年明け暮らし
とりたてて、何も考えぬまま・・・昨日から今日になっただけの新年である。
生きてさえいられれば、陽はまたのぼってくるのだ。
それもまた好(よ)きかな・・・と。
クワイをむき、家族と餅をもみ、おとそを交わし、初詣も済ませた。
それ以外のときは、毎度のごとく外を歩き歩いて、動物を探している。
動物といっても・・・鳥か昆虫くらいしか・・・私は知らぬ。
なんか、栗のイガが残ってるな・・・くらいなら分かるが。
今シーズンの鳥たちは、とりたてて小鳥が少ないように感じる。
ホオジロやアオジ、ウグイス、ツグミやシロハラ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、シメなど
オナジミともいえる鳥たちが数少ないので、少々物足りない。
残念ながら、弟はトラブルがあって早々に2日に帰ってしまい、多少寂しい年初。
正月は家族4人でみずいらず・・・くらいしか総出ですることがないからだ。
友人知人が少ないのは、親譲りなのだろう。
あるいは、それ以上を望んでいないのも親譲りかもしれぬ。
年末年始に電話だのメールだの、ハガキだのを気にするのは好かぬ。
それで途切れるような付き合いなど、そもそも絆ともいえぬだろうから気にもせず。
ま゛〜、こういってはなんだが・・・絆があれば、オレオレ詐欺なんてのは
成り立たないと思うのだが。 絆がないから、慌ててしまうのだ。
確か、政党助成金目当ての新党が、絆だったような・・・ 新年早々ガッカリで
やれやれである。 今年の国費も、無駄な出費が多そうだ。
そうえいば、絆ついでに思ったのだが
絆を叫ぶのであれば、除染物質の受け入れについてである。
放射性物質を、地元も含めて平等に分割し、地域に受け入れるというのはどうか?
除染したら全部どこかへ持ってけというのも、東北地域住民が手前勝手すぎに感じ
受け入れ側も納得できぬ。 第一、被害の大きさと、放射能の受け入れは別問題だ。
絆というか、お互い様、お蔭様というのは、このくらいが限度だろう。
せめて・・・そこから絆とやらの基本を学習してほしいものだが・・・
現実と放射能を前に、世に言う絆とやらが都合よく築けるのか、実に見ものである。
そもそも
放射性物質は東京電力という、一企業が出した産業廃棄物であり
東電管轄地域の電力の受益者以外の地域で、受け入れる筋合いはなく
道理も仁義も、全く通らぬ。 つまりそこは、いわゆる絆のチカラか、ご利益か、
あるいは霊験あらたかであっていただしかないだろう。 絆があれば・・・
これまでの原子力政策に習うのであれば、受け入れれば税を全て免除するくらいは
やってもらわないと・・・・ということになるだろう。
さて
心配事がある。
わが両親は、揃って出不精で、旅下手すぎるのである。
このごろは、右目がほとんど見えなくなった、足の血管の出っ張りを手術したとかで
外出しない、運動しないことの理由にしている。
足を使わなくなったら、第二の心臓を失うことになり、代謝の大半を失い、
ますます脂質を溜めやすい体質になっていく・・・
今の私がそうだからだ。 だるかったり頭痛がしたりして、起きていられず、
寝ている時間が増えると、食べるものが少なくても皮下脂肪は自動的に増える。
おまけに体質自体が変化し、汗にえらくたくさんのアンモニアが分泌されて
汗のニオイに自分でも嫌になるくらい臭う・・・
両親が出かけないことは、二重に危険で
そもそも知人友人が少ないので、普段から二人きりで生活している。
頭の運動に・・・と数字のパズルなどを解いているが・・・これでは言語野が
活性化されないので、思考そのものの優先性が人という尺度からずれていく。
人とのヤリトリ・・・ちょっとした会話のカケヒキ・・・が脳の代謝に大切なのである。
寝ていることが多い私でも、さすがに3日に一度くらいは役場や知人を訪ねて
会話や仕事をせねばならぬが、年金生活の両親は、その用事がない。
せいぜい通院くらいなもの・・・ しかも溝掃除や草刈に出てくる区民も少なく
挙句の果てに町会に入らない住民までいて、とんでもないコミュニティもどきだ。
伊勢も暮らしにくいものである。
ちょっとした騒音も、苦情になるという。
