よろよろヨロ〜ン
巷では、さよなら原発とか、オザワの下になりたくないハトポッポとかが
ビミョーな雰囲気を醸しているし、九州北部は大雨で大災害となり、鎮魂ムードながら
私はリゾートで研修会だった。
個人的に私のひがみ根性からしても、意識的に内地も沖縄もやや遠い存在だ。
NHKの天気予報では、この地域をこう表現する。
「九州、沖縄、奄美では今後台風の影響を受け・・・」 ナンジャコリャ!
九州と、沖縄・奄美地方の意味だとは思うが、そのように聞こえぬ。
常識的に九州、奄美、沖縄だろ? つまり、我々は忘れ去られた最後の島扱い。
だからこそ文化も生活も、生物観察も、とても面白いのだが。
幸い?北部九州に縁者がほとんどいない島の事情からして、遠い水害であった。
常識であるが、交流のない人に絆はないから、アッサリしても当然である。
とまれ、水害のずっと以前から鹿児島最南端の島へ行くことになっていた。
ヒミツにしていたが
実は、教育委員会より文化財保護審議委員を仰せつかっている。
かててくわえて、やにわに副会長になってしまった。
文化財には、イワユル寺社などや踊り、習慣などのほか、
動植物の天然記念物なども含まれる。
私が選ばれたのは、自然系について注目いただいた結果だ。
あと、委員がたいがい50代以降の方が多く、若返りの意味もある。
総会と勉強会のため、与論島(よろんじま)へ赴いた。
大型の定期船で半日。 10時前に出港して、14時ごろ着く。
近いし、安い。 横浜と伊豆大島往復よりも、ずっと安いのだ。
ビーチも海も美しい! でも、山はない。
南大東並みの小さな島だが、全島ほとんどが農業や居住地に利用可能なのと、
沖縄経由の観光客が多く、外貨の獲得ができているためか・・・
人口は6,000人ほどで、天城町とさほど変わらない。
ちなみに、もっとも高いところで98m。
地主が100mにしようと盛り土したという土地柄だ・・・やっぱりテゲテゲさは共通。
正直いって、雰囲気は天城町の比ではない。 店が多い。 豊かな証拠だ。
徳之島のように古い家がないから、ずいぶん現代的に見える。
これは古民家のもちが悪かったから・・・かもしれぬ。
徳之島は、密林にあるオキナワウラジロガシという硬いカシの木で造るから、
台風でぶっ飛ばされても組みなおし可能であった。
この島を、そそくさと開拓したころには、とっくになくなっていた資材だろう。
島全体が、あっけらかんとしすぐて、ちょっと大東似な歴史を感じぬ雰囲気で
若い人らのリゾートとしては、南国風情だけを味わえる稀有な島かもしれない。
さて、上陸後は受付を済ませ、研修会だ。
まずは総会。
私は初年度だから、昨年度の予算編成などは分からぬのでボーっとし、
拍手をもって次年度(今年度だが)の予算もOKってことで、パチパチする。
それにしても、平日に行われるだけあって若手は居らず、役場職員以外は
おそらく私がもっとも年少である。 ヒマジン≒年寄り?の集まりに見える。
友人でイッコ歳下の獣医屋ケンチャンも委員だが、もちろん忙しくて来られない。
夕刻に文化財の現地を巡る。
夕刻といってもコチラはこの時期、日の入りは7時半ごろ。
4時から巡る史跡だが、炎天下である。
私は、帰還した小野田さんのような? モンベルの帰還兵風帽子を
着用しているので、事なきを得ている。 ハゲの日焼けは、こうして予防されている。
あまりにリアル帰還兵風なので、帰りの船で伊仙町の学芸員S里氏に指摘されたほど。
以前から大東でかぶっているアレであるが、めっぽう大きなお世話であった・・・
ほとんどの土地が切り開かれて畑になっているが、
祈りの場や、断層になっている急峻な地形は畑にならず森が残っていた。
けれども、そこに史跡があるので、木々を伐採すると立派なグスクが現れた!
