やっぱり

イノーはイーノー

とは言ってられぬ

の巻

 


世間的な話題

 

この冬、帰省せずに島で年を明かすことにした。

 

というのも・・・

五十肩が痛くて眠れない日々が続いている。 表面に湿布を貼っても、ほとんど効き目がない。

Mだから気持ちよくてスースー眠れると思っていたが、歯痛とは違うようだ。 くれぐれも不思議だ・・・

歯痛はあんなに心地よかったのに。 問題は最初に痛くなった左腕の痛みが加速したことだ。

う゛〜む・・・このところ連日のチヌ釣りが響いたか・・・(涙)

軽いトラウトロッドだから大丈夫と思ったが、逆風だから結構リキんでしまったのかもしれない。

おかげで起床は早くても7時半ごろ、遅ければ昼前・・・そして午後にはもう目がショボショボ・・・

ま゛〜眠い生活には慣れているので、それでウツがどうのということはないのが、幸か不幸か。

 

仕事のときは、左が痛むので、腱鞘炎の右手と交互に使うしかない。

ほとんどの作業が左右同様にできるので、なかなか自分としてはシテヤッタリ感があったり。

でもダレに?

 

ともあれ、旅の準備のときアレコレ心配しているときや、出発の朝は非常な吐き気に苦しむから

それがなくなっただけでもホッとしている。

今の私には旅は激しい苦痛を伴うから、島外への出張や宴会はすべてキャンセルすることにした。

 


 

朝夕、徳之島空港横の干潟が海に変わる頃になると、つい竿を出しにトリトリデッキへいってしまう。

ともかく風が大敵で、軽い仕掛けが飛び辛いから、真面目に通っても竿を出せないこともしばしば。

風が止むことは少ないが、潮の香りのする湖のような光景は、やはり心地よすぎて赴かずにいられない。

この状態ではトリトリデッキは、ほぼ役立たずになる。

向こうには、妊婦が寝床で洗い髪しているという仰天マニアックな見立ての寝姿山が見える。

 

干潟のときこそ、鳥たちが手前にやってくる。 そのためのトリトリデッキ。

過日、好天のあまり撮影したものだが、先の写真と同じ寝姿山の頭の形が判るだろう。

どちらかというと干潟になっている時間が長いような場所である。

干潟の間なら、すぐ下にクロツラヘラサギやシギ、チドリなどがやってくる、なかなかの観察ポイント。

満潮のときは、カモかカイツブリ、カワウなど潜水するタイプの鳥しか現れないが、

浅いから、その手の鳥はめったに現れない。

 

私はこのごろ、すっかりへそ曲がりになり、釣れたルアーを使わない実験的な釣りばかりする。

金曜の朝、水深が25センチほどになり、これまでサッパリなズル引きコーンの本望のカラーを選んでみた。

が・・・予感どおり当たった。 そもそも、製品になるからには理由があるはずだし。

必ずチヌが食ったという証拠は、歯型もあるけれどウキゴムがチヌの食いによってズレてしまっている。

何度か書いてきたが、フックをチューブで固定して立てておくと、根がかりも激減する上、

上に向いたフックを・・・抵抗して振り上げているカニバサミと思って食いちぎろうとするのだ。

 

ピーカンで浅場にいるチヌが、コーンなルアーをカニと思うのだから、なかなか傑作。

ダジャレもかすむほど面白い現象ではなかろうか。

これだけゴリゴリやられても、水中の細かなバウンドとどちらなのか分からない・・・のが辛いところ。

 

で・・・運動公園の職員のM原さんが、休憩がてらやってきて、ここで釣れた事あるのか?といい

すぐよこで金柵に両脇でもたれながら、チヌを探す目線になっていた。

ここでチヌ(=ミナミクロダイ)を釣ったのは、ずいぶん前の5月である。

 

すると、フラフラとチヌが竿先の見当にやってきて、ぼそぼそルアーをかじり始めたので、

意を決して左上にアワセを入れたらかかってしまった。

どうも上向きのフックをかけるには上に向かってフッキング動作するのが効率的なようなので。

デブではないが、コンディションのいい若いメスだ。

タモ入れしてくれたのは、M原さんだが・・・想定どおりタモ入れを一度失敗した。

シッポからすくおうとするなんて、釣り人とは思えない・・・ ま゛仕方ないな。 M原さんは磯のカゴ釣り釣り派。

浅間の磯はのっぺりしているから、タモは無縁なのかも知れぬ。

もしくは、見える魚が釣れたことと、ルアーで釣れた事を初体験して、いささか興奮していたかも。(笑)

