急げ、新居へ

あるいは、昼逃げ?

 


今回の転居、ご近所さんには告げておらぬ。

当然、何かとネッチラホッチラうるさいし、なぜ転居するかを

無駄にたずねられるからである。

包帯を巻いていると、一日中至る所で回答せねばならぬのと同じ。

その点は口実を用意してあり、まだ来月まで家賃が払ってあり

一応借りていることになっていて、まだ住んでいるカタチだ。

引越しは迅速に、片付けはゆっくりと、である。

周囲はソウカ・ガッカリみたいな宗教徒に満ちていて

彼らは、自分が施すことで自分の心を癒そうとし

施されるほうの立場とか心持ちは、あんまり関係ないようなので

波風立てぬように、サラッといなくなる手はずである。

 

今回も、やはり計画的に物事を進めようと考えるだけで

吐き気がし、食欲がなくなり、だいぶゲーゲーと苦しんでいる。

このごろ、たいがい一日一食か二食である。

引越しだというのに、冷蔵庫の中は減らず、郷土料理の取材では

またしても食料を得てしまうのである。 美味しいので断れない・・・

 

頭の回転を抑えるのには慣れたが、どうしてもあれこれ計画的に

ことを運ぼうとすると、脳が思考を拒絶するのか・・・

気分が悪くなってしまう。 旅行をしないのはそのためだ。

簡単な手配や、旅行準備の荷造りですら、拒絶されるから

旅に出かけるどころか、帰省するのも大仕事だ。

 

まったく、めんどうな脳障害である。

つくづく、ウツ病というのは、間違って認識されていると感ずる。

こういった、脳の拒絶反応と、気分の悪転が相乗効果を出さないと

ウツとは呼ばないのだが、やはり大筋自体が間違っている。

もともと心の病気ではない。

おそらくトリガーは臆病だったり、読みが深かったりする心だが、

脳の伝達物質が減り、体にその影響が出るようになるのは

明らかに脳障害である。

トリガーが精神だからといって、回復が精神によるか・・・

果たして回復したとのたまっている方々の脳が回復したのか・・・

甚だ疑念を抱かざるを得ぬ。

あるいは、タバコを飲む人間は、ニコチンに救われ治りやすいとか。

 

正直なところ、気分的には横浜時代よりずっと楽になった。

というかテゲテゲで気楽な島で、気分が悪くなるはずもない。

 

一方で吐き気は素直に?出るようになった。

何かちょっと、面倒だな・・・と感じることを段取りしようとすると

すぐに、吐き気がし始めるようになった。

 

おそらく肉をあまり食べなくなったのは、高額な食材だと

金儲けを想像してしまうため、結果的に食べたいと思わなくなった。

金儲けアレルギーみたいなものか。

 

いずれにせよ、面倒とか、イライラするというのを予想した時点で

ゲーッと来るようになった。

 

この現象が果たして、横浜からよりより進行し続ける症状か、

島に渡ってテゲテゲになった副作用なのか、はたまた

気分の悪い回復の兆しなのか?は見当がつかない。

 

ところで

浅間は、津波がくると厳しい標高だ。 だが津波よりまず台風。

ま、もともと荒波にのまれて死にかけながら釣りしていたこともあって

海に帰るなら、まーいーかと想ったり。

空港に近いが、想ったほどの騒音はないというか、ほとんど聞こえぬ。

水圧は高いが、水温はぬるく、そうめんが締まらないから

水源が遠いのだろう。

コンクリの家だが、案外と涼しく、午前中いっぱい快適だ。

午後や宵の口は、やや岩盤浴になりかけるが、さほどでもない。

扇風があっても、じっとしているだけで、汗が吹き出る家だった。

いかに兼久の築50年家屋が過酷なことかと感じつつ

昨年5月までご家族で生活されていたのだから、島人はたくましい。

しかも、網戸なしで・・・である。

 

よくもまあ、

大量発生したカメムシが、ご飯の生ふりかけにならなかったものだ。

明かりの下のご飯は、明かりに次ぐ光源だ。

 

この現代的な教員住宅も、さほど新しいものでもないらしい。

同級生でNTTの工事でやってくるM田さんが言っていたが

小学校のころできた・・・らしいから、35年くらい経っている。

日吉本町3丁目に居たころの、ドエル小泉とあまり変わらない。

網戸もあるし、洗面所のパッキンは崩れ去っていたけれど、修理できた。

たまたま冷暖エアコンもあるし、なにしろ水洗トイレだ!

トイレに入るのがゆううつでないだけでも、大進化だ。

やはり真似ただけの奇妙な設計ではあるが、なんと恵まれた家か。

家賃は月額12,000円、一軒家だ。

ただ、一年契約で、希望する教員が現れれば出ることになる。

今の契約期間は来年2月まで。

不安はあるが、台風のような命の不安ではない。

 

どうせ私はおかしなオッサンだから、どこへ行っても怪しいオッサンだ。

それでも私は、私のままでしかいられない。

だから、ある人からは嫌われ、追われることになるかもしれない。

 

それでも、こうして家を貸してくださる方がいてくれること。

島は、どうして・・・まったく情け深い人のあふれる所である。

私はもう、希望らしい希望をもっていないが、

島に住み、したいことをしているからか、あるいは恵まれているからか・・・

命を保つことができただけでも、御の字である上に快適になった。

 

去年、移転しておけば、要らぬ金も使わずに快適だったろうが

やっぱり兼久は楽しかったし、アカマタ(へび)やカニ、クワガタが

やってくる家は、なかなか楽しいものである。

非科学の世界も、かなり味わった。

 

さてさて

今度の我が家は、何が楽しめるか、楽しみである。

 

科学によって作られた家なので、前の家のような非科学は

乗り移って来ないように思われるが・・・果たしてどうか。


ではまた