徳之島らしい生活の、そこここの出来事について
時には、もっと島らしい話をしようか。
木製のまな板を使っていると、どういうわけか、角が欠ける。
というか、ドブネズミにかじられてしまうのだ。
今、使っているまな板も、当然、角が一部欠けているが
いつかじられたか気づいてなかった・・・時々腹具合が悪くなるのは
そうしたことを気づかずに、ちょっと水に流しただけで、使うからだろう。
我が家だけかと思ったら、過日、友人の台所にあったまな板を
使わせてもらおうとしたとき・・・やはりかじられたヤツだった。
ま・・・島はそういうもんなようだ、安心した。(笑)
この不衛生さは、かなりのものだが、別にオトナにとっては
さしたる害も無い。 メタボになりかけた体を、食中りで毒抜きできる。
原因不明っぽ、ちょっとしたい腹具合の悪さで、閉口する程度で済む。
実は先日、冷蔵庫から出してしまったカユを、チンしたのだが
そこでは食べられなかったので、高温にチンしたからもつだろうと
半日放置したら、微妙に茶色いところと、ちょっと酸味があったような。
でも、乳酸菌の酸味なら、平気なはずと
鶏ムネのツユとともに、煮て仕上げてみたのだが、食中りはなかった。
鶏のだし以上に、結構すっぱい、具沢山のカユであった・・・
雑菌で腐ると、とてつもないニオイがするが、乳酸発酵では
さしたるニオイもないような???
ニンゲンってスゲーなー!(笑)
ハゲワシやヤドカリ、ハエなどは腐肉も食べられる、強い免疫力を持つ。
もともと人類も、サーベルタイガーなどが食い残した肉片をあさって
貴重な蛋白源を得ていたともいうから、本来はかなり食っていたようだ。
なのに現代では、清潔なものを食べ過ぎて、弱くなっている。
のだが・・・私は平気になったようだ。(笑)
先月の電気代は3600円オーバー、今月は3300円。
意味が分からない、浄化槽用のメドーコンプレッサーを半月停止し
一方で、ダイナブックSS SX190でNHKのネットラジオ、らじらじるを
再生しつづけたので、プラマイ300円の節約となったようだ。
ということは・・・異様にメドーコンプレッサーは浪費が大きいようだ。
だが浄化槽のコンプレッサーには、浄化槽の細菌類を生かすための
酸素補給の意味もあるようなのでビミョーだ。
そうはいっても、ここ何年も通電されていないし、浄化槽の清掃も
いまだに役場と清掃社と合意できないようだ。
浄化槽の利用料を払わず、これまでの入居者が無視して使ったためで
清掃費用を教育委員会が負担するにも、予算をとっていないからだ。
浄化槽の浄化機能が働いたか分からぬ状態でトイレを使うのは
かなり気が引ける。
島人のテゲテゲさとは、たいがい貧相な金銭感覚か怠惰である。
頭を全く使わない、うすっぺらすぎる金銭感覚は、少々泣けてくる。
ゴミ袋を買いたくないから、野焼きしようとか、森に捨てようとか、
人んちの庭先に捨てても良いやとか・・・
こんだけ恥知らずなのに見栄を張ろうとするのだから、おばさんでも
オスザルなのか? 確かにゴリっぽいけど・・・と口に出そうになる。(笑)
ちなみに、飯を食ったら、米粒など食べ散らかして終わる男性が多い。
もったいないのではなく、面倒なことはしないだけ・・・
あるいはそれが、ダーティでカッコいいとでも思っているのかも!(笑)
見ているこちらが恥ずかしくなる。
いろんな意味で、勝負する前から負けていることが多々あるような・・・
浄化槽が駄目なら、海が駄目になる。
栄養豊かな、私の糞尿なら自然も大歓迎だろうが・・・(笑)
干潟のカニたちや、アオサ養殖には、とってもいい肥やしだろう。
ただ、私より先に、牛糞が海を制覇している。
