「北袋一号橋」という橋が

2コあるナゾの深み

 


チマタのネタに応じて

 

宇宙兄弟が映画化されるという。 いつも感じるのだが・・・アニメを大スクリーンで視るのって楽しいのか?

確かに、イノセンスはちょっと楽しそうでもあるものの、アニメというよりCGである。

ハーロックは、キャラが国籍不明すぎて感情移入できないことは別として、アレが参考になるのだろうか?

 

スーパーでツマミを探していたところ、コンナンが見つかった。

九州しょうゆ味とか、九州だし味とかあったが、あごだし味は初めて見た。

アゴの旨味と香ばしさ・・・と述べているポテト氏?の目が泳いでいるのが印象的。 ホントは味の素使ってる目?

 

シマノの釣り番組で、ツマンナイことに気付いてしまった・・・

伊豆半島南部へメジナ釣りに行った小僧が、シマアジに出遭ってしまって、右往左往する。

ノビタ君世代にはドキドキするだろうが・・・磯師といいつつレバーブレーキひとつ使わぬヤリトリ・・・

恥ずかしいなぁ、こんなのが番組に出るとは。 レバーなのにドラグついてんじゃん。

さすがに10キロだとしゃがむが、3キロ程度でしゃがむ必要もないし、腰が引けすぎだ。

 

誰かさんみたいに、テクにウムをパンッ!と破裂させるくらいのやりとりしてみろや。(笑)

 

いささか深刻な、食物アレルギーについて。

 

科学の進歩で助かる命、反面、科学の力で造られた食品、双方が影響しているように感じられる。

私も、私より身長がデカく頑強な弟が、気管にジンマシンが起こり呼吸困難になった・・・ときかなければ

真剣にとりあう必要など感じていなかった。

 

ひとつ言える事は、死すべきものは死んだほうが後の世は楽になるということだ。

私たちの文化的生活、近代生活はここ数十年のこと。 しかしあと千年もたてば事情は異なってくる。

いかなる弱者も救うことが是であり善とする間違った生物倫理が、如何なる結論を招くかは容易に想像可能だ。

青で幾度となく記してきたが、弱い遺伝子が流布し、死にやすい遺伝子が死なないために、

病的遺伝子を有していても結婚し、それらを広げてしまうということになる。

今はまだ、深刻に考える向きはいないだろう。 しかし千年後ともなれば事情は別だ。

どの段階の誰が悪の根源か・・・ということが判るのである。

つまり現在のあなたが未来の11億人近くに、影響を与えるのだから責任を知るべきだろう。

(33歳で2人を出産ということを前提とした世代交代で算出、2の30乗、死なずに純増とした)

 

正直、アナタは、30世代で11億人などと・・・と、計算を怪しんだに違いない。

たかが2のべき乗の2、4、6、8・・・が30乗になれば、とんでもない数字なるのだ。

 

未来の大被害状況において、その深刻な病原の責任を問うな・・・のは無理で、あまりにも重大な病原流布である。

アレルギーを病原とするかどうかは別として、サバや牛肉といった現代の必須食材を摂取して死ぬのなら

未来にその元凶を残すことは、千年後の結果論としては非情非人な大量殺人的な親族テロ?的な行為である。

 

一方で、戦前までは、洋物?の食材は流布しておらず、万一食して死んだものはいただろうが、

死んで遺伝子を残さなくて済んだものの、今は当然のように全世界の食材を食らう社会になった。

我らポン人はキウイアレルギーがあるが、我らと反対ではコメ・アレルギーなどがあるのかもしれない。

そうした意味で、生物もともと食べられることを前提としていなかったり、対応不要な成分には無防備なのだろう。

 

もしアナタが

未来になれば、医療も進み薬剤が完成するはずだ・・・と主張したとする。

それは現代においては至って正しいが・・・問題はあらゆる弱い遺伝子が交雑した

未来の社会において、電子計算法だけでは算出できない場合が必ず発生するから・・・

臨床試験という名の人体実験が必須となる。

そこで失敗して命を落とす人らを前提として、薬剤の完成をせよと、アナタは主張していることになる。

アナタが持っていた複数のアレルギー体質を検証するのに、将来何千人も死ぬかもしれないのだ。

アナタのようなアレルゲンが何人居て、どれほどの被験者が必要なのだろうか。 それも摂理?

