ポン食は戦後のもの

 


 

とりあえず世間のフツーの不思議?

 

早大が、オボカタサンの博士号を猶予つきで剥奪すると見栄を張った。

ポン国内の博士号とはそれほど軽いのだ。 なーなーで与えられるユルユルの資格だと明かしてしまった。

結局のところ・・・ご都合主義のなかで培われた談合の果ての称号のようなものだったらしい。

 

学術界も厳しいかもしれないが・・・所詮は学術などモラトリアムの極致であり、資本主権とは異なる価値観。

ダラダラゆるゆる癒着とかネンゴロの世界である。 その証拠に、質の悪い学者に遭遇することが多い。

田舎の自動車学校で免許を取得するのが易しい・・・現象が、学術界にもある。

 

問題は、学術が腐れていることではなく、資本主権を知らぬユル学者が増えれば、不利になるのだ。

青色LEDを開発するような、冷や飯食らいを乗り越えられるような、モラトリアム根性を見せて欲しいものだ。

 

島に来て学者さんに会う機会が増え、実にキレの悪い博士や教授・・・が多く、正直ガッカリが多い。

 

香港のデモは徒労に終わるのだろうか・・・

チャンは一党独裁を崩すことのできない稚拙な政権だが、香港は自由主義という名の資本主権だ。

無駄に領土の広いチャンは、イロイロと無理がすぎることが世界に知れ渡る事態になっている。

統治する財力もないのに、香港を統べることができる・・・というのは、チャンはあんまり早計だ。

しかしながら、人口だけは無駄に多く暴力だけはイッチョマイであり、香港が折れるのも時間の問題だろう。


 

ようやく・・・島料理の代表選手のひとつをマスターしつつある。

意外に難しい、油ソーメン。

今回の具は、じゃこ+ゴーヤ+ニンジン+タマネギ。

沖縄のソーミンチャンプルーと同じ・・・と思ったら、かなり早計だ。 炒め物と煮物くらい違う。

くれぐれも後述する。 ソーミンチャンプルーとは、素麺を用いた焼きうどんのようなもの。

 

ところで、日本食とはなんだ?

私は知らない。 なのにユネスコは知っているという。

自分が見えない・・・ということはあるだろうけれど、トンカツ定食とか、から揚げ定食が人気のポン食ってナニ?

サバ味噌定食とか、ラーメン・ライスとか、牛丼屋の朝の玉子かけごはん定食がポン食の基本とでも???

 

ユネスコのネタ切れと、ポン人の見栄っ張りがドッキングした結果だが、情けないことだ。

ふわふわポヨ〜ンと幸せ感に浸っている場合ではない。

 

チャンや半島人が、つまらぬモドキ食を提供しだしたのは、笑って済ませればいいが、ユネスコってだれだ?

彼らの認定したポン食が何か、明らかにしておくべきだろう。

 

ポン人がこさえれば、中華もポン食だったら問題ないのだ。 だが、無駄にポン食の資格を与えているのだ。

食文化とは、大勢によってヒン曲がる。 文化とは大勢のものだからだ。

 

ゼンゼン嬉しい・・・というのを、昔の国語教師が曲げて解釈、封じたように・・・笑える掟が平然と常識になる。

世間ズレ・・・が世間とズレているというのは笑った。 スレは釣り人にとって常識の語彙である。

スレがかり、根ズレ、瀬ズレ、スレた魚、スレたアオリイカ。 スレ針というのまであり、スレは釣り人に馴染む。

私は昔から本を読まないが、私より読まぬ人が増えてしまったのだろうか。

 

以前から記してきたが、一汁一菜といった恵まれた食事になったのは明治以降。

雑穀と野草を煮た粥が主食と副菜を包含していたポン食。 米は金銭と同様だったから農民は食べなかった。

江戸の文化において、寿司や蕎麦を食したというのは町民文化であって、大衆たる農民の食文化ではない。

 

さて

ソーミンチャンプルーと油そうめんの差は明快である。 そしておそらく、食文化としては後者の方が古い。

ソーミンチャンプルーは、たぶん純粋な現代食。

 

問題は・・・こさえてみればわかるが、ネバネバで調理不能になる。

およそ沖縄人の大好きなシーチキンのあまった大量の油でも投入しないかぎり、麺がくっついて調理にならぬ。

お持ちでないと思うが・・・ホントのフライパンでこさえると悲惨なことになる。

 

