年を越すということ
横浜から伊勢へ移動して、いささか天候が気にくわぬ。
私の年収が少なかったから、年を越させぬ!という抑止力?でも働いたか?
いつになく雨が多い。
迎えてくれた温かいのは、五目飯だ。
五目かどうかは問題でない。 肉でなくアコヤガイの貝柱の炊き込みというのが嬉しい。
真珠貝の貝柱は存外高価で、スーパーには無駄に?輸入品まであって驚かされる。
それほど貝柱を愛する伊勢人がいるようには感じたことはないけれども。
ご飯一杯ナンボだ?というくらい高価だったり・・・
押し迫って帰省したので、あまり環境を偵察しているヒマがない・・・といっても
しないわけでもない・・・
(ホオアカ)
猛禽類が見えないが、小鳥達は例年並みか、ジョウビタキやホオアカについては多い。
そしてすぐに年末行事へとなだれ込む。
晦(つごもり)の夕の頃には「餅つき&餅もみの儀」が執り行われる。
両手もみの技前を記録しておこうとしたものの・・・慣れぬコンデジでオヤジ殿が失敗!
熱いもちの上に手を置いたままのポーズについて、笑顔の裏側を察していただけるだろうか。
餅もみの儀を終えると、軽い火傷のようになる。
実はヒミツにしていたけれど、おととしから、私の提案で冷媒で冷やしながら餅もみをしている。
大晦(おおつごもり)には、年越しの買い物などをこなし、決まってクワイの皮むきである。
これをしないと、年を越そうという気になれぬものだ。
私にとって栄養もなさそうな、えぐそうなクワイがなぜか好ましかった。
クワイをむいたら、いよいよ新年である。
寒天の型抜きは、私のささやかな新年の初仕事である。
クワイは、おふくろ様に炊かれ、実に美味そうになった。
遡る年末、年越し用に求めた魚は、例年のブリ、カンパチでなく、和歌山県近海のトンボマグロだった。
コテコテに脂の乗ったアジ科はもうたくさん・・・だったので、鮮度のいいマグロを選択してあった。
さっぱりしてモチモチなトンボ。 いささか歳とった家族には、高たんぱく低カロリー。 これがいい。
近海マグロをいただく時代が来ようとは・・・おそるべし温暖海流。
関東でもマグロ釣りできるという情報があったから、和歌山産に迷うことなく飛びついた。
クワイをむいたあと、柔らかくて旨味のある鶏ムネのカラアゲにもチャレンジしてあった。
竜田揚げのタレに、酸っぱいめの温州みかんを選んで絞り、甘味と酵素を仕込んであった。
しょうゆ、清酒、ショウガ、みかん汁のタレ。
これまた上々。 島でいただいた青タンカンで、スキ鍋して実感したことは間違ってなかったようだ。
カンキツに含まれる酸味と酵素がはたらくのだろうか。 丸い味わいになっていた。
隠れた定番は、粒ウニ。
山口では、小さい頃から、ノリ佃煮とともに粒ウニで育った。 それが贅沢品だったとは・・・
実は、普段は含有の少ない、ネバッとしたやつだが、時折美味いのを食っていたことを思い出す。
卵でなく、殻にこびり着いている身(精巣や卵巣)を、こそぎとって塩とアルコールで漬けたもの。
一瓶で、ん千円する代物だ。 これを味わうと、寿司ネタのウニの卵がいかにアッサリしているか判る。
二日の朝は、5時起きして初詣。
今年は豊授大神宮(外宮=げくう)の駐車場が混雑していたので、皇大神宮(内宮=ないくう)から。
残念ながら、おふくろ様は持病の結核つながりで、ベイカー膿腫とやらで居残りに。
家族全員で詣でるのがならわしなだけに、そろそろ老いから逃げられぬことを思い知る。
無事、外宮にも詣でた。
これで終わりかというと・・・まだある。
釣具店の初売りに赴いて、ようやく正月行事が終了する。
松阪の釣具店は、地方にしては殊の外安値で、競争の激しさを物語る。
ミナミクロダイ用にと、あれこれ買っておきたかったものの・・・正月のイベントなどで
店内を落ち着いて見られなくて、出直すことにした。
驚いたのは、リールコーナーのガラスケースを見たときだった。
ほとんどのリールが黒金・・・仏壇デザインが流行っているのか???と感じた。
とてもではないが、島の青々とした海では使えぬ、縁起の悪いデザインのものばかり。
横浜でも痛感したのが、服装の黒色化。
復興とか、明るい社会と口走りながら、服装はドンゾコ感が在り過ぎる。
黒はもっともアタリ障りのない色、というか・・・色でない暗闇、黒子であって、
自信のなさあふれる色調。
口は達者でも、全身にみなぎる自己不信が具現化しているのだろう。
内地の社会の落ち込み感は、なかなか根深いものがあるようだ。
美術系ならではの、色彩精神診断。 精神状態が好みの色に繁栄されるのは当然である。
この冬、どうやら鳥たちはかなり偏った場所で過ごしているようである。
ようやく年も越したし、近所の大仏山には鳥たちが集まっていることもわかってきた。
さてさて、やっとユックリのんびり観察できる時分。
そういえば、田丸城址もポイントなのに、失念していた。
伊勢神宮の力を抑制するために、小田信雄が登城していたという意味深な古城(ふるじろ)だ。
昨年よりインチキ天守が増加してしまって、気恥ずかしいから、深層で失念したかったのだろう。
裏側には、形だけ絆とか書いたイルミがまたあるのか、ないのか・・・考えても仕方ない。
そこの林は、都会の公園にあたり、樹上の鳥類が観られるはずなので、そのうち行こう。
一方、宿題を持ってきているので、そっちも気になったり。
この年末年始、時代の移り変わりとともに、家族も変化の渦中にあるような、ないような。
これから先には、いつものような年末年始・・・などと云えないようにも感じられた。
ともあれ、みなみなさま
本年もテゲテゲよろしくお願いいたします。