頭が悪いこと≠バカ

 


頭が悪いことと、バカなことはまったき違いがあると思う。

前者は怠慢と無配慮により、後者は積極的に間違いたい!としている。

 

なんちゃら県民ショーで、山口ではアンペイフなるお麩(ふ)がポピュラー

などという放送が流れているよと、Oちゃんから電話があった。

番組が「県民」と名乗ったために起きた嘘である。

 

伊勢うどんのように、名物とされているが、あまり美味しそうでないので

地元の人も一部しか食べない・・・というものもあるが、名前は知れている。

 

生まれ故郷の防府と接している山口市のお店で、

明治以来作られているというから、絶望的に知名度が低かったのだろう。

そのことをOちゃんにつげると、テンションが下がったのか、電話を切られた・・・

念のため、生粋の山口県人のおふくろ様にたずねたが、案の定。

Oちゃんはいい歳して、結構気分屋なのが困りもの。

 

Oちゃんは頭でっかちで、むしろ頭は良いほうだが

自分の興味がない事柄は、私以上に切って捨てるタチなので

頭はいいがタチが悪い・・・といったところか。(笑)

 

以前、山口ネタで

肩車のことをディンブク(私の住んでいた地域ではビンブク)、

幸せる=幸せの動詞形などがあることが正しかったので

今回も・・・と思ったらしい。

 

だが、言葉と商品は、だいぶ広がりに差があるように思う。

よほど美味しいものならいざしらず、生活にも密着しないものが

そうそう県民すべてに知られているはずがないではないか。

少し考えれば分かりそうなものだが・・・

 

放送後、どうやら通販で売れ始めたらしいから、テレビおそるべし。

 

私は以前、ちくわ麩が有名だというので

おでんで食べたことがあるが・・・とんでもなく不味かった。

ただの味がないブヨブヨ物体であり、他のあらゆる具材に比べ

極端に味も個性も皆無であり、単なる水増し物体だったのを思い出す。

あれは関東でしか食べぬ、まったくの地方食である。

 

たいがい人は、テレビの向こう側を信じたがる。

そしてテレビの向こう側は、同時に遠い世界と思っている。

 

だがOちゃんが伝えた麩は、

少なくとも私の生活には指一本触れることはできなかったが、

私の12年間の人生におかしなケチをつけた。

山口県で過ごしてきて、知らなければオカシイのように思われたら

無性に腹がたって当然だ。

 

私にとっては大切なことなのだが、Oちゃんは気分だけで済ませた。

この軽さが、無性に腹を煮えさせたわけだ。

彼はもともと東京の出だから、自分は情報の中心のような意識が

あるのかもしれない。

 

だが、現代の標準語、東京弁のベースが山口弁であることを

知らねばなるまい。 明治をつくった政府は山口が先鞭である。

でなければ、山口県で生まれ、小学生にしては

方言の使い手であった私が、驚くほどくせのないヒョージュンゴを

スラスラ話せることの理由が、皆目見当たらない。

山口県人にとって、標準語はとても分かりやすいものだった。

そういうと、おそらく関東人はカチンと来るだろうが

日本を開いたのは薩長だし、初代首相は山口県人そのものだ。

明治の関東人が、敗者の集団だったのは、言うまでもない。

 

関東に住んでいる方々に多いのは、お上りでもないのに

お上り根性があったり、山手線の内側以外を

田舎だ田舎だと、田舎をいやがる風潮だ。

そのノリのまま、県民を笑うような番組のネタにさらされたら・・・

という想像力は、圧倒的に欠落しているのだろう。

 

そのわりに、帰る田舎がなくてね・・・などとバカ丸出しなこともいう。

ふるさとは里山と砂浜と海とエビカニのいる川があって

ジジババが畑を耕しながら、待っていてくれるところ・・・

とでも思っているようだ。

 

彼らが勝手に関東を中心と思っているように

我らは、気候が穏やかで住みやすい山口県が中心と思っている。

山口県を、国家再起動の実験場=首都にしなかったのは賢明だと思う。

おそらく、地の利がよく、打倒した徳川の本拠地を実験場にすることで

江戸時代の徳川文化を、完全に掌握し打倒しておく必要があったのだろう。

なにしろ開国して黒船がガンガンやってきても、

故郷の薩長には被害が及ばない。 少し考えれば分かることだ。

   

以前、ちくわ麩が美味しいと聞いたので、おでんで食べた。

だが、極めて口に合わない食品で、即座にやめざるをえなかった。

味も個性もなく、ぶわぶわネチョッとしただけの物体・・・

おでんを水増ししているだけで、これ食べ物なのか・・・?と思った。

 

おそらくそう書くと関東おでん連盟の方々?はカチンとくるだろう。

しかしちくわ麩は、とてつもなく関東だけの地方食品だ。

あれが美味しいという文化に育たなくては、美味しいとは思えない。 

だが、さして思い入れがなくても、そのように表現されると

関東の方はとてもカチンとくるだろう。

 

それをOちゃんは、県民ショーふぜいを見て私に実践したのだ。

想像力や察する気持ちというのは日本人にとって大切なことだが、

このように想像力が欠落している方が多い。

 

どうしても関東を中心だと信じていたい・・・という無駄な努力と思い込み

あるいはプライドかもしれないが・・・そういった意味では、

Oちゃんは関東バカといえるだろう。(笑)

 

私が命を懸けてまで釣りしてきた釣りバカなのと、似たようなものか。

  

たまたま

1週間ほど前、朝トレ中に散歩している知人に会った。

私の12キロのオモリを見て、ずいぶん重そうだし・・・といいながら

島人をウワテに回したかったらしく、

平土野(へとの)の写真館の奥さんなんか、以前5キロのオモリを

両手に持って当部集落を往復していたのよ!などという。

 

合計10キロのオモリを手に持って、12キロ以上散歩する主婦・・・

常識的にありえないが、とても自慢そうに語る。

 

頭が悪いというのは、記憶力以前の問題だと思う。

想像力が乏しすぎて、常識を逸していても判断がつかないのだ。

二足歩行しているのに、頭を使わないといなると

頭は防止の台座とか、髪の毛を生やしとくアレ的なものになってしまう。

 

たとえば

スーパーで売っている5キロの米を二個買いし

それぞれかごに入れ、10キロ先の家に歩いて帰れる主婦がいるか?