内地の炒め物と同じで、高度成長期に成熟したのだろう。

ソースなしでこさえた塩焼きそば、みたいなもんだろう。 沖縄の製麺は湿度が高いために、難易度が高い。

まだ冷蔵庫やっと入りだしたころのことだ。 よって、流通するのは手軽な乾麺だったのだろう。

 

調理すら難しいソーミンチャンプルーが、平然と横行していることからすると、大量の油食文化と、

テーゲーな性格の相乗効果であろう。 食べたことはないが・・・食べたくもないような。(涙)

 

徳之島の油そうめんは、もともと島にあった炒め物・・・というよりブタの脂肪をまぶした料理?源を発する。

島人は在来の脂肪まぶし料理と、内地の炒め物の区別がイマイチついていないから、

いかなる炒め物もシナシナに仕上げてしまう。

 

もともと、正月など祝い事のときにブタをつぶし、肉は塩漬け、脂もをとっておいて後々に利用した。

脂は、きつい農作業のエネルギーを補給するのに、脂とともに野菜などを煮たのだ。

腐敗を防ぐために、しっかりじっくり火を通す煮物に、脂を加えていた・・・のだ。

 

だから、コゲ風味も香ばしくもない、しんなりした菜物料理なのである。

なにしろ、鍋でこさえるもんね。(笑) 大家族だから、フライパンでチマチマこさえていては間に合わぬ。

ちなみに、ムジ (ジの発音はJiでなくZi) = タイモの葉の茎 ≒ 内地のズイキと豚の炒め物。

 

一方煮物は、ほんとに徹底して煮込む。 何時間も普通に煮る。

保存に主眼が置かれ、炊き過ぎて栄養価が失われる・・・といったことには、配慮している余裕はなかった。

なにせ腐りやすく、なんでもカビる南国のことだ。

それと4世代家族が基本だから、ご老体にも食べやすい料理だったのかもしれない。

 

ところで

油そうめんのこさえ方を知ったのは、地元ケーブルテレビが名人を取材したときのこと。

取材しているのは、このごろ結婚されたアナウンサーのエリカ嬢。

 

素麺は硬茹でして水を切り、麺つゆをまぶしておく。

油をひいて、中火でそこそこ温まったら、3センチくらいに刻んでおいたフルゥを軽く痛め、

香ばしい香りが立ったら、火を弱めて素麺をからめつつ、塩で調味する。

素麺が温まった方が味がしみるようだ。 焼くのではなく、ただ温めてからめる。

 

んま゛〜調味は麺つゆの段階で、塩気も調整しておいた方が、手早く仕上がる。

麺つゆを使うのはご愛嬌だ。 もともとは塩味だったろう。

ソテツ味噌は貴重品だったし、醤油などもなかった。

もちろん素麺は高級食材であり、たぶん本土復帰以前は祝いの料理だったのではなかろうか。

お気づきの方もいらっしゃるだろう・・・これはペペロンチーノそのものだ。

脂も調味料とし、香味野菜の使い方まで同じである。 逆に、フルゥでペペロンチーノをこさえたくなる。

 

素麺が普通に手に入り始めてからは、農作業の食事や間食として供された。

家庭によって様々で、焼きそば同様に人気があるが、意外にも炒めすぎて失敗が多く、

若い主婦が苦手とするメニューでもある。

年嵩のアーマ(ばあちゃん)ほど上手で、超薄味薄油バージョンなどをこさえる技前を持っている。

 

なにしろカロリーの高い食材がない昔の島生活では、ブタの脂は貴重な栄養源だっから

大切に保存して、コツコツと使っていたという。 その名残のために、ハイカロリー食から脱しない。

 

古老いわく、郷土料理などというような自慢できるような料理はなく、エサのようなものだけだ、と。

私も幼少のころ、冬場の野菜がないために、おふくろ様が苦労していた・・・と話を聞いた。

今でこそ、スーパーに行けば野菜があるが、厳しい時代だった。

その点では、南国で野菜が育たないほど寒くなることはないし、米は二期作だった。

 

