鳥の眺め方は様々に自由
ながら・・・
本日ハトが降りた。 心底よかった・・・と。
あれほど意味不明な行動原理の男が国政に関わるのは、危険と感じていたからだ。
まだしかし、秘書を監督できぬ痴呆首領の政党が残っているので、危うさは続く。
このところ、やけに眠れない。 夢ばかり見ては起きる・・・をくりかえす。
仕事がたてこんできて、季節もメッキリ寒くなったことでタタミカケラレたように
不安が増大しているのだろう。 余計に眠く、起きられず・・・生活はグダグダに。
活動時間は半日しかない日々が続き始めた。 せっかくの好天つづきなのに。
そんなこんなで、仕事もできないから・・・今年の収入はまだ50万円ちょい程度・・・
健康保険税に国民年金、普通車の自動車税を引くと20万円あるかどうか。
家賃は12,000円、電気代にガス代、生活はジリ貧だけど、収入があるだけマシだ。
ナイトツアーは、体調やら、台風で林道が崩落していて休止中。
こうなったら、徹底してユックリすることにしている。
今週の日曜には、奄美野鳥の会主催の野鳥観察会があった。
私はこの手の観察会は、もちろん苦手だ。
実は来週は私が主催するバードウォッチング教室をしなきゃならぬ。
鳥の眺め方・・・は自由であるものの、どうも漫然とした観察会というのはいただけぬ。
眺めたいのか、視たいのか、観たいのか・・・いろいろでいいのだけれど、
三脚を立てて、堂々とくっちゃべって観察・・・などと、ほめられた沙汰ではない。
無論、子供らに興味を持ってもらうには、いい機会だから、ワイガヤやるのはいいことだ。
一方、それで終わり・・・では少々寂しい気がしている。
生物は臆病なことが正常である。 恐いものがなくなったオバハンとはワケが違う。
ワイガヤやっているところで眺める鳥は、違和感満載の姿を確認しているようなもの。
そのようなアゲンストのなか・・・
今回の観察会に親子連れでやってきた、西阿木名の母子。
オリンパスのコンパクトな超望遠コンデジ持参であった。
ここの兄弟はスゴかった。 鳥の撮影はコソコソが基本だ・・・と教えたとたん、
コンデジで、野鳥を撮りまくるのである。 しかもキチンと写っているのだ!!!
子供は小柄なので、オッサンの超望遠装備より目立たないから・・・かもしれぬが、
コツを教えただけでバンバン撮影して・・・この鳥はナンですか?と持ってくる。
よく寄れたなぁ・・・と感心しきり。
こういった観察会なら面白そうだ、と感じた。
聞けば、一万円台のオリンパスの24倍ズーム機SZシリーズで、
使いようによっては、我が家のFZ200より使いやすいのかもしれない。
何しろ普通のデジカメライクなデザインで、FZのように無意味にアグレッシブでなく
持ち運びしやすい。 お母さんもお使いのようである。
これなら、入門機として申し分ないと感じられた。 普段使いから鳥までOKだからだ。
多少ズーム短が暗いから、ピンボケに悩まされるだろうけれど、慣れでカバーできるだろう。
小柄な体とコンパクトなカメラ、逆立ちしても真似できない。
想像したことがあるだろうか? 生物の視線を。
ハトと子猫はおおむね同じくらいの視線の高さだ。 ただし、両眼視か片眼視かは異なる。
地上20センチくらいのところに目がある。 日本人はだいたい〜170センチくらい。
8倍以上の差があるのだから・・・身長差に換算すれば、人間がハト、子猫の立場なら、
ざっと13メートルのヤツラがドシドシと、無駄にウロついているのである。
昭和人ならわかるだろう、ジャンボマックスの3〜4倍デカイ!
