島の常識を体得する日々

 


ところで、自慰眠党かぁ・・・ま別に民腫党だって同じ穴のだけれど。

ぐだぐだの社会を構築した政権、これからは進化した金権政治になるのかもしれない。

ビンボーニンからは遠い社会になっていきそうな予感がする。

他方、イシバさんが留任でよかった・・・クワバラクワバラ。

私は彼の性格は、歪曲しすぎに感じられ、何か強いコンプレックスでもありそうな。

間違ってはいないものの、想いの方向性が皆目見当つかぬことを言い過ぎる。

どこを見ているかわからない、魚の干物のような目が、とても気になったり。

イシハラのオジーマがどこまで頑張るか、とても楽しみでもある。

少なくとも、次は竹島でなんかしてほしいなぁ・・・


さて

国政は国政で、意味のわからない常識を、日本に構築してきた歴史がある。

政党助成金・・・最も意味がわからない。 政党を営むために金・・・どうしてだ?

地方議員に数百万円納めないと、公務員に採用されない・・・といった金権制度。

あるいは、政治屋の分際で、秘書を使った確信犯だったのを、平然と曲げて見せた。 

 

一方で、島にも島だけの常識を構築してきた歴史があった。

空港へ続く県道を快走する、フージィの電動カート。

島では、ほほえましいとされている・・・

カートの新車が嬉しかったようで、口元が緩み、バスケットには多くの菓子を搭載。

平土野(へとの)方面へ全速で向かっていた。

 

徳之島が最も有名なのは、闘牛。

島の誰もが、黒い面を知っていて、好き嫌いが最も分かれる趣味でもある。

島人は、対外的には純粋に牛を戦わせて愉しむレジャーで通っている・・・と信じている。

けして、賭け事主体ということがバレてない・・・と。

このあたりの短絡が島人の思考能力の薄さに、哀れさを積み重ねていく。

しかも勝った闘牛は転売され、より有力な牛主へ到達するごとに価格が高まる。

 

伊仙町のO久保町長は、非常に人望の高い御仁だが、

このごろ島の建設屋やヤ○ザ系と接近しているようで、ついに公設闘牛場をこさえた。

つまり、公の賭博場である。 よほどO久保町長の周辺で何か起こっている。

伊仙町の目抜き通りの県道を拡幅するのに、通常は片側だけ買収するが

両側をやってのけた。 どんだけ無駄に買収費がかかったか知れないものの

町自体は潤っただろう。 楽して儲けても、幸せは続かないのだが・・・

今後、無駄にコーヒー豆の加工、出荷設備まで整備するというから、筋金入りの箱物行政だ。

コーヒーはハードではない、栽培、香りや品質、焙煎など、ソフト面が大半だが

箱を整備すればなんとかなると短絡しすぎている。 思慮深いO久保さんにしては変だ。

 

内容はさておき、最も元気よくイケイケなのが伊仙町だ。

押しは強いが、頭脳的には全島共通レベルである。 熱しやすく、少々粘り強いところがあり

その点で商売上手・・・(島内比)とされているが、店舗の改廃は全島通じて多い。

また、店舗の盛衰をとやかく思うことは少なく、営む人自体を皆把握しているので、

人は心配しても、店舗の継続性については、今さらあまり気にしない風潮がある。

 

いきなり電話がかかってきた昼下がり。

父親と同じ名、イワオさんからだ・・・もう、呼ぶの慣れたけれど。

赤い斑点のトカゲがいる・・と。

だいたい予測はつけてみたけれど、本当に知らない種かな?と期待してしまう。

ネイティブ島人から連絡をいただけると、すげ〜〜〜〜〜ドキドキして愉しい!!!!