島の場合、もともと素材が限られることと、調味料が塩くらいしかなかったことで、歴史がわかる。

豚足の煮物は、昆布や大豆を加えて煮込んだもの。 味は塩である。

豚足を塩漬けしたものを使っていたから、塩味なのだ。

 

今でこそ、島キュウリとサバ缶の煮物・・・といった島人の好む個性的な料理があるが、復帰後のものだ。

豚足煮込みも、濃い醤油味になったりしている。

鹿児島から甘い食品が流れ込んだことで、濃い味の料理ばかりだ。

 

先日、ヒラアジを釣って、役場職員や町長さまといただいたが、私は自分専用に、丸大豆醤油を持参した。

すると、町長さまは辛い醤油だ・・・と述べられた。 島人は甘さがないと食べられない体質になっている。

甘い醤油は、もちろん塩分濃度は同じである。 甘いからタップリ使っても、一見やさしい味になるが、

それがこのごろ危険になっている。

 

長寿子宝の島・・・というのは名ばかりで、天城町の平均寿命はとても短くなっているのだ。

5〜60代で脳梗塞を起こし、ビッコをひいたり、様子のおかしい男性はよく見かける。

特殊な酒の飲み方と、油ものばかりの食生活がダメージとなっているのは間違いないが、だれも言及しない。

ともかく島人が酒を飲むときは、何も食べない。

 

ところで

ユネスコはさておき、ポン食とはどれだろう。

米食や炊き込みご飯、寿司、熟れ寿司、味噌汁、和麺のたぐい、天ぷら、魚の焼き物、煮物、焼き鳥?

漬物、佃煮、魚類の練り物、イモ類の煮物・・・など意外にあるが、意外に毎日食べていないと思う。

ガイジンに、イワシやサンマの塩焼きを食わせるのは無理だろうから、ポン食ブームもナンボのもんだ。

ポン人も嫌がる小骨の多さ。(笑)

好きなニンゲンにとっては、小骨をワシャワシャガシガシ食べないと、食った気がしない。

 

私は瀬戸内育ちだから、どうしても和食とは魚食だと思ってしまうが、内陸育ちの方々にとっては

そばがきや、ほうとう・・・などが視野にあるのかもしれないし、漬物が主となる地域もあろう。

 

北海道のジンギスカン・・・は別として、ちゃんちゃん焼きはポン食だろうか?

アイヌの郷土食・・・は、なかったのだろうか。

 

意外に地元の料理・・・などというオリジナルのレシピは、今のポン国内には少ないし、

今更こさえる人もいなくなっている。

共通のポン料理・・・というのが、メディアもない明治のころにあったろうか?

 

沖縄の、サーターアンダーギーを知っている方は多かろう。

たぶん、大半の方が発音に困っていると思う。

ウチナーグチは、ほんとにわかり辛い。 が、奄美の島口を介するとわかることもある。

先の油そうめんはアンバそうめんという、そうめんは外来語扱いだ。

 

サーター(砂糖) アンダ(油) アギー(揚げ)

アンダーギーじゃなく、アンダァギーという発音だったのだ。

 

島でも、島ドーナツといって人気がある。 ただ、もっとメジャーなのがあり、それほどポピュラーではない。

まずはフチムッチィ。

ヨモギのことをフチ、餅のことをムッチィやムチという。 沖縄ではヨモギはフーチバ、葉の意味が付加されている。

ど〜でもい〜が、すんごい濃さだ。 まるでノリの佃煮ではないか。

島人が内地のヨモギ餅を見ると、薄過ぎて味がないというのも肯ける。 確かにすごいヨモギ臭だが悪くはない。

餡は入っておらず、生地すべてが甘い。 ついた餅でなく、餅粉と刻んだヨモギを練っり、蒸してこさえる。

そう・・・たぶんこれ、端午の節句のもの。 熊笹の葉でなく、カシャ(ゲットウかアオノクマタケラン)の葉でくるむ。

上の蒸した写真の下にあるのもカシャの葉。 味はさておき私はとても苦手で、葉から外れないからだ。

 

もうひとつが、ソーダ餅。

バカデカイ・・・のはご愛嬌。 蒸し器の大きさに合わせてこさえるのが島流。(笑)

