浮世の悩み

 


ついに、原発からずいぶん離れたところで、プルトニウムが検出された。

プルトニウムは最も重いから、それ以外の核物質は、すべてそれ以上

爆散なり、飛散なりしてしまった・・・ということだろう。

ま、今更その地域の方には、かける言葉も持ち合わせないし

かけたくもないので、なんとも書かぬので、ご自分で判断されたい。

 

さて、このごろ

いたずらメールにも、人生のいろんな悩みがみられる。

さすがに、即効放射線除去!なんてのは来ていない。

 

ゴルフの技が、視力回復が、マッチョな体に、パニック障害を、

ピアノの上達が、韓国語マスターが、精神力向上が、税金の支払いが、

国保や年金の支払いが、高血圧が、速読が、記憶力が、

女性の乳房の大きさが・・・・などなど、アレコレあるが、

短期で改善するってのがオオムネの筋である。

 

ほか、あがり症、勃起不全、見た目が10歳若返る、

ロト6で儲ける、血糖値が画期的に下がる、愛犬のしつけ、

癌を克服する食事法、パニック障害やアスペルガー症候群なんてのも

タイトルに見られる。

 

世間の人は、そういうのを悩んでいるんだなぁ・・・と感心する。

ましかし、つっこみどころ満載なところが愉快である。

癌を克服するって、ナニ癌だ??? ロト6を当てるやつが

チマチマ情けないメールを出して儲けようとするか???(笑)

 

っていうか、どの問題も、実現していれば大もうけできるネタで

いたずらメールをチマチマ違法に配信する必要などない。

 

テーゲー、実現できなかったら、貴方のやり方や体質や

精神構造の問題です・・・みたいな断られ方を最初から想定できる。

 

ましかし、3日で視力を改善するなんてのは、私でもできる。

なぜなら、私はそれで、実際に視力低下を防いできたからだ。

なんちゅーことはない、水晶体を制御する筋力をアップするだけ。

見えもしない鼻の頭を無理やり15秒くらい見て、次は遠くの山をみて・・・を

一日3セット以上やれば、改善するだろう。

ただし、これは遠視向けかもしれない。

 

近視の方を遠視にする方法を私は知らない。

何しろ、遠視にとっては有難い、筋力を入れっぱなし状態?のように

水晶体を厚く保てる脳力、それが近視だからだ。

 

脳障害などで現れる、体が硬直して動かない人を、ほぐすような

手法があれば取り入れたいが、それは眼に適用するのは難しかろう。

だがしかし、

チカラの入り切りを繰り返し、動作範囲を増やすことができるなら

無駄ではない!とだけ申し上げておく。

近視の人は、自分でも見えないような、もっと近くを見てから遠くを見る

そうすれば、稼動範囲は広がっていくことは間違いない。

稼動範囲を大きくすることこそ、ほぐす、能力を回復することである。

 

記憶力を良くする方法、これも案外簡単。

本来一度目に見たものは、必ずどこかに記憶されている。

だから、忘れたと思ったら、ちょっと思い出して確認しておく・・・

さらに、コノ習慣を大切にしている自分は、記憶力がわりと良くなったのでは?

と、信じることで、思い出すときのパニックがなくなり、記憶の引出しを

探すときの混乱が起きなくなるのだ。

 

まあ、知っているというか、体感している人間にとっては、ふつうのこと。

だから、改めて人に自慢したり、話したりするのは恥ずかしい部類の

日常の事柄であったりするのだ。

 

すべからく他人のことは想像し辛いし、もともと他人を想像するなんて

余裕のある生物習慣もないわけで・・・ 思いやり、などというものは

本来、生物的には他を活かすような、逆行する行為でもあるから、

思いやりは相当難しい行為であって、出来たつもりが思い込みでしかなく

ぜんぜん的外れなんてことは、フツーでも仕方ない・・・

 

だからこそ、相手も自分と同じレベル・・・などといった、

浅はかな安心感を抱かないことだ。

誰しも、いろんなところで、不思議な努力を続けているものだ。

 

