島野菜のたぐいと、想定外喪失・・・

 


今年の流行語は、自粛になるかもしれぬ・・・

自粛を要請、つまり武士道で言うところの、切腹を促すようなものか。

日本人とは奥深いというか、あくまで自分の手は汚さぬというか・・・

 

居眠りして、クレーン車で小学生数名がひき殺されてしまった。

人が増えると、いろんなことが起こる。

 

諫早が妙なことになっている。

開門すると、面倒が起こるからやめろという訴訟が起きた。

気になるのが、門を開けると排水が悪くなり防災上危険という文言がある。

堰が機能しなかった場合、即刻危険ということだ。

 

だが、堰が安全なら、全国の浅瀬は堰だらけのはずだが・・・

 

もともと、

きっかけは、農地を増やすことが目的だった。

だから干拓地は、マイナス標高から2mの範囲で造成された。

堰の情報はこちらにある。 (ちなみにPDFはこちらのソフトで爆速になる)

賛成派の方だと思うが、そんな場所に住むこと自体、正気の沙汰ではない。

 

確かに、水門を開ければ、当然土地より潮位が高くなる。

平均満潮潮位が2.5mだから、全て海底になってしまう農地だ。

最大潮位だともっと沈む。

なので、一方でこの計画は、もともと水門を開けたら危険な設計だと

証明してしまっている・・・なんだか論点がハチャメチャだ。

なぜ農地に住まわせたのか、行政の許認可にも問題がある。

造っちゃった手前、人の盾というか人柱が欲しかったのかもしれない。

水門の内側に更に防潮堤を設けて、干拓地の内水面は常に

標高ゼロメートルより1m以上低い水位で管理することが基本運用だそうだ。

そういうことなので、水門を開けても即座に冠水するわけではなく

地面よりも海水が高い状態が長引くだけだ。

 

干拓地を低くすることは、埋め土を少なくできるし、

農業用水の配水が楽になり、相当なコストダウンになる。

そのコストダウンが、誰の利になったかは知らぬが・・・

 

他方で、もともと干拓地を造成するまえの海岸地域は

潮位の高さから、梅雨などの豪雨時、海への排水難で冠水していた。

それを解決するという詭弁を用いて、造成された背景を持つ。

 

もともと農業用水の整備を怠っていた自治体のようだ。

用水路の用地買収の手間隙をいやがる、役場職員を想定した

ナマケグセ応用ビジネスモデルの典型ということころか。

とてつもない費用をかけて、防災上も農業上もまずい造成を行ったわけだ。

 

衛星写真で見て分かるように、堰の内側に大きな調整池がある。

引き潮のとき、一機に排水して水位を下げ、河川の流入に応えるしくみ。

だが、どこぞの原発同様、水門を制御する電源がなくなったとき

流行先端?の想定外が簡単に起こるしくみでもある。

 

ま、そんなこんなは放っておいても、本来は河口は生物も豊かで

夕暮れにマッタリとしたくなる水辺なのであるが・・・

堰の内側では、膨大なヨドミ水がたたえられている。

それを毎日ながめて生活する水辺の人たち・・・

衛生的にも、精神衛生的にも、ことごとく気持ち悪いしくみだ。

 

原発設計不良事件で、電源喪失というヒントを得た我等。

見直すのは発電所だけではない。

 

いずれにせよ

もともと狭い場所に人口爆発を起こし、ひしめいて生活していなければ、

原発も、クレーン事故も、諫早の堰も要らなかったのかもしれない。

結局、温暖化も原発事故も、増えすぎた人類を支える無理が

積もった結果である。

 

いうなれば、

小さな幸せの積み重ねで、大きな不幸を養っている。

プラスがあるところ、必ずマイナスが存在する。

それが世の仕組みである。

ただそれは、常にバランスしているわけではなく

長いスパンで跳ね返ってくるし、長く溜まった不幸は巨大化し

一気に堰をきったようにやってくる可能性もある。

幸せは、幸せなうちに幸せておかなくてはならないようだ。

 

早い者勝ち・・・物質浪費型幸せ追求社会は

将来に対して、くれぐれも情け無用には違いない・・・


さてさて

島に来てしみじみ感じている。

流通させる農作物は、かなり無理しているな・・・と。

 

