ラットホンでネズミを
そして、ネズミでネコを釣る
私は非道だが、アナタは優しいはずだ!
相変わらず福島のアレは、甘いねぇ、
どんだけ甘い算段で、対策っぽい真似ごとを遊んでるのかねぇ・・・
やっぱり、汚染水が溜まりすぎてダメじゃん。
やっぱし海へ流すんだろうね・・・そうなれば、日本人は地球の汚物だ。
もーめんどくさいし、核分裂しているのに誰もつっこまないから、もう知らん。
税金や電気代をジャブジャブ払えるほど、豊かな生活もしていなく、
かまっている余裕なんてありゃしない。
最悪、鎖国したって生きていける。
キタチョーセンよりは善意の多い国民なのだから。
まとまりは全きほどに、ないけれども・・・
温暖化が進み、食品が腐りやすいのに、食肉業界の者が先に腐り
うまい生肉が食えなくなってしまった。 どこまでに甘いねぇ、日本人。
ふだんベラベラと軽口たたく、ヤサシサとかドートクなんてのはどこだ?
笑っちゃうねぇ・・・肉を見るだけでムカつくねぇ。
幸せを味わっているつもりが、不幸のどん底に落とされる食肉などとは。
何かほかに、いいことでもあるんだろう。
ニンゲンが現実逃避できる、ケーザイって名のウタカタが。
ケーザイは幸せのきっかけであって、目的ではないのだけれど。
なんで分からんのだろう。
自分の幸せを、まったく知らんのに違いない。
哀れなものだ。
自分の幸せも分からぬのに、優しさが分かるのか?
幸せを思いやるのが優しさ、それが見えもしないのに
優しさなどと軽はずみなものだな、日本人というのは。
ともあれ
被害者面の大人も、その子供らも今回の震災で、だいぶ負債を抱えた。
最低20年は、原発問題でゆれる国、日本に住まねばならない。
ギャーギャーくれくれ、ほしいほしいと言ったところで、原発は止まらぬし
ゼーキンがないのに、国が金を恵んでくれるはずもない。
やれやれ、厳しい未来を作っちまったなぁ・・・我等は。
ところで
久しぶりに臨時収入があった。
というか、いつも臨時収入ばかりで、定期的収入はないのだが・・・(笑)
今年度は意外に?収入があり、今回のを加えるとちょうど25万ほどになる。
月に5万もあれば、生活には十分だ。
税金を払うには微妙だが、何とか生活はできる。
傷車(いたしゃ?)?スーパーレジェーラ・パッソは軽四でなく普通自動車で
自動車税のダメージは台風2号並を凌駕するほどのダメージであったが・・・
ウツ脳をかかえて、この収入で十分と言える楽天さにいたるとは、
とても回復したのでは?と信じたいが、反動もあるようである。
普段、あまり肉を食らわない。 美味しくないし高価だからだ。
ほとんど卵と豆腐とチリメンと、たっぷりと出汁に入れるイリコくらいなものだ。
肉を買わない代わりに、おいしい味噌汁くらい食べようと、イリコは買う。
イリコ出汁の味噌汁は、いかなるコンディションでも口にすれば美味いと感じる。
口にするまでのハードルは、まだまだあって
今も、ちょっと考え事をすると、すぐに吐き気が襲ってくる。
むしろ、本当にちょっとしたことなのに、催してしまうことも多い。
場合が増えたのか、あるいは減ったのかは、よく分からない。
ユルユルの生活を実現した反面、ちょっとでもシまるとダメなのだろうか。
改善しているというよりは、傾向が変わったという感じか。
そして、美味しいと感じる感覚も少々変化しているのかもしれない。
Aコープで売っているのは、売れ残ってしまほど高価な輸入牛ロースや
どこを食べても同じ味の豚肉、安いはずなのに高値がついている鶏肉など、
美味しそうな食材がないことも、食欲減退の一因には違いない。
野菜が美味しい島だけに、バランスが悪いのかもしれない。
仕舞いに求めたのは、安くて歯ごたえがあり、美味い鶏の砂肝であった・・・
これしか買うものがなかった自分が、とても悲しかったが
美味しいものが残っていて、良かったとホッとしもする。
肉というたんぱく質は、あまり質がよくないのか、体がだるくなる。
卵と豆腐の方が、ずっと体が楽なのである。
貧乏というのは、品数をたくさん食べられないので、一品の食品に
多栄養素が含まれている方が、向いているのだろう。
だが結局、夕食終了までいい風が吹かなかったので
砂肝はチルドルームに入ったままで、調理にいたらず日が暮れた・・・