一方、頭脳以下の部位については、

火事場の馬鹿力!というのが発動する。

 

それはおそらく人間より過去から引き継がれた、動物の能力。

脳力ではないようなので、念のため。

ただ、事故の瞬間が長く感じたりするのは、脳力かもしれないけれど

結局事故を回避できてない人ばかりなので、イマイチな脳力だ・・・

 

何事においても、最優先で大切な脳力というか、能力がある。

集中力である。

おそらく、何か自信が無いと考えていらっしゃる方は

自信がない行為について、集中力が欠けていることは間違いない。

その事にかける想い、時間、情熱が欠けていたのだろう。

もちろん、金銭もあるかもしれないが・・・

  

誰しも、努力しないでサカアガリが出来ているわけではない!

そのための基礎体力を、普段から養っているから、偶然すぐできるのだ。

養っていなかったものを発揮できないのは、当たり前のこと。

 

いろいろ書いてみたが、すなわち最も効き目があることは

好きになること。

それ以下はあるかもしれぬが、それ以上はありえない。

 

臭い毛生え薬を毎日頭に塗ること、眼を運動させること、

英語を口ずさむこと、草木に水をやること、ペットを散歩させること、

人と同じように生活していれば、何とかなると思うのは浅はかすぎ。

好きになってしまった人は見えないところで努力しているから、

というか、常に楽しく努力を続けているから、周りのレベルを遥かしのぐ。

 

周囲にいる、何かに秀でた人を、フツーの努力と考えるのは

無駄な自慰意識でしかない。

 

人は、自分が全ての中心である。

だから自分の尺度で全て計りたいし、計れなくはないと勘違いしている。

逆に、理解しやすいのは、隣にいる連れに、自分の全てが計れると思うと

無性に腹が立たないか?(笑)

 

自分以外の生物を想像して予測して、行動することは

努力が無駄と思われるくらい難しいことだ。

分かった気になるのは簡単だが、いつか分かってないことに愕然とする。

 

それでも、自分以外を想い、予測し、思いやることは

人間にしかない、大切な能力なので、あきらめてはイカン能力だ。

 

全力が足りないこと、全力と思っても全力でないこともある。

 

このセイタカシギは、太陽をまばゆくしているようだが

実は死んでいる。

私は、彼のことを思いやることができなかった。

下痢が発症し、栄養をとることができず、どんどん体温が下がっていき

数分前に、私の手の中で、息をひきとった・・・

 

亡くなってすぐ

目を閉ざしてやろうと、下まぶたを持ち上げたが、閉じなかった。

ふがいない私を、見届けたかったのかもしれない。

 

私が保護したことが間違いだというのは、分かっているが

タライマワシにすることも「ニンゲンとして」できなかった。

そもそも、そのニンゲンとして・・・が小さすぎる発想で、

セイタカシギの命を最優先にすれば、そんな発想はアリエナかった。

 

私は、弱った命を軽く考えるクセがある。

今も間違っているとは思わない。 増えすぎた人類は、たとえ親族でも

亡くなることで、地球上の資源が減らずにすむ・・・と考えている。

一つの命を助けるのに、どれだけの命を無視するのか分からぬから

エサとなる命も大切にしたいのだ。

弱った命は、本来は死んで他のために役立つ存在。

それを無駄に救おうとすれば、どえらい代償が必要になる。

 

命との等価交換・・・なのである。

 

彼が命を失う瞬間、ちょっと苦しげだった。

その仕草が、手の感触として残っている。

命とは、しぶといようで儚い。

 

現代の善意とは、自分の心を痛めないために

他の存在の命を尊重するのでなく、じわじわ死ぬ方向へ持ち込み

助けたと錯覚し、自慰する・・・・のが正しいとされる社会となった。

 

私も自慰しようとしたが、失敗してしまった、だけのこと。

だが、私は残念ながら自慰意識が低く、とおに死んでいたと

考えているので、むしろ死を前進と考えて、写真を撮った。

よく頑張った! 私のもとにきて不幸だったのに、よくぞここまで

命を燃やしてくれた!と賛辞をこめて。

 

