貧乏生活はつづく
メディアからの話題
オボカタサン問題が消えると、理研に流れた国家予算の大半がインチキ論文ベースの
研究だった事がバレてはいかんと、国家の威信というか官僚の保身をかけて隠蔽が始まったようだ。
見つからぬ旅客機や、沈んだフェリーの問題は、理研コンツェルン問題に比べたら重要度は低い。
とはいえ、根本の部分は共通で、官僚主義が行き着いた癒着の結果である。
ニンゲンの社会性が行き着いたのは、互いに利益が生まれる親密さである。 どの民族も同様だ。
ポン人は、憲法が手軽に国会で捻じ曲げられようとしているのに、へ〜そ〜なんだ〜と傍観するから、
官僚からすれば非常に御しやすい。
他方、フェリーの乗客の方は・・・いささかでも魚貝を豊かにしていることだろう。
私は冥福を祈るようなロマンチストではなくなったから祈るワケも無いが・・・人災で死んだ魂なら、
現世にまだいるだろうから、せいぜい開運業界および癒着した官僚らに、全力で祟りたまえ!
どうせもう死なないんだから。
それにしても、美味しんぼ・・・やるね゛〜 快哉を叫びまくった。
そもそも、ヒロシマ原爆の1600倍を超えるセシウム137を放出しているし、
相変わらず、「冷温停止」というイカニモ止まったような表現で反応中のメルトダウン原子炉だから
核物質が砂地にジャジャ漏れが続いている。 住める住めないのレベルか?!
あまつさえ除染した大量の核物質を、どこへ集めるのだ? というか核物質を集めて大丈夫か?
なんぼ、原子力と核の傘の技術を絶やすなと、メリケンから釘を刺されているからとはいえ・・・
フクシマを人柱の宝庫にする国の方針は、既に人道を外れて久しい。
官僚制とは、げに恐ろしい。
現在、我が家で稀有な現象が進行中だ。 シャンプーが底をついたのである!
実は、我が家においてシャンプーは耐久消費財に近い。
優しげなメリットシャンプー550mlは、3年くらい前に求めた気がする。
その前にあった小型のボトルは横浜からやってきたような。
三分刈りで薄毛=細毛で泡立ちに適しており・・・少量で事足りるから、消費量が窮まって少ない。
アマゾンで調べたら、550mlボトルは廃盤となり、今は500mlになったようだ。
詰め替えパックを求めるから、ど〜でもい〜わけだが、ヒトシオの感慨がひたひた満ちてくる。
昨年の収入を計算したら、102万チョイだった・・・測ったように、納税まで寸止め状態の貧乏具合だ。
今年はより深刻になりそうな情況。
移住も5年目・・・こうした情況にもグダグダと慣れ、悲観しなくなった。
今にして思えば、肉を食らわなくなった理由は、やはり貧乏で食費を抑えたい気持ちが・・・
肉を食らうと疲れる体質にした?・・・のかもしれない。
んま゛〜島に輸入される安肉がマズイことも手伝って・・・だろうが。
誓って言うが、島豚の二枚肉≒ウデ肉の赤身はなかなか美味いから、いつも冷凍ストックしてある。
二枚肉は皮付きの筋肉で、皮も美味しいが、私は硬くしまった赤肉が大好きだから皮がないのを選って、
イイヤツがあったときに求めるのだ。 冬場ならタンカンなどを加えてスキ鍋にするが、
この時節はスタがミナぎれるころにならないと食べない。 蒸し暑くてコテコテの料理は食えぬのだ。
おかげで、豆腐レシピがだいぶ増えた。 厚揚げは意外と便利。
豆腐チャンプルー、厚揚げバージョン。 肉の代わりに花カツオも使うようになった。
保存が利くがものの、風味が落ちやすいのが難点。
丼物もたまにやる。
木の葉丼? 麺つゆの出汁が効いているから、フツーに美味しい。
不思議なことに、我が家のタンパク源は、カロリーは低いがコレステロールが高いものがある。
玉子しかり、ちりめんじゃこしかり。 肉類のようにガバガバ食べるものでないので平気だが。
肉中心の食欲でなくなったことで、いろんなものが普通に美味しく感じられる。
島では、ゴーヤはすっかり100円販売の定番となる季節となった。
意外なとりあわせ、ゴーヤ入りのポテサラ。
ほろ苦さとシャキシャキ感が加わり、水っぽいキュウリより美味。
ゴーヤ以外は、ニンジンもタマネギもバレイショもチンするだけ。
肉嫌いになったからといって、スタミナがなくならない体質になるわけではない。
これから先、蒸し暑い日々が11月まで続くわけだから、栄養豊かで喉を通りやすい食品が大事。
今シーズンは夏バテを防ぐ飲み物も開拓中。
アジアから東ヨーロッパで愛飲されている塩っぱいヨーグルト飲料、AYRAN=アイラン。
インドのラッシーは甘い系統だが、起源は似たようなものだろう。
牛乳は保存できないからヨーグルトにしておき、水で溶いて飲んだのだ。
人気の地域ではスーパーやコンビニ、マクドでも出るらしい。
ベースとなるのは、なるべく酸っぱいヨーグルト、冷水、塩、レモン汁。 それらをシェイクするだけ。
昆布だしやナツメグを加えると、ぐんと飲みやすくなる。 こりゃもう冷製スープである。
ほか、ウコンやらコショウやら・・・ 牛乳を加えるとマイルドに。
マッシュポテトを加えるとビシソワーズっぽくなり、ボリュームアップする。
本当はミントなど爽やかな香草を組み合わせるらしい。
ヨーグルト450gだと900cc程度のアイランになり、牛乳とトントンか若干安い。
肝心の仕事は、今年はまだ少ない。
自然遺産関連の仕事も、ひとくぎりついてしまい、今年は防災関連の仕事にシフト気味。
防災は得意ジャンルなので、問題ない。