予想通りのオビトカゲモドキ。 って簡単に書いているけれど、徳之島のみの希少種。

しかも、尾っぽの先まで完全な個体。 5匹に4匹は尾が再生したヤツなので超希少。

しかもしかも、昼間に見ると、体のところだけ帯が赤い。 でも尾は白い。

あるいは尾も白い・・・面白い!(笑)

 

イワオさんご夫婦は、初見だというのである。 島人なのに・・・

そんな感じで、島人は島特有の生物には、いささか接してなさすぎたり。

クロウサギを見ていない方や、ハブもまともに見たことがない方なども・・・

多々いらっしゃるわけで、原因は夜行性ってことだ。

そもそも奄美野黒兎ってことも、もちろんご存じないから、奄美の黒兎って覚えてる次第。

短縮するなら、野黒兎にしたいところ。 けど、私もクロウサくらいが妥当かな・・・と。

内地に生息しながら全く知られていないヘビ、シロマダラも、そのためだろう。

 

それはそうと、イワオさんご夫婦、気持ち悪がって直接触らなかったらしいのだけれど

どうやってビン詰めしたのか、非常に興味深い・・・むしろオビトカゲモドキよりも!?

 

ことごとく甘い食材に満ちている島。

輸入している鹿児島の食材の影響・・・は否めない。

Aコープの地産地消納豆のタレは、甘口を主張してしまっている。

このご時勢に甘さひかえめでなく、甘口である。

 

もともと甘口でなかった島だが、もともと塩気が辛口だった島に甘口食材が入ったことで

濃い味が根付いてしまったようである。

によって・・・脂ギッシュも手伝って天城町の男女の平均余命は、まったく高くない。

島は老人かが加速度的だから、好都合な減少ではあるのだが・・・

それでもまだ、長寿子宝の島と言い張るあたりが島人らしい。

根拠は知らない、知る必要もない、そう云われているようなら、私も云うという感じ。

一事が万事この調子。

ツッコミどころ満載というより、もともと根拠がないことも多く、追求しても無駄が多い。

 

ひきかえ、関東の薄口は甘くない。 Oちゃんの土産としていただいた。

青の・・・と冠されていたから・・・勢い真実だ、すごいぞ立派だ!ネーミングセンス最高!などと

ウカツに解釈した。

口にして一分後・・・すげー塩っぱく、化学調味で舌がシビレ・・・想像以上の濃さだった。

真っ赤なウソであるが、この場合、食って真っ青?

 

ぬれ煎餅は、私にとって境界にある食物である。

竹輪の天ぷらのように、二次加工品ではないものの、カリッと焼いた米煎餅に

旨味を効かせたタレを浸みこませるところで、止めた食品。 だからジメジメな煎餅。

その後焼くと、フツーの醤油煎餅だ。 

タレをたっぷり浸ませた状態だから、焼くと普通の醤油煎餅より塩っぱいだろう。

 

こうした、巧みにひねくった食品は、島にはない。

と思うが、自然にひねくった結果を招いている・・・?ような料理もあるにはある。

油そうめんとか、油味噌とか。

 

油そうめんは、農作業でそうめんをいただくのに、固ゆでしたそうめんを、

フルゥ(ニンニクの葉)を軽く炒めて、だし汁や麺つゆを加え、火をかけないで和えるもの。

ソーミンチャンプルーではなくて、炒めない。 油が入るから、水分が飛び難いようだ。

パスタにオリーブオイルをまぶすようなものか・・・?

山海荘のオバチャンは、キシメンで油素麺をこさえるワケだが、キシメンはゆるゆるにゆでても

OKな麺だと信じているようで・・・ヒラヒラぶにぶにの油そうめん。

確かに火の通りが早いわりに、切れ難いのかも。

味付けは非常に美味しい。 もちろん化学調味アリ。 栄養と愛情満点。

島人の誤解の激しさには、いつも驚かされるというか呆れるというか・・・

その無駄な解釈と自信は、どこからくるのやら。 私は中部圏で育ったのでキシメンもうるさい。

さすがに、腰が命の半田そうめんを、お土産で持っていく勇気がでない・・・

オジサンの歯が悪いとこも、配慮せねばならないし。

相手が高齢という場合がほとんどなのも、島の常識。

 

