人生のベタ凪は なかなかない。

 


親友から、ウツは大丈夫か?との連絡があったので

本文前に記しておくが、ウツ症状がやわらいだので

体験を分析的に記述したのが、本記事である。

今のところ、一進一退、少し良い方へ漸進しているように思う。


東シナ海でも、年に何度かベタ凪がある。

ちょっと日本海に似たところがあるように見える。

ただし、油凪はない。

 

金を稼がなくても、稼いでも、多かれ少なかれ波は起こる。

生きるということは、波をつくり、波にもまれるということのようだ。

 

波がうとましいこともあれば、大波がとても恋しくなることもある。

 

精神科医もわかっているのだろうが、なぜか伏せているウツ脳。

軽いウツ・・・なんてのはウソだ。

精神力や体力、個人史と人間関係などによって

進行したウツ脳にストレスが蓄積し、発症が決まると感じている。

ウツになる前に、ウツ準備OKなウツ脳があるということだ。

ただ、体験的にはウツ脳は治りにくく、いずれウツに向かってしまう

ように感じている。

 

私はハゲたことによって、外聞を捨てた・・・

ように思ったが、捨てきれたわけではない、人間だから。

同種の生物に耳を貸さなくなったら、それは生物として存在しづらい。

理屈はどうあれ、そういう応力のようなものが脳内に残っていて

かなり捨てたが、しっかりある。

 

自分をしっかり持っていれば、たとえ独りでも生き抜くという

意味不明な気概によって、応力を抑えていたようにも感じる。

 

一方で、人恋しくなることもある。

まー私は人付き合いが苦手ということもあって

友人とすごす日は、年に何回か・・・程度でも充分だ。

 

とても助かっていることは

島に来てからは、友人と職場の人間関係が同一になったこと。

 

みなそれぞれ、自分の殻の内外を持っているが

殻の外も何分割もするのが内地人というか私だった。

その制御が変になって崩壊しかけたようにも思う。

 

起源は中学転校時の、ささいなトラブルなのだが・・・

 

内外精神の使い分けはだれしもすることだ。

秘密というのが内側にあたる事柄だ。

秘密などない!といっても・・・

 

ウンコをふくとき、いつも血がついているのに

痔だと家族にいえないとか

 

このごろダンナの口臭がひどくなったけど

打ち明けられないとか・・・そういうことはあるだろう。

 

一方、外面(そとづら)もたくさん持っている。

それこそ、対面している人ごとに、すべて持っていてもおかしくない。

 

そうした、大小さまざまな別の自分を創っては増やすのが人格の深さ。

 

あまりに自分の心の耐力を超えると、制御不能になるのだが

その耐力自体が、医学で表せない、

社会的に見たら、極私的な精神能力の差によるが、

そう書くと私的な脳内処理能力のキタエ方の差ではないか!と

思われる向きもあろう。

 

それこそが落とし穴。

 

脳内で処理できる事柄は、それぞれの育った環境によって

大胆かつ繊細に異なっているので、教育のような漠然とした

型にはめこもうなど、おそらくとんでもないことで、

薄っぺらな経験や浅い研究の結果生まれた、能力の平準化こそ

とても危険なことなのである。

例えば九九を覚えられないヤツが、バイクに乗ると危険だ!というのは

ハナハダ非行青少年被害幻想を持ちすぎな向きである。

運転は文字計算ではない、右脳と運動神経。

むしろ計算得意は逆効果でもある。 ただし珠算は右脳らしい。

 

このごろ運動神経が衰えすぎた老体で車に乗るから

止めようとしながらアクセルダッシュする事故が相次いでいる。

そっちの方が深刻だ。

注意しても教訓を得ても、、もう一生治らない。

 

バックできない奥様方が多いのは、右脳を鍛えなかった

日本の男尊女卑の社会構造によるところが大きい。

実はこれ、女は賢くない方がいいという偏った考えによる

人権に関わる大問題なのだが。

女性も、考えない方が楽なので、そうする向きが多いように思う。

 

ともあれウツになる脳についてはこうだ。

 

能動的ウツ脳の働き=脳内物質の不足(吸収が早いらしい)

→思考の混乱→よい事より、嫌な事柄(リスク)の反復思考

→被害者意識の増大→被害者妄想の膨大→実力行使への考察

→脳内物質不足による思考の限界と平準化

→被害妄想への対応の確定へ・・・

なんてことになりやすい。

 

受動的ウツ脳の働き=同様に脳内物質が不足

→思考の混乱→やりたくない理由の検索(いいわけの創出)

→いいわけを自覚して、かっとうし自壊しはじめる

→自分が情けなくなる→ほぼ同時に考えを中止し吐き気や

めまい、腹痛など体調不善によって思考を中止する。

といったことになる。

 

