普通すぎる年末

 


 

大衆的な話題

 

あ゛〜、キムチ&国連にだまされたな。

予備用を緊急と勘違いして、弾薬を恵んでやってしまった・・・どうなってるんだ?外務省は。

外務省といえば情報活動の最先端ではないか。 ジャブジャブの予算をどう使ってるんだ???

まあ、5ミリライフル弾など、実質的に戦争の役に立たないから、別にいいけれど。

殺傷はできるが、打倒できないから、白兵戦の普通科連隊においては、諸刃の哀しい武装である。

蛇足だが、正直なところ普通科には、9ミリを使えるミニウージーのようなマシンガンを持たせる必要があるし、

スナイパー的な用途でも、風の影響を考えれば旧世代の7ミリが妥当だと思うが・・・世界はビミョ〜だ。

 

五十肩ネタ。

右肩の痛みは夜間のみになっているが、左肩の神経は昼夜を問わず痛い。

キツイのは、こうしてキーパンチしたり、デスクワークのときに内側からジンと痛くなることだ。

正に神経痛らしく、方の前にあった痛みが後ろ側へまわり、ひじの方へ向かって痛みのラインが伸びる。

ん゛〜、これぞ老人。 もはや、起きている時間は一日12時間で、あとは横になっている。

足腰も筋力も弱って、運動神経も低下しているところも、なんとも老人体力を獲得した感が強い。

これか〜真の倦怠は・・・と思い知ったこのごろ。 運転していても、アクビばかりしている。

 

結局、民腫も自慰眠もバラマキ体質であることには変わりなく・・・また借金増強閣議決定しやがったな・・・

コレでなお、オリンピックに向けてばら撒くのだろうなぁと思うと、地方からするとやってられない。

国道も高速も公共交通もない上に、生活の足である軽自動車の税を上げるというし。

たまったもんじゃない。 やがてガソリンなど200円の大台に乗りそうな勢いだし。

沖縄はいいよなぁ、いろいろ安くて。 かといって、住みたい島はないけけれど。

徳之島はいい、物価が高くても、バタバタしたくだらない旅人が少なく、安らぎの生活がある。

 

意外だが、まだフクシマのタレナガシを報道するジャーナリズムが残っていることだ。

政府は、だいぶ薄まった放射線への民意を削ぐために、報道をさせないかと思ったが完全規制はしないらしい。

ただ・・・私が発災当初に予測したとおり、ダダ流しで海へ排水していることには違いないしオリンピックもあって

過小報道になっていることは否めぬ。

そういえば、すっかり絆はオモテナシにとって代わられて、流行り廃れたようである。

やはり絆でなく、その場限りの人情だな。 今やすっかり廃れてるところが哀しい。

絆は親切とか、ギブアンドテイクとかでなく、家族愛だからねぇ〜

制度が整い、核家族化した内地じゃ到底営むのは無理だろう。 「核」家族という表現、云い得て妙。

 

いささか驚いたことがある。

Gyaoで銀河英雄伝説を眺めていたのだけれど、なんとまぁ、私の考え方とソックリの言い分を盛り込んでいる。

宗教は統治のための都合のいい手段とか、弱い者の遺伝子を残すことは悪とみなし粛清する独裁者とか、

以前も一度視たことがあるが・・・まさか寝間でサブリミナル効果でも出たか?と危惧するほどビックリだ。

結末を覚えていないので、もう一度見直しているが・・・長いわ。

長話に退屈はしなかったが、しかも主人公はあまりに普通すぎる死をとげたところで、見る気が失せた。

念のために最終話まで数十話飛ばしてワープ視したが、正解だった。

うだうだと政略知略が渦巻いただけのエピソードが数十話続き、意外なほどアッサリした終わりだった。

その涼しげで日常感あふれる終わり方のSFというのは、オトナっぽくていい結びだ。

ま゛しかし、これでは覚えていないのも無理はないか・・・

 


 

私が正月、実家にいないのは初めてではなかろうか。

 

さすがにユルユルのシマンチュでも、年末は雰囲気が変わる。

実は、内地より正月の風習は厳格で多忙で、本家に皆が詣で、本家は来客にスマシ汁を振舞ったりする。

ゆっくりした雰囲気が味わえるかとも思ったが、島は島なりに師走のワサワサ感があったのだ。

んま゛〜どこをみてもクリスマス一色なのは同じは同じなのだが、そもそも島は枯れ色尽くしではないし、

ツリー以外の木も普通に常緑であり、周囲の家々もそこそこの距離感があるので、クリスマス〜年末まみれな

雰囲気はほとんど感じることはない。 庭のハイビスカスも、まだチラチラさいている。

強いて言えば・・・スーパーのカマンベールの下のホイップクリームがやたら品揃えが増えたり、

パンの陳列のわきに特設・長命?ケーキコーナー(クリームも長持ちするやつ)ができたりした程度で、

どこもかしこもジングルベルやら達郎が聞かされる・・・ということはない。

だいいち商店街や店がほとんどないし。

 