 

つまるところ、アナタのアレルギーと配偶者のアレルギー、その先の配偶者のアレルギー、その先の・・・となり

もはや収拾つかないほどのバラマキになり、その場合の数だけ被験者が必要になる。

その虚弱DNAの影響が、伝わり続けて全人類に及ぶことは、時間的に不可能ではない。

 

他方で、我らが生み出した化学物質によって得られた後転体質であれば、話は複雑だ。

必須食品に含まれている、生鮮延長薬品が広く影響を及ぼしている可能性も容易に想像できるほど

我らの社会には科学添加物が多用されるのが常識となっている。

 

ともあれ、これまでの「摂理」によれば、死んでしまえば弱いDNAは安易に失われる。

だが、摂理の弱点は、弱いDNAが持っていた、未来の危機に対応できたかもしれないDNAも

前の段階で殺してしまうことも否定できない。 しかし、未来へアレルゲンを残すことは無くなる。

太古からの繰り返しなら、弱いDNAを残すことを否定し、徹底排除することは、単純明快な解である。

 

私たちがヒューマニズムあふれると錯覚している人道的行為は、未来ではヒューマニズムの微塵もない。

私たちが軽々しくヒューマニズムと信じている事柄は、想像を絶する悲劇の的でしかない。

 

どうすべきなのだろう・・・と考えるのは無駄だろう。 私を信じない方が全てなのだから。

それが摂理にとって正しいことである。 我ら人類は増えすぎたから、進化せず弱体化して減るべきであって

本質的に学習することはありえないのである。 学習したフリをしても、結局努力は無駄になるのである。

それが摂理。

 

だから、読んでしまったアナタは、即座に忘れてもらって問題ない。

 

アナタや子孫が持つアレルギー体質は、あと千年たてばとんでもない大病害となるのだ。

信じるか信じないかは別として、数値としては本当だ。 それが弱きを助ける・・・の裏面であるのは確かだ。

我らは、死ぬるべき人が死なず、後世に代々清濁全てのDNAの業を渡す世界を好み、築いているに他ならぬ。

 

我らが選ぶ次の選択肢は、機械となりサイボーグになるか、薬漬けを喜ぶか、あるいは・・・

ニンゲンを貫いて、科学のもとに人体実験を繰り返し悪しきDNAを根絶するか・・・

既存生物と違う選択肢には、アナタの想像力の及ばない、もっと血まみれで過酷な世界になることは確実だ。

それが弱きを助けるということなのであり、摂理に背く代償だ。。

 

 

私たちは、弱きを助けることに対して、あまりにも軽々しすぎるのかもしれない。

 

あるいは、私たちが神と念じている存在を超えたい、根源的な願いなのかもしれない。

 

いづれにしろ、楽な道のりではないらしい。

 

40年前は、アレルギーなんてほとんどなかったというが・・・それから少なくとも2世代が過ぎるころ。

 

当然4倍、あるいあは8倍になって不思議は無い。 ネズミ算でないことを喜ぶべきかもしれないが、

 

喜べるほど増加が抑制されているわけではない。

 

現代のアレルギー増加は、フツーに計算すれば、当然の数値であり、環境変化ではない。

 

私たちは、とても恐ろしいヒューマニズムを持ち、悪質DNA流布について、アリエナイほど甘い。

 


さてさて

過日、ナゾだったことを解いた。

 

その前に、いささか気になるカメラ業界ネタ。 対照的な新製品がある。 ニコンとキヤノンだ。

ニコンの意欲作に比べ、ヤル気ゼロのキヤノン。 どうなっているのだキヤノン。

 

先端機種をバリバリ開発する裏側で、練りに練った古風な機種ニコンDf。

先祖がえりを選んだのは、基本をイメージさせるためらしいが、社内でもだいぶモメタようである。

紆余曲折があっただけのことはあり、供給が全く追いつかないヒット商品。

落ち着いたデザインというか、古風なイメージながら、内部にはプロ機D4の技術が活かされつつ、

ビミョ〜に抑え気味に背伸びしすぎないスペックを有する。 写真好きには無用の機能、動画撮影も省略。

写真好きの気持ちをキチンとさせてくれるような雰囲気のカメラである。

ベテラン技術屋の発想だというから、カメラはやはり職人の技でこさえる匂いが大切なのだろう。

 