やりとりの際、ほかに2匹がつきまっとってい、浅く透明度の高い状況でも白銀の魚体は極めて見え辛いらしい。

後日の釣りでは、45センチクラスがルアーのすぐ横まで接近するまで気付かなかったほどだ。

 

7月中旬に釣れたアオマツ(@しまぐち=アオチビキ)以来の漁獲である。

 

タモ入れのとき、ぷ〜んと臭ったのは川魚っぽいスズキのような生臭さだけでカニ臭さはない。

火力発電所のあるキジの海岸は生活排水がほとんどないので、そこでさばく。

どういうことだろう。 藻類でなく、ほとんど草だ、植物である。 右上にあるのは小さなボケジャコのよう。

このごろ、牧草の伸びが悪く、養牛を営む者がイノーのわきの芝を刈る姿があるが、その刈り残しを食っている。

地上の草には独特のミネラルやビタミンがあるに違いない。

ひょっとすると・・・ソウギョのように、植物の葉に針を潜ませて釣れる手合いかもしれない。

やはり繊維はまったく消化できないようで、色あせた草がそのまま糞として排出されていたから、

私たちの食す、こんにゃくにビタミンが入ったようなものかもしれない。

 

メスと判ったのは、腹の中にイカの塩辛くらいの大きさ太さの卵巣があったために判明した。

何センチくらいからメスになるのやら・・・もう少しちいさいのが釣らないとダメなようだ。

 

おそらくアナタが内地人なら、生態こそ違え風味はやはりクロダイだし・・・と念じているに違いない。

さにあらず、と言い切れるほどか自身はないが、少なくともマルスズキよりは美味かった。

カサゴ並みに身がしまり、臭みも少なく上品とまではいかないが、ん゛まい刺身だ。

薄く削いでみたところ、なかなか・・・♪

刺身包丁を使わなかったことが、いささか悔やまれるほどの味わい。

南国の魚にありがちな、旨味の薄さもなく、アラを用いた潮汁にもしっかり出汁が出る。

何事もやはり体験の無い観念など虚しいもので、体感してナンボである。

悪いが、ミナミクロダイを、不味いタダのクロダイと一緒にしないで欲しい・・・と苦情を述べたくなる。

 

5月のチヌは、タモからぷ〜んとカニ臭さがしたから即リリースしたが、正解だったようだ。

ここのチヌは、季節なのかイノーの具合なのか、カニばかり食べるころと、そうでないころがあるらしい。

いや、たまたま個体がそうなのかもしれない。 次のチヌ、またその次のチヌが釣れて明らかになるだろう。

 

どうであれ、鳥観察のすぐあと、美味いチヌが釣れるということは、M原さんには納得してもらえたろう。

M原さんも、私がブラブラと運動公園に通うようになって3年、クロツラなどを気にするようになった向きだ。

徐々に天城町には、鳥に注意を払う島人が増えてきている。

 

釣りしながら、上空を横切る野鳥が観られたり。

休む場所を釣りする子供らに追われ、ワサワサとクロツラヘラサギが飛ぶこともあれば・・・

ぼ〜っとリールを巻いていると、すぐよこにカワセミがとまって、共にイノーの魚を狙っていたり。

ときに、ルアーを引いている竿やテグスの下を、ピッキュイ〜!と鳴きながらというか、叫びながら飛び交う。

 

んま゛〜・・・人工物のあるところで釣りすることを好まない私が、ここを好く思うのは、こうした現象のお陰。

しかも、チヌの食いっぷりを観ながら釣れる愉快さ。

 

ちなみに、チヌに大人気と信じていた赤いカラーはナント不人気である。

盆に帰省した折、松阪で求めておいた初代ズル引きコーン。 フックの懐が深くフッキングしやすいのになぁ。

まだあきらめずに、ウキゴムをグリーンなどに交換して再チャレンジ中である。 チヌは日和見だし。

なにしろ、フックがハサミにみえることが肝である。 夜光チューブを長めにカットして使うといいのだろうか???

あるいは幾色かのカラーで、ハサミの関節っぽさを演出すべきか???