凪で炒め物ができないというのは、さらさら哀しい家である。
蛋白源は豆腐と納豆と卵、朝食のようだが、いつ食べても栄養は栄養だ。
ところで
昼間、ネズミがとれた。
我が家をさわがせ、ラットホンという殺鼠剤?の皮をむいて
食すほどの技前・・・どのようなやつか見たかった。
だが、そのためか本日はピーカンの午後に、ヒッツク粘着シートに
ドブネズミがかかった次第である。
殺鼠剤は、目が見えづらくなるので、明るいところに出たくなるのだそうだ。
皮をむいたのは口だから、やっぱり効いてしまったのだろう。
動物写真家が、動物に優しいと思ったら大間違いである。
私はそれぞれの動物の幸せなど知ることはできぬ。
私は多少鳥と話すが、ただのオッサンであって、ドリトル先生ではない。
それに自然の摂理は、軽はずみに口にする優しさとはまったく無縁だから
当然私も、情けはあっても容赦はない。
死を前にする生物を仏に祈ったら、あとは残酷な手立てを平然と講ずる。
ちょうど生きているので、周囲のバカネコを寄せるにはもってこい。
大物釣りでやる、のませ釣りの要領で、粘着シートごとネコの通路に置く。
我が家の裏庭は、そういう所なので、近所のバカネコがかぎつけるのだ。
せっかくの裏庭を耕したところで、バカネコのウンコ場になってしまうから
バカネコ制裁については、とても深刻で大切な手立てなのであった。
動物虐待だっ!などとバカンガエを起こすネコ好きバカイヌシも多いだろう。
だが、虐待されているのは私の畑であって、バカ丸出しでやってくる
バカネコたちを弁護する前に、バカネコに首輪をつけたまえ!
ウンコついでに作物を掘り散らかされた落とし前を、どうつけるつもりだ?
しかもバカネコたちは、ひっついてイヤな思いはするが
正されるだけで、死にはしない。
(さっき、粘着シート+ネズミから逃れたバカネコ)
法律でペットの放し飼いは禁止されれているから、
放置されたペットは拾得物もしくは、駆除対象である。
私はソイツラへ手心を加えてやるだけ、優しい(甘い)男だぞ!
ネズミ被害だけに目くじらをたて、ネコ被害に目をつぶるなど愚の骨頂。
ネコもネズミも放置したら生活に実害がある。
バカイヌシのネコ好きヘリクツを、どうやって正当化するのか知りたい。
野生のネズミを悪とし、バカイヌシの放置ネコを正当化する理由とやらを。
なにしろ、我が家の台所にやってくるネズミは、ラットホンばかり食べ
5センチ横に置いてある米袋をかじらない良心?を感じるヤツだが
我が家に侵入する猫たちは、バカイヌ同様、あちこちウンコし掘りかえすばかりで、
隣にいたカマタロウ以外、まったく害ばかりおよぼすものばかり。
ただし
そのバカネコ制裁を、生きたネズミで実行するのは、不思議と心が痛む。
が、どうだろう・・・ミミズを魚にやるのは平気で、ネズミをネコに食わせるのが
残酷・・・というのは、相当おかしな心理である。
温血だからかわいそう、冷血だからエサで当然・・・という発想は変と感じ
生きたネズミでバカネコ撃退を思いついたわけだ。
私はことごとく異様と感じることがある。
ペットを哀願しすぎて、子供に接するような姿勢・・・である。
異様で気持ち悪すぎる。 バカな若手がよく吐き散らす、キモイ!を超え
超絶気色悪い・・・と感じてしまう。
それは、子供の代わりが欲しかった自分への代償行為、
あるいは自慰行為なのかもしれないが、哀れむ感を抱く間もなく
とても気持ち悪いものがある。 なぜ動物にそこまでするのか・・・
確かにナツいた動物は、愛おしさが芽生えてくるが、それでも相手は動物。
子供扱いする姿勢には、とても大きな違和感があるし、動物が喜んでいるか
無視して接しているようにも感じられる。
しかも、小柄なだけで、子供でなく大人の動物を子ども扱いするのである。
いやむしろ、すぐに追い越してジジババになっていたりする。
オコチャマ言葉で話しかけたり、背負ったり・・・
異様だ・・・異常だ・・・ そいつはポメラニアンだから小さいままの犬だろ・・・
可愛らしいから、こども扱い・・・すげー異常な行動と心理だ。
そいつはもう白内障になりかけていて、あんたよりずっと年寄りだぞ、
大切に思うなら、もう少し敬意を払ったらどうだ???