こさえすぎたら配ればいい・・・ということらしい。

小麦粉に黒糖、重曹もしくはベーキングパウダーを加えて練り、蒸したものだ。

色はすべて黒糖粉の色である。 黒糖風味のスポンジみたいなもので、かなりポピュラーだ。

おそらく戦後のものだろうから、それでソーダムッチィとは呼ばれず、ソーダ餅と普通の名なのかもしれない。

 

50代以上のおばさんしか好んで作らないから、ポピュラーなのは高齢社会を証明しているようなものか。

実際、島ドーナツよりも、ソーダ餅は頻繁に食する機会がある。

 

島は昔から農作業中の間食には気合が入っていたらしく、女性の間にはその習慣だけが色濃く残っている。

茶菓子がやたらヘビーなのだ。

 

わりと若い人もこさえるのは、フナモチ。

餅粉に黒糖を混ぜて練り、フライパンで焼くクレープ風の菓子。 小麦粉でないのでムチッとした食感だ。

本来は、クルクルまいたものを、切れない包丁で押し切りすると両端がつぶれて船形になるのだが、

この作例ではよく切れる包丁を用いたらしい。(笑) 発音がフナモチなのは、歴史が新しいからに違いない。

 

オバサンたちの茶うけでポピュラーなのは、菓子だけでなく、惣菜も多い。

なかでも凶悪なのが、茶うけ味噌を用いたアンバミシュ(油味噌)シリーズ。

奄美地方では、スーパーに行くとやや薄味でボソボソッとした粗挽きの味噌、茶うけ味噌を販売している。

 

好きな具をフライパンで香ばしく油で炒めて火を弱め、茶うけ味噌と砂糖をどっさり加えて練ったものだ。

この砂糖の量は尋常ではないし、黒糖でも三温糖でもない。 無論、甘党専用でもなく島人標準の味付けだ。

出来立てほど香ばしいが、味が馴染むのは2日くらい経ったころがベスト。 以降は香ばしさが失せていく。

 

味噌と菓子の中間のような、相当甘い仕上がりだが、島人はこれでご飯も食べる。

私は当然・・・吐きそうになる。 何度もチャレンジしてみたが、無理だった。

 

意外に手が込んでいて、生落花生を用いるのががポピュラーだ。

島でジマムィといえば、渋皮の状態で販売されている生落花生のこと。

昔はブタの脂でじっくりと落花生に火を通し、脂をきってから味噌を投入していたようだ。

上の上、完成写真のものは、サラダ油を用いており、たぶん最後にイリコも揚げたもの。

どこまで油好き甘いもの好きなのだろう・・・という調理法だ。

 

具は、ヒザラガイなどの貝類やタコ、揚げた魚のほぐし、茹でた三枚肉など人それぞれ。

島で豚味噌というのは、油味噌の三枚肉バージョン(もしくは二枚肉)のことで、当然、味噌より具が多い。

少なくとも具が半分以上を占めているのが、油味噌。

鹿児島にも豚味噌があるが・・・まったく物足りない、ただの味噌じゃん・・・な感じだ。

 

土産物に味噌マメというのがあるが、あれはこの料理と、サタジマムィ(砂糖地豆)を掛け合わせたお菓子。

サタジマムィに味噌を混ぜ込んだもの。

黒糖粉を水と酢でといて、クツクツ泡が立ったら、炒っておいた落花生を加えて和える。

手早くやるとバラバラになり、ゆっくりやると塊のものができる。 島人は後者が好きだ。 しかも渋皮つき。

 

ほか、南国名物?の野菜の甘い漬物もある。

ともかくヘビーだったり濃い味だったり糖分多過ぎだったりする。

ろくに農作業しなくても、この食生活だけが残っており・・・当然病気も増える。

 

男は酒と濃い味の料理、女は濃い味の料理に加え、ヘビーな間食。 長生きするのが不思議である。

 

とはいえ、意外に島らしい菓子は数多く残っているし、派生バージョンも多い。

シークニン≒シークワーサーの皮を刻んで加えたソーダ餅は、キリッとした風味でかなり美味い。

今でも農家の収入は200万くらいしかないというから、外貨に乏しかったころは、

手持ちの材料を駆使して手作りするしかなかったのだ。

 

島では婦人会(今は女性団体)の活動が盛んだったらしく、料理教室なども開かれていたそうだ。

今では共働きも増え、Aコープの不味い惣菜でも売れ行きは好調のよう。

 