彼が逝った日は、天を目指すのに全く迷うこともないほど、晴天だった。

潮が満ちてくれば、大洋の海水が、

魂ごと持っていく場所を選んで、葬っておいた。

 

体温が失われないようにと、日々手洗いして巻いたタオルは

手向けに沿えて、もろともに埋めておいた。

あっちに行く道すがら、寒くないように。

 

やるだけやったが、反面、死ぬと分かってやっていた

アキラメ感の擁護だったことも否めない。

 

彼の魂が、また私の写真にオーブとして写りこんでも仕方ない。

私もそれを望んでいる。 私は、私を恨む魂を拒んでいない。

たとえ他人の恨みであっても、私の命にカラムことで、魂の安らぎを

得られるのならば、それでよかろうと、常に思ってきた。

だから、私の足元には、道すがら死んでいた犬猫タヌキなどの

霊がタンマリとウロウロしていると想う。

 

私の足元を、ジーッとみる猫やコノハズクを見るとハハーンと思う。

やっぱり、憑いてきているな・・・と。

  

楽しいなぁ・・・現世は。

楽しいなぁ・・・生きているってことは、苦痛も多いし喜びもなくはない。

くっついてきてしまった、ナニモノかの魂も同じことを感じられるなら

これほど痛快なことはない。

 

命は本人の努力の問題だが、魂については、そうでもない気がする

このごろである。


ところで

ナイトツアーが終わった深夜、ちょっと気持ちに余裕が出来るので

コンビニで浮世の味を知ろうと、激しい味つきの菓子を買うことにしている。

 

永谷園の鮭茶漬けを練りこんだ、コーン菓子をいただいた。

こりゃー永谷園の想いが強すぎて、味はかなり悪い仕上がりである。

とんがりコーンの味わいに、鮭茶漬けを混ぜたらしく、どえらい塩っぱい。

残念ながら、ダシのきいたとんがりコーンの平たいバージョンだが

コーンの風味が強烈なぶん、鮭茶漬けの味は全くしない。

その上、美味しいと思えるものでもない。

舌がしびれるとかそういうのでなく、単純に変な味であった。

 

あくまでも、茶漬けの素を忠実に混ぜ込むことにこだわっていて、

菓子の味は二の次のようだ・・・とんがりコーンでなくカールに

ブレンドした方が良かったのではなかろうか・・・

なにはともあれ、あの香ばしい茶漬けを想像していただけに

どえらいショックが大きかった。

茶漬けの文化は永谷園がつくったようなものだ。 シッカリして欲しい・・・

そもそも乾いた茶漬け・・・発想が面白いではないか。

 

はたまた思いつきを記す。

島に来てからずっと、スピーカーが欲しいなあ・・・と想うことがある。

ヤマハのちっこくて、そこそこ低音がでるスピーカーがあるが

やっぱりちっこいのは高い音が多いので、調整しても余裕が無い音だ。

 

まだまだ暖かい秋の夜長、開けてあるサッシから、

風とともにそよいでくる虫の声と、優しい音楽をミキシングして

楽しみたいなぁ・・・・なんて贅沢を考えたり。

 

自然の音と音楽に耳を傾けながら、写真の整理や写真集の準備を

するなんてのが、島の写真家らしくて良いなぁ・・・てなわけだ。

ウィスキーや、バーボンなんかチビチビやりながら。(笑)

 

懐かしのウォークマンプロで、カセットなんか聞くのも乙だなぁ。

Edfierのスピーカーが、安いがなかなかイケルらしい。

このスピーカーなら贅沢とは言われまい!というくらい安い。

でもなんか、ふんぎりつかない・・・

パソコンパーツの注文のとき、ついでにポチッとすればいいのだが

なぜかカートに入れては削除している。 何かあるのだろうか。

 

本命は、こっちのボーズが欲しかったりして。

やはり趣味のものというのは、妥協してしまうと、後悔するので。

やっぱりボーズ買ってみようかな。

久々の食べ物以外の買い物になりそうだ。


ではまた