無作為に牛小屋をつくり、糞尿をほっぽらかしにしているから
糞尿の汁は島の小川のような川に流れ、浅い川口で水浴びする保育園児たちが
まるごと変な汁を口内に受け入れざるを得ないのが、徳之島の現状だ。
牛小屋のクソ汁を幼い子供達が浴びている、子宝の島。
昔風の名前がふさわしいかもしれない・・・毒島。
でも、度重なる腹痛はあるだろうが、丈夫な胃腸がつくられていそう。
私も牛糞はずいぶん馴れてしまっているが、徳之島でかつて、
これほど牛糞まみれな生活はなかっただろう。
養牛がさかんになって、牛舎の周りに牛糞が山になっているし、
風雨に打たれ散っていく。 なにしろ臭い。
虫が増え、ネズミやジャコウネズミが増え、ハブやカラスがやってくる。
テゲテゲとクソまみれの生活・・・
徳之島はわりとそういうベタッとした物質につつまれた、ベタな生活であり、
それを風情と思ってくださる殊勝なニンゲンだけが住める島。
観光客が、そのベッタリ感をこらえきれるかどうかは疑問だが。
とにもかくにも、生活空間が結構牛小屋臭い・・・
しかも、靴屋タイヤには、ほぼ必ず牛糞のニオイがついていて
クロウサギやネコ、イヌ達にとって、ニンゲンは底抜けな牛糞ばら撒き生物と
思われているだろう。
お次はカーブミラーである。
島では公衆便所の鏡や、便器そのものが盗まれるのは知っていたが
カーブミラーのステンレスで、焼肉用の鉄板を作るのがトレンドらしい・・・
盗んだ鉄板で、家族が美味しく焼肉をいただく・・・いやもうクソ家族だ。
どうしてそこまで、テゲテゲで貧しい精神になれるのか、私には想像がつかぬ。
もちろん一部のヤカラがクソ家族なだけだが、島はともかく血縁が強いので
親戚がクソだと、一同が容認するようになる。
だから安易に全島クソ化が進みやすく、問題は深刻なのだ。
島は信号と交通モラルが少ないぶん、カーブミラーは安全ドライバーにとって
唯一の盾となる存在であるが、それすら盗まれるとは・・・
交差点の路駐もいとわぬ島では、カーブミラーは実に大切なのだ!
話はかわって
先日、奄美群島広域事務組合から、自然遺産関連の委員の依頼がきた。
「奄美群島エコツーリズム全体構想及びガイド登録・認定制度作業部会」である。
エコツーリズムの名のもとに自然を食い物にしましょう・・・という趣旨しか伝わってこず
冒頭から、どえらい批判を書いて返信したら、やはり依頼は取り消されたようだ。(笑)
自然を破壊しないように利用するために、ガイドを認定制にしましょうというのだ。
そんなことは、モグリを産むだけだし、ガイド料のカルテルを促進してしまうだろう。
しかも小動物を見つけるのは、とても視力と動体視力を必要とする。
時速20キロ以下だが、3センチくらいの昆虫やカタツムリから、頭上の寝ている鳥
などを瞬時に見極めるには、知識は高くても視力が低ければ到底無理だ。
ひき殺された動物を増やすようなガイド業などありえない。
私はエコツアーガイドで子育てできるほど、徳之島の自然は余裕がないと思う。
だから、まずは保護策ありきと考えるが、自然遺産登録の前に、まず産業ありき
のようになっているのには、腹が立ったのだ。
徳之島の自然を荒らしているのは、いうまでもなく、ノネコ、ノイヌである。
ガイド業云々以前に、こいつらをサッサと片付けなくては、クロウサギが死滅する。
クロウサギは、1頭ずつしか子育てしない。
少ない繁殖によって、自滅を防いで生きてきた珍しい動物である。
天敵がいなくても、増えすぎない。
ニンゲンよりもずっと慎ましい生殖で、進化の上ではとても進んだ存在だ。
セックスし倒して、子供が増え放題・・・という人類の生殖の幼さを反省したい。