油味噌は茶請け味噌という塩分の低い甘い味噌へ、更に大量の砂糖と、

好きなものを加えて和えた物。 油とつくのは、素材を油にくぐらせて使うことからだろう。

生の落花生をジックリ油で火を通したり、揚げた魚などでこしらえる。

更に発展して、最近は三枚肉のゆでたのを使うこともあり、時間が経つと硬くなって食べられない。

保存食じゃないっぽいところが、意外。 ほか貝などを使うこともある。

 

ほか、最近ケンミンショーのアンケートで知ったが、

沖縄と共通と思っていた、薄焼き玉子で巻くおにぎり。

沖縄では、ポークと卵を中に入れて、さらにのりで巻くが、島は玉子で巻いて、中は油味噌だったり

あるいはフツーに梅漬けだったり、意外に素の塩にぎりだったり・・・

卵で巻くのは奄美諸島だけのようだ。 

写真のは超コダワリにぎりで、有精卵とタカナと、サバ味噌缶のマヨ和えっぽいのが

内蔵されていた。 米の炊き具合も実に理想的・・・

 

島でおにぎりといえば、玉子で巻いてあるのが常識で、のりで巻いてあると驚いてしまう。

ちなみに、コンビニやスーパーではフツーのおにぎりを売っている。

 

今年はちょっと異常に静かな冬を迎えている。

というのも、猛烈台風3発により、高温で生育のよかったサトウキビが、壊滅しかけたのだ。

昨シーズンと同レベルの不作で、まだ糖度の乗りも悪いようで、キビ刈りが年明けからになった。

豊作から一転、最悪の不作になってしまった。 サトウキビは島の中核産業だ。

キビトラは、古い車両がまだ残っていて、タイムスリップ感がある。

歩合制なので、うず高く積まれたキビが、上空にある速度標識を捻じ曲げてしまう。

あるいは、狭い路地も暴走し、現場へ急ぐ。

島はキビトラ最優先であって、このときばかりは交通法規が無視される感じ。

例年なら、11月ごろから4月あたりまで続く。

 

これほど無謀運転に満ちているのに、事故はほとんどない・・・のか、なーなーなのか。

昨シーズンは、キビの重さと度重なる雨でぬかるんだ畑でキビトラが倒れて死者が出た。

出無い方が不思議なくらいなので、納得感すらある。

自分の命がけを人にも押し付けているんだから、ま゛〜他人でなく自分が死んで本望だろう。

 

ちなみに、畑中の一本道もふさがってしまうことも多いが、仕方ないこと・・・で通る。

というかヘリクツは通るが、車は通れないから、ひたすら遠回りか、あきらめるしかない。

 

徳之島空港は、ホントに「徳之島子宝空港」になってしまった。

なんだか、まじめなのかシモネタなのか理解に苦しむ一面もあるが、島人は純粋だ。

ともかく出生率ワンツースリーフィニッシュの3町だから、ともかく、子宝は大切なのである。

3兄弟以上が普通である。

もちろん、産業も乏しく子育ても大変だが、一族総出で育てるのが常識で4世代同居もザラ。

最低2世代で育てるので、内地のように無駄に悩んだり、苦しんだりしないで、親に託す。

しかも、隣人にも経験豊富でオセッカイな元主婦?も多々いる。

島の絆の深さは、こうした家族構成や隣人付き合いにあるのだろう。

私のシニカルで小洒落た「徳之島ハブ空港」も捨て難いと思うのだが・・・

 

将来、静かな航空機や水上旅客機が普及したら、那覇空港とともに、徳之島空港をハブにし、

奄美大島の空港は自然保護のために全力で本数少なくする・・・といった構想であった。

やたらトンネルを掘り倒しすよりは、やんばるより濃い自然を、温存したほうがいいと思う。

奄美大島と徳之島の空港間は高速船で結び、途中、請島、与呂島などを経由しながら

よりマイナーな島々まで観光もOKな具合にできると思う。

そのためには、マングースを殺すのが先か・・・あるいは徳之島で放置されている

ノネコ&ノラネコにクロウサギが食い尽くされるのが早いか・・・といった厳しい微妙さもある。

 