たまに、どこかでテレビを視ると、クリスマスムードや年末モードなのに驚かされる。

これほどまで浮かれるような雰囲気を無理矢理こさえてるんだ・・・マスコミは・・・と。

その影響か、島にも特殊な趣味の方が居り・・・松原集落には家全体をクリスマス・イルミ化したりもする。

 

テレビ好きな両親は、年末ムードに押されてか・・・

息子が二人とも帰省しない年末年始に寂しくなったらしく、なにやら食糧を仕送りしてくれるらしい。

親不孝な私だけに、両親の寂しさの程は心頭に達するほどキリキリ想像されるが、反面重たい。

一年おきに会うと・・・段差がついて老いを目の当たりにする。 会話は鈍く、昔の話を繰り返す。

私がそうであるように、両親にもさほど友人は多くない。 おのずと会話は夫婦間だけになり、話題が少ないのだ。

だから外に出るように・・・と促すが、おふくろ様は極端に出不精である。 私が出不精なのも、そのためか。

今は逆に、家の住み心地を悪くしたために、動物観察やら、釣りに行くことがリビング感覚になる場合が増えた。

 

私は自分の居場所について、いつもフワフワした感覚がつきまとう。 幼少のころからだ。

夢では、どこか知らない都会、ホテルや旅館が出てくることが多いのは、自分の居場所を決められない

半端で地に足が着かない意識が、そうさせているに違いない。

夜、目が覚めたとき・・・あまりにリアルな夢を視過ぎて、自分がどこにいるのか判らなくなることがある。

知らない場所のはずなのにリアル感があるのが不思議だ。 音も風味も、触覚まであるよ、私の夢は。

朝・・・女性のオッパイをモミモミした感じとか残ってたりするし。

 

おそらく、どこにも安住を感じることがないのかもしれない。 それは女性関係も含めて・・・?

小心者すぎて、何が不安で、どこまでが安堵かすらわからないようなところがある。

物心ついたころから、不安をこさえては、ある事ない事心配していた。 そのためか、今は不安が身体に出る。

 

 

そうそう、このところ南国らしい天気に戻った。 来る日も来る日も、曇り時々雨+チラッと晴れである。

南国の冬は、気温こそ11〜19℃もあるが、陽光がない日々は存外寒いものだし、ユウウツにもなりやすい。

んが・・・異様に晴れが多かったので、不思議と安堵していたり。

撮影の仕事がさっぱりなのはさておき・・・暴風に近い北風が吹き、イノーのチヌが狙えぬ上、野鳥も消えうせた。

こればかりは、カナリのダメージとストレスである。

強いて言えば・・・五十肩の悪化を促進する釣りを防止できる・・・助けともなっている。

 

昨年は12月ついたちまでセミが鳴いていたが、今年は11月下旬に終わった。 今シーズンは、やや寒いらしい。

加えて好天が続いたことで、サトウキビは伸びず、オーサには栄養豊かな畑の表土の流入がないので育成不良。

それを食べるカモたちもまだ少ない。 手前の岩が緑色なのはオーサ(ヒトエグサ)が生えているから。

晴れが多いのは、南国では不利なようで・・・いささか複雑な気分である。

運動会が毎週行われ、スポーツイベント大好きなシマンチュには、文句なしの秋だったようだけれど

サトウキビの生産量がイマイチで、男らの機嫌はあまり良さそうでない。

 

私にとって、それより何よりスコールがほとんど来なかったことが、不気味で仕方ない。

内地にはスコール以上の豪雨が多発したというのに。

 

一方

肩が痛い以外は、わりと好調な日々。

不思議と懐かしい料理で癒されて気分は上々、食欲も増してまたちょっと太った。

太ったといっても・・・食べているのは野菜と豆腐がほとんどだ。

今年は雨が少ないので島野菜の生育が遅めで、ようやくダイコンが出始めた。

ダイコンがあれば、ビタミンCが補えるし、常備菜の煮物も炊いておけるので嬉しい。

 

山口県人の常備菜といえばコレ。 マイブームだ。(←死語?)

