内地より、ミネラルの多い野菜を食す試練

 


内地と同じ野菜を育てただけで、こちらはミネラルが豊富だという。

つまり、栄養よりも鉱物分が多い地質だということの証明だろう。

ただ、栄養は肥料で補充できるし、こちらには強い日差しもある。

 

ただし、地場の野菜たちは、強い日差しに耐えるだけの

アクの強さ・・・を持っているようにも感じられる。

 

ゴーヤ、ヘチマ、ハンダマ・・・そしてツルムラサキ。

数ある野菜の中でも、ハンダマに続いて、ただの雑草っぽい風味の

ツルムラサキが、今回のお題である。

 

歩いて1分チョイのところにある、空の駅こと野菜の有人販売所。

島は100円で無人販売が多いが、こちらは販売した野菜の種類を

栽培農家ごとに記録をとっている、独自の100円販売所だ。

お土産や、クリーニングなども扱う、ちょっとした地場コンビニ風の

側面もあわせもつ、テゲテゲに見えるが、優れたお店である。

テゲテゲに見えるから、ほっとするし、安心して買い物できる店である。

 

通はここで、店のご婦人が検める前に、値札シールの価格の前にある、

生産者を示すナンバーと、作物名を述べて支払いを済ませる。(笑)

 

さて、この店に入荷するのは、地元の気心知れた方々の栽培する

自家用栽培の余剰作物が大半。 であるから、収穫もていねいな上に

度を越えてていねいであることも多い。

商用作物シーズンになると、不合品の嵐となるが・・・

 

今回のツルムラサキもそうだが、空芯菜ことエンサイも

茎を採らずに葉だけ一枚ずつ収穫されて、袋詰され出荷されるほど

ていねいというか愛情あふれすぎて、100円では恐縮する野菜が

しばしば見受けられるのである。

ただ、茎のない空芯菜は、なんちゅーかその・・・味噌の入らぬ味噌汁。

 

せっかく入荷した空芯菜だが

近所の漫画家、山鈴水紀氏に先を越されることもあったりするから

じゃあもっとアクの強い食材なら奪われまい!ってことでツルムラサキが

浮上してきたのだ。

 

袋には、本当に一枚一枚ていねいに収穫され、きれいに葉を重ねて

袋詰されていて、調理する際には、やっぱり申し訳なく思うほど

愛情たっぷりに袋詰めされている。

 

さて問題は、風味である・・・

違和感のある風味でなく、逆に懐かしいのに、

なんだったっけ!?と、疑問うずまき、葛藤に泣かされる風味・・・?

ストレートにお浸しにし、目をつむっていただく風味のなかに・・・

 

見えた! この風味は、ほうれん草の地面のとこの香り!!!

 

そう、ほうれん草のあの地面のとこの、赤い部分の風味である。

よりによって、その部分の風味が、ツルムラサキ全体の味なのだ。

 

例えるなら

真夏の暑さを癒す、生ビールのひとくち目、

新鮮な生サバ塩焼きの、ジューシーな血合いのところだけ!?

チンゲンサイの、みずみずしいキャベツ味の、芽のところ、

3年以上熟したソーメンをゆでたときの、湯気の香り、

イタリアのハウスワインの、発泡し、かすかにピリッとした最初の味、

風邪で熱があるときに食す、カユの重たい味・・・といったような?

続くはずのない味わいの一種が、全体に普通にある感じ。

 

悪くはないが、いつもあるとビミョーに感ずる風味。

 

それはそうと

甘酸っぱいとか、そういった風味でなく

ともかくほうれん草の根っこに近い、地上部の味わい・・・

というのは、実に連続すると食べ辛い味である。(万人向きレベルで)

 

このごろめっきり好き嫌いの激しい島人が、なぜツルムラサキを

栽培しているのか、あるいはハンダマを育てるのか分からぬが

おそらく長寿子宝の本質を体感していて、自然と栽培している・・・

ということだろうか? 家族には不評だが、長寿野菜だから

栽培したくなるような感じ???

 

さて

ネットで調べた、ツルムラサキメニューには限界があるようだ。

現状では、ナムルでしか克服できない食材のようである。

 

他の食べ方を試したが、手軽で食べやすいレシピはなかった。

だが、ナムルレシピはニンニクが強すぎて、生活でニンニク臭い。

市販のニンニクのパウダーを少なめに使い、

ちょいとオイスターソースを加えてみると、とっても食べやすくなる。

ナムルは

基本的におろしニンニク、塩、ごま油で調味したシンプルな

韓国のサラダ&漬物といった感じだろうか。

日本であれば、塩もみや浅漬けっぽいものかもしれない。

 

ふと、ネットのメニューに、クミンの風味を応用したのがあった。

クミンとは、カレー風味に用いられる香味。

鋭い方は、あの太田胃散の香りに、感じられるだろう。

 

確かに、ハウスのカレー粉をまぶすと、ほどよく香りが混ざり

中和というのではなく・・・融和していくような風味だった。

 

ってことはしかし、大嫌いなカレー粉チープ料理ではないか!