島人は、これまで不遇だったと信じているので、ともかく観光開発には敏感だ。

そこにつけこまれることも多い。 私も参加しているエコツーリズムナンチャラ・・・などは

国交省の委託で、日本交通公社が出張ってきて、やれ観光ガイド協会を設立しろとか、

無駄に島固有の名物をひとつ掲げろなどという。

公社からすれば、徳之島は闘牛といわせて報告書に書き、実績にしたいようだ。

もともとあった名物だからハズレもないし、新たな開発なればメッケモンという分かりやすい

ナンチャッテ観光開発のようである。

ちなみにユンヌ(与論)のは、グスクだと云わせたらしい。

南国はダマシヤスイ。 確かにグスクといえば、南国限定の居城のように思えるものの・・・

内地からの観光客は、フツーに城址を眺めてからグスクのパンフなりを見る。

「南国では高度」な技術でこしらえた石垣は、しかしながら、雑な小石の山にしか見えない。

 

スケール感にしても、郷里にある小さな城、田丸城址よりも何倍も貧相である。

田丸城址などは、さすがに伊勢神宮の動きを見張るゆえに有名人がからんでいる。

織田信長の弟分の信勝である。

旅行者は、関東や関西など、文化の濃厚な地域からが多く、城址や寺社も豊富。

それを知っていながらグスクに設定させてしまう日本交通公社の職員・・・

なんのために客観性を持った旅行のプロが携わっているのか、意味がわからぬ。

 

でも、島の味わいは自己判断し辛いから、勢い目に付きやすい事物になってしまう。

むしろ、それをじっくり考えさせ、補佐するのが役目なのだが、宿題出したから一ヵ月後に・・・

などとサルでもできるコンサルテーションを堂々とヤリヤガリマスノデ、皆憤慨寸前だった。

 

しかも、紙一枚で、なんの説明もなく召集したメンバーに対して、初めての貧相な説明だけで

あとは、推進員としての認識、意識が低いとまで酷評されたレポートにまとめられちまった。

どれだけ島人をバカにしているのか・・・よくわかる風景だった。

聞いた瞬間、爆発して推進員を辞めようと思った。

委託された担当者を責めるのは簡単だが、組織そのものが腐れているので、

担当者を責めるのも無駄なこと。

このことを利用して、本当の名物を具現化する方がオトナだ。 そのための予算であり機会。 

 

大切なのは東北の復興と同様に、もともとのヤル気や客観性、時宜にかなった策が必要。

ばら撒かれた金やら、怪しいコンサルだろうと、必要なものが揃わねば、サッパリ効かない。

 

島にはこうした予算がたくさんつぎ込まれている。

おそらく北海道や、沖縄の島々と同じように。

でも、正味は町民に直接配ったほうが効果的であろう。

島は産業を興すには、インフラが貧相すぎる。

インターネットを使えても、最終的には人どうしの打ち合わせた必要だから・・・

宅配も、船便も、航空運賃も不利である。

 

ただ、私はそうして反面的に培われている、徳之島の純粋性が、

10年以内に爆発すると確信している。

これほど江戸時代以前の文化がそのまま引き継がれている地域は

おそらくないと思われるからだ。

文化は宮大工の造る荘厳な寺社ではなく、引き継がれた文化風習そのものである。

ハードではない、ソフトにある。 そのことに国民が気付けば、自ずと拓かれる島文化なのだ。

ただし、今度は島文化が観光化によって薄まったり、観光向けに変化することを防いで

陳腐化しない、いや陳腐なままであり続けられだろうか・・・と危惧している。

 