いやべつに甘ったるいことは言わぬ。

フツーの作物を食うな!とか、今風なら、購買を自粛せよ!と、

シンプルに訴えているだけだ・・・

流通している野菜は薬物が体に溜まるぞ! に尽きる。

別に冷蔵庫と電気のある文明をやめろというのではない、簡単なことだ。

だが、安くて食べやすい野菜ほど、安易に栽培されているのが実際。

栄養価も、イマイチなものも多い。

輸入食品に至っては、すさまじい防虫防腐処理をして輸入される。

肝臓や体脂肪に溜まって、子供に母乳経由するなどして

薬効は移動し、乳飲み子にも伝達される。

 

さて

私が気づいたのは、ソラマメをむいたときだった。

このソラマメ、内地で売っている高価で大きいのと、違うな・・・と。

 

大きくて、美しいのは間違いない、内地で流通する豆は。

横浜時代、500円くらいで、30粒もないパックを買っていたが

島の100円ソラマメは、何もかも違う。

 

皮付き、皮なし、それぞれあるが、ゆでた感じが全くちがう・・・

 

ゆでたマメを見れば分かる。

茹でたマメはしわがよるのが内地の常識である。

だが・・・・・・・島のマメはシワがなさすぎて、不自然なほどきれいだ。

完熟のためだろう、食感もほくほくとして、皮はやや厚く歯ごたえがある。

おつまみで食べる、あの揚げたやつは皮を取り払って食べるが

確かに硬めの皮がある。

 

冷凍したのを解凍すると、シモトリ機能のため脱水するので

シウャーでの!(しわいでの!=山口弁の、繊維っぽくて硬いぞ!の意)

やっぱり新鮮なものは、新鮮なまま食べるのがよろしいようだ。

 

南京(カボチャ)のように生でちょっと味見・・・ができれば

マメももっと選びやすくなりそうだが、そうもならぬ。

マメ科のマメにはすべて毒があるからだ。

 

この時期、インゲンをよくいただくが、インゲンも立派なマメなので

生食できないのが残念に感じられる。

 

世の中の野菜というか植物は、ほとんど毒があり

渋みやアクがとても強い。

生で食べられるのは、栽培品種や、わずかな野草だけだ。

 

火を通すのには、それぞれ意味があって

焼くとかチンすればいいのと、茹でてアクを抜くのとは違うのだが・・・

昔の人らは意識してないから、栄養価を失う調理法もズボラに信じている。

私はそれについて、放置する方針であることは言うまでもない。

昔の人は、もう今更さほど栄養を必要としていないではないか。(笑)

それを頭の良くない嫁に伝達するのが、多少マズイことではあるが。

 

茹でることは、少なからず栄養を捨てることに他ならないからだ。

 

ま、このごろの人らは、サプリメントとかいうビタミン剤で補給するから

問題ないようであるが・・・ビタミンCなどは、単品で摂取するよりも

食事中か食後に摂取する方が、とても吸収が効率的らしい。

 

私は昭和のニンゲンだからか

サプリメントを買って摂取するくらいなら、そのへんにたくさん生えている

苦いニガナを採ってきて、白和えにして食べる方がとっても好ましい。

市販のンジャナ(沖縄産)は、ほろ苦いらしいが・・・

海岸に生えているものは、新芽でもとてつもなく苦いから

効くぅ〜という実感をもって、ついでにお酒もいただいてしまえるわけだ。

 

島では、長命草(ボタンボウフウ)がちょっとしたブームで

海岸でも盛んに新芽がむしられるようになったから

今度はニガナを独占的に食べちゃおうと思うところである。

ニガナの苦さに比べたら、長命草の苦味などお子様用だ・・・

ただし、この時期の新芽はとてつもなくニオイが強い。

反面、ニガナはさっぱりニオイがなさすぎて、

ただただ苦い苦しいお惣菜と化すのが困ったチャンである。

だが、野草のくせに生食できるというのは優れもの。

 

島の野菜は、基本的に自家用が多い。

ただ、役場職員でも実は嫁さん名で農協に登録しておいて

しっかしちゃっかり作物を出荷している方々も多い。

なんか、税金対策にもなるらしい。

そんなわけで、力みすぎないで作られているのである。

自分たちも食べる用、あまったら配る用として作っているので

めっぽう良心的な栽培方法?だったり。

 

