ツッコミドコロをたしなむ

 


いつの間にか、五輪招致が決まっていた。

フランスの新聞が揶揄するのもわかる。 フクシマのせいで五輪招致が国策になったからだ。

チェルノブイリも、ただ石棺風になっただけで、解体されたわけでなく、角反応物質は地中にもダダ漏れで

手のつけようがなく、何世紀か先に解体の予定?だという。 だが、石棺が老朽化して破損しつつあるらしい。

つまり、フクシマは絶望なのだ。 その絶望感を、少しでもやわらげたい、

現代科学では収束不能なフクシマを放置するしかない政府のやるべきことは、せいぜい元気付けくらいしかない。

高齢化も、赤字国債の発行加速化にしても自動的なわりに、明るい材料はこさえなければ発生してこない。

人類が限界値を超えて増加すると、加速度的に災いが増えるのは、摂理的に仕方のないことだ。

人類は、他の生物を犠牲にしすぎている。 人類だけが甘い世界に生きられる時代は、そろそろ終わりだろう。 

地球も自然も、甘くも優しくもない。

人類は、ツッコミ担当がいないまま、ただボケ続けるしかないのか・・・あるいは苛烈なツッコミが始まったのか。

 

ちなみに

シビレをきらしたメリケンが、軽くメルトダウンさせたスリーマイルのジジイたちを派遣してきたが、アレは無意味。

スリーマイルでは、そもそもコンクリの格納容器は破損していないから収拾できたのであって、

大地に核燃料が漏れた、あてどのない状態での原子炉は、今のところ距離を置く以外、収拾の手段はない。

 


 

いつもの硬い話になったので、とりあえず柔らかい話。

私は、ずっとここ20年余り、木綿豆腐ばかりをいただいてきた。

このごろ冷たくて柔らかいものが好ましいので、ケミカルプリンのような絹ごし豆腐が食べたくなったのだ。

木綿はいうまでもなく、塩化マグネシウム=にがりで固めるから反応が激しく、舌ざわりがボソッとする。

反面、硫酸カルシウムの反応は穏やかで、きめ細かで水が多くても凝固しやすいから、プルプルになる。

要は、戦後20年くらいは、安定してにがりが入手できなかったから、充填豆腐が代用品となっていた。

その懐かしい、ツルっとした絹ごしが味わいたいと思ったのだ。

 

しかし、時代は変わっていた。 幻と伝わるにがりによる木綿豆腐を、科学技術が実現し、絹ごしも今や

にがりで生産されている場合が多く、絹ごしというより、化繊ごし?豆腐といった風味。

そんな折・・・硬めの絹ごしというのを見かけ、思わず購入してしまった。

コイツはなかなかのツワモノで、およそ私が調べたすべての凝固剤で硬さが調整されている。

絹ごしの滑らかさでありながら、ほぼ箸でいただくことができる。

でもやっぱり硬いね。 大豆の香りは素晴らしく、豆腐らしい風味の食べ応えは愉しめている。

肴としていただくのには、好みであるが、やや高め。

 


 

次は本格的にツッコミを愉しむことにする。

 

パナの一眼は素晴らしかったが、コダワリ風の高級コンデジがやってくれた。

LF1のボディをチョイと換えてライカでも売り出すらしいから着目してしまった。

もともと、一眼レフの敏感なセンサーでも、F値が5.6を越えると、ほとんど室内では役立たずになる。

広角端でF2.0を実現したら、無理が祟って望遠端は5.9になっちゃった・・・という情けないレンズだ。

リコーのように、望遠マクロが使えるわけでもなし。

平成に入ってすぐ、まだデジカメがなかった時代にコンパクトな高倍率バカチョンが流行った。

美しい写真でなく、とりあえず便利に適当に撮れた気分になれるカメラ。

 

いやもう、それ以前にツッコミドコロ製造カメラで、これを採用したライカの厳しい経営状況に涙する。

右手の人差し指と中指を、でーら離して持つと力が入らないのに、左手は平然と繊細なリング操作するポーズ。

しかも、右手親指の上方にサムレスト(親指置き場)があるのに、ボタン上に親指・・・泣ける、泣けすぎる。

 