島人は、幸か不幸か、薩摩藩による焼き尽くしや、猛烈な台風被害によって

昔から形のない文化そのものだけを受け継いでいて、そのスゴサを知らないでいる。

伊勢神宮の厳かっぽい儀式に何の意味があるのか、私は知らないし生活と無縁だ。

島にあるのは、生活に密着した、在る為に在る祈り、歌舞、祭りである。

内地のハード化してしまった文化とは大いに違う、本質(ソフト)の濃さは、いづれバレて

注目されるだろう。 自慰眠党のようなハード好き政権下では微妙かもしれないが、

内地の国民の意識や知識欲は、それほど低くは無いと思う。

 

問題はゴミである。

それでなくても、ぶつけた車は直さない、っていうかぶつけすぎ・・・

なにもかもナンチャッテ工事で、雑な造りの建造物に満ち満ちている風景。

そこにゴミ多発である。

さりげなく駐輪してあるような運動公園のゴミ。 なぜか台風あとに2台あった。

台風のゴタゴタを利用して捨てに来たのだろうか・・・?

わりときれいな外観ながら、チェーンは切れ錆びているから、10年以上経ったものか。

廃棄に金がかかるもの、冷蔵庫などの大物化電や、分別されたビン・缶、バッテリーに

自動車にバイクも投棄されてしまう。

さすがに漁船は投棄できないわけだが、放置という形になっている。

 

さて

今年の台風は厳しかった。 北海道で数日停電しただけで騒ぎ立てたようだが、

島では停電すると、水道まで止まってしまうし、あまつさえ水源地というより清水に添えられた

取水パイプが落ち葉でふさがってしまうこともあり、断水しやすい。

もともと人類には仕組みありきではなく、手作りだったのに、あまりに品質保証されて

仕組みはあって当然と錯覚するようになったらしい。

確かに・・・停電と断水したら、食事をこさえるのも、なかなか骨が折れる。

島のAMラジオは、夜になると三国人にジャックされて聞き取れなくなる。

つまり、暴風の中で、は食事も風呂もままならず、情報がまったくなくなってしまう。

スマホとかケータイで情報を得たらいい・・・いやいや、そのバッテリーも次第に尽きる。

おまけに暴風で電柱が折れたり、木々が倒れたこともあり、電線が切れまくった。

電話線も、電線も、フツーの電線っぽい高圧電線も。

 

停電や断水が2日以上続くことが想像できるだろうか???

だから北海道では騒ぎになったのだ。

島では全て知人友人で、手が足りないとことも、いち早く皆が知る。

だから、よほどでない限り、無駄に文句をたれない。

 

仕組みが行き届かないと嘆いたところで、温まった冷蔵庫の中身は腐れてしまう。

我が家は1人住まいだから、励まし合う相手もいないから、情報が全てである。

電話線が断線以外で死ぬことはあまりない。 実は死んでいたらしいが・・・

電話線がつながっていれば、モデムでインターネットラジオなどを途切れながらも聴ける。

時間600円で安心が得られるなら、払うしかないと考えている。

実験してみたら、かすかだが夜間でもNHKラジオを受信できる周波数帯があり

うねりのように雑音に埋もれて聞こえたり聞こえなかったりするものの、言葉は聞き取れた。

よりによって、猛烈な台風のさかなにも関わらず、つまらない娯楽番組だったが

聞こえただけでズイブンほっとした。

 

冷蔵庫には、普段からペットボトル氷をいくつもこしらえてあり、停電したらすぐに冷蔵の

補助にまわせるようにしてある。

 

島最大の常識・・・それは、泣いても嘆いても叫んでも、無い物は無い!ということだ。

頼れる家族や友人をあてにするか、自分で用意しておくか・・・しかない。

すぐに助けが来るだろう・・・なんてのは、猛る海を前にして、想像しても無駄である。

今年の台風は、とみに長居が多かった。

停電以前から、物資が届かない日々が続いてしまい、食料が手に入らなくなっていく。

島の場合、いざ逃げようにも逃げる場所も被害に遭い易いから、普段から考えが必要だ。

防災意識・・・なんて甘いものではなく、逃げるときはおそらく事故渋滞で逃げられないから

逃げないで済む方法を考えておかないと、ダメである。 もしくは人が逃げないうちに逃げる。

 