なら、可愛らしいオッサンの私を、愛玩する女性が現れても良さそう・・・(笑)
周囲にいるバカイヌシの放ったバカネコを、ことごとく食い荒らすポメラニアンが
いたとすると・・・あんたらはどっちを守るんだ???
バカネコも、狂犬ポメ?も、どちらもとっても無駄に可愛いぞ!
そんなくだらない選択肢とは関係なく、私はヘビとかイモリが大好きだ。
意外にもこの私の冷血好きは、ペット子ども扱い同様に、異様なことなのか。
人類は温血なので、温血の子供を守りたいと思うプログラムがあり、
温血動物かそれに似た姿について、個人的にカワイイと思ったら保護してしまう。
鳥、ネズミはOKで、虫やトカゲ、カメ、ワニ、サメや魚、イカやミミズなどは否定。
ライオンですらそうしてしまうようで、食べる相手なのにガゼルの子供を
保護してしまい、結局ガゼルの子は死ぬといった悲劇もありうる。
イルカは保護したいが、そっくりのサメはブチ殺す。
感覚なのか、あるいは本能なのか・・・
でも、チョウはOKで、ガはNGという向きも多いので、温血オンリー
という判断基準でもない。 可愛さとはどこから来るものなのか・・・
おそらく、ガイジンと日本人では違うところもありそうだ。
飼って飼い殺しにするのも、生きエサにするのも残酷なのは同じ。
ニンゲンに罪がないというのは、まったく信じがたい。
ちなみに、
肉食鳥類を飼育するために、子ネズミの冷凍を売っているそうだ。
ご近所の友人で、大のフクロウ好きが、冷凍のをもっていた。
白いラットの子供で、内臓を取り除いてあるので、ちょっと味は薄めか。
栄養価は内臓に多いから、筋肉と皮と毛だけでは少々味気なかろう。
でも解凍して与えることを考えれば致し方ない。
冷たいまま与えては、特に体温が高い鳥類にとっては
消化酵素が働きづらい。
鳥はむくむくの羽毛で覆われているが、見た目の半分以下しか
肉の部分がないので、すぐに腹が冷えてしまうのだ。
ともあれ、ペット専用のネズミ冷凍肉・・・
世の中、何でもありに感じるが、われわれが食べている肉も
おおむね暗がりで成長促進剤を使用して生産された、哀しい動物の切り身。
極端に栄養素を削ぎ落とされた、筋肉と薬品によってできた脂肪の塊。
私は確信犯だ、と威張る気はないが、
気持ちではなく実際に手を合わせてから、利用させてもらっている。
以前から釣った魚に手を合わせるので、坊さんと思われていたように。
ともかくも、そういう気持ちは大切だと思う。
ひっつきトラップにかかったネズミに、またひっつくバカネコ。
正直申し上げて、私にとって犬猫はカラスと比べるまでもなく
実害と憎しみすら感じる動物であることが多い。
そこへ、ちょうど天井からフンを降らせたり、パスタを盗んだり
なぜかラットホンだけを好んで食べていたネズミが手に入ったから
ニンゲンの知恵で活用したのである。
ただいま朝方、ハイビジョンビデオを設置して、庭を監視している。
バカイヌシが、毛の長いダックスフンドを我が家で脱糞させているからだ。
内地人のようだから、近所に住む先生のように思う。
天城中の先生でないことを祈りたい。
写ったらもちろん、ネットに公開するし、役場で相談もする。
教育者だったとして・・・無道徳で役立たず教師が
島に流されてくる事実の露呈なってしまうから、二重(ふたえ)の悲劇。
こうして記載しているのは、もしかすると誰かが読み
本人のバカイヌシの耳に届けば、やめるかもしれぬと思うからだ。
優しいだろ、私は! 甘いだろ、私は・・・(笑)
とってもヒネクレている私ということは、想像がつくが
人の庭に入って平気で脱糞させるヤツを、野放しにはできぬ。
炎天の太陽で熱せられ、それはもう香ばしいことといったら・・・
新鮮なので、キンと鼻につくニオイがたまらない。
二日前のフンは、ちょっと軟かったので、なにか体長が悪いようだ。
ウンコ犬の心配をしてしまう自分が悲しかった・・・
バカイヌシが知らずに、タマネギやニンニクの入った食品を
食わせてしまったのだろうか・・・?
