忙しいときは、よけい忙しい

 


金権無法国家中国の痴呆ぶりも笑えなくなってきたし

許しがたくもなってきた。

尖閣諸島の現象は、中国が旧来の手法で統制してきた

国民世論だったが、インターネットが普及したことで

暴走しがちな中国人の性格によって発生する世論を

抑えきれないので、それ以上の暴走をして見せた・・・

という噴飯ものの情けない国政によるものである。

中国はもはや、インターネット情報に翻弄された、

思想なき無法国家といっても過言ではない。

 

もし、反論するならば、金権意外に法律を重んじる

人なり、法律が存在し、実行力を持つことを実証し

すぐさま、バカげた論争を収拾できるだろう。

 

そもそも、バカげた行為や論争は、中国から出ただけで

日本はそのとばっちりを浴びただけに過ぎないのだから。

 

その無意味でウザッタイ行為を、早々に中国で国内処理されたい。

 

一方、その子供的な存在の北朝鮮。

ジョンウンには実力がないから、どうやら金将軍の母親似に

整形してまで跡継ぎにしたいようだ。

これ以上、もうこれいじょう、東洋の恥を世界に広めないで欲しい。

 

中国も、人民元の相場維持に関して、子供でもできるような

幼稚な詭弁で恥をさらすことはやめていただきたい。

同じ東洋人として、恥を知る民族として、切に訴えるところである。

自国の稚拙な体制を保護し、助長するような答弁は

だれがどのような立場で聞いたとしても、容認できないし

痴態をさらしているだけということに、気づかない体質を改めたまえ。

中国四千年の歴史がすべて恥となっている事実を知りたまえ。


O沢の姿勢がおかしい。

不正が無いのなら、当事者である本人が、

あれほど不自然な読み上げ的なコメントはできない。

ウソを重ね続けるとあのような口述になることは、分かりやすい。

 

民主党が政権であり続けることも難しいだろうが

このような不安定で、国政を委譲できない政治が蔓延している

日本国自体、危機であるものの・・・私も含め、意識が薄すぎるようで

税金が、無駄に誰かの懐へ流れ込むスタイルは、全く維持され続けている。

我ら日本人の生活や政治は、腐っているのに意識されない

不毛な領域を維持するための政治について、我らは無頓着すぎる。

 

すでに20年前に、死者への年金需給は発覚しているが

それを、自分の親族への架空需給が危ういからと、もみ消す事態があった。

そういう政府のありかた、公共事業の腐敗・・・日本は一度

何もかも精算してしまったほうが、いいのかもしれぬな・・・


 

さてさて

 

役場との約束の日よりも、半月早く引越そうとしているとき

まさに、渡り鳥のシーズンでもあり、海は真夏を呈し、

友の大切な人の誕生祝いが迫り、引っ越す先の家は

網戸もない、愛車スーパーレジェーラ・パッソが入られない

狭き門であるなど、本来ならサワヤカなセプテンバーウィンドに

のんびりと過ごしているはずであったろうものを。

 

なんだか、まだ落ち着いた感じがしない。

カーテンをつけていないこともある。

島にしては珍しく、入居に契約書などがあったり

毎週毎週運動会があったり、パソコン教室をしなきゃだったり

部屋の中が、収納が無いために片付かないままの

生活だったりで、精神的に窮屈だからだろう。

 

そういう時は

積極的に、逃避しなくてはいけない。

世間的には、リフレッシュ・・・というのかもしれぬ。

 

基本は釣りだったが、用意こそしているものの

なぜか海がそんな感じでない。

そうなると、鳥見(とりみ)である。

今年は干潟が静かだ。

でも陸(おか)はソコソコ、いいキャストがそろってきた。

去年は気づかなかったが、畑にはツメナガセキレイ

山にも里にも、エゾビタキがやってきている。

 

以前、奄美大島からやってきた、T田氏から電話があったので

仕方なく無理やり観察し始めたタカ柱の観察だが、なかなか面白い。

 

10月にはいって、涼しくなったかと思ったら

カラリとしながらも妙に暑い。

今度の家は、庭や軒下のコンクリに日が当たって照りが暑い。

台所は涼しいのだが、台所にコモルわけにもいかぬから

やっぱり海に入ることになる。

 

ずいぶん雨が降らないから、

海底の湧き水がなくなり、夏よりよほどヌルい海。

魚は減ってしまったようだ。

カメはいるが、魚はとぼしく、のほほんとヤシの実が流れていた

 