これは簡単な理由が想像できる。 想像は98%間違いはなかろう。

デザイン重視というのをイイワケにして、中指のところにグリップが全くないから・・・

カタログ撮影のとき、手ダレの方が普通に持ったところ、ストロボに右手の中指がかぶったのだ。

それを見た企画か宣伝担当が慌てて持ち方を修正したら、今度は親指が変なところに・・・それだけのことだ。

だから、親指をサムレストにもっていくと、ストロボに中指がかぶる設計になってしまっていたことに、

カタログ撮影になって初めて気づいたのだろう。

 

本来はLUMIXロゴのところにストロボがあり、更にレンズ直上に電子ファインダーがあれば理想的なのを

どこかのサル・リーマンなバ課長が設計判断を間違えたのだろう。

サラリーマンの義務精神では趣味製品の開発は無理なのである。 情熱でなく、趣味性が問題なのだ。

もちろん上司の部長もサル・リーマンだから修正されなかった。

やれやれな製品であるが、それをライツが採用するのだから・・・

もし昔の寮の同居人、モクナカ氏がプロデュースしているのなら、痛ましい姿にお見舞い申し上げる次第である。

カタチだけはライカだが、体躯が無駄にデカイ外人が使ったら、もろストロボに右中指がかぶる。

スペック上、薄くしてしまったレンズのところの操作リングも、外人の太い指では操作できない。

この操作リングの厚みはボディから最低2センチは欲しいところだ。

 

そのような設計になっていれば、収納されるレンズも大型化できたので、望遠端も明るかったことだろう。

コダワリどころが、半端な薄さにブレて、コダワリのカメラ性能が失われていった、

カタログスペックばかり眺めている、サル・リーマン志向が災いした。

ズーム倍率も手ごろで、本来ならライカが迷わず採用できたスペックと使い勝手だったろうに。

ボケ味を使えもしない広角端をF2.0にしたところで、実用的なメリットはほとんどない。

 

薄くしたからといって、半端に重く大きく、ポケットに入るわけでもないのになぁ・・・

パナの趣味的コダワリなんて、知れている。 真面目すぎだ。

っていうかサル・リーマン連鎖がダメ製品の完成度を上げている・・・

 

やっぱりパナは、コンテンツとか趣味性とか・・・ソフト事業は無理なんだろうな・・・企業体質として。

江戸時代の職人芸、用の美が心の支えなのだろう。 その向こう側にこそ、心の満足があるのになぁ。

 

そういえば昔・・・キャラがあったよなぁ・・・なぜ、メカ磯野波平少年だったのか・・・泣けたぜスパーキー。

徹底的に遊べない体質だな。

 

あ、ちなみにコレの原型である、キヤノンパワーショットS120は、ストロボがLUMIXの位置のところに

納まっていて、ポップアップ式となっている。

 

それはそれで、両手持ちしたときに、ポップアップストロボのために左手が持つ場所が、

薄っぺらなリングしかなっくなってしまうことだ。

ファインダーもないのに・・・一眼持ちすることを想定していたりして・・・こちらも泣ける。

 


 

せっかくレンズ規格で協働しているオリンパスが出してきたフラッグシップがコレ。

フォーサーズだったのを、無理にマイクロフォーサーズに統一するとともに、すべての路線が過去に統一された。

いにしえのペンシリーズ、OMシリーズ。 もう、涙でモニターがかすんで、記事が書き辛いぜ・・・

 

ボディを小型化したから、操作性を改善するために、ボタンやツマミ類はアンバランスに大きくしときました。

 

アリだ! しかしだ・・・NEXのように合理性を追求したボディでなく先祖がえりでそれをやってもビミョ〜だ。

そもそもグリップが半端に小さいのだ。 そのうえマウントが小さいからとって、さほどボディは小型でない。

さりとて、レンズが飛躍的に安くコンパクトでもない。 結局、小さいことはレンズにとっては苦難が多い。

レンズの微細加工技術の難度が上がるが、小型で安く見える。 ボディは小柄で操作性は下がる。

その苦難に立ち向かう、心の用意がまったくなされぬままま、フォーサーズが打ち出されたのである。

 