ジャンボマックスは3mしかない。
ガンダムの18mよりは小さいものの。
たしかマクロスのバルキリーが近くて、敵ゼントラーディの士官が同サイズくらいらしい。
といってもピンとこない・・・ 我らはそのように巨大恐竜のような生物を知らないから。
ましてや、食われそうになったこともない。
スズメから見上げた人間は、ちょうど人間から見たコンバトラーV(57m)と同じくらいである。
そのような空想も困難な現実を、想像すらしないままに、生物を観察しようとするのには、
とてつもなく無理がある・・・ことは、ご理解いただけただろうか???
体重も然り、ズシンズシンとすごい振動を発生している我ら人類。
地面に素足をつけていたり、はいつくばっている生物にとっては、ビンビンと感じられる。
ともかくも
油断して生きていられる人間の動物的感性は、便所下駄未満・・・と思って差し支えない。
もちろん、私も含めて。
だからこそ、知恵でカバーすればいいのである。
存外難しくない。 体重はダイエットして減らせばいいし・・・(笑)
閑話休題
鳥類に限れば、視界と音に全力を注いで警戒しているから、人間に近い。
夜行性哺乳類のように、ニオイと音の世界よりは想像しやすい。
鳥がエサをついばむときは、エサに大半の意識を集中するために油断が生じ、
人間など大形生物が視界にあれば、エサ探索を中止し、羽繕いや不貞寝に転じる。
むしろ、人類がその程度に扱われてしまう事実に驚愕すべきだろう。
単に話の長い上司、先輩レベル・・・のメンドクサイだけのことなのだ。
巨大生物を前にして、である。
ヒトという生物はなんぼ遡っても、創業五百万年程度。
脊椎動物が発生した2億年前から考えれば、非常にワカゾーであるし、
既に6500万年前以前に恐竜から分化していった鳥類も大先輩である。
しかも肉食恐竜から分化していった、俊足ハンターの末裔で、高速生活に慣れている。
今の我らの姿に近い感じになったのは、せいぜい30万年前。
先祖代々動きも鈍いから、とりたてて鳥類の敵ではなかった。
のだが・・・このごろ・・・5千年くらい前から、なかなかイケル武器を持ち始めて
ヤバイやつがところどころ発生してきたため、敵として認識し始める個体が増えてきた・・・
といった時分にさしかかっている。
カモなど、食肉として狩られてきた鳥たちのDNAに記載されだした・・・というところ。
つまり、大雑把には鳥類にとってヒトとは
武器を持ち始めたけれど、大半が天敵ともなりえない、ただのノロい動物であって、
無駄にデカイから、ウット〜シイだけなのだ。 ウシとかカバとかアルパカと同じ。
もう一つの視点がある。
鳥・・・とひとくくりにするのは、やはり頭のいいヒトが思考することではない。
我々にとり、
子供のころの世界の大きさと、大人になってからの感覚的な大きさが違ってしまうように、
鳥たちも大きさによって、世界の把握の具合が異なってくる。
大形の鳥ほど、我々に近いし、より正確にヒトの大きさを把握している。
小鳥は鈍く、大形のサギなどが敏感・・・というのは、単に視点の高さだけではない。
もともと小柄だと、障害物ばかりで視界が遮られ、認識のしようがない。
生物絶対のコトワリ、体が大きければ、広い世界を認識し把握できる。
じゃあ昆虫はなぜ大形動物や鳥類よりも、分布が広いか・・・?