まさか、地場で自分たちの災害対策に取り組むことになろうとは思わなかった。
超々高齢社会の島では、電気システムの仕組みは役に立たず、人力がベースとなる。
お役所的に表現すると、ソフト事業の一種。 しかも、町民全員参加型である。
実は、町がオカミからもらったデータによれば、近海地震で予測される最大の津波高は5m弱。
その3倍を想定して逃げるようにするのだが・・・5mの津波は海岸の主要施設を直撃してしまい、
おそらく徳之島町の大半が壊滅、天城町では港湾や空港、島最大の火力発電所が破壊されてしまう。
伊仙町は台地となっており、被害は少なそうであるものの・・・結局ライフラインが絶たれる。
しかも所得の低い天城町では、古いカヤブキ屋根を数十年前にふきかえ、重いコンクリ瓦をのせて
ようやく建っているような古民家が大半を占めている。 被害は想像を絶している。
ところで
仕事がなければないで・・・釣りや観察にホイホイ出掛けることができて、自由そのもの。
また新聞に名が載った。 多少インタビューに答えたのと違っているところが、地方紙のオチャメさだ。
奄美地方において、徳之島の自然遺産への意識は低く、所得の低さと比例していると思われる。
それを刺激しようと、新聞社もネタをさがしているワケだ。
イヤミになるが、所得の低さは知能の低さでもあり、自然遺産になれば畑作の自由も失うと、
勝手に思い込んでいるシマンチュが大多数だ。 何も知らないのに、迷信が確信になってしまう性格。
本当に知能が低くて困ることが多いが、普通以上は少数派だ。
やはり徳之島のために自然遺産が延期されるか、あるいは徳之島のみ保留だろう。
国立公園化も遅れる見通しではないか・・・とウワサできいた。
私にとっては、そうした現象こそ飯の種である。
どの島とも異なり、生活と自然が密着しているコンパクトな島。
これを目の当たりにし、記録できる立場にいられることは、自然写真家としてこの上ない環境だ。
保護が確立してもしなくても、人と自然の営みを記録するネタとしては優秀である。
ゆえに、私は自然遺産とは距離をおく立場である。
観光客さえ来てくれれば、自然なんて関係ないというシマンチュだらけなのだから・・・
放っておく方がオモシロイに決まっている。 観光客が何しに来るかなんて関係ないのだ。
知能が低いということは、全てにおいて思慮を省略し、勝手に思考を短絡することだ。
自分たちに都合のいいことばかり夢想する姿が、オモシロすぎるのだ。
反面、自然関連の役割を担うことは増えた。 観察機会は多く、有識者扱いされているからだ。
まさに本日、農業農村整備情報協議会の委員長の任をいただいた。
町の文化財保護推進員の副会長二期目に入り、そこから派生した役目である。
農業と自然の調和を目指す会合なので、私にとってはとても興味深い場だった。
徳之島ダムを建設し、幹線の配管は終わったので、末端の畑への引き込み配管を行う事業の協議会。
意外にも受益者代表の方の口から出たのは、サトウキビをゴッソリなぎ倒して配管する業者がいることだ。
このあたりにも、業者の知能や仕事の質の低さが現れていた。
島は完全年功序列社会である。 低知能で威丈高な老人が増え、若手が疲弊して意識が下がり続ける。
当然、優秀な人材ほど島に残らないことになる。
これが自然に与える影響は絶大で・・・費用対効果を考えないから、農協のいいなりで
安易に肥料や農薬をまきたおす。 で・・・それらが流れる先の魚介類をとって食べるのだ。
ビンボーだから、私も食っている。 ちなみに浄化槽は義務化されたが、新築が少ないので
ナマの下水がフツーに河川や海へ流入し、いい肥やしとなっている。
お陰で、空港周辺のイノーが水鳥の飛来地になっているし、チヌやノコギリガザミも豊かだ。
わかりやすいご都合主義に満ちた島生活。 もう、だいぶ慣れ、わたしもすっかりご都合主義である。
ビンボーは、行き過ぎると自分に甘くなる歯止めが効かなくなってしまうようだ。
役場に朝から出勤していると、どうしたの?と問われるくらい・・・日和見出勤で働いている。
体調が悪いから仕方ない・・・と思っているが、それでいいのか悪いのか。
一方で、観察半分、役場半分の日々を送ることができるから、気分転換と意識の集中がしやすく、
仕事の効率は高い。 が・・・その奔放は働き方を許せない職員も多々いらっしゃる。
ギリギリな生活のわりに自由度が高い活動をしているので、不思議なのだろう。 私も不思議だ。
自由業の真髄はこれか?と思ったり。(笑)
仕事がなければ、ネタになりそうな活動を勝手に進める。 ネタが集まれば、ゆくゆく仕事になる。
自然遺産関連の啓発看板などにしても、島の自然をわからずにデザインするのとは大違いだからだ。
さて、いよいよ梅雨入りした奄美地方。 うだうだと雨がつづき、湿度は日中でも98%なんてことも日常。
今年は、2日にいっぺんは除湿機をまわすことにした。 衣装ケースの衣類、布製品はカビだらけだからだ。
ムシューダを入れていても、かびることも多い。
加えて、雨降りは暗く、観察やら撮影記録には向かないときている。
今もって、雨降りの楽しい過ごし方については開拓が進んでいない。
雨合羽を着て活動することはさほど苦にならないものの、乾かないから全てかびていくのがイヤなのだ。
ともかくも、奇抜で新しい活動をできるほど、心身ともに強くなくなったから、
コツコツ積み重ねることを重点に、生活を営んでいるこの頃である。