島のように、灯油ボイラーの音が、ボン゛〜んんんんん゛〜なんて響くのは
もってのほかだろうが・・・実に哀れな社会である。
絆なんてのは、伝説上の事柄といっていい。
おそらく、内地は一事が万事この調子だろう。
歴史はあっても誰も学ばぬ、郷土愛もなく、隣の人を思いやりもしない社会・・・
逆に、篤く濃い付き合いのある、面倒な島社会のほうが、面倒くさくないような。
今や、灯油ボイラーの音を耳にすると、郷愁すら感じる。
家に居ると、どうもストレスになるので、出かけるにかぎる。
ビーム砲レンズを携えているので、どうしても人目を避け気味の場所へ赴く。
やたら気になるのが、あぜ道などにスイセンが多いことだ。
調べてみたところ、どうやら地中海からシルクロードをたどってやってきた
とんでもない歴史のある外来種である。 えらい増えとるなぁ・・・
相変わらず、季節風の影響がダイレクトで、日本海側が大雪というと
その余波なのだろうか・・・雨雲がやってきては半端にチラチラと雨を漏らす。
雲の下に、ハケで描いたような霧が見えれば雨か雪である。
例年になく、実に面倒くさい天候続きである。
雲の通過で暗くなると、日が照るまで鳥が逃げないよう祈りつつ・・・
お預けを食らって、ジッと待つことシバシバ。
向こうもジッとしているタチだと、日差しが間に合うこともある・・・
タゲリで良かった。 冠のついた、超絶壁頭がキッチリと納まってくれた。
これでも、内地でフツーの鳥だが、ご存知だろうか???
ガイコクの鳥だけが、変な色形をしていると思ったら、大きな間違いである。
ちなみに、これでもチドリの一種。
カワセミをはじめ、寒い時期でも川べりには鳥が多い。
多少寒風よりも冷たい、通りがかりの人の目線を感じながら散策する。
それでなくても日なたに出てこぬ、川沿いのホオジロ科は、空振り続き。
ナキマネしても出てくるのは一瞬・・・しかもすぐに草陰へ直行である。
今年は、ホオジロ科自体の移動が少ないのか、ホオジロ、ホオアカ、アオジ、
カシラダカなどがとても少ないか、見られない。
ほか、シメ、エナガは皆無。
留鳥のはずのウグイス、シジュウカラやヒヨドリも極端に少ない。
なぜこのような現象になっているのか・・・想像がつかない。
酷暑で死んだのだろうか???
実は、島にもウグイスやシロハラの渡来がとても少なく、先のアオジもいない。
そのぶん?
群れが大きくなったように感じる鳥もいる。
ムクドリ、カワラヒワ、スズメである。 理由の想像がつかぬ。
ほとほと問題にされるカラスは、少々控えめになったような。
ハシブトでなく、ハシボソガラスの群ればかりになっているからか?
私たちが、自分たちだけにかまけたフリをしている間にも
自然はニンゲンを置き去りに、大きく変化を続けているように感じなくもない。
風裏で陽だまりになる特定の場所には、小春が営まれていて
時折、風花が舞う時節であっても、晩秋や春先の光景がある。
晴れ間が5分以上続けば・・・ チョウやアブなどが花にやってくる。
越年蝶(おつねんちょう)とも呼ばれるモンキチョウが、名実ともに年越して
微妙に嬉しいやら、驚かされるやら。
去年はおととしの年末に雪が降り、年を越せなかったものの、
今年は風花程度なので、生き延びているらしい。
年末までアキアカネも見られたが、いまのところ年を越せなかったようだ。
越せたからといって、さしたる未来があるわけでもなさそうな・・・
けれども諦めないで生き尽くそうとする姿が、いささかまぶしく感じられる。
社会生活に疲れたら、やっぱり自然に戻るのが一番なのだろうか。
いきなり、松の内で疲労感が出ている感がなくもない。
独りで生活していると、やはり家族との生活にも骨が折れる・・・
飯の量やカロリーが高すぎて、運動量が追いつかない・・・
年度末に際して、役場の仕事が山積みになっている・・・
宿題や書初めしないで迎える、冬休み末日気分に近くもあるような。
あるいは、のどに魚の骨がのどに刺さったまま迎える、新年会のような。
はたまた、チャックの閉め忘れに気づいた・・・デートの夕刻のような。
動物にも、私にも、正月はアリガタイものではない。
でも、内地に来られて、ちょっと嬉しいかな。
今年もそこそこ よろしくお願いします。