油そうめんのいいところは、冷めても美味いことだ。

無論、麺のコシなどは失われるから、安モンの素麺がふさわしい。

昼ごはんなどにこさえるが、できあがってから洗い物などを済ませて、いささか冷めてからいただくと美味い。

しっとりと味が馴染んくるからだ。 意外に美味しいスローフードといったところ。

焼きそばもそうだが、麺がひともち(=ひと塊)になりやすいので、少しずつ小分けにしながらよそうのがコツ。

 

そうそう

念押ししておくと、沖縄の様にやたらめったらシーチキンをぶち込む料理はない。

そして、おにぎりは、海苔でなく薄焼きしたタマゴでつつむのが普通だ。

具には、スパム(ポーク)が入ることはめったにない。

刺身の食べ方は、酢や酢味噌で食べるところは似ているものの、沖縄にはマース煮(塩煮)があるが、

島では聞いた事がないうえ、沖縄にない汁物のィユージル(潮汁)がある。

 

せっかくだからマースも解説しておくと、島では塩はシュやマシュ(真塩)という。

マースの意味を知らなかったが、やはり島口を介すると理解できるのである。

 

サンシンでなくシャミセンで音が高く、バチや水牛の爪でなく竹の棒。 やわらかい竹ひご然としたものだ。

王朝文化などはないから、エイサーウドゥイみたいな派手な踊りはないから、逆にエイサーは子らに人気がある。

 

ついでにウチナースバ(そーきそば、など)は中華麺がベースで、ラーメン同様の発祥らしい。

かんすいを用いる中国の製麺技術と貴重な麦を用いるから、奄美には伝わらなかったのだろう。

なので、麺類はほとんど奄美では食べられなかったのだ。

 

島にも麦はあったのか・・・はったい粉に黒糖を加えて湯で練った菓子、インギュムニギリがある。

くれぐれも黒糖を用いるのが島流だ。

先日、黒糖プディングをこさえようと黒糖粉を求めたが黒糖の比率が低いのか・・・あんまりニオイがしなかった。

茶色い色がつくほどドッサリ入れても、さほど甘くはならない。

 

沖縄には、さほど黒糖を意識した菓子はないから、島の黒糖の使い方は相当莫大な量になると思う。

酒は沖縄は米焼酎の泡盛、奄美では黒糖と米の焼酎、黒糖焼酎。

黒糖酒もあるが、アレは沖縄産のラム酒らしい。

島と沖縄は、似ているような似ていないような微妙な位置にある。

薩摩に古文書などすべても記録を焼き払われたために、文化も口伝てのもののみ。

観光資源になるような、大きな建造物も築くことを禁じられていた。

 

観光が流行らないのは、文化を箱物に求める現代人の好みに合わぬだけで、文化そのものが薄いからではない。

 

その点、ポン食とはなんだ。 熱燗でいただく、おでんか? 味噌田楽か?

私にとってはコロッケそばが有力候補だ。(笑) コロッケは、ポン人が開発したマッシュポテトのフライもの。

たぶんトンカツも。

実に雑然とした味、別々に食べたらずっと美味いし食べやすいはずなのに・・・やめられぬ味。

メリケンの映画などで、美味そうに野菜を食っているシーンを見たことがないから、おそらくバランスがポン食。

コロッケそばは実にバランスが悪い。 キャベツおかわり自由なトンカツはポン食といえる気がする。

だからといって、精進料理がポン食とも言い切れぬし、無駄に手を加え過ぎて栄養価を下げる京料理も。

 

いったい、ポン料理のスタンダードとはなんなのだろう。

カレー、トンカツ、コロッケ、ハンバーグ、ラーメンとは違うナニか・・・のはずだが、パッと思いつかないのは私だけか?