したがって

100均で無人販売されているのは、自家用がのと不号品の二種。

 

純粋に、趣味で自家用野菜を作り売っている100均がある。

松原西区にある遊友広場(ゆうゆうひろば)だ。

もちろん、無農薬。

趣味で作られているだけあって、とても愛情深く扱いが丁寧で

出荷する際も、大切に洗って束ねられている。

 

巨大なネギが100円だったので、買ってみた。

一本でおなかがふくれる。

出汁でさっと煮にしたり、すき鍋にしたりする。

仕上げのカツブシとの愛称も抜群だ。

どんだけネギ好きなのやら・・・

 

濃厚な鶏もも出汁で、甘しょっぱいすき鍋にすると、とき卵がよく合う。

 

これまで、重さからみるとネギは比較的高価だった。

だが、島ではそうでもなく、野菜レベルで手に入る時期もある。

血液サラサラ系野菜であり、コクも、ほどよい甘みもあるネギ。

もともと、いかなる野菜がなくてもネギだけは必要だった。

なにしろ大好きなそばなど温麺類に欠かせないから。

 

これからは、野菜としてもっと食べてみたいと思う食材になった。

島野菜は、ことごとくシーズンだけ爆発的に手に入る。

とりあえず、冷凍しても美味しくなさそうだし、冷凍庫も足りない。

 

このごろ、ちょっと気持ちの余裕ができてきたし、食欲も出てきた。

いろいろ食べて試して、食べる楽しみを取り戻したいと思う。

釣った魚も含めて。

 

脱線するが、先日ひょんなことがあった。

久かたぶりに釣りの準備をしたら、バッグやライフジャケットの

ファスナーというファスナーが錆びて開かなくなっていた。

あるいは、開かなさすぎて取っ手が折れてしまった・・・

こりゃまずいな・・・いろんな意味で錆びがきちょらぁや・・・

 

それとは別に

地元のスーパーには、相変わらずナゾの調味料(アミノ酸等)のカツ物体が

今も店頭に、しっかりと存在している。

これを買う人の足の裏が見てみたいくらい、買えない一品だ。

何の揚げ物か不明、しかもこのスーパーのロースカツは合成肉であり

ロースだったか全く不明な肉を、何らかの手法で粉砕してから

固めなおした・・・ハムっぽい物体に衣をつけて揚げたもの。

無論、ロースのジューシーさも味もなく、超安売り用のロースハム未満だ。

 

私の釣具も釣り感覚も、ナゾの揚げ物提供者同様に錆び付いて久しい。

無理せず、遊ぶとしよう。 食料調達意欲(食欲?)はおいておき・・・

 

常識は錆びる。

常識は、存外薄っぺらで、浜に打ち上げられたイカの甲で思い知る。

これも日常の手の中にある常識なんだ・・・

想定外なんて、自分の人生に言い訳しようとしたところで

そのときはもう終わっていて、語ろうにもあの世だろうな・・・

 

想定外と言える余裕が、おそらく私には存在しないし

言えるうちは、甘い何かに包まれているのだろうから

想定内でも想定外といえる余裕がある。

でも余裕がなくなったときを想定するより、

余裕がなくなる前に、回避できる想定をしておくのが

人の道だろうと・・・釣りを前提に・・・私は・・・思ったりする・・・

 

美味しい刺身を、食べたい気持ちを抑えきれないけれど・・・

 

ともあれ、シーズンインした、ニンジン収穫期。

考えるにニンジンの美味しい食べ方のなかで、有難い!と感じるのは

個人的に漬物である!!!

他の漬物は、なぜか美味しくても、フーン・・・と思うだけだが

なぜかニンジンは、すごい漬物じゃぁ!と思ってしまう。

そんなニンジンの時節、新たな漬物開拓ソウルが

私を突き動かそうとしている・・・食欲不振のリバウンドとは絶大のようだ・・・

 

そもそも

想定外とは自分の乏しい想像力、リスク回避無能を語る、言葉。

自分の部下の不実に対し、遺憾だと言い放つ無責任同様、他人事だ。

本来、対外へ堂々といえる言葉ではないはずだった。

日本は、私以上に錆びて腐ってしまっているのかもしれない。

 

ビンボーなオッサンには、いかにもメンドクサイので

食べること、釣りをすることに集中したいと思うこのごろであった。


ではまた