勝手に眠るな!?

 


 

巷関係

 

兵庫で人工繁殖されてたコウノトリがやってきた日、南大東のマサキヨさんから電話があった。

いま、Oちゃんが南大東へ赴いていて、在所集落で出逢ってケータイを教えたとメール入っていた。

マサキヨさんは南大東のホテル王?で、島にいったときのオトウサンのような方。

島の全ての釣りポイントを、ムリヤリ案内?してくれたおかげで、南大東での釣りが確実なものとなった。

数日あれば確実に3キロ以上の釣果をあげられるようになったのだ。

ホテルに飾ってもらっている、私の魚拓を眺めながら電話してくれたらしく、

懐かしい声は、ずいぶん懐かしんでおられる様子。 そういえば・・・2008年以来のご無沙汰であった。

わざわざ電話してもらえるとは。 役場で受けたのだが・・危うく、涙チョチョギレそうになった。

 

そういえば、奥さん、後を継いだボインで美人の娘さんエリィさんや、お孫さんたちは息災だろうか。

 

つぎの日、コウノトリのネタを連絡した奄美新聞では、今月二度目の新聞沙汰になった。

都会のように、ささくれた悪事が多くないので、南国の新聞は自然ネタが採用されやすい。

住みやすい土地には犯罪が少ない。 新聞ネタは、自分でこさえればよい。(笑)

 

序にこういっちゃ〜キツイかもしれんが・・・

震災で壊滅したにもかかわらず、地元にしがみつきたい人らもいるようだが、

島にやってきたコウノトリは、まだゼロ歳児である。 もっと自由に考えてもよかろうものを。

なぜ、生まれ育った土地に、無駄にコダワルのか・・・私には解からない。

 


 

ずいぶん釣りに行けてない。 というのも、風が収まらぬからだ。

強風で竿をたたかれてしまっては、釣りにならない。

 

晴れても風が収まらない。

トリトリデッキのまわりには、ダイサギ、コサギ総勢3羽体制になってしまった・・・

広いイノーに、ほとんど鳥すらいない。

 

地球温暖化は、大気の高エネルギー化だと述べてきたが、これほど急激に寂しい情況になるとは

想像していなかっただけに、野鳥の激減はいささか心配を募らせる。

 

私たちは、温暖化の加速を少々甘くみすぎているのではなかろうか。

世界各地で大雪や洪水となり・・・ニンゲンはここぞとばかり、ちゅうちょなく無駄にエネルギーを使う。

例えば、異常に寒くなったら、異常に燃料を消費するよう振舞うので、加速は劇的に早まるワケである。

もう、気象の激化は止まらぬのではないか・・・ ウツの思考ループで済まされればいいのだが。

 

ちょっと前のログには、何度目かの春一番のフキナガシを載せたが、まだコッチ向きばかり多い。

右に流れれば南、左に流れれば北。 垂れ方がまっすぐになれば、風速10mくらい。

もう3月、太陽の角度は内地の初夏。 え゛っら゛い゛寒い゛〜・・・ っちゅ〜ほどでもないが、かなり寒い。

いや正確に表現すれば・・・セーターの南側は暑苦しく、北側はウスラ寒い。

暑さはセーターの内側を蒸らして汗だく、風が吹けば冷たさも倍増。

 

とはいえ、内地の荒れ様は島生活の私にとって想像を絶するようで、特にテレビも無い身では、

ネットの断片的な情報しかなく、察しようもない。

察しようもないのか・・・あるいは、来月から税が上がり、収入が月額・数万円の私にとっては、

それどころではない情況なのかもしれない。

収入がないのに税金が上がるのは、身を切られる思いである。 不安で、心配しても・・・しきれない。

 

と・・・荒れている島の気象のネタでいこうと、ここまで書いたが・・・突然、友人が死んでしまった。

 


 

前の晩から自宅に戻らず、朝から歯科医をオープンしないので、徳之島町の人らで探していたようだ。

 

昼前になって、F本さんへ電話が入り・・・F本さんから私へ連絡が入った。

おそらく、あんまり見つけてもらえないので、F本さんを呼んで・・・私もツイデに・・・な感じで、

中村先生の魂に呼ばれたようにも感じている。

いつもなら、まさか森林で写真を撮りまくっている中村先生が遭難するとは考えないが、

今回はナゼか違った意識で連絡を受けた。

 

数時間、見つからない情況が続いていた。

F本さんと私は、ずいぶん遅くなって現地へ到着し、私は山へ。

F本さんが見つかるよう念じて林道わきで手を合わせたとき、熱くなったその下に居たという。

 

中村先生にかぶせられた毛布らしきを見たとき、何やってんだ!と中村先生に叫んでいた。

夜中にひとりでやってきて・・・勝手にアッサリと心肺停止なんて、許さんぞ!と。

 

渡り鳥の情報をやりとりしたり、プロ顔負けの夜行性動物の写真などで、油断ならない腕の持ち主。

心の整理がつかない・・・というと、聞こえがよすぎる。 心に大穴が開いたような感覚である。

亡くなって初めて、頼りきっていたことに気付かされた。

 

島は今、自然遺産に向かってまい進中であり、私もソッチ系のデザインをまとめることが多い。

いざというときの写真は、たいがい中村先生にお願いして、貸していただいて済ませていた。

それに、なにかとイベントがあったとき、中村先生がシマンチュ目線で撮影するだろうから、

ま゛〜私などが撮影する必要もなかろう・・・とサボっていられた。

島の、あらゆる画像アーカイブは、中村先生に任せておけばいいと念じていた。

 

新聞よりも詳しくて早い、徳之島万華鏡はシマンチュにとって、心の情報源だった。

 

あっけないな゛〜 希少植物のそばの坂を登りきれずに、心筋梗塞でパタ〜ンと倒れていた先生。

登山したあと、疲労こんぱいしながら、シーズンだただなかの希少植物の開花を撮影しに山へ戻り、

レンズを忘れてしまって・・・夜中にケータイを自宅に置いたままレンズを拾いに山中へ・・・

 

運命は、レンズを忘れたときから決まっていたような。

 

眼前で、冷(ひや)くなってしまった友人がショックだったし、意外にも心中で大きな存在だったことに

驚いてしまっている。 ま゛〜、いつかは必ず実現してしまうコトながら。

 

徳之島で、中村先生を知らないのは小さな子供らくらいで、誰もが知っている優しくて物見高い先生だった。

このごろ、歯が心配になりつつあったが、中村先生がいるから大丈夫・・・とも念じていた。

島には信頼できる医師は少ないのだ。

 

アチラに行ってしまった先生には、自分がアチラに参るまでは、もの申すことはできない。

そのもどかしさに驚いている自分がいる。

 

島にいると

ご近所の人情レベルだと信じていたのに、いつのまにか家族に近く、絆になっている人間関係。

私は内地人だから、いつまでも部外者で居られると、タカをくくっていたのだが・・・

 

今回は、まとめずに、ここで終わろうと思う。


ではまた