高地で、こんな立派な石積みは初めて見る。
実はグスク(=城)でなく、狼煙台(のろしだい)だったらしい。
こうしてサッパリした史跡のそばにあるのは、生物達の生活跡。
空蝉・・・おそらく、幼虫がいなくなる数年後には、ココから居なくなる。
マイマイは干からびていた。
シュリマイマイに近いが、そのものなのか亜種なのか知れない。
マイマイは移動できないから、固有種になることが多い。
観光と農業を重んじるばかりに、自然はカットされている島、与論島。
こう書くと、短絡しすぎと思われるだろうが・・・そうでもない。
島内はスズメもイソヒヨドリもいなくて、とてもとてもとても気色悪い。
聞こえる声は、東日本の連中には分からないだろうが、
シャーシャーシャーというクマゼミの声だけが響いている。
すなわち、開墾しつくし、農薬で虫を撃滅し、トバッチリで鳥たちも全滅させたのだ。
居るのは
少数のリュウキュウツバメとキジバト、そして遠くで鳴いていたカラスのみ。
リュウキュウハシブトガラスは居ないらしいが、現地に向かうときに声を聞いた。
変人がフェイクの声を流していなければ、本物だが、妙な声だった。
島の高台で、アジンガナシ(按司=豪族、ガナシは尊い人につける様の最上級)が
造ったという、竜を模った遺跡を巡っていたときのこと。
明らかではないが、腑に落ちないというか・・・
ビミョーな感じがして、登るのをやめておいたところである。
神かもしれぬが、むしろカミというアヤカシっぽい同居者をも感じる
鋭いノロらが祈りの場としている場所だそうで、確かにナニかありそうな感じである。
霊感など、サッパリ無いのに重い感じがするので、登れなかった。
お゛いお゛い・・・ズカズカ歩いちゃまずいって・・・なにやらイカンよソコは・・・
自代はわからんけど、末代までには、ナンかあるよソコを歩いちゃ・・・
カミやアヤカシの時間はゆるいから、先の時間とてすぐソコ。
心当たりのないタタリであっても、アヤカシ時間では数百年のズレなど、
大したことでもないようなので・・・子々孫々のために、軽はずみは慎みたい。
タタリは恐いが、私は正直なところ面倒が恐いのである。
タタリは人類が知らぬ害を及ぼしそうだが、想像の範囲ならOKだ。
けれど、死ならまだしも、それ以上の苦痛を用意しているタタリがあるのが
ビミョーに恐怖なのだ。 現代に顕現しているタタリ事情がわからぬ限り。
つい先日、ナイトツアーの最中に、天城岳のまわりの林道でエンジンが止まり
いきなりバッテリーが上がっていて、再始動不能になっていた・・・
たまたまお客様の機転で、バックギアを入れ、再始動したのだが。
私だけならまだしも、お客様ご夫婦と4歳のお子様まで巻き添えである。
観察ルートを終えて30分くらいあと、ツアーを完了してエンジンを切ってしまった・・・
のに、すぐエンジン始動! っていうか、リモートドアロックの音でバッテリーの
元気さは思い測られるが、なぜ止まったのだろう、なぜ始動できたのだろうか???
島は科学で割り切れないことが、フツーに起こるものだ。
誤解してはならないのは、科学で測れないことが、現実でないと思う気持ちはNGだ。
知らない世界を非現実と思うのは分かるものの、できるだけ受け入れる努力をするのが
イロンナ意味で、大人ではなかろうか・・・?
閑話休題
現地を巡ったあとは、交流会である。
このあたりの島では、3,000円ルール?のようなものがあり、
徳之島の事情では、飲み放題・食べ放題の価格である。 しかも余る・・・
だから交流会も3,000円で抑えられているようだ。
けれど、会場を変えるのかと思ったら、会議机のレイアウトを変えて開始!
これには、徳之島のメンバーが驚いていたから・・・え゛〜なレベルなのだろう。
与論島は、内地からの旅行者が多く、常識的な物価が高めだと実感される現象だ。
海が豊かだからか、経済が豊かだからか・・・どこでとれたか不明な刺身が並ぶ。
カツオとタコとサーモンは判別できたが・・・中央の白いのはハタ類かな???