 

郷土料理、けんちょう炊き。 やたら暖かく懐かしい味がする。

昔は肉や魚がなければ主役の美味さを感じ得なかったものの、ほとんど肉を食さなくなってから

本当の味がわかった気がする。 あまり肉がなかったころの時代、これは大発明だったに違いない。

なんといっても、毎度温めなおすほどに味わいが深くなるし、ダイコンはほろ苦いため、塩分が少なくても

塩分を補強するような味わいになり、結果、無駄に塩分を食さずにご飯をいただけるようである。

出汁イリコを、キビナゴにかえたりして愉しんでいる。

 

ほか、あんまりにも豆腐食に腐心しているので、玉子が消費されない。 一週間で5個程度。

ならば・・・と、プリンをこさえている。

日吉のスーパーで求め、とっくに賞味期限の切れたゴールドブレンド入り。

思った以上にフルフルの仕上がり。 さ〜すが、パナの電子レンジだ。

蒸し機能は秀逸。 条件があり、センサーの向いている方向を、よく確認して食材を配置することだ。

そこに隙間をこさえると・・・途端にスが立ってしまうようになる。 コツはグリコの特農ミルクだ。

 

イベントごとが近づくと発売されるマグロ。

シマンチュは基本的に低所得だから、高価な魚類は好まないし、血合いも嫌う。

当然売れ残るので、とてもありがたい。 200円たっぷり手に入る。 こともある・・・以前は400円でハズレもあった。

どうやら、地元のババが鮮魚部へ交渉して得られる余り物のようで、ババは血合いがない部分を求め

炊いて食べるらしい。 マグロを炊いてバサバサにするとは・・・シマンチュにしてはヘルシーすぎる。

200円だったり、400円だったりするのは、仕入れ値のブレなのか、担当者のサジ加減なのか不明だ。

が・・・おそらく気分次第といったところだろう。

漬けにしたところで、かなりの血なまぐささ・・・私にとってハードルの高い食材だった。

慣れてしまえば、レバーのような風味として味わえるようになった。 血合いは栄養豊かである。

玉子で割って、ゴーヤとともにいただいてみたり。 常人には難しい食べ方だろうなぁ・・・と思いつつも、イケル!

ショウガとネギを刻んで加えてある。 季節はずれのゴーヤが栽培されていることは、とても珍しい。

ようやく、内地の事情に通じた農家が出てきた証拠かもしれない。 内地は野菜を季節感と切り離していることを。

 

たまに内地を味わいたくなる?ことがある。

コロッケそば。 黒豚コロッケはそばに対して充実しすぎだな。 半額セール、一個50円で大きめ。

そばは乾麺でガマンである。 冷凍麺は、ラーメン、うどんはあるものの、そばはない。

このごろ、そば100gは多いから、80gぐらいに減らしてゆでている。

 

不思議なことだが、スーパーで入手できる野菜からは生気が感じられず、

食べてもこんにゃくのような味気なさで、満腹感、栄養価だけが補充される。

島で育てられた野菜は感じ方が異なり、食べた後で元気が補充される。 元気とは具体的に、気だ。

内地で食生活を送ると、気を充填するには遠く、それにはレクレーションだのを掛け合わせる必要がある。

なぜか島野菜には生物を食する意味、生命そのものの重さが引き継がれる感じがある。

さらになぜか、出荷用に栽培されたものの不合品も100円直売コーナーに並ぶが、味はあるが元気が出ぬ。

ひょっとすると・・・農家の愛情そのものが、気に影響しているのかもしれない。

育てて販売するだけの、カタチだけ立派になれ!というのと、自分たちが食べられるように、大きく育て!

という気持ちの伝わる様子が、植物の感受性にとって異なるのかもしれない。

たとえば具体的に、植物が育つ環境のうち、天敵である生物の声の波長が多いほど、たくましく育つとか・・・ね。

ハウスや、だだっ広い農場ではありえない環境だ。 気持ちだけでなく、気持ちの問題が物理的にも影響する例。

畑、家族の多い家が隣接することで生まれる、植物強化・・・? このごろ牛の声もよく聞こえるし。

なにも植物の気をはぐくむのは、あなたの感じられぬ気を直接云々することばかりではないだろう。

気力で植物は育たないのだし。

 

地上植物の進化は、陸上動物のそれより永く複雑だ。 反面、動物として持っていた能力を、大半捨てた我等。

現代科学では解明できないことは、山ほどあるんだろうなぁ・・・と感じさせられる。

それもこれも、科学崇拝から遠のいた結果なのではないだろうか? と記載しても、科学崇拝の読者諸氏には、

失礼ながら、まったく理解は不可能である事は間違いあるまい。 いや正確には理解でなく、体感である。

 

釘を打たせていただくと・・・科学崇拝のあなた方は、科学の基本である文字情報をキチンと理解しているか?