ホメちぎってみたが、私はゼッタイに買わないし、もらっても迷惑なタグイのカメラで要らない。

こういっちゃ何だが・・・なんのとりえもない、フツーのスナップ用一眼レフだから。

撮りたい物がハッキリしていない、なんでもかんでも撮りたい、単なるカメラ好きのカメラだ。

目標はハッキリしないが、とりあえず落ち着いて取り組みたいという末期中年者〜終期高齢者は多い。

世相をモロに反映して見せた逸品である。

 

こちらは、何の反響も得られぬ新製品キヤノンM2。 最初から処分特価でないと売れないだろう。

レンズのラインナップも少なすぎ、ファインダーもなければ、液晶は可動もせずコンデジ然とした使い勝手。

コンデジより面倒で、コンデジほど軽くなく、コンデジより高価なカメラ。 画角はなぜかEOS7と同じ。

シャッターのところは傾けて押しやすさコダワッタらしいが、・・・ならグリップもコダワルべきだったろうに。

持ち辛いのに押しやすいシャッター・・・意味ワカラン。

Mママ専用カメラか?超絶マニアックなユーザーターゲットだな。

 

前作が売れなかったため、反響も無いから進化の方向もわからず仕舞いの二代目。 悲惨だ。

レンズラインナップが揃わなくても、EOS7Dや70Dラインの重いレンズが使えるだろう・・・と逃げの一手。

これがヒットしたら、私は頭を丸めたい。 三分刈りから一分へ・・・(涙)

EOS7マーク2も出ないし、キヤノンの経営はどこを視ているのやら。

アイぽん彗星は砕けてしまい、せっかく宇宙からキヤノンの特注カメラが威力を発揮するはずが・・・

その企ても砕けてしまった、キヤノンはこのごろ天中殺が巡りっぱなしのようだ。 

ただ、動画にシフトしているのは個人的には嬉しいことで、もっと本気でやってほしいものだ。

ニコンは小型イチガンのニコン1で急ハンドルを切ったが、おそらくアレはダメそうである。

 

小さいことが美しい時代は、ほぼ終わったのに、間違えた判断だったのを気付いてほしいものだ。

ほどよい小ささが大切なのだ。 スマホはまだでかいと思うが、デカいアレが売れる時代ということだ。

 

もし、小さい事を目指すならば

本当に全てをキッチリとスケールダウンして、Nゲージや箱庭を愉しむような感覚なのだろうが・・・

そんなミミッチイ江戸時代の盆栽の如き愉しみなどは、現代人には合うまいよ。

 


 

あらためて

過日、ナゾだったことを解いた。

 

「北袋1号橋」きたぶくろいちごうばし

 

が2つ並んで存在する意味について・・・

 

北袋は、本来おそらく「ウヮヂン・タブックル」だったところだ。 本来の意味を漢字で記してみると上地・田袋である。

明治の検地では、ウヮヂンは上地とは登録されず、オカゼンとなった。 現在では岡前と筆記する。

なぜウヮヂンが上地かといえば、発音の通りでウヮ=上、ヂン=土地なのである。

岡という当て字は意味として正しいが、前は余計である。 ただ、オカゼンという現代の発音は、威厳があり捨て難い。

タブックルは、田袋と書くように、田が集まった土地という意味だろう。

 

北袋という表現が正しかったとすれば、私が住んでいる浅間集落から見た表現かもしれない。

あるいは、北袋という表現をするアジャマァンチュ(浅間人)がいないとすれば、名付け当時の事情があるのだろう。

ウヮジンチュ(岡前人)からすれば、集落の南部の田袋であり、その中心を流れる川も「南川」と書いてナンゴーである。

国土地理院の地図にも南川と記載されている。

んが・・・ここはいろいろと土地をいじくられていて、川の流域もずいぶん改変されたという。

浅間から流れる川は池田川といい、岡前南部から流れる川を南川といい、交わると半田川(ハンタゴー)だったらしい。

池田川は、どのような発音だったか知らない。 当て字の通り発音すれば、イクィタァゴーっぽい発音だろうか。

池のように周年水を満々と蓄えている田のなかを流れる川(コー)という意味からすれば、さもありなん。

北袋はずいぶん新しい表現であるから、明治以降、誰かが適当に発したかもしれない地名だ。

 

ネットのデジタル地図では、名が無いと思うが、南川の北にある川は、国土地理院では前川となっているが、

実は岡前集落からは南部=シリなので、シリゴー(後川)と呼ばれていた川だ。 ムェゴーではない。

 

キタブクロという発音のコトバは、本来なかった。 あったのは小々字?+田袋(タブックル)であって、

キ・タブックル???などというダジャレっぽいような・・・ハンパな呼び名は、なかったはずである。

 

北田袋というのはナゾの多い名であることはお分かりいただけたろうか???