 

コーン色のは、地元の釣具店「つりよし」でお願いして仕入れてもらったもの。

実はその際、内地で人気の赤系のカラーはことごとく入荷不能にされ、コーンとメタリックグリーンのみ入荷した。

内地の無能な問屋の在庫処分に使われた形になったようで・・・とても恐縮であった。

幸いだったのは、この2色は反応があるのに、期待していた赤はまだダメなのである。

 

春先に釣れた2キロ近いチヌはスイカカラーだったから、赤系だったのに、あれからサッパリ不人気。

かなりブレのあるチヌの好みだから、情況に合わせる必要があるのかもしれないと・・・備えることに。

メタリックグリーンは、20センチ未満の小柄なクワグワァラ(=コトヒキ)やボラにも人気で、

群れで、よってたかって追跡されることも・・・ カニかどうか別として、エサに見えていることは確か。

 

そんなこんなが、アリアリと観察できることが、ここの楽しみ。

運があれば、ノコギリガザミもタモですくえるし。

 

ある程度の風のもとでも使えるミノージグは貴重だ。 今は不人気らしく、ほとんど市販されていない。

トラウトには向いていそうだが、フロントフックが無いことが弱点か。 イノーでは利点。

5センチくらいのサージャーで、これがなんとスイミングもイカスが、フォーリングがすさまじく派手。

スイミングよりフォーリングの方がアクションが激しいときているから、ついつい期待しまう。

んが・・・一本しかないから腰が引け気味。

それもまた一興。 あまり良くできたルアーを使いすぎるのも大人気ない。

スピードは遅め、カスミアジには見切られるだろうから、やはりチヌ用になろう。

 

このごろは基本に戻って、スプーンで釣りたい気満々である。

磯では18〜30グラム級、イノーでは7〜12グラム級といった具合。

スプーンは低価格、飛距離、フォーリングの派手なヒラヒラと三拍子揃っている。

手持ちのスプーンも少しあるから、ま゛〜また実験&様子見だ。 なにしろやはり、魚の反応はイマイチだし。

 


 

このイノーについては、気掛かりがある。

地元の観光協会も、漁協もそろいもそろってカンチガイしているのがヒルギ問題。

マングローブには浄化能力があるが、ヒルギにはない。 誤解だけに・・・ゴカイとかエビカニにある。

ヒルギがあればマングローブだ!と、迷信してしまっているジジばかりで困り者ぞろい。

 

動きもしない植物に、生活排水を浄化する能力があったとしたら、野菜や樹木の生えたところには草一本生えんわい。

どんだけ肥料やっても足りんわい・・・ということが、サトウキビ栽培しててもわからんらしい。

考えないことや、自由に迷信することについて、くれぐれも優秀な民族である。

 

もともとここは、潮通しが悪いところへ、稲作がなくなってサトウキビ作ばかりになって泥が堆積しすぎている。

そこへヒルギが育つのは、当然といえば当然だ。 サトウキビ畑の肥やしが効いた表土が積もっているのだ。

浄化しているゴカイにエビカニは満載中であって、今更ヒルギはお飾りどころか、泥やゴミをためてイノーを浅くする。

そろそろ腐れ始めていて、泥の下には黒いヘドロがあり、春先などには異臭を放つ。

 

無論、ヒルギを残したい・・・といっているジジらは、いちばん奥の臭うところには誰も住んでないし、見に来もしない。

学習したことでもなく、ただなんとなくウワサで浄化作用があるみたいな話を聞いたから残したいと平然と無茶ゆう。

島は完全年功序列社会・・・反論するような知識と気骨がある若者もおらず・・・

 

90年代晩期、沖縄本島にあるラムサール条約に指定されている漫湖でヒルギが繁茂し、

野鳥がエサをとる場所がなくなったことが大問題になっていたはずだが・・・

ここにヒルギを八重山から輸入して植えたのは、その後のことだ。

 

マングースで失敗していない島のためだろうか・・学習ということばと無縁の島だからか・・・

ただ植えればなんとかなる・・・とか思ったらしい。 ナニがナントカなるのか、よく考なかったのが島ならでは。

(そりゃ、ど〜ゆ〜うことや! 意味ワカランわ! とツッコミたくなったろうが・・・島は一事が万事この調子である)

 

ヒルギさえあれば、イノーが浄化され、ゴミも消え、観光客が集まる・・・と夢見ていたのではなかろうか。

弁当のプラスチックトレイとか、島人が大好きな淡麗生の缶のポイ捨ては消えんやろ・・・なんぼなんでも・・・

しかも、ヒルギがあれば観光客が集まるなど・・・観光客をバカにしているとしか思えない。

 

のだが・・・そもそも悩まない、想像もしない、脳を使わない体質である。

 

ここにヒルギが繁茂してしまったら、仕掛けがかかって仕方ないから、釣りもできなければ、鳥も来なくなる。

あと3年もつかビミョ〜だ。

 