ウツ脳の本質は、嫌な事柄の無意識な無限反復や

意識しようとしていない事柄(意識したい事柄はならない気がする)の

無限反復が脳内に氾濫し始めることが、分かりやすい初期症状だろう。

 

誰しも経験する、好きな楽曲を何度も聞くうちに

何をしていても脳内で音楽が流れているのと似ていて

嫌なことを避けたいのに、いつも脳内でハードローテーションされ

嫌なことへの、対処法が無駄に妄想されていくのだ。

 

ただ、脳内物質がないのに、なぜ妄想が膨らむのか!?との

矛盾もあるだろうが、脳は生きることに合理的であるということと

妄想はとても遅い思考のなかで、繰り返されるだけで

逆に、普段の時間に照らすと遅すぎる反面、長時間でもあり

長い時間をかけただけに、意識レベルの深い部分に到達し

すごく考察したような気持ちにさせてしまう効果もあるように思う。

 

ウツ脳とは、ほぼ無意味でありながら、

あくなき最悪事象の対策を繰り返し思考することと

考察の幅はさっぱりだが、本人意識に深く食い込んで

偏執さが加速されやすいということが特徴だ。

 

他方で

ウツまでいかないウツ脳においては、悩みによる不眠加速や

昼間や就寝中の動悸の発生、思考することによる吐き気や嫌悪感が

発生しやすい。

 

もちろん、考えたくないのに思考がループし繰り返す症状が出る。

けれども、理性とのせめぎあいにより、自殺や自傷行為には至りにくい。

 

ウツ脳とは、闘う心と本能と理性の三すくみだ。

 

闘いが激しくなったり、長引くと、理性が負けるのは当然だ。

一番生物的に遠い意識だからだ。

 

ウツ脳の定義は、経験中の私でも、程度が分からぬので

どういうものかとは言い当て辛いが・・・

週に1、2日眠らない日がある、

考え出すと悪い方向の考えが止まらなくなる

人に会いたいときと、怖いときがある、

気にしていない音楽が、寝ようとする脳内でも迷惑に繰り返される、

といった感じか。

あるいは、誰もがある症状だとも思う。

 

精神的にベタ凪というのは、とてもアリエナイというか

僧侶か天皇家の方々くらいしか、到達できない境地だと思うものの

やはり、精神が静まれば、感じ方も変わると思う。

 

何度か書いたが、悩みというのは世の中に存在していない。

それは、悩みを作り出す本人だけの現象なのだ。

悩みを持たなくとも生活はできる。

 

まー、問題意識が希薄になれば、

向上心は生まれないかもしれない。

 

したがって宗教など、決まったコースにはまるしか

向上できない宿命ともいえるだろう。

 

私は、チューガクセーがそのままオッサンになったような男。

ガラスのような精神力と、オッサン的なグータラを並存させている。

 

動物観察などで、細かな発見を繰り返すのは

ガラス系精神のおかげである。

 

一方そのために、ウツ脳にはまった・・・ことも否めない。

人間、ホドホドが一番いいのだろう。

 

どうせヒマなんだから、頭の中を真っ白にする修練を積むのも

よさそうである。

心頭を滅却すれば、エアコンも不要・・・ってことで。

熱射で死ぬかな? 到底そこまで達しないと思うが。

 

まーいろいろ書いたが、ウツ脳はこのように考察遊戯に使うと

とても様々な事を、勝手に発想してくれる。

 

発想が暗転したときは、しばらく書くのをやめてしまうので、

アップが遅れたりしてしまうが、それはそれで仕方ない。

 

ちなみに、ウツ脳と分かったのは、以前も書いたように

パキシルなど、抗うつ薬がとても効くことで実証済みである。

正常脳にはちっとも効かない薬である。

ただし副作用が激しい薬もあるので、実験はおススメできないが。

 

まだまだ、付き合いは長くなりそうな予感がするなぁ。

ま焦っても仕方ない、今は家探しが優先だ。


ところで

まだまだ徳之島への米軍基地移設問題は続いている。

七日に開かれた、兼久集落の反対集会である。

参加者が、やたら高齢者っぽいのが気にかかる・・・

島の子育て世代は、様々な活動にとても消極的さが目立つ。

ちなみに、私も赤い反対Tシャツを着て参加している。

もうひとつちなみに、ズボンも赤いので、赤いオッサンで

3倍速そうに見えているが、ツノも毛も金もない・・・

現在、バイト料が入るまで、家賃滞納中で

大家さんと顔を合わせると、気まずい空気が流れるのであった。


ではまた