と早計したが、考え直してみれば、珍しくカレーに合うヌル野菜で

カレーに相性の良い、栄養が失われず、生にちかい野菜の

新メニューが生まれることにもつながりそうである。

 

たまたま、昔のパッケージのボンカレー辛口が購入済みだった。

だが、ボンカレーゴールドの50%増しの価格だけに貴重。

やっぱりテストは、またの機会にすることに。(笑)

ましかし、卵をおとしたりしてもよさそうである。

どうせ安いカレーだが、食欲がないときのビタミン補給には

レトルトカレー+ツルムラサorハンダマなら向きである。

少なくとも、長命草ことボタンボウフウよりはカレーに合いそうだ。

 

勇気のある方は、だれか健康レトルトカレーメニューに

チャレンジいただきたい。

ポイントは、よく刻んでネットリしたツルムラサキを

くぼませたカレー中央にトッピングし、さらにその中央をくぼませ

卵の黄身を落とすと、さらにマッタリとコクがでそう。

 

と、宿題を出しておきつつ、私はスキナベである。

幾多のクセのある野菜を、コイツで克服してきた。

しかも、今回のツユは地元新田さんの麺ツユである。

鰹削り節、干しシイタケをふんだんに投入した一品だ。

 

糖分強めなことを除けば、相当美味しい。

今回はその糖分強めを活用してスキナベにしてみた。

右手前の重なった葉が、ツルムラサキ。

 

我が家は貧乏だから、牛肉でやらず、豚肉・・・ってわけでなく

冷蔵庫にたまたまあったから。

我が家はクセのある牛肉よりは、鶏モモか豚ウデでやる。

その代わりダシ側を強化することで、ただ甘辛いのではない

絶妙の風味を出すことに専念しちゃったりする。(笑)

タマネギスライスを加え、まずダシを煮て香り付けするのが

お気に入りとなっている。(肉も含め、具材のクセがとれやすい)

 

さてツルムラサキはどうだろう・・・

濃い卵にくぐらせ、いただいてみる。

野菜とともに食べやすいように、肉は一口サイズなのが

我が家流・野菜主人公なスキナベの極意。

肉ばっかり食べても美味しくない、体によくない、

ならば野菜も肉も同じ大きさで、というのが解である。

 

ともあれ味は・・・どうだろうか・・・

  

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・

 

・・・・・・・・・・・・・こぉーんなん、どぉせいっちゅうんぢゃい!!!

 

ドンガラガチャラポーン・ドッシャン!

サジどころか、ちゃぶごと台投げちまったぜ・・・最後のドッシャンは

ちゃぶ台+その他の着地音である。

 

まずい訳ではない、ニオイが強すぎて、次元が違うのだ・・・(笑)

口に入ったとたん、ナニ入れた!? と言いたくなるような。

そのあとヌメリが、まったりマッタリ広がっていく・・・

 

悪い人ではないが、なんか視点が違いすぎて結婚できない

どこぞのオッサンみたいな感じ・・・(笑&涙)

 

カレー粉の香りを、カレー臭ってクサイ!と表現する方は稀だろう。

同様に、幼少から咳に効くからなどと言われ、食べつづけた

ほうれん草の赤いとこの香りは、けして臭いとは感じない。

 

まーなんだ・・・クサイんじゃなくて、ひでーニオイかな・・・

慣れてしまったクサヤのニオイみたいなものか???

 

本当に臭いと思ってないか? と思われる向きに

応えられるメニューをこさえてあった。

ツルムラサキのカユである。

カユといっても、どーしばん(雑炊)に近いが

我が家ではカユとダシを加えて、汁気の多いカユをこさえる。

食欲がないこのごろ、コイツが命を支えている。

 

ツルムラサキの細切りとオクラで心底トロトロのカユである。

ダシはイリコ、具はほかに、九条ネギと豆腐で

味付けは、しょうゆ少々と塩だけである。

 

口にすると、どないしょー!ほうれん草の赤いとこキターっ!と

叫びそうになるようなフレーバーである。

でもなんだか、イリコダシとトロミにホッとして

食べつづけたくなる味に仕上がっていた。

 

と、いっても、万人にわかる味ではないだろう・・・

貧乏生活をして、栄養価が味として感じられる体になっていれば

多少のニオイ程度では、揺るがぬ美味しさを感じるはずである。

味噌仕立てなら、やや緩和されたかもしれぬ。

 

ただ、濃いイリコダシで美味しさを支えているので

カツオ風味の人工調味料では、イマイチ美味しさが

感じ辛いのではないかと思う。

自然のパワフルな野菜には、軽い化学調味料の味では

味の重さが違うようで、バランスがとれない。 

 

ともあれ、とろんとろんのカユは、たまらない味わい。

このところ朝の気温が23度などと下がっているので

冷えた体が、とても温まるカユである。

いろんな意味で、体が欲しがるカユのようだ。

 

23度で体が冷えるなんて、オッサンだけだと思うなら

エアコンでキッチリと23度設定で6時間寝てみるといい。

もちろん、タオルケット1枚、半ズボンで。

南国は湿度が高いぶん、着ているところだけ汗をかく。

だから、寒くても着ると暑いのである。 時節はビミョーなのだ。

 

ともあれ23度は、思った以上にチャンと冷える。(笑)

 


さて

ニュートリノは、高速を超えたという。

時間が進まない粒子?時間を逆行する粒子?