私たちが、ゲリラ豪雨や、猛烈台風、爆弾低気圧に悩まされるのには、もっとなだらかな現象があると信じていたが、

一機に襲われ始めたように、イノーもヒルギに埋め尽くされだしたら一機に加速するだろう。

 

チヌをのんびり釣れるのも今のうち。 しっかり釣っとかんにゃイケンのワケいね。

というわけで・・・可能な限り優先してイノーを愉しむ事に決めた。 野鳥も釣りも、愉しめるうちに愉しむしかあるまい。

 

運賃が高いから観光客が来ない!と迷信している島人ら。

本当のことが判ったあとでも、また誰かのせいにするに違いない。

ソレがすなわち、ほかがスゴイから島がダメに見えるんだ!と主張していることには気付かないだろう、永遠に。

そうした考えない先輩を基軸に、あらぬ方向へ島は進んでいくのである。

 

石の上にも三年という。 私も既にそれ以上島に住んでいるから、島のシニカルな愉しみ方を覚えた。

内地もいづれ、高齢化が進みすぎて島と同じ症状が現れる。 モンスタージジババ時代の到来だ。

ジジババの増加で、どんどん常識が歪められていく退行の時代。

介護施設が会社に併設されていると優良企業とか、高齢者不要・・・じゃないわ扶養手当の支給とか・・・

もちろん財源は債券の発行である。 美しきかな斜陽の茜色・・・

 

ましかし

そのころには私の同世代もジジババだから、天敵の居ない我らにとって進むべき摂理の示しに準じようではないか。

当面我らは、無駄に長生きし、地球資源を浪費して未来へ負の遺産を沢山残すのが仕事である。

それが正しいと社会が信じているではないか。 原発も残す、国債も乱発するのが常識な社会。

そうすれば、子々孫々にわたり生存が厳しくなることで、人類は進化の道へ戻ることができる。

進化が遅れた生物は必ず滅びるのだから、多くの死こそ進化のカナメである。

摂理とは、まったく善くできてりいると関心至極。

 

さ〜て、皆の衆! 明日からといわず、今日から浪費を愉しもうぞ!!!

何のためにもならぬテレビなどを、ダラダラ視聴しようぞ!!! (どんなキャラだ?)

 

ちなみに、質量一定の法則を知っているか?

(無理に知らなくていい、その方が無駄に長生きできて人類のためだ。)

 

地球上の物質は増えも減りもしない。(基本的には)

ということは、人類が数万匹しかいなかった時代から比べると、桁違い・・・10億倍以上に質量が増えた。

すなわち、地球が小さくなったか、あるいは桁違いにまわりの生物が減った・・・ということだ。

 

人間の平均体重は、おそらく高齢化が進んでいない太古ほど軽かったことを無視して考えよう。

仮に50キロとして、過去10万の人類祖先がいたとして・・・5,000トン。

現在は70億人だから・・・350,000,000トン。

 

すなわち

五千トン 対 三億五千万トン。

 

しかも、長生きして30年だったのが、60年以上になってきており、回転率が倍も落ちている。

古臭い肉体の質量が異様に増えているし、ボケ老人や病人の質量が、過去の人類総量をはるかに越えてしまった。

 

ちなみに

一日の石油消費がおおまか8500万バレルほどとし、1バレル130キロとすると・・・

年間では4,033,250,000トンになり、ざっと40億トン。 これまたスゲーな、地球は確実に痩せている。

(反面、PM2.5として、降り注いでいるだろうが)

 

生活の折々に、その恐ろしい事実に気付くものはいないだろう。 我ら人類の摂理への純情さの一端が垣間見える。

未来に負担を残すなといいながら、増やし続けるスーダララッタ〜スイスイ社会である。

私たちは、如何に合理的に未来人類が進化できるかを考え抜き・・・激烈な社会を築くことに精進している。

 

なんもしないオマエがエラソウに・・・と思うアナタも、この現実に対し、何も手を打てない。 それが摂理だ。

人類はバカじゃないなどと、この現実を放置して信じられる余裕が摂理の「厳実」を招く。

真実を知るのは、まだかなり先のこと。

私たちには、まだ十分余裕があり、全地球を巻き込みつつ、未来の人類のために世界の厳しさを磨いているのだ。

 

今日ラジオで指導死・・・などというコトバを初めて知った。 これこそ厳実を帯びた鏡・・・天敵はなくとも、死こそ進化。

我々はやはり増えすぎて、摂理の厳実を帯び始めていることを感じさせてくれるコトバであった。

   

チヌを釣り、刺身をいただき、いい気分でヨッパライながら、たまに・・・要らぬ考え事をするのも、オッサンのたしなみ。


ではまた