そして、苦し紛れにマイクロフォーサーズに統一したが、やはり安くなるのは材料の体積分のコストのみ。

先にも述べたが、縮小された光学系は、一段と精度を要求されるから、小型化は容易でないぶん

材料コストより加工コストが高くつくのである。

 

ただ・・・一点の光明は、加工精度がキヤノン、ニコン並みであって、本来の性能でなくとも、

縮小光学系は光の特性から、小型なだけでシャープになってくれる利点が存在する。

目が見え辛いとき、目を細める・・・アレである。 小さいことは、すでに自動的に細目なのである。

 

従って弱点は、一眼特有の、背景がボケる感じが薄まってしまうことである。 それはトレードオフだ。

一眼でありながら、コンデジに近いボケない絵作りになってしまうのだ。 つまりバカチョン路線だ。

 

映画業界にボケ味のある美しい映像の新風を起こしながら、電子ファインダーを持たないヘッポコなキヤノン。

新鋭技術の電子ファインダー必須のミラーレス一眼に取り組みつつ、先祖がえり方向しかないオリンパス。

 

過去に縛られているなぁ・・・ポン人って。

 


 

I先生のパソコンでトラブルがあるから、対応して欲しいとF本さんから連絡があった。

で・・・I先生のパソコンを家具屋のF本さんのところに持ち込んでもらうことにした。

そう・・・F本さんは、なんもメリットがない・・・ 左がF本さん、右が依頼人のI先生。

島で先生と名がつくのは現役と、退役後の学校の先生であって、シュー議員とは無縁である。

 

そんなことよりも、不条理な連鎖がある。

 

I先生は私のケータイを知らない。 F本さんは私と親しい以前にI先生と懇意である。

依頼の依頼・・・ただ善意で仲介してしまっただけのF本さんは、少なからず私に負い目を感じる。

なので、場所を貸してしまうが・・・要は私とI先生との問題である。

 

で・・・仕方なく場所を貸すハメになってしまったF本さんは、福岡で予備校に通う息子さんのために

奄美名物料理の鶏飯(けいはん)のネタである、蒸し鶏のほぐしをこさえている。

 

一見、雑然としているものの、F本家具店の立派な応接スペースである。

 

が・・・I先生も、私もお構いなしに利用してしまっている・・・

 

あろうことか、2時間ほど対応して、古い島唄の録音をCDに焼いた私はI先生から2,000円を頂く。

しかし、お茶や冷水を出してくれたF本さんには、なんの恩恵もない。

 

流石のF本さんも、キモに据えかねたのか・・・昼時になったが、昼ごはんが出てくることはなかった。

ふだん、私が単体で訪れたときは、私の貧乏を察して、よくよく私に家庭料理をゴチソウしてくれるのだ。

 

ちなみに、I先生がF本さん経由で、ムリヤリ私にアクセスしたかった理由は、

次の日に複製CDを配布しなければ、間に合わなかったからである。 もっと前に用意しとけば済んだだけ。

それと、著作権CDの違法コピーでなく、島内の貴重なナマ島唄のテープ録音をデジタル化したもので

まったく違法ではない。 これから目白押しのイベントで演じられる、踊りの練習で必要らしい。

島の9月〜11月一週めまでの週末は、体育祭やら文化祭で休む暇はない。

 

そんなのはドーデモイイ!