そんな最中に、テレビ代わりのYouTubeで

アニメ・ブリーチなんぞを見たら、狛村(こまむら)隊長は犬じゃん・・・

Wikiで見たところ、設定では人狼(じんろう)?らしい。

でも、まちがいなくソフトバンクのお父さんに近い。

それに狛犬の狛の字っていったい・・・

だいいち、キツネ色の狼はいないし、柴犬系まちがいなしだ。

人狼でなく人柴(ひと・しば)?である。

色合いはキツネそのものだが、瞳がネコのように縦でないから

キツネではない。 キツネは犬の姿をした猫のような生き物だ。

 

この忙しいときに・・・珍妙な映像を見てしまって調子が狂うぜ・・・

やはり、そろそろテレビを復活させようか。

 

引越し費用は、まだウツケたイケガミのおかげで振込みがなく

すでに10万以上を引越しで使ってしまったが、

移転費用50万から、さらに17万の国民年金を払っても、まだ余る。

それで何年もの町のケーブルテレビ視聴が可能である。

 

それにしても

イケガミは、私の移転費用を横領しようとでもいうのだろうか?

彼はイロイロあってというか、自業自得で、今は家族をなくし

独り暮らしらしい。

子供がそのままオトナになるケースが多いのが島である。

なにしろ、日本中どこでもそうだが、方言だけで暮らしていると

ほとんど「ひらがな」しか話さないままに体が成長するから

頭が追いつかないのは、仕方ないことなのかも知れぬ。

カタカナや漢字は、よほどのことがない限り頭に浮かべない。

もともと文盲だったころの言葉だからだ。

方言の功罪を、あらためて痛感している。

今の50代以降には、その傾向がみられる。

 

日常的な事柄は伝えられるが、見聞きしていない新しい事柄や

複雑な事情を伝えるのは、全く無理な伝達手段なのであった・・・

 

進歩の早い現代において、方言のあり方は、より複雑になっている。

方言復古の動きも各地にあるが、まんま昔に返ったら、

昔の馬鹿状態に戻ってしまうことにも配慮しなくてはいけない。

方言は、味わい深いのではない、懐古的に味わいがあるだけで

ボキャブラリー的には、全く深い意味をなせないのである。

 

方言には、文盲時代の情報量に戻るという、

弱点があるのに、まったく気づかなかった・・・

反面、その土地土地に由来する、独特の事象については

他の方言や感じでは表現できない、的確な表現を持っていることは

絶対的に優位でもある。

 

たとえば、島での局地的豪雨は片降り(かたんぶい)、

島の片方だけで降る、風向きによる豪雨と思われるが

島の人たちは、単にスコールが局地的に降ることだけを

意識しているにすぎないようだ。

山口弁で、道がぬかるんでいる様を、ジルい。(形容詞)

近い将来を言うことが多かったのか・・・?

三重では、明日、あさって、ささって、しあさって、というふうに

4日先までを表現できる。

 

現代に至って、複雑な事象を表現した方言が

よりシンプルに、いわば馬鹿になって伝わっていることには

しょうしょう閉口してしまう・・・

 

複雑なことからは逃げたいという、安易な人間心理が

脈々と受け継がれているということの証言である・・・

人は易きに流れるとの理。

 

ともあれ、ようやく生コンを入れて、我が家も広き門になった。

集落では、借りた家を破壊する内地人・・・的な向きも、多かったよう。

 

でも、

同じ集落の方々に相談し、手を借りた工事でもあって

誤解は少なくてすんだようだ。

生コンは1立米では足りず、もう0.5立米を追加して完成。

0.5立米の注文に応えてくれる天城生コンに感謝だ。

最後の仕上げのコテは、私みずからが、見よう見まねで

チャレンジして仕上げてある。

以前、生コン作業を見ていたので、学習しておいた。

 

24時間後・・・スーパーレジェーラ・パッソもご機嫌である。

こうしてみると広いが、手前の道自体が狭いので

車を入れるのはカナリ神経を使う。

 

まーそんなこんなで、てんやわんや。

神経質なので、今の家に馴染むには何ヶ月かかかるだろう。

 

幸い、ご近所さんにも気に入られつつあるものの

町長選がせまっているので、その動静によっては

冷え込む可能性もなくはない。

役場の仕事関係も、本来ならば町長選までに

節目を迎えるはずだったが・・・そんなにスムーズなわけもなく。

パソコン教室も、そのほかの仕事も、まだまだ途中であった。

 

とはいえ、

そんな動静ごときで崩れるような集落の結束でもない。

それが島の偉大なところである。

町長選ではくいちがっても、島が危険になったら、みな同じ意思。

 

無駄に悩まない、無駄に神経質にならなくていい・・・

と分かっていつつ、それでも脳みそが勝手にウダウダするので

ここしばらくは、悩みそうである。

 

秋は、なんだかんだ、ソンナコンナで忙しくなる時節である。


ではまた