停電し、壊れかけた家から逃げた先の公民館も、大きなガラス張り・・・

なぜか島なのにガラス張り・・・な浅間集落。 台風で公民館に逃げるのは危険だ。

 

なんだかんだいって、島は不便なことに間違いないが、そもそも手作り感にあふれ、

無為に安心感を得られないことから、学習することは多い。

 

ま゛〜このごろ報道に在るジェーアラートなんてのが、北キムチのミサイル発射を知らせても

島のどこへ逃げたものか、逃げて逃げられるものでもなく、内地の仕掛けも不安だらけである。

自分で考えて行動することの大切さを、しみじみと感じられる環境である。

心底感じたのは、スポンサーのいないところに報道がないこと・・・

くだらない?北海道の停電は何度もネットにも流れたが、それ以前の南国の情報は

内地に台風がいってしまったあとは、被害情報なんかもサッパリ聞かない。

たいがい内地に台風が行く前は、相当長いこと南国は影響を受けているのだけれども。

こればかりは資本主権社会なので、嘆いても仕方あるまいし、自慰眠党になれば尚更だ。

 

やはり

私の常識変化は、自然ベースである。

渡り鳥は島固有でないものの、客観性のある情報となりえるので、とても重宝している。

珍鳥は、とても分かりやすいチェックポイントである。

バラバラと多数渡ってこないので、精度はイマイチかもしれないけれど、変化は読みやすい。

今年、写真のソリハシセイタカシギは早々と11月に渡来した。 しかも2羽で。

例年なら12月に入ってから渡ってくる。 ほか、北の鳥の渡来が多い。

すなわち、北で過ごせないような寒波が、すでに多発しているということだ。

この冬の寒さは、一入だと教えてくれているようなもの。

 

そうしていたところ、暖冬をひるがえし、厳冬の予想に修正した気象庁の報道。

鳥たちの動向が激しいだけに、納得しやすかった。

 

気候はまだしも、気象においては内地とはるかに違う。 ハズレ多発である。

しかも目の前で降っているが、背後は降ってないこともある。

カタンブイ(片降り)とも呼ばれているが、島人は科学信仰に傾倒していることもあって

あくまでも天気予報をアテにしようとしている。

そもそも島の周辺は観測点が少なすぎて、予想できないのだけれども・・・

事実を述べたところで信じることは無い。 私は内地人で信用おけない人物だから。

反面、テレビの情報を信じてしまうところが、内地人以上に素直?でもある。

 

先日話した奥様は、テレビで味噌を使えば塩分を気にしないでいいから

醤油や塩はあまり使わず、ほとんどのオカズを味噌味にした・・・と自慢されていた。

うぬう・・・意味がわからない。 ナトリウムを物理的に減らすのに、多少味噌が貢献しても、

もともと濃い味と砂糖味満載の島料理の手法には、絶対量を減らすしかない・・・のだが、

デブの傾向同様、減らさずに増やす方向で善処したい志向が根強い。

有史以来、運動もせず、食って痩せてきた生物は居ない。 不健康一直線なのだ。

それを正当化しようとする動きがある。 スゲーな空腹恐怖系人類。

 

人間だって、野生生活だったんだ・・・ほんの300年くらい前までは。

無駄に塩すら使えないせいかつだったんだが・・・云ってもわからない。

 

どうしてテレビだと信用できるのか・・・というより、都合のいいところだけを信じて

肝心の守るべき事柄は聞かずに、要点を無視してしまう短絡・・・これも南国らしさ。

ともかく、理屈は無理だから、都合のいいところだけ記憶しておく感じ。

だから効能や意味をたずねても無駄。

 