私はとんだ収入。 I先生は、ぎりぎりセーフ。 なのにF本さんは、仲介しただけの被災者である。

 


 

他にもあるよ。

 

毎度、前日とか、その日の二時間半前とか・・・に依頼してくる、オナジミ? Y課長。

この日も、冷やし中華で私は釣られたはずが・・・コテコテの洋食店になり、仕方なくカツ丼に。

すんげ〜胃もたれして、おごってもらうのも義理義理の義理人情であり、食したのに体力も失う。

 

このまえ、電話してきたときは9時半から案内して欲しいと言いながら・・・9:35ごろだったり・・・

Yさんの体内には、時間の概念をくつがえすタキオン粒子が満ち満ちているのだろう。

 

そのYさんの依頼で、渾身の看板をこさえた。 2.7mX1.8mで、空港へ曲がる交差点にある。

奄美新聞には、一面に掲載されていた。

掲載の前日、記者さんから私に看板寸法を問い合わせてきた。

Y課長が知らなかったから・・・質問がたらいまわされてしまった・・・のかもしれない。

キャッチコピーは、Y課長と私で相談し、5分くらいで決めてしまった。

 

実は、「遺産」の背景には、数少ない私の植物写真で固有亜種の、トクノシマエビネを使ってある。

さっぱり見えないんだけども、なんとなく。

 

固有亜種オビトカゲモドキを中心に持ってきてあるが、シマンチュはどうも大型のトカゲと思っているらしい。

トクノシマドラゴンとか・・・いたらハブより恐いのに、疑問をもたないようである。

 

 

空港からレンタカーでやってくると、最初に曲がるべき県道の交差点に、その看板はある。

 


 

まだまだあるよ。

 

このところ

近所にある夜の自販機を観察している。

前の家があった、兼久(かねく)はとても昆虫が多かったから、自販機ならずとも自宅に虫が来ていた。

自販機の「内側」にヤモリが常駐しているところが味わい深い自販機である。

数日間、明かりが消えたことがあり、いよいよ壊れたか・・・と思いきや、復活というか元通り?動き始めた。

この状態で硬貨を投入できること自体が、なんてチャレンジャーなことか。

 

スーパーで野菜を求めようとしたら、このような障壁もあるにはある。

 

ウソ表示は普通にある。

そもそもニンジン、レンコン、ゴーヤではフルーツは存在していない。

Aコープに勤めている方は、まったくポン語に責任感というか・・・知識がないらしい。

疑問を持たぬことは、頭はよくならないかわりに、長寿の秘訣かもしれぬ。

 

その頂点に立つというか、下には下がいるというか、鮮魚部はやりおる。

エバとは、シンジクンが搭乗するアレでなく、メッキ(ヒラアジの子)のこと。

パックされているのは、縁もゆかりもないオキヒイラギ。 普通は、面倒だから漁師に捨てられる魚。

ま、10センチいかない木っ端ヒラアジを食べる土地柄だから、ま〜アリかもな。

 

スワシンネバリ、名は正しい。 スワシンニバイとも。 和名はバラハタ。

つまり、シガテラ毒魚である。 Aコープではシガテラ毒はヘッチャラ扱いなのだ。

ただ、島ではバラフエダイも中毒は出ていないようだ。

山海荘のオバチャンはバラフエダイが好物だし。

オバチャンはオバチャンで、シガテラ毒魚もしっかり火を通せば大丈夫と思っている。

 

コレ・・・どんな味?

コレばかりは、意味も風味も判らず・・・怖くて買えない。 だってシマンチュ相手に残っているし。

半額シールの積層に、いろいろな事情がありそうだ。

多分、トンコツスープが付属しているのだと思うのだけれど・・・まるで変な味のワンタンにしか感じない。

島人すら怪しむほどの間違ったポン語の使い方・・・こうした会社が経営されていること自体、不思議だ。

島でトンコツといえば、姿そのままの豚足を煮たやつだから、余計ややこしい。

豚足が入ったワンタン・・・と感じられなくもないからだ。

 

スーパーでツッコミドコロが愉しめる時代になった。

 


 

役場農政課と地元生産農家の女性陣が総力でこさえた、郷里の産品。

1コ600円もする、マンゴージャム。

フタとビンが合ってない・・・締めなおしても、きちっと閉まらない。

そのためか、ビン詰めジャムのクセに消費期限が非常に短い・・・

ちょっと正しいかもしれない。

 

ま、それはそれとして、マンゴーを原料にしたものの、マンゴーは味も香りもマイルドなフルーツだ。

ジャムにしたら、風味がなくなり、ただの甘いペーストになったらしい。

なので、風味の強いトケイソウを加えた。 そしたら・・・トケイソウジャムに早がわり! 