さほど美味しくないが飽きも来ない、そうしたパッとしないのが、たぶん和食だ。

地味な朝食、納豆と米飯、味噌汁に御浸し、焼いためざし・・・的な。

 

それを商売にする連中は、ラーメンのように無駄に派手でバランスの悪いポン食をこさえるに違いない。

食べて美味いのはもちろんだが、問題は栄養バランス・・・

 

文化遺産になった和食とは

新鮮で自然の色合いを活かし、栄養バランスがよく、季節の移ろいを繁栄し、生活の節となる行事に関わる料理・・・

と云う定義だと農林水産省のサイトにあった。

う゛〜む、おせち料理に節句の菱餅や甘酒、柏餅が和食ではないし・・・盆料理などないし・・・七草粥はバランス悪い。

ユネスコはいったいどのような幻想を抱いたのだろうか。

 

ひとつだけ気づいたことがある。

和食は、母親が子供の成長を願い、老いた自分の親も食べられる料理ではなかったか・・・と。

美味しさのみ優先でない、健康への願いをこめた日々の料理。

いわば、母親の愛情と知恵でこさえる、限りなく美味しいことを目指した薬膳?のようなものだ。

 

果たして我々ポン人は、和食をこさえているだろうか、いや、こさえらえるのだろうか?

 

さて

私は和食とはほど遠い南国で過ごしている。

珍しく、甘く熟したドラゴンフルーツを2つもいただいた。 サンカクサボテンの実でピタヤという。

半分でも、食後のデザートには食べ飽きるほど大きい。 甘酸っぱいもの、甘ったるいもの、様々。

ただし・・・普通は味がないうちに収穫されるから、世界ガッカリ・フルーツ筆頭だ。(涙)

サボテンから切り離すと追熟しないのが農家にとって最大の難点。

これは自家用というか・・・畑のわきで、ほとんど野生化したようなやつだ。

 

実が赤いドラゴンフルーツは真球に近く、写真のような白はフットボール型だ。

見た目で中身がわかるのも、南国の住民ならでは。 赤はとても香りがいいので人気がある。

 

こうした細かな知恵の積み重ねが100年以上続くと、食文化となるのだろう。

 

そういえば・・・

青パパヤは、沖縄でも炒め物や漬物に使うけれど、島では酢の物など和え物にも用いられる。

ひょっとすると徳之島の個性かもしれない。 島ではパパヤは野生のもので、庭にも生えたりする。

ただ、あんまりニオイがよくないためか・・・熟しても食べようとする人も少なく、ほとんどが野鳥のエサになる。

パパヤはPapayaであり、英発音でパ・パァイャに聞こえるかもしれないが、パパイアでなくパパヤが正解だ。

 

さて、あなたのみのまわりにも、意外な食文化が潜んでいることに気づいておられるだろうか?

たとえば、素麺を赤味噌の酢味噌で食す感じで・・・普通と思ったら、ほとんどダレも知らなかった・・・ような。

半田素麺の意外な食べ方ですが、なかなか美味い。 なにしろ、オヤジ殿は徳島の半田出身で。

 

うどんでも蕎麦でもなく、素麺を油でからめた料理、油そうめん。

実は素麺はもともと油を含み、炒め物にしたときでも最もネバネバになりにくい和麺であり、最適な素材。

こうした知恵が失われぬよう、見守りたいものだ。 ちなみに、島で和麺といえば、うどん。

油そうめんをマスターしている主婦は、食べ応えのある乾麺のうどんを用いることも多々ある。

 

おっと、和乾麺の話題のようになってしまった。 

 

ついでに現代麺の幻の究極を、今更ながら紹介しておこう。

南大東の、大東そば。

臭いかんすいを用いず、清澄な海水で練られた太麺。 そーき汁と和出汁をブレンドした究極の麺料理である。

今では味わうことが不可能となっている。 私も当時、そのような見識がなかったのだ。

創業者の息子さんが沖縄本島で店を出しているようだが、汁がテーゲーなソーキそばの影響を受けて、

臭いとんこつ風に変異している。

ソーキとはアバラのことで、ていねいに脂をとりさった、すっきり風味の豚の出汁のことだ。

牛は出汁がでないから論外として、ソーキ汁は鶏よりコクと甘み、骨の深みのあるいい出汁である。

とかく南国は、ていねいさが継続できない民族性がある。

とまれ、琉球をポン文化とするならば・・・大東そばは究極の和麺のひとつであった。

 

問題は、流行り廃りを是として、何もかもサラリ流してしまうポン人の性質が文化を薄めているのに違いない。

自分を信じることが苦手な民族において、最大最後の弱点が露呈している。 島国だなぁ・・・


ではまた