ブニブニだが中央にあるからには、ハージン(スジアラ)とか高級魚かもしれない。
一方で、鳥類を一掃したくらいだから、輸出向けの野菜類が多いのだろう、
惣菜類の野菜は、冷凍の芋とかが添えられていて、味付けは心地よいのに、
とうてい島らしい料理ではなかった。
徳之島では、アカラサマに輸出用と自家用では違う作物が存在する。
輸出できない、島らしい作物がある。
けど、ここに出てきたのは、明らかに輸出用だけを使ってこさえられた料理だった。
同じ奄美群島の客にも、この外地料理か?といったイメージだった。
が・・・
目の前に、コレでもか!?と置かれるジューシー?(≒徳之島のどーしばん)が、実は問題。
炊き込みご飯のようであったり、具沢山のカユとして仕上げられる場合もある。
炊き具合によって作り分けられる、南国のコッテリしたラード入りのご飯、粥である。
隣におわす、与論の教育長も勤められた重鎮、T中さん直伝によれば・・・
とっとと腹ごしらえしないと、噂のヨロンケンポウ(酔うほどに強いという伝説の拳法?)には
対応できないから、食べておけと教わる。
出てきたイカ汁も・・・ほんとにイカ墨入ってるの?と誰かがたずねていた。
確かに・・・真っ黒でないイカ汁・・・初めて見た。
以前、鹿児島本土の飲食店ではコンナ感じらしいと、聞いたことがある。
イカのニオイの強い、単なる変な汁であった。
だが、流石に旅行者に鍛えられている観光の島、料理センスや味付けはとても繊細で
好感が持てるというか・・・すごく美味しい!!!
アカウルメ(=沖縄のグルクン)の南蛮漬け。 画像では見えないが、レモンも加えられ
とても風味がよくて、驚かされるほど。 薄味で控えめな味、内地の味付けに似ている。
観光客が来るか来ないか・・・でこれほど文化に差があるとは!
いろんな意味で、驚いた瞬間だった。
こうなったころには、文化は廃れている、徳之島は文化は廃れていないが味は・・・・・
なんだかんだいっても、いよいよ最凶?のヨロンケンポーが炸裂すると思ったら説明。
このごろはアル中とかで訴訟になっちぇヤバイからか説明があるし、
専用?の焼酎は20度で、回し飲みする杯もズイブンちっこい。
そこへ、氷まで加えられるので、かなり作法が違っているようだ。
知りたい方は、独自にネット等で調べられたい。
以前は30度の焼酎を、大きな杯で回し飲みしたらしいく、悪名高い。
しかも、飲むときは口上を述べねばならない面倒さ・・・私にはとても愉しみだった。
昔、島では絆を重んじた。
与論拳法でなく・・・与論献奉は男性限定だが、最強の絆造り手法だった。
口下手、多少ひきつって話しづらい障害者、ゲコ・・・厳しくもあるが、
仲間が集い、自分の思いを口にし、打ち明けることで打ち解けていった。
手法は間違っているかもしれぬが、本来?目指すところは、とても理想的。
言える人、言えない人、すべてが平等に集い、平等の場を得て主張する。
その場を繰り返すことで、言いたいことが共に解かり合える。
もちろん、言える人は多弁だが、言えないひとが震えながら話す姿は
あるいは、酔いつぶれていく聞く側の心を、打ったことだろう。
詳しいところは、言わんと解からん! それは洋の東西共通である。
察する気持ちのない西洋人とはビミョーに違うが。
いきなり、奄美の植物の超重鎮、T畑先生! お会いできて超光栄!な方。
さすがに、経験者・・・アッサリとクリア。
コチラは、大先輩で関西から移住してン十年のM田さん。
以前、トクノシマトゲネズミの判定をしていただいた恩人である。
今や、奄美大島や奄美群島の植物の重鎮であり、昆虫にも詳しい。
観光や自然の会合があるとき、彼の姿がある。
我が天城町の民謡の大家、M田美咲ちゃんや、M村美希ちゃんら、
お孫さんを民謡日本一にし続けている大先生が一気に飲む!
ご高齢なので、ちょっと心配・・・
この方が、天城町の文化財保護審議委員の会長である。
そして、私にも回ってくるわけで。
氷が入り、さらに健康的な度数の焼酎では、いささか物足りなかったり・・・
与論献奉はマイルドになり、人数も多いために一周しただけで
二周目の口上を考えていたから、とっても残念な終わり方であった。
もちろん、二次会も標準装備である。
会長も無事である。 が・・・やがてステージが始まると・・・
民謡酒場かりゆし(沖縄口で、めでたい)のステージは、音量がデカすぎる!