 

ちなみに、酸味もほとんどなく、ただのトケイソウ風味の甘いペーストである。

さすがは私が提唱する、世界ガッカリフルーツのひとつを加えただけのことはある。

値段の高価さも手伝って、絶大なガッカリ感が味わえる逸品だ。

 

逸れすぎて、どうツッコミを入れるか悩ましい品である。

 

島人はマンゴーがこの上ない高級フルーツと信じて疑わぬのものの、

実は食べられる部分のグラム単価は、トケイソウの方が高価なことに気付いていない。 

 

セットで開発された、シークワーサードレッシングは、油が入っていない。

すなわち農水省の食品規格でドレッシングと呼称してはいけない。

試食した職員は正直だった。 あれは、ポン酢ですよ・・・正しい、正しすぎてツッコミようがない。

 

高額ガッカリジャムと、やけに香りの強いポン酢のセット。

島人らの思慮浅さと悩まなさを象徴するような商品になってしまった。 味付けも甘いが考えも甘すぎる。

着想は間違っていないはずが、工夫が浅すぎる。 むしろ工夫じゃなくて、主婦の知恵の暴走だ。

いやもう、中元などでいただいた時点で、罰ゲームに近い痛ましさある。

これに対応できるお返しが難しい。

 

3,000円分のうまい棒とカールの詰め合わせセット、

赤いウインナーと、四角いハム、魚肉ソーセージの詰め合わせとか。

4枚、5枚、6枚、8枚切りの食パン詰め合わせも対応可能っぽい。

 

痛ましくて、涙で塩っぱくて、よけいに甘いジャムだ・・・

内地で形骸化した贈答習慣に切り込む、乾坤一擲の斬撃のようでもある。

 


 

島は元来、ツッコミドコロ生産量において世界トップクラスだ。 北朝鮮に次いでチャンと同レベルだろう。

 

疑問を持たない、考えない、悩まないことで長生きしてきた島人。

どのくらい悩んでいないか、まったく理解してもらいやすい商品だったのではなかと思う。

逆に言えば、このくらいボケてボケてボケまくる人生でなければ、長生きできない・・・ということでもある。

 

あなたはそうした長生きの仕方を、信じることができるだろうか、あるいは幸せと感じるだろうか。

島での日常は、ツッコミ担当になったら負け・・・なのかもしれない。

いかにボケを共有するか・・・が南国人生の愉しみ方。 私の性分では、どうもボケの共有は難しい。

 

そんな・・・

ちょっとしたミスを、サカシラにオーバーな作り話にしなくても・・・と思って、毎度読まれていることだろう。

なので一応念のため、たたみかけておく。

 

ま〜、通常のツッコミネタというのはこの程度だ。

鹿児島本土のボケ具合。

炭火焼だから、炭がまぶされた焼き鳥。 炭の中に置いて焼いたっぽさが人気の秘訣か?

口に含むと、ふんわりヤワラカな地鶏の肉と、こうばしいジャリジャリした炭のほろ苦さが入り混じり

絶妙な香ばしさ・・・・ということか。 恐いもの見たさに、つい買ってみたくなる。

少しでも美味しかったら、スゴク得した気分になれることは間違いない。

そおらくこれは、内地では標準的なボケで、横浜でも山口でも、伊勢でも販売されている一般ボケ食品だ。

 

しかし、地元優良企業Aコープは、そんな小さい器ではない。 やはり鮮魚部。

魚が野鳥である。 ツバメウオならわかるが・・・無論、島口でもない。 これは私にも判らない魚肉だった。

煮付けに最適で、みそ汁にと併記されて念入りだ。 味噌を漢字で書くと、読めない人が多いので、ひらがな。

ちなみに島は、魚を煮付けることはほとんどなく、揚げる。 塩焼きも、ほとんど絶滅危惧EXである。

 