ん゛ま〜、それほど地域に熱心な愛着の方はいらっしゃらなかろうから、地名などにコダワラナイかな・・・

以前チラと書いたが、横浜の菊名駅の地名は、葛名(くずな)だったのが間違って菊名になったらしいよ。

地名は意外に、素直ではない伝わり方をしている。

私の住む浅間と、Oちゃんが住む阿三(あさん)は、同じ浅間だったのが明治に変更になったものだ。

 

ところで、

3年前の今頃は14の宝という冊子の取材でアチコチに連れて行ってもらったものだ。

右も左もわからないから、全てが新鮮だったし、町内のアレコレがなんとなく把握できて嬉しかった。

当時の企画課長Oさんは、なぜか橋にこだわっていて、地図には橋の名と写真を載せたいと言った。

多分今でも、町内では最も橋の名を暗記していると思う。 半分以上忘れたが・・・

行政の管理上、どのような橋にも名称があるのだが、一般的な呼び名と違う場合もあってヤヤコシイ。

もともと島で橋がかかりだしたのは、内地より20年くらい遅れてからだと思われ、

小川主体の島では、裸足で歩いて渡れないところにのみ橋が掛けられたから、橋自体の馴染みが薄い。

 

当部・中央橋とか、三京・大橋とか立派な名があるが、一日に軽トラが2台通るかどうか・・・である。

 

そうして、マメに橋の位置と名を、農地整備課の地図で確認しながら現地へ赴き、

現物の写真を撮影してまわったものだった。 んが・・・実際には橋に銘板があるのと無いのとがある。

そんななかで、立派なのがありながら、ダブっていたのが「北袋第一橋」だったのだ。

銘板には2つの橋とも、北袋第一橋とあったのを、以前もここで載せたものの、そのままにしていた。

 

いつもより一層、前フリ長かった???

前フリの長さとは裏腹に、どちらが真の第一で、どちらが第二なのに第一のフリをしているか・・・は単純な話だ。

右にノの字になっている道路が県道629号線。 右のは西郷隆盛が一月くらい隠れ住んだ家の跡と公園。

当時、薩摩弁と島口は通じなかったはずだが、そおらく役人が通訳にあたったのだろう。

なぜか砂糖地獄の仕掛け人に対して、尊敬の念を示してしまう、哀れな島人の姿は今も絶えず笑えぬ事実。

 

閑話休題。

 

右=東にある橋を南から見てみる。

向こうには、金がないから買い換えられないスーパーレジェーラ・プチトヨタ・エンシェント・パッソ。(涙)

さらにその向こうには、岡前の公民館が見える。

 

銘板にはキッチリと書かれている。

北袋1号橋と。 ん゛? 横書き&アラビヤ数字・・・いささかナウいんじゃないの?

 

つづいて左=西にある橋を端から見てみよう。(昭和の約束&室町の将軍に対して発されたダジャレ)

遠く、妊婦が寝床で洗い髪の姿という、超絶マニアック目線で名付けられた寝姿山を望む。

 

銘板を確認する。

こちらは縦書き、しかも漢数字で一号橋・・・やはりこちらが古いのでは?と書きながら気付いた。

 

私のつまらない推理は的中している。

縦書きの方が三年あまり古い。

これらを見てわかったと思う。 島人の発注は日和見で統一感がない。

縦書きも横書きもまったく意識していない。 んが・・・業者はキッチリとアラビヤ数字と横書き、

漢数字と縦書きをキッチリ統一している。 業者は内地人と思われる。

 

しかし・・・である。 工期もまったくズレているのに、どうして間違えることができるのか・・・

 

書きながら・・・しまった・・・役場で真偽をたずねて確認してから記事にすればよかった・・・と思った。

 