この学習態度の悪さ?・・・は、おそらく島に残っている人らはそういうのが残った結果だ。

南大東で、異常に人を嫌うモズが生き残って、そうなってしまったのと同様、

短期間で優秀な人材が島を離れてしまい、内地基準の優秀とは違う人らが残った。

DNAとは違うが、圧倒的に年かさ上位の島社会では、バカ先輩も大先輩である。

なんぼテレビを信用しようと、本質的に学習能力の低い資質が残った島では、

思考力の高さを維持、醸成することは無理である。

 

自然とは、正しいというか・・・キッチリと、なるようになってるなぁ・・・と体感させてくれる。

島の場合、親が確固たる人格者で無い場合、年かさの親やフージィ(大爺)の影響で、

バカの連鎖が起こりやすい環境でもある。 バカ多産環境・・・だとすると悲劇の連鎖である。

 

テレビと科学全盛と思っている島人らの間では、まだ小形のヘビの尻尾に毒があると

信じられているのが何よりの証拠である。 グッサリと刺されてしまうものの・・・無毒だ。

都市伝説より、もっと大げさな現実的迷信である。 迷信はさておき、かなりチクリと感じる。

牙でなく、尾で刺すという例外っぽさが、迷信の誘発をさせたのかもしれない。

私は刺されてから、むしろ抜け毛が多くなったような・・・? 社会的な毒なのか!?(笑)

サール、ヒャーンと云われるハイ(コブラ科)は猛毒だが、やはり尾ではなく牙で毒を流す。

けれど、大きな敵には無駄に毒を使わない主義らしく、かまれることは無い。

 

どんだけ間違ったら、尾に毒があることを信じるに値するのだろうか・・・

島では、信頼できる人の一言の重さが、間の抜けた伝説化するくらい、重いのだ。

 

なので文化も失われないで、やってこられた。

迷信も文化の一つ・・・だが、あんまりな事柄は変えようと思って活動している。

 

島の常識の何割かは、迷信に占められている。

けど、その迷信を超える体験をするのは、先号で記したように、アヤカシの仕業である。

こればかりは、なぜか島でもケンムンは遠い伝説となってしまっている。

不思議なことに、ケンムン(古木に住む精霊?かアヤカシか?≒沖縄のキジムナー)や

我が家のそばの湾屋川河口に現れた、ナゾの漁火、カチャブ・フゥジ(カチャブに現れる大爺)も

戦前までは見えたが、戦後は見なくなったという。 おそらく内地でも似たようなものだろう。

一見科学的でないように感じられるが、反面、科学が侵攻してきたとき、

アヤカシは逃げた可能性も否めない。 科学信仰とは相容れない存在だったと考えられる。

 

内地では急速に科学信仰が高まり、誰もが見間違い・・・と、間違って改めたものの、

島は科学の侵攻が遅かったので、伝承が残っているのだろう。

 

島は、短期間一見すると、非常識に満ち満ちているように感じられる。

しかしながら、根強く信じられている迷信にも意味がある。

バカバカしいほど、右に振ってから左折する習慣も、意味がある。

ほとほと面倒くさがりの島人が、ワザワザやることなんだから、半端な理由ではない。

角のとがった細道が多いから身についた走行習慣だ。

転じて、ハンドルを持ちかえずに、高速ターンできる手法になったようだ。

結果はどうあれ、理由を探ることは島の生活の何かを知ることになる。

 

危険なことも含め、島の常識となっているビミョ〜な事柄であっても

慎重に見極める必要があると感じられるこのごろ。

 

ま゛〜しかし、もう少し熟考する御仁がいてくれると、マシな社会になると思う。

それでいて、そうでないことが、盲目的に文化を継承しているようなところもある・・・

間違っていることで、正しく伝わっていることもある、なんてことは知らなかった。

世の中正しい事は表層的なところだけとはわかっていたが、表立って間違っている島。

けれど裏か表かが問題でなく、運用上アカラサマな問題がなければドチラでもOKだ。

 

人類の思考と志向の遍歴を、目の前で確認するような・・・実社会。

島は人も含めて、動物から目を離せない日々である。


ではまた