犬猫がタマネギが毒になるとうことすら、知らぬバカイヌシが多いので
バカイヌシに飼い殺しされるというのは、とっても不幸なことである。
生殺しに近い。
悪意がないんだから、仕方ないだろ!というのなら
年寄りが慌てて、ブレーキを踏み外してアクセルダッシュするようなもか。
悪意がなければ仕方ない・・・あなたの家族がペチャンコになっても
許してあげられるわけだ。
あなたのような、超絶寛大な家族愛があれば、
ユダヤ人の珍妙なしがらみを背負ってしまった使途キリストを、
はるか超えられるかもしれないぞ。
犬猫からしてみれば、タマネギを食わされるというのは、そんなもんだ。
犬猫はそのこと自体、何が起こったか理解できずに中毒にさせられる。
最悪は死ぬが、誰も悪意を感じないのなら、それでOKなのか?
知らぬが仏とはヨク言ったもので、知らぬまま死に、仏になる。
ま、自分の利便性を求めて車に乗り続ける年寄りも、
無理して運転する時点で、アクセルではなく、人の道を踏み外していることには
気づいていないフリをするわけで・・・ 事故を起こして初めて、気づいたフリ。
原発の事故みたいなものだ。 人柱があると、誰かが学ぶフリをする。
自分はフリですむが、仏になった命は、死んだフリでなく現実の死だ。
私はオカシナおっさんなので、そういうフリの人らは
全くネズミ同様に、害獣のフリして涙もなく殺せると思う。
家族が悲しむ姿を想像して、あーあなたにも良い家族があって
祈るチャンスを与えてあげられた、と納得できると思う。
増えすぎて困る南国の庭の草木を、除草剤でブチコロスのと同じ意識だ。
生活の邪魔だから、迷惑だから死ね、という気持ち。
そんなに感単に人を殺しても平気なのか?と、アナタは正常っぽく思う。
面倒なのは、体がでかいから、死に際のみっともない姿が、汚く醜く、
めんどくさいのに、足の裏のニオイと同じように、なぜか都度確認したくなる
ニンゲンのサガに遊ばれてしまうことくらいだ。
他人の痛みが、本当に自分の痛みになる、真に優しい人は
人とは違う能力の、ニンゲンとは違うバケモノである。
ほか、犬猫にはチョコレートも毒性が高いらしい。
犬病は存外近い生物で、タヌキもキツネもその中間くらい。
いずれにせよ、タマネギもチョコも最悪致死である。
悪意がなく与えられて、簡単に許される代物ではない・・・
アレルギーの子供に、ケーキを食わせた・・・というような悲劇だが
相手が犬猫だと、原因すら分からぬうちに、ナゾの死扱いだろう。
アナタが珍しくなれない高額の収入で調子にのり
街にくりだし家族で立ち寄った、話題の若い板前の料理店で
美味しい魚とすすめられたフグがあったとしよう。
当然、あなたはフツーの人だから、フグの種類など知らぬわけだ。
安く流通しているショウサイフグの身を食べた後で
精巣と勘違いした、若い卵巣をすすめられて、子供が食べたら、
しばらくして○▽×□して死んだ・・・
それでもアナタは許せる人なのだろう。
悪意さえなければ、プロだろうがアマだろうが分け隔てなどない
神レベルの優しさなのだから。
いやむしろ、どうして子供らだけでなく、家族全員で食べなかったのか
一緒に逝けなかったことを後悔するような、優しい方に違いない。
ショウサイフグは、認知されている庶民の毒魚だ。
動物を可愛がるというのは、恋人以上にそれらを知りたい気持ちがなければ
同族でもない連中の事柄を理解することは困難だ。
残念ながら、家族だといいながら、基本を知らぬ人が、かなりいらっしゃる。
やはり、私は飼うという行為に、とても歪や違和感を感じてしまう。
他方で、飼ったり共に暮らすことで、共生している方々もいる。
一方的に非難したいわけではなく、あなた方が軽く口にする優しさとやらが
もし本当なら、もう少し飼っている動植物のことに、冷静に接することが
よろしいのではないかと思うしだい。
優しさは、相手の幸せを思う気持ち。
自分と遠い存在なら、なおのこと努力をして知ろうとしなければ
体感できない存在を知ろうとする気持ち。
ペットへの優しさは、ニンゲンへの甘さ(優しさの勘違い)よりも