加速すれば加速するほど、過去に戻る粒子?

つまり、加速しすぎると、過去の自分のぶち当たる粒子?

 

過去の位置関係と、周囲の時間がシンクロしているとは限らないが。

 

宇宙には絶対時間軸などというものはないと思われるので、

過去に戻ったように感じても、時間軸およびその影響で空間軸も

ソコソコずれてしまうだろうから、過去の自分に会えるだろう。

 

つまり、大きな時空間のひずみの傾向があったと表現すれば

コリオリの力で台風が左回りになるように、時空間の見た目の

影響をうけてしまうことになる。

 

もっと厳密に言えば、必ず思ったとおりの過去に戻れない、

むしろ、過去に戻ると、命運が異なる、違った過去が待っている

可能性のほうが高いと考えられる。

 

といった超科学物語的なことを語らせたら、私の右に出るものは

1000人に一人くらいか?(笑)

 

ところで

そもそも光の重さをゼログラムとしている、ヤカラがいたとする。

大笑いだ。 なら、重力レンズで曲がる理由が見つからない。

現実にある現象を無視して、どうしてそのような軽はずみなのか

私は理解に苦しむ。 などというヤカラもいるだろう。

 

光以上に加速できない、なんてのは、土星の輪の如く

7本あるといわれていたが、実はよくよく見ると無数にあった・・・

ようなもので、あいまいなものだったのかもしれぬ。

 

誰も証明していないのに、誰もが信じられるほど、

馬鹿馬鹿しいほど分かりやすい現象が光。

 

光を最速と信じられるほどの、やわな夜行性動物はいない。

光がなくても、強大な恐竜の世界を生き抜いた我らの先祖達。

だが、我々はそれを忘れ、視覚に頼りすぎるカタチに進化した。

 

光を、安易に神か絶対の摂理に感じるのも無理はない。

他の光速以上の物質を探すことができず、あきらめていた。

でも、その甘さに風穴を開ける時がきたのだろう。

 

単純に、光は重力で曲がる。

重力に吸い寄せられた物質の中で、空気のひずみのような現象がおこり

屈折により曲がるのかもしれぬが、おそらく重力だけで曲がるはずだ。

ブラックホールの周囲は、何億年も物質を吸い尽くされた空間が広がる。

そこで光が曲がるのだから・・・光の限界に影を落としている。

 

重力で曲がる存在には、確実に重さがあるから

加速にはまだまだ限界があると考えても問題は無い。

  

分かりやすく言えば、我々人類は雑だっただけだ。

光を限界と思ったが、それよりも軽いモノがあった。

 

それに対して、異常な学者らの反応はどうだ?

気で人の患部が感じられることに比べたら、小さなことでは?

光の速度など利用できるテクノロジーもないのに

小さな理論に固執しているが、それ以上に人類には大切な

テクノロジーがあることに、目を背けつづけている。

 

単純に、センサーが作れないから、だけで。

 

オカルトと混同してはならないが、少なくとも我々が感じられる世界は

あまりに科学という、幼い新世代の神話に侵されすぎているのでは?

と思うことも、最近よくよく感じるが、いかがだろうか?

 

第一、宇宙人は実在しない!信じない!なんて

どれだけ円盤を見たら気が済むのだろう。(笑)

知らないものは怖いから信じない、理性あるニンゲンとして

やめときましょうや・・・情けない・・・そんなチッポケなイイワケは。

雷の音に、ヘソをおさえておびえるようなオトナは、卒業しませんか?

 

ところで、重力子というか、引力をつかさどる現象は

現象でしかとらえられずセンサーも作られていない。

重力子は説として存在するが、現世において通常現象には

プラスとマイナスが存在するはずが、重力の相対する存在は

まったく分かっていない。

 

重力のセンサーは、馬鹿馬鹿しいが、大なり小なり

制度の善し悪しはあっても、たかがハカリくらいしかない。

 

だが、光をも捕まえる重力、あるいは引力もまた

光に勝る現象であり、影響する速度も求められてはいない。

しかし、ちょっと考えれば、いかなる現象にも、到達するまでの

時差が発生しているから、引力にも時差があって当然だ。

いやむしろ、重力には影響速度が無限高速だったりするかもしれない。

 

つまり重力を完全無視できる、超加速こそが、現世の最速

ともいえるのではなかろうか。

単純に、光も影響を受ける重力から開放された存在を

想像するだけで、得られる解である。

 

まだまだ、我々が計測できていない身近な減少は

山ほどあるのだろう。

理屈でもヘリクツでも学説でもいいが、信じながら疑うことも

また大切な視点なのかもしれない。 神話的科学が進むほどに。


ではまた