ふと

玄関に2年あまり放置されている、もらってきた当時の編集作業用地図があったのを思い出した。

黒糖焼酎のまわった頭にしてはリアルタイム性の高い判断をしていて自画自賛である。

酔っていると、楽したい、確実な手抜きを目指したい気満々になるところに、合理性があるのかもしれない。

 

一枚目は畑地の小字(こあざ)管理用で空振だったが、二枚目はビンゴ。 農地整備課からもらってきたものだ。

さっそく確認してみると・・・

右=西側が2号でニセモノと分かる。

ただ、この記載からすると、先にこさえた右=西の一号橋の筆記も間違いだ。

漢数字でなく、1号橋と書くべきである。

 

ということは・・・ どちらも間違い。

 

ん゛〜、正直なところ、ここまでイキアタリばったりで検証しながら文章化してきたわけだが、

こりゃいけんわ! 結論がみえんわいっ!? と正直焦ってしまっている。 

間違った前作の銘板より、正確な記名になり、根本的に間違った新銘板。

 

どうなっとるんや、天城町職員は・・・ボケすぎやろっ!!! 青の記事が収拾つかんやないか・・・

 

北袋4号線に1号橋、3号線に2号橋、このあたりにナゾの本質があればいいけども。

なにしろ、タンカンをスキ鍋に絞ったら、肉が柔らかくなる話をすると・・・

それだったらパパイヤも肉を柔らかくするから・・・というくらいボケた民族だしなぁ。

ホンマにパパイヤをスキ鍋に入れる勇気、あるんだろうか、と真剣に悩むほうが間違っている。

彼らの言葉はそのくらい、出たとこ勝負で、条件反射でしかない。 とりあえずナンカゆ〜とけだ。

ちょっとした確認作業などが、面倒でできない民族なのである。

 

ということで、私もほとほと島人の痴呆加減につかきあう記事を書くのも疲れたし、

痴呆を検証するのもセンナイことだし、今回はとりあえず、2つの間違った橋がある・・・という事実だけを

お伝えしておくのみに留めたい。

 

あ゛〜、どこまでボケるんだろう島人は・・・

一事が万事こんな感じの社会が、内地よりもはるかに急速に高齢化しているのだから、

真面目にとりあったら負けである。

 

ちなみに、先日

読みどおりの事態が起こった。

 

兼久に観光看板を立てたいというのだが、私が14の宝でこさえた地図データが欲しいといってきた。

はは〜ん・・・と思った。 観光マップはデザインだけで通常10万以上かかるものだが島人が知る由もない。

物理的看板の価格に比べたら、マップのデザインなんて誤差の範囲程度にしか思っていないのが島人だ。

だから、データは渡すから、後は全部集落側で看板屋に依頼するなどしてやってほしい。

私は修正はしないという条件でY課長を通じてデータを引き継いだ。 はずだった・・・

 

で・・・案の定、2、3枚写真を追加して欲しい・・・と兼久集落の会合で決まったのだと、役場に依頼してきた。

どんな都合のいい会合の決定だろうか、金が足りないから、役場に依頼しよう・・・意味がわからない。

もともと看板資金は集落の捻出でなく、役場から100%補助の集落活性化事業のものだ。

で・・・Y課長から連絡が来た。 その時点でオカシイ、修正しないことを前提で渡したデータだったのに。

電話すること自体間違っているが、Y課長のモノワスレの良さはとても優れている。

 

看板屋さんは、構造的に無駄に立派なため、ギリギリの予算で修正の手間をかけられない。

だから修正は無理だと突っぱねたのだ。

 

だから、修正しないといったのだ。 そもそも私のデザインしたものは、レイアウトが完結しているし、

もともと用途が違うから、表現そのものが紙面用である。 流用などバカバカしいことなのだ。

半端な仕事をして、自分の名も腕も汚す必要も無い。 毒魚をさばかない料理人のようなものだ。

 

取材も文章かも含めて、マルッと5万円という価格がどれほど値打ちか、全く理解する脳力がない。

そもそもどうして無駄にゴーヂャスな看板に金を掛けて、中身を端折るのだ???