もっと難解な事柄に満ち満ちているのに、愛情さえあれば・・・なんて
愛情じゃなくて愛玩なだけな自分を、巨大誤解していらっしゃる向きも多大。
正直、私は自分の感覚もままならぬのに、他の種族を思いやるような
人生の余裕はないので、もともと自分を優しいと思ったことはない。
優しさへの憧れはあるが、実態がつかめないから、実現もない。
優しい人には全く会ったことはなく、甘い人しか見ていない。
少なくとも、私にはペットとして品種改良された犬猫の幸せが
どこに存在するのか、理解に苦しんでいる。 苦しもうとしている。
無駄に姿をいじられ、DNAを変えられ、もう野生に戻れない。
そういう痛ましい生物を、身近に置くことなど、到底思いつかない。
一応カワイイ形のもの以外は処分というか、殺されてきているので
カワイイものが多いが、出目金やランチュウみたいな異様な姿が、
マニアに好まれるようになるのは時間の問題だろう。
カワイイから大丈夫ということもなく、長毛の犬では、シャンプーしないと
毛が汚れてからみ、草木がからんだり、寄生虫の温床になるので
不潔でみすぼらしくなり、短命に終わる。
島でも、ジャーマンシェパードやゴールデンレトリバーなどを見かけると
痛ましくて正視できない。 それに鼻面を短縮されたパグやフレンチブルも
鼻が詰まって息をするのがやっとなのに、放熱が間に合わない。
知らないから平気、悪気がないから大丈夫。
どれだけ残酷なのだろう・・・・・・・・・・・・・
あるいは生きたユルキャラを生産してしまう、恐ろしい生物だ。
ユルキャラは日本独特のようでもあるが、ヨーロッパの宮廷には道化がいた。
王族をひきたてるための存在。 絵画にも描かれている。
今は人権がうるさいので、飼い主をひきたてる動物に代わった・・・
天然のユルキャラを使用していたのがヨーロッパの王家である。
それが罪も無いことだ・・・と言える根拠は、宇宙のどこかにあるのだろうか。
あるいは罪自体が宇宙的には、たいした問題ではないのだろうか。
ならキリストが、タイソウなフリして背負ってみせる必要も、皆目見当たらぬ。
原発は、放射能で人々から非難されているが、だれも手をつけられない。
おかしな品種改良ペットは、非難されていないが、私は手をつけられない。
でも、双方ともニンゲンの根深い欲が生み出した存在。
悪気はトボケの向こうにあるが、悪気は無いフリがあるので
悪気は無いことになる。 許すべきだぞ、自称「底抜けに優しい日本人」よ!
動物写真家が、動物だけの味方である必要などどこにもない。
正義の味方が、正義だけの味方であって人の味方である必要がないように。
だが、だいたい正義の味方というのは、人に偏った正義でOK
などという変な正義がまかり通っている。
自然を愛する人は、ペットに優しい(甘い)・・・という誤解は
とても私には面倒な意識である。
罪も無い犬病を愛で、飼い殺しする日本人の優しさ論理を是とするアナタなら
今回の福島の一件は、ケーザイとやらを助けるために
アナタの生活を、豊かに見せるために貢献した善意に違いなく
私のような非道なネズミエサを使うのとは違い、
何もかも許せて、子孫が屈辱の生活を強いられても許せる優しいアナタが
身を粉にして、優しさを発揮するべき時である。
期待しているぞ
ペット好きのアナタの無限の優しさってやつに!!!
そして私は、ペットもあるいはエサなので
ネコでカラスでも釣ってみようかと思う。
と、述べつつ私のオカシサは、かなりオカシイが
自分を優しいと思い込んでいる向きの、カナリのオカシサはもっと激しいと
思うようなこともあるこのごろであった。
偏りすぎた愛おしさ・・・ニンゲンの愛の壊れ方は、偏りすぎに現れている。
温血で、丸っこくて、目が大きくて、清潔っぽくて粉っぽくなくて、
毛がフサフサしていて、小柄な存在なら無条件に許す・・・
分かりやすい条件すぎて、壊れたことすら認識できない向きも多かろう。
これは本能ではなく、テレビなどのメディアに作られた、歪曲の愛情だ。
だが、誰しも愛情が壊れているとは思いたくないので
陥る先もまた、深遠なものであることは、私はもう考えたくも無い・・・