まったものだなあ。

のったりのったりと過ごせる時間もあと数日。

 

このままのったり三昧な人生でも良さそうなほど居心地がよろしい。

魚を釣り、さばき、すずかぜに昼寝し、ビールを飲み、夜空を眺めて寝る。

時にはサメやエイと泳ぎ、鳥に遊ばれ、ジャングルを歩き、旅人や

島の人たちと話し、夕暮れには、カヌーのあるヤシの木の浜辺を散歩する。

これ以上、何も要らないし、何も望まない。

明日の事は明日考えればいいし、今日のビールが美味ければ幸せである。

これだけ幸せな生活をどうして、皆が共有できないのかと不思議なものだ。

だれもが求める心の安らぎがここにあると思うのだけど退屈という人もいる。

退屈だから考える事ができる気がするのだけれど、考える前に

まわりが動いてくれている方が、自分も動いている気分になれるような

そんな感じかもしれない。けど、考えるいとまはもたないし、考えない。

 

与えられる事に期待して生きていても、与えなければ意味がない。

時間があるから、いろいろな事ついてじっくり考える余裕がある。

 

僕が訪れた島の中でもっとも気に入った島、それが母島となったようだ。

だから、やりのこしを作っておいて、また来なきゃいけないよ。

ああ、今夜のビールはうまいだろうな、きっと。


ではまた