観光マップ看板で、肝心のマップ制作を後回しに考えるような連中なのである。 脳の使い方がオカシイ。

 

当然、私は5万円でなければやらないし、修正程度では終わらないからと断った。

これを引き受けてハンパな仕事をしてしまったら、次にどのような追加がくるか、わかったものではない。

しかも五十肩で、細かな作業など出来る状態でもないし、眠気のため、集中力は日に2時間程度しか続かない。

 

看板屋は内地人だが、集落から見積依頼がきたとき

地図板面の制作にも金がかかると教えるのが筋だとおもうのだが・・・島流である。

社会全体が、手の抜き具合を競うような風潮があって、私の性格ではついていけない。

だから、そういうニオイをかぎつけたときは、スパッと断ることにしている。

 

今回のことで、私が身を切っていないのか・・・というとそうでもない。

14の宝の地図を、別用途で利用さえたあげく世間にさらし、とても見辛い観光マップが完成するのだ。

しかも30万円もかけて・・・である。 当然、あの地図は見辛いというクレームが出るだろう。

そりゃそうだ・・・観光客には理解できない超絶複雑な地図なのだ。

14の宝は、もともと地元のことを知っている方々に再発見してもらいたい用途である。

集落の細い辻々を記載してあり、さらにそれを3次元風に俯瞰した図に歪めてあり、東西南北も直行しておらず

そりゃもう難解な地図だ。 当然、客観性のない島人なので、あの地図で誰もが判ると短絡したのだ。

結局、最終的に突っ込まれるのは、データを渡した制作者の私になりかねない。

 

役場も役場である。

地図デザインをする私が近くに居るのだから、そのあたりの勘所を聞いて、予算配分に工夫するよう

伝えることもできたろうに。

ただ、パソコンを買ってソフトを買わない体質だろうから、言っても無駄かもしれない。

 

さはさりとて、私も島の住民であるからして・・・あまりに目に余るこのような現象はなんとかならぬものかと

生活コンシェルジュ的な、常識的にどうすれば物事を運べるか・・・のような相談窓口が必要だろうと念じたり。

話し相手のいない痴呆老人の巣窟にもなりかねないが・・・

 

端的に現れている現象が、地籍問題である。

未解決の多い奄美群島のなかでも、天城町の地籍は、正直なところハチャメチャだ。

死んだジーさんは、畑が2反あったというのに、何で少ないの?といいながら、登記していなかったり・・・ 

そもそもジーさんが本当に言ったのか、申立人の記憶が正しいのかすら、何も確証がないのである。

なぜそうなったのか・・・は単純。 金がないし、面倒だから測量しなかった・・・死んだジジ世代の責任。

面倒だから文書も交わさないために、土地境界が泥沼化していることが常識のような島々なのだ。

 

けどこれは、一見島人だけの現象のようでいて・・・内地の社会もそっくりだ。

ご都合主義でコメを減反したり、原発を乱造したり。 なーなーの後・・・結局深刻になるのは後の世代。

 

社会全体が、社会に対して脳力を使わない、ハコモノ重視でソフトに対する意識が低すぎるのだ。

島社会は高齢化と、脳力低下した年長者優先の完全年功序列社会により濃縮が進んだだけである。

 

若いうちから考えないことになじみすぎている社会、考えたら考えたで、年長者からボランティアで

協力させられてイイヨ〜に利用され憂き目をみる社会。

南国年功序列スパイラルが窮まっているのが徳之島。

 

動物写真家としては、自分の立場を棚上げして観察するのも面白いネタであったり。

そういった意味では、私は都合よくハゲており、年齢不詳だから年功序列からも外れかけていたり、

そばにいてジロジロと将来の日本のテゲテゲ社会を観察し予測するには適した人材となりつつある。

 

ウソかホントか、チャンが月面へメカを送り込む時代。

私たちも宇宙的に俯瞰して、物事の大小を感じられるようになるのが進化の糸口なのかもしれない。

宇宙からみたら、五十坪の畑のイザコザなんて・・・である。 当然、宇宙から見たら私1人など・・・でもある。

 

島の橋の名がダブっていたからって、どうだっての・・・? とズブトさを手に入れることこそ肝要な世になり、

私もそろそろ視点を変えんと、ダメかもしれんいねぇ〜。

 

オマエ1人が死んだところで、世の中に影響ないから、安心して死ね!といえる人格になったとき、

現代の方々はどう感じるのだろうか。

しかし、弱者を無駄に生かしておいた私や、私の子孫は、未来において糾弾されるに違いない。

どうしたものやら・・・


ではまた