しかし・・・一方で、クロウサギの天敵が現れてしまったら、なすすべもない。
エコツーリズム、聞こえはいいが・・・実のところ、結局は自然を食い尽くすのが
ニンゲンではなかろうか・・・ 徳之島の自然は封印しなければならぬほど
深刻なネコ被害に、風前のともし火となっているというのに・・・ガイド云々とは・・・
ところで
米軍問題でアレコレあるが・・・メリケンから、信頼が失墜するなんていわれても
もともとNATO軍用通信の暗号レベルで言えば、日本はほとんど外様状態。
上位には欧州列国があり、黄色人種がどれほど劣等な信頼度か計り知れる。
つまり、何か軍事機密が伝達されたとすると、欧米の最後なのが日本なのだ。
しかるに、軍事的に信頼を失ったといわれようが、米軍は日本という
極東の足場を失うわけにはいかないのだから、もっとゴネても大丈夫だ。
それより、リーマンショックを起こすような信用経済を甘く見るような
軽率さを反省していただきたいものである。
だが欧米人には後悔はあるが反省は無い。 文化のあり方とは、こうまで違う。
ま、歴史の無いメリケンは、まだ文化と呼べるものは存在しないから
日本における信頼というのが、どういったものか、メリケンに知らしめるには
いい機会かもしれない。
まーしかし、チューゴクでは他人のことを思いやることなく
割り込み普通、手前勝手な態度普通・・・なわりに会社で上司に怒鳴られると
恥をかかされたと退職・・・どんだけモロイんだよ中国精神・・・中学生かよ・・・
国際社会とは、命がけの冗談のようなのが満ちていて、なかなか面白い。
歴史と文化のある我々日本人が、どう振舞うか・・・軽々しくしてはならぬのだが・・・
野田さんも軽すぎるなぁ・・・ 民族性を安売りしすぎだ、ボケ政治屋殿らは・・・
我々の秩序ある国民性、民族性が、そんじょそこらのガイジンに、
超えられるはずも無い。
その国民が認められない、受け入れなれない事柄を
全世界に知らしめることは、我ら日本国民にとって大切なことだ。
たとえ連合国の占領国だったとしても、我ら日本人は、列国をはるかしのぐ
文化と秩序が在るのだから、ちょっとくらい信頼がなくなりなんて脅されようと
もともと信頼をもたぬ国家にナニを言われても、おびえぬ度胸は必要である。
我らの血がなせる奇跡、キズナと信頼を、なぜ安売りするのか分からない。
政治屋ってバカなのか??? やっぱり・・・
さて
久しぶりに、パソコン教室を実施させてもらった。
公民館のカギを開け閉めしていただいている方は、元区長さんで
昭和13年生のS山さんだ。 つまりオヤジ殿のイッコ下の戦中派で、寅年。
すごい事になっている。 自分の父親レベルの方々に物事を教えるのだ。
なんと言う無礼か・・・
両親同様の年齢の方々から、先生!などと呼ばれるのだから
先生なワケないからねっ!違うからねっ!そんな歳ぢゃないからねっ!と
熱弁したくなってしまう・・・
私は髪の毛こそ先輩方より進んでいるが、まだウラ若い45歳独身だ・・・
無礼千万なイベントながら、募集人員より多い方がやってくる!
7人までしか、パソコンが無いからって、念押ししたじゃんか、区長さん!(笑)
嬉しい悲鳴といいたいが、パソコンの足りないパソ教なんて、意味が無い・・・
で・・・
赴いてみると、当部(とうべ)集落の方々にとって、私の印象は・・・
1)役場で、観光看板をこさえたオッサン
2)とんとんとんの子守唄(の演劇出演者)の鳥のナキマネのオッサン
3)天城町の郷土料理の撮影にやってくるオッサン
4)クロウサギの写真を撮っているオッサン
ってことで、パソコン教室の先生的なイメージはどこにもない。
どんだけ怪しい変身してんだ・・・このオッサンは・・・的な???