惣菜部とて、けして引けはとらぬ。

おなじみの万能惣菜ラベルで応戦する。

たいがい、よくわからない惣菜にはこのラベルが添付される。

主原料が化学調味料で、なぜか小麦粉由来の調味料らしい。 しかも、揚げ菓子?にアミノ酸は入らない。

 

なぜ菓子と判るのだ!?と思ったアナタは、実に正しいツッコミ魂である。

それが常識人というもので、大人の対応だ。

つまりこれは現場でしか判断できず、菓子の陳列される、惣菜右端のスペースにあるからだ。

しかし、私の判断が正しいとは限らず、ミニカレーパンとか、ソデイカ入り揚げパン?だったりするかもしれぬ。

 

鮮魚部はいつも絶好調だ。

ツンブリはこのように巨大なウロコの魚類ではないし、青物でマアジのような色合いである。

見ての通り、血を含んだような肉質・・・おそらくこれはチビキの類。

どこからツンブリという情報があったか知らぬ。 仕入れのときにテゲテゲ漁師にやられたのかもしれない。

 

しかしやはり、惣菜部の巻き返しも激しいものがある。

ミートソースのアクを集めたか・・・あるいはイタリアンを食いすぎて嘔吐したもの・・・のよう。

当然ラベルは、万能惣菜用である。 念入りにバジル鳥と書かれてあり、鶏ではない。

これは一体なんなのか・・・ゲロ的に見えるアクのような、千歩ゆずってオカラのような物質は何物か・・・

果たして食べ物なのかすら怪しい。 更におそらく、バジルでなくトマトだ。 バジルを使った形跡はない。

惣菜部の誰かがチャレンジして敗北した結果の食品だろうか・・・にしては鶏肉より高価だ。

失敗ミートソース・・・あたりが常識的な解釈だが、それが通用するような惣菜部ではない。

 

ほか、島人が知らない食材や高級品は売れ残る。 例えばカマンベールチーズなど。

そういったものが特売になることが在るのだが、3回に1回はレジで日ごろの価格で打たれるから要チェックだ。

 

日付をみてもわかるように、日常的に起こっていて、ボケレベルが低いのは、惣菜も魚もツッコミをやめた。

っていうか、かならず毎日何かが虚偽記載され、販売されている。

万能惣菜ラベルと、ナゾの魚表示は、日々繰り返されていて、ツッコミ入れられない日はほとんどない。

 

徳之島はそういうところなのだ。 間違いを指摘しきれない南国の島なのだ。

 

私はもう、ツッコミ疲れたよ・・・

 

スーパーくらい、さほど大したことはない。

だが、日常にはより高レベルの天然ボケが、あらゆる場所で展開される。

電動カートのジジババは、まず信号を認識できない、どう頑張っても軽四が運転できなくなって乗るからだ。

軽トラの場合、ウィンカーを使わないのも常識である。 右左折より、先輩優先とか。

バイクの場合は、確認なしで小路から飛び出してくるものだ。

 

今回、内地のツッコミドコロも含めて書いてみたが、そもそも知力体力に優れた世代が展開していることが問題。

加えて、超高齢社会+南国思考の島では、いよいよ日常に様々な地雷が動き回っている。

 

ボケの先を読まなければ、こちらが被害に遭ってしまう。

島人の場合は、親戚だからとウヤムヤにできてしまうが、私の場合はそうもならないから油断はできない。

 

2日に一度は観察に赴く、天城総合運動公園の手前の交差点などはその典型だ。

運動公園に向かう車両が少ないから、直進しようとする前方を平然と右折してくる。

南国だからといって、車両がノンビリしてくれるわけではない。

左側通行というだけで、あとは何が起こるかわからない。

町内には信号交差点が5ヶ所しかないのだから、あとはニンゲンの判断次第なのだ。

 

こうした積み重ねがあってか・・・動物やニンゲンの動きは、とても素直に読みやすくなった。

なにが幸いするか、わからないものだ。

 

性善説、性悪説などというバカゲタ2択があるらしい。

違う、全く違う。

ヨカレと信じて平然と悪を為す、それがニンゲンだ。 もっともタチの悪い性質こそ、我らには相応しい。


 

ではまた