せめて背負子を使えば楽勝だろうが、両手に携えて・・・である。

 

しかも・・・だ、女性が5キロもある大きなオモリを持って

恥ずかしげもなく歩き回れるか?という女性の羞恥心も無視だ。

私がダンベル散歩を始めたころ、ずいぶん横浜の街角で笑われた。

どうにも豪腕一直線主婦が自慢したかったらしいが、語ったのも女性。

女性心理を察することすらなく・・・女失格といわれても仕方ない。

 

この方は

5キロの重さを想像できない、5キロのダンベルの大きさも知らない、

女性なのに、女性心理すら無視・・・

常識が無いに等しいと思われても仕方がない自慢話である。

少なくとも魚屋なのだから、5キロの魚の重さくらい想像できそうだが。

 

ちょっと考えれば分かることなのだが。

ちょっとすら考えない、これが頭が悪いという現象である。

普通なら、ちょっとくらい考えるだろうに・・・

けっしてバカじゃないのだが、とても頭が悪いように感じられる。

 

嘘を真剣に語る姿が恥ずかしすぎて、早く立ち去りたかった・・・(笑)

 

だが世の中には、上記のような方が大量にいらっしゃるから

それらをテレビで情報操作することは、いともたやすい。

 

ダンベル豪腕主婦や麩などは、出処の者以外、さして問題ではないが

これら同様にあらゆる情報が処理されてしまうのは、困ったものである。

風評被害などというのは、そういった頭の悪い方が広めてい、

更にそれによって起こった、買占めや不買などの現実現象に、

他の人が振り回されるという連鎖があるので、

困ったどころでなく実害がある。

頭が悪いといのは、状況によっては犯罪に近い。

 

頭が悪いのだが、被害妄想エンジンが加速して被害バカに進化するのだ。

積極的に思い込みを妄信してしまう積極性・・・これはまさにバカの領域。

頭が悪く、考えないで得た結論?を妄信してバカ進化する・・・窮極進化だ。

 

前にも書いたが、考えないでいるというのは

動物としてはノロマでどうしようもない二足歩行の姿に進化したのに

その理由を返上しようとしている・・・ということ。

  

この昆虫は先日、たまたま撮影したもの。

日本国民全員が、知らずにすんできたアブ、ヒメキイロコウカアブという。

ハエやアブは嫌悪される生物だから、調査されてこなかったらしい。

日本中で、数匹しか捕らえられていないから

いかなる生態なのか、皆目分かっていない超絶珍昆虫だそうだ。

超絶マニアック以前の、ほとんど誰も知らぬアブであった。

 

このような生物を知らなくても、頭が悪いと言われることはない。

だが、このような生き物がいるかもしれないということを

考えたこともないのに否定したら、頭が悪い・・・ということだろう。

絶対にいるはずもないと信じたらバカ・・・といったところか。

 

自分が知らないこと、考えないネガティブさを正当化するマヌケさ・・・

あるいは、知らないものを笑い飛ばすこともあるだろう。

そんなもの、アルワケないじゃん、アハハハ的なマヌケさ。

そもそもアルワケもなにも、ワケなんて考えたことあるワケ?(笑)

 

私ももれなく、頭でっかちに進化したためか、使っていない頭でも

否定されると強烈に反発してしまう、単細胞時代の反応は健在なのだ。

 

湿布は効くが、見栄ははっても仕方がない。 とかくわれらは頭が悪い。

さりとて、根も葉も意味もないことを妄信してバカになってはならぬ。

 

知っていることは、知らないよりはマシのように思ってしまうが

知りもしないことを、ちょっとばかり聞きかじっただけで

知っているように錯覚するのは、正直なところ悪いことのほうが多い。

生兵法はケガのもと・・・というが如し。

 

かといって、知らないことを武器にすることも、

パンツすらはいていない無防備な自分を、自慢するようなもの。

 

でもいずれにしても、知らないの?といわれると

なんか言いたくなってしまう・・・

 

不正確な情報を伝えることと、伝えないことはどちらが正確かといえば

伝えないほうが正確である。

もっと分かりやすく言えば、一日一分遅れる時計で時を告げても

2年に一度しか正しい時を教えられない。

だが、止まっている時計なら、運よく一日に2度も正確な時を告げられる。

ようなものである。

自らが好奇心もなく、検証できもせぬヨシナシゴトを

声高に叫ぶのはコッケイであり、伝えられても迷惑である。

 

私も時々、知らないことを聞かれると、

ソレとは違う知識でフォローしようとしてしまう。

一見害がなさそうだが、伝えた知識は無意味かもしれないし

あるいは誤解を生んで、聞いた人を暴走?させてしまうかもしれない。

 

空気を読むどころか、それ以前に頭が悪くなっていないか

バカになっていないか、よくよく自分の姿を想像してみることが

大切に思うこのごろである。


ではまた