食パンのニオイをかぐとわかるが、マーガリンがわかる。 食パンにマーガリンを塗る以前に、知っておくべきだ。

トランス脂肪酸を論じるなら、既にパンに含まれていることを、キチンと読み取っておくべきだろう。

文字も読んでいない、ニオイも感じない、あまつさえ気など程遠いあなたは、いったい何を信じているのか不思議だ。

 

と書けば、少しは反骨が生まれたろうか?(苦笑)

 

それはそうと、近所のAコープでは8枚切りが消滅した。 あなたのまわりでもそうだろうか?

高齢化が進む中、これはマズイと思うのだが・・・6枚切り食パンは、1枚で200キロカロリー近くあるのに。

 

少なくとも30歳までなら、雑なものを食べても生きられるが、DNAの保証限界を迎えるそれ以降はヤバイから

気をつけておこうな・・・科学を営むニンゲンとして最低の認識としてな。 オッサンとしてのお願いだ。

 

クリスマスが近づいたからといって、枯れ風景でない・・・と前述したが、わりと花盛りだ。

庭にもあるが、海岸から山に至るまでツワブキの花も咲いている。

後ろにはススキがあるものの、まわりは至って緑に包囲されていて、秋冬風情はほとんど感じない元気さ。

畑には菜の花が咲いているから、黄色い花が多いような。

 

不味いもの揃いの山菜の王者、タラの芽。

天気がいいからか・・・かなり伸び始めている。 このまま半年くらい、新芽が出続ける・・・ダラダラと。

すごく伸びるのが速いので、内地のようにチヂコンだうちに採るといことは無理だが、開いても柔らかい。

幸か不幸か・・・ぐずついた天気が陽光を抑制することで、新芽を柔らかく保つのかもしれない。

 

まあ、その・・・

今年も通して、私が無駄にアレコレ小さいことに気を払って生き続けていることは、感じていただけたろうか。

こうして年末を迎えられ、島の生活を支えてもらった全てに感謝している。

反面、私も多少生きようとしてきたのだから、感謝しすぎるつもりはない。

 

心を易くさせてくれるのは、ノスタルジーと現代が融合した島社会の在り方なのに違いない。

島人のユルユルさと、相反するような絆の強固さの存在もさることながら、時空間の開放感があることだ。

先日みつけた、イノーの岸辺にこさえられた秘密基地。 

こうした余裕を持っていられる社会こそ、先端社会に必要な要件だと思ったり。

子供に管理が行き届かないのではない、管理しないで遊ばせることのできる可能性重視の社会が必要だ。

ポン人の得意とする深堀りについて、無限に広がる巾広さをわきまえてこそ得られる堀り具合だと思うぞ。

安全を求める子供らを育てるのではない、生き残るための子供らを育てるべきだ・・・なんて想ったり。

合理性と、他人から聞いた事柄を鵜呑みにして考えぬ短絡が違うことを、認識できていない事柄が多すぎる。

 

例えば、子供らに率先してタバコを吸わせる必要はないと思うが、男のたしなみとされてきた過去を、

簡単に捨て去ろうという節操のなさも・・・現代ポン人の西洋かぶれした軽々しさと感じられる。 

 

余裕がない統制された社会=人生の巾も奥行きもない人生しか許されない社会と知るべきだ。

大戦後の残弾で遊んだジジババと、アレルギーと肥満にあふれた子らが同居する社会。

今だからこそ、伝えられる社会の在り方があるはずなのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

他人や社会のことは、余裕がないから

このくらいで置いておくとしよう。

 

残る問題は・・・財布にはあと千円札が2枚しかないことだ。

今年は体調悪化が続き、働けない日が多かったわりには、安定した収入?があって助かった。

といっても・・・おそらく皆は驚愕するだろう。 月収はだいたい6万円くらい。 生活には十分。

第二四半期に調子よかったので、12万円ほど貯金したから、それをおろすとするかな。

休止して久しい、ナイトツアーのつり銭用の千円札が2万円ぶんくらいあるから、それでしのぐのもアリかな。

12万の貯蓄といっても、口座引き落としの電気代、通信代は別だから、ジリ貧には違いないし。

 

朝から晩まで写真を撮ったり、ツアーガイドしたり・・・なんて元気で面白そうな人生は、ずいぶん遠くなったものの

とりあえず、釣りしたり、写真撮ったり、たま〜にガイドしたり、できないのは夜の活動だけであるから、

正しい枯れオヤジのセリフで表現するなら、贅沢はヨシコさんだな。


ではまた