分布は個体の認識力とは関係ない。
今さら答えるまでもなかろうが・・・昆虫の歴史は脊椎動物の倍、4億年もあり、
繁殖力や適応能力が非常に優れている。
一世代での勢力拡大は小さいが、個体数が多いので、死に絶えずに確実に増えていく。
しかも、体の大きさに比して、非常に移動能力が高い。
またまた閑話休題。
つまりは、上から目線気取りだった我々だが、
動く雑木的な、邪魔な存在として認識されて、単純に疎まれているということだ。
大きくてノロマなヒトへ無駄に注意を払うと、その向こうから本当の天敵、
ハヤブサやタカなどが襲い掛かってくるからである。
ここまで散々卑下したが、卑下したカイもある。
人間はどうも、プライドが高いというか、無駄に自分を高く評価されたい夢想がすぎる。
年上が、年下を無意味に見下したいような意識は、バカバカしい以外の何者でもない。
本来は、年功によって得られた体力と知力で、そういった思考形態が生まれたようだが
社会化が進んで、生物的野生的に磨かれなくなったから、アホ意識だけが残存した。
動物界は実力本位なので、まったく色眼鏡はナシ。
人類の身体能力は低すぎる。 飛べない、足が遅い・・・では、とるに足りない。
ということは・・・慣れてしまえば、恐れられずに済む、歩く木に成ることができるのだ。
慣れてほしいとき、最初からやることがある。
1)ゆっくりした所作を徹底しつつ、いささか無理に接近し、安心範囲を測る
2)視線を合わさず、ヨソ向きしたまま接近する
3)接近は一直線に目指して近寄らず、目標をずらしてジグザグに接近する
4)直接対象を観察せず、ついでだよ・・・という風に視線を向ける
5)できれば・・・ナニか決まった声を出しながら・・・バカっぽいけれど我慢して・・・
な雰囲気でお願いしたい。
過日、ヒシクイのときは、1、2、3、5を実行しつつ接近していた。
わきで、運動公園館長がいたので、多少気が引けたものの・・・
草刈道具をガコ〜ンと落とした音に、敏感に反応しつつ、私は放置している。
ちなみに4は、対象がそれしかいないし、野球場は場所狭いし・・・無駄だった。
しかしながら、視線は向けないに越したことはない。
互いに全力で互いの存在を意識している場では、意味をなさない。
5は、「ズンズンずんずん、ズンズンずんずん、ずんずんズン」とか口ずさみなら・・・である。
緊張している動物は、ゆるい声は出さないので、なるべくユルくバカっぽい
ダラダラずるずるフレーズが相応しいと思う。 パンチやコブシはご法度である。
「ズンズンずんずん、ずんだら〜、ズンズンずんだら、ズルズル〜」とか、おススメだ!
女性には、「ゆるゆるユラユラ、ゆるゆり〜ん、ゆるゆらユルユリ、るろるれ〜」が最適だ。
大声でなく、つぶやくように・・・がコツである。 変なオッサンが、独り言ブツブツなアノ感じ。
なんかこう・・・自分の世界だけで生活しているアノ雰囲気が大切なのだ。
最大限、意識を向けていないフリを怠らぬことが鉄則。
生物は、それぞれの所作に心理状態が現れるから、心底から演じることが大切である。
いやホント、真面目な話。
カッコつけて鳥に向かっても、なにひとつカッコイイとは思ってくれない。
逃げたら逃げたで、それまで〜
恥をかいても、そんだけ〜
今夜のオカズは、なんだろ〜 くらいな軽いノリで、くれぐれも緊張してはならない。
5月からいるクロツラヘラサギたちだが、どうやら同じ羽数ながら入れ替わっているようだ。
先日、2羽が休んでいるところへ近づくことにした。
ちょっとずつ・・・一直線を外して、斜(はす)に歩いていく。
すると、1羽は気にして頭を上げ、コチラをじっと両眼で見たり、
首を振ったり、羽繕いしてみたり落ち着かなくなった。
そして・・・
1羽の陰に、そそくさと逃げ込んでしまった。
角度を変えると、やはり回り込んで休む。
で、もう1羽は逃げない。
多少顔を上げて警戒するものの、じっと撮影を始めると、また休む姿勢に戻る。
もちろん、真っ赤な目を見開いてコチラを警戒しているのだが、逃げはしない。
考えられることは2つ。
この場所で休んでいるとき、養牛の草刈、ドロガニ捕り、釣り、海岸でボーっとする変なオッサン・・・
などが通りかかるので、慣れてしまった。
あるいは、私のカメラ姿を記憶していて、カシャカシャ音がするだけのオッサンと認識している。
いづれにせよ、かなりヒトに警戒心をもたなくなっている。
こんだけデカければ、このあたりに天敵なんて居なくてアタリマエ・・・オッサンくらい屁の河童だろ!?