会話もできない、音楽もろくに聴きとれない・・・
頭をバシバシと、はりせんでしばかれているような感じがする。
バカバカしい音量で不快になったので、ほどなくおん出た。
そうしたら、重鎮らも同じ気分だった様子。
心地よいメロディーと歌詞だっただけに、惜しいなぁ・・・かりゆし。
もう行かないなだろうな。
なんで、あんな大音量に呆けてしまったのだろう・・・
いかなる唄も、雑に聞こえてしまう。
立ち戻ったホテル青海荘では、夜な夜な重鎮たちの会話が進むが
私の記憶はアルコールと共に薄れゆく・・・
あら?カメラ忘れた!?
行かないと思ったはずが、戻るハメになろうとは。
民謡酒場に戻ると、酒場運営者の身内&当方の関係者らが憩うている。
カメラは、関係者の誰かが持ち帰ってくれたと知り、ビミョーに安心。
んでもって、ナニか飲んでいけってことに・・・ その先は記憶がない・・・
アルコールを飲んだら、歩いちゃいかんな。 お店も頭も、ヤタラ回るから・・・
ホテルに帰りつき、甚平に着替えてベッドに転がったところは覚えている。
あくる日も、定期船に合わせて午前中は研修の続きである。
残らない酒!というわりに、グッタリして二日酔い満々なメンツが集っている。
ま゛〜そんなもんだ。 与論島の雰囲気に、思わずハメ外しすぎた。
2時間ほどグッタリしたまま、重たい頭で話をうかがい続けたのであった。
島々には同和問題はない。 みな家々でヤギや豚をトサツして食べていたからだ。
だが一応、同和問題に関する講話があって、島の校長先生が張り切っておられる。
ときどき、用紙に書かれた設問に答えよと言うのだが、酔って眠く、ダルい体に
どれほどウザったかったことか・・・
まったりグッタリしたまま、帰りの船に向かう・・・
実は船内の飯は不味くてバカ高い。 だからお弁当が用意されていたが
袋に入っておらず、みな片手に弁当を握り締めて乗船するハメに。
それに、二日酔いで腹に入らず、ほとんどが持ち帰りだ。
簡素な港には、コンテナを加工した切符販売所があるだけで、土産物屋などはない。
だからか?だれも土産の話題などないままに、それぞれ帰散していった・・・
どうせ同じ奄美だから、懐が知れていることもあるが、
同じ島をバスで移動するように、あまりにもアッサリと乗船し、帰路につく。
そんなもんなんだな・・・
行きも帰りも、かなりの間デッキに立っていたが、どうやらトビイカの時期ではないらしく
ちんまいトビウオと、ハンマーヘッドことシュモクザメが見送ってくれた。
2.5mほどで、船の下からユウユウ現れて、沖合いに消えた。
嬉しいな〜、陸上にいない大きな動物達の姿を海でユウユウ見られるとは。
まだアルコールが残っているし、あまり眠っていないので、体中がダルい。
沖永良部の沖まで戻ったところで、エアコンのいささか効きすぎた船内に戻る。
沖縄からの戻りという、総務課長とあれこれ話をしながら、まったりとロビーで過ごす。
といっても・・・大荷物の置き場に陣取って、さながら私たちは社会のお荷物宣言を
しているような、薄毛の愉快なコンビになっていた。
F課長は気付いていないようだったが・・・
一泊二日、気分的にはほとんど一日だったような小さな研修旅行。
そういえば、宿代を払ったか? カウンターにたどり着いたところまでしか記憶がない。
幸か不幸か、与論島も沖永良部島も、ほとんど自然が残っていないことが知られ、
大島とヤンバル、そして小さな徳之島が、なぜ自然遺産候補になるのか
身にしみて感じられることになった。
自然系・文化財保護審議委員としては、得るものが大きかった。
放っておけば、徳之島が与論島相当になるのは時間の問題だろうから
今のうちに、後世に残せるデータを集めておきたい。
島をどうするかは島人らの問題で、内地人がとやかく言える筋合いはなかろう。
だがすでに、私はその渦中に身を置いているので、逃げも隠れもできそうにないな・・・