今更、パソコン教室の先生と言ったところで、取り返しがつかないほど
別のことをしてしまっているオッサンであった・・・
けげんな顔の方もあれば、すべてリセットして、水に流す方もいらっしゃる・・・
とってもビミョーな開始状況であった。
でも、考えてみれば、さして驚くことでもない、
子育てするご両親、仕事するご両親、かくし芸するご両親・・・からすれば
たいした変身でもなかろうと思うのに、ニンゲンの尺度とは、妙なものだ。(笑)
それに、島では周囲の人より技前が上だと、じきにプロの扱いになる。
いつもは、役場の誰かがやってきて、紹介してもらえるのだが
今回は町制施行50周年記念行事の直後で、それどころではない。
行事をした施設が、そりゃもうヒッチャカメッチャカだから、片付けに余念がない。
したがって、単身で乗り込むしかなかったのだ。
少なくとも14集落の公民館の場所は知っているので、行くだけは苦労せぬ。
昨年パソコン教室をはじめた頃、誰にも知られていない私の存在は、
とても希薄でどうしようもなく情けなかった。
でも今は、情けなさはそのままに、友人知人が増えていた。
時間が解決するものとは、とても絶大なものがあると思う。
当部集落には、強力な友人がいたことと、
なんか・・・どっかで・・・見たことのあるオッサンってことで、無事実施できた。
パソコンとシステムの領域において、私もそこそこの心得が在るから
島民の方の質問に答えられないということは、ほぼありえない。
電機屋だたったころから多少進化し、ガス屋もやって根性もすわってきた。
当時の電機系の先輩でも手にもてない、ハブとも素手で親しくしているし。(笑)
自身の死をかけた存在を、素手で持っている感覚とは、なかなか新鮮である。
パソコン教室は、至極当たり前のことを説くイベントである。
ひるがえって、カタカナを正確で単純な日本語で解説する必要がある。
パソコンって日本語ですよとか、クリックなんていわなくても、カチッで十分とか
無駄にコトバだけ高度化した風なパソコンを、身の丈に戻すのが私の役割。
マウスをさわったことすらない方々に、今更周囲にたずねられない方々に
3日間、パソコンと触れ合う機会をつくること。
専心しているいとま、私は何もかも忘れていることができる。
3日間、明日は来ない人がいやしないだろうかと心配したり
甘いものをタクサンいただいてしまったら、冷蔵庫のお粥はおいといて
ご飯がわりに食べようかな・・・と思ったり。(笑)
言葉遊びを許されるなら、パソコンとは難しい道具ではなく
ヤヤコシイ道具であろうと思う。 パソコン用語という外国語を覚えるような。
けれど、覚えなくても一度(ひとたび)設置が終われば、用語は不要だ。
パソコンやスマホを使えるぞという、ハイテクお宅バンカラ系平成表現を
昭和風に直しながら、なじみやすくパソコンを操作してもらうのは
なかなかこれが教えているというか、教わったフリをしていただいているのは
私としても愉しいもので、ついついやめられない。
ナゼだろう、私は子供の頃から人と接するのが苦手。
でも、人間嫌いではない。
それでいて、人前で口笛吹いたり、パソコンを教えさせてもらったりする・・・
私という存在は、なんでかワシにもわかりゃせんけのぅ。
生まれたときから面食いでワガママなワシじゃけ、ようわからん・・・
なにはともあれ
3日目には、メールを送りあうことになる。
私も参加して、私の笑顔をメールしていただくのだ。
起死回生?の変な笑みを、プロジェクターで紹介しながら教室は進む。
この、異様な笑顔だが場を和ませるくらいの効果はあって、
3日間のパソコン修行の末に、参加された方々の笑顔が戻ってくるのである。
パソコン教室の先生・・・ 大役であるが
私は、ついつい変な私のまま、先生を貫かせていただいた。
変だと分かっているのに、変な私はどうしても直らない。
それもま・・・えーんかもしれんね・・・と、思ってしまうことにした。
変な私でも、私は私、いやでもおうでも今の私。
それでも先生と、持ち上げていただける環境・・・島情けとは、素晴らしい。
テゲテゲはたいがいにしてほしいが、それを超える情け深さが島の温かさ。
変な私ついでに、町民体育祭の写真をアップした。
体の柔軟性を生かして、フツーのカメラマンや写真家には真似できぬ
超ローアングルの地上30センチから、ひざまずいた高さまで、
スムーズに視線移動してアングルを得られるのが、ヤワラカ・オッサン、
略してヤワオの写真にほかならない。
高度な機材を用いても、撮影し得ぬアングルとタイミングを得られるのが
ヤワオの特長である。 腹ばいからスムーズに立ち上がれる写真家など
どこにもいないから、腹ばいにならずに、開脚して股の間に肘をついている
私の撮影スタイルは、いろんな意味で真似できないようだ・・・
すげーはずかしースタイルでもあるわけで。
ともあれ
パソコン教室にしても、町民体育祭の写真にしても
私にしかできそうにないスタイル・・・を追究できたのは嬉しい。
恥ずかしかろうが、格好悪かろうが、ともかく私以外は円満である。
私はカタチにこだわるし、恥にもこだわるが、一番こだわるのは
楽しかったり、嬉しかったりすることだ。