と、思うのは全くの早計。
イヌネコ以外にも、ハヤブサにも狙われる。 世界のどこにでも大形の猛禽がいて・・・油断大敵。
安心できる場がある、人間やっててよかった・・・と思うねぇ、しみじみ。
長い時間をかけ、慣れれば近寄らせてくれることは体感した。
しかしそうそう長居してくれる大形鳥類がいるわけでもない。
やはり出逢い頭が、最大のチャンスであることには違いない。
ヒジョ〜に警戒心の強いハズ?のマミジロタヒバリが居た。 道路脇の草地。
他にキジバトがエサを捕っていたから、安心していたのかもしれない。
エンジンかけっ放しで、往来でドアを開けたままAピラーでレンズを支えて撮影・・・
私も島の危険運転志向?に馴染んできたようだ。
で、後ろから来た車に頭を下げて、また向き直ると、怪しんで全力注視!
変な岩が、いっそう怪しい動きをしたからだ。 片眼視基本だが、全力のときは両眼視する。
そうして、エンジンを止めてドアをゆるく閉めようとしたところ、逃げ去っていった。
とりあえず、クルマバッタを食べているところもシッカリ記録できたからOK。
エンジンを止めると私の所作の音が際立ってしまうし、音源が私だけになるから仕方ない。
しかも10mちょいの距離だから、奇跡の近さ?だったこともある。
それほど珍しいタヒバリではないが、通過する一時の間だけ出逢える野鳥で、
さらにココまで鮮明に写せるチャンスは、ほとんどない。
このところ多いツグミ科の連中も、冬鳥のシロハラや居付きのイソヒヨなどに圧迫されて
なかなか落ち着いて食事できないようで、ヒトを気にしていられん情況のよう。
好奇心と警戒心のバランスが変化するツグミのたぐいは、接近を試みてとても愉しいヤツラ。
気のないソブリをしていると・・・恐る恐る待避所の木の枝がから降りてきて、
もう一度警戒してからエサ探し再開という顛末になる。
気のないソブリといっても、500mmレンズを構えっぱなしだったりするから、楽でもない。
例年、ほとんど島では見かけなかったマミチャジナイ。
今年は大量に渡ってきているようで、あちこちで見られ、そこここでエサ場を争っている。
たくさんの渡り鳥で修行できるのだから、なかなか幸せな秋である。 あら?内地は冬か?
ハラマキさえしておけば、まだ日中ならTシャツでOKである。
島人はジャンパーやダウンジャケットを羽織っていたりするけれど・・・
ちょっとショックな出来事があった。
気合を入れて、黒頭巾で観察に挑んだときのこと。
異常を感じたようで、飛び去ってしまったクロツラヘラサギ。
50m以上離れているのに・・・である。 右のチラッと見える白は、先に逃げていった個体。
単に黒頭巾が嫌われたのがショックなのではない。
鳥類はヒトと違って、紫外線も見えているから、蛍光漂白された衣類や帽子では、
ヒトには見えない鮮やかさで感じられているから、紫外線を反射し難い黒頭巾を使っている。
なのに、ダメだったからショックだったのだ。
まだまだ、想像しても追いつかぬ鳥の感覚、解からないことだらけだ。
あるいは、今後も黒頭巾に反応するか、実験しておく必要もありそう。
とりあえず、来週日曜のバードウォッチング教室には、普通の帽子で赴くことにした。
さてさて
どのような趣向で教室を開こうか・・・ まずは見ずに、耳を傾けて鳥の通信を察知したり、
鳥の立場を空想することから始めるとするかな。
五感と、想像力を全力運転させつつ鳥に近づき、観察を楽しむような会にできれば、愉しかろうか。
ともかく、漫然とした物見遊山的な観察だけは、慎むことを学習してもらいたいと願っている。
鳥たちの生活を脅かすから、人間もそれなりに気構えをし、存在圧力を減らす努力が必要だ。
どやどやと群れる参加者を、どのようにしたら観察に適した集団にできるか・・・考えどころだ。
そんな都合のいい知恵が出てくるのか知れぬが、鳥が逃げない観察会を目指したい。