国土破壊米兵問題

このごろの味覚破壊食品!?

アレコレオムニバス

 


もう梅雨に入ってしまった。

今年は晴れても強風の日が多かったので、まともに好天という記憶は

例の15,000人集会のときと、水平線に沈む夕陽を撮影した日くらいか。

 

ご存知の通り

私をバクヤチマに雇ってくれた恩人、ウヨチウヨチ・サヒーオが

テレビに出て実にカッコいいし、気持ちいい。

大家さんになりかけた、ウヨチウヨチ・ボクーオの熱弁も素晴らしい。

県道沿いのバーチャンの家を貸すぞ、と言ってくれた恩人だ。

 

伊仙町の人間は情熱的で、天城町の人間は粘り強い。

超絶悪政時代、砂糖地獄を生き抜いてきた島人の

生き抜こうとする意志の強さが、ゆるい政府の連中にも

少しは分かったろう。

 

あるいは、民主党内でも意思疎通できないから、

シコシコとアレコレ夢想するのに忙しく、それどころではないか・・・

 

黄色いカリユシウェアについては、痴呆なのか?と思うほど

無知無体を世界に示してしまった。

O沢ともども、とっとと降りたまえ、いやむしろ

いいかげん服役したまえ!

 

一方

渡米し、国務省で普天間の無条件撤去を求めた共産主義者がいる。

やるではないか!!!

 

平和憲法の矛盾を正すには、それしかないからである。

全世界の共産主義はどうも金銭主権の資本主義に翻弄され

無理想状態に陥ってしまった残念さがあるが

彼の行動には、胸のすく思いだ。

 

日本は本土決戦以外はやらない!

と明文化しながら

ただし、

ガイジンに守ってもらう前提だけど

といった事柄を平然と行っている憲法が

どのような視点で、平和について信頼されるというのだろう。

 

僕の見解が青臭いことは分かっているが、それ以前に憲法が

単なる理想論であることに問題があることに気づくことが先だ。

 

ウタカタの理想憲法を真に受けている国民自体が

ものすごく青臭いというよりも甘ったるいといえるだろう。

 

それはもう、

弱いことが優しいと勘違いしている

重症の「のびた君症候群」である。

ドラえもんに守ってもらい、励ましてもらえる前提のことだ。

だが、我々はタケコプターや、どこでもドアでトンズラできない。

テポドンが降ってきたら、受けるしかないのだ。

 

先日鹿児島でも、反対集会をやってくれた。

でもやはり、テンションはかなり低い、とうか縁者だけのよう。

遠い、というのは、心の距離も遠い。

 

ましてや

過去、薩摩藩が踏み台にしてきた島民など

遠い、むしろ遠ざけ疎ましい存在なのかもしれない。

今となっては、鹿児島本土には恩恵が無い。

 

予算的には、過去沖縄と同様に占領地域だったため

奄美の振興予算という特別枠があり、内地よりも税金の還付が多い。

通称「奄振(あましん)事業」という。

 

ただ、道路や通信インフラの乏しい島々では

多少予算がばら撒かれたとて、物流も通信も立ち遅れが目立ち

内地との格差は大きい。

 

どんなに美味しい作物を育てても

運賃だけで売値が倍になる苦しさがある。ということを

風の噂で知っていても、本土では実感はない。

スーパーで、さまざまな商品が普通に特売されていたり

上限千円で高速ドライブできたりする恩恵が島には無縁なことが

どれほどの格差か分からないのだろう。

 

新聞もようやく午前に届くようになった。

ネットを使えばいいじゃん!という向きに

まだISDNしか通じない場所もあると伝えておく。

 

ともあれ

国を維持することを他国にゆだねるにも

自国で決戦するにも、覚悟が必要なのに、今はまったくない。

政府が優柔不断なのは、国民各々の優柔不断であって

国民の想いが明解になっただけのことでもある。

 

なんとなくメリケンとの関係をつないでおきたいし

沖縄に居てほしいとも思わない・・・政府が決着させれば

政府以外の内地の人間達も、なんとなく一緒に被害者面できる、

とでも考えているように見える。

 

だが、明確に反対しなかったら、我々に押し付けることに

賛成であることに、間違いはない。

答えを持ち合わせていないこと、それも同様だ。

 

イケニエが必要なのだから、日本全国が頭を下げ、

沖縄にお願いしておくべきだったが、それに気づくには

たいそう時間がかかってしまい、

沖縄は基地の島ということが常識であるかのような、

教育にも問題があったし、

知ろうとしなかった我々、戦後の内地人の問題でもある。

 

占領地、沖縄はまだ続いているし、沖縄だけでなく

奄美群島も同様なのである。

密約のあるなし以前に、事実奄美群島が候補地になった時点で

占領地を撤退する際に、条件が突きつけられたのは明白だ。

 

一方

奄美群島も戦後占領下にあり、日本でなかった事実は

あまり知られていないのではなかろうか?

私はちなみに、島に来てから初めて知った。

沖縄だけが戦場だったわけではない。

 

ところで

いまさら説明など聞く耳を持たぬが、なぜ徳之島なのか。

与論、沖永良部でも、奄美大島でもなく徳之島の説明。

落ちこぼれ米兵は、食欲と性欲だけは人一倍である。

浪費癖もあるから、基地内で完結できないだろうし

問題は米兵の気性にあることは間違いない。

だが、なぜ半端な徳之島なのか・・・?

沖永良部全島を明け渡すのは問題で、

徳之島の半分を明け渡すならOKという理由は何だ?

 

ともあれ

おちこぼれ米兵リサイクル施設は、日本に絶対無用だ!

政府も、ウカウカしているうちに、島がこれほど

徹底的に反対し、先手を打つとは想定外だったのかもしれない。

 

だが、想定外だったとはいえ、がけっぷちのシコ山政権が

ウジウジシコシコ夢想して何をしでかすか分からないし、

内地から見たら徳之島でイイジャンと思う、軽い人間も多かろう。

このまま支持率が下がったら、O沢ともども間違いなく有罪だ。

 

人間の基本である信頼が、失われた者。

筋を通すことができない男ほど、無駄に恐ろしい存在は無い。

それが頂点である日本は、どうかしている。

もともと、とが人をあそこまでにしてしまった

我ら国民の罪が重いのかもしれない。

 

賛成といえないが、風穴を開けたい徳之島町議が

H野官房長官と会ってしまった。

島内にもまだまだ賛成派は根強い、というか他力本願主義が根強い。

ちょっと流行ったら、調子に乗って事業を拡大したりして

外に向いて仕事をしていないので、マスが限られ

同じような立場の人間が並立すれば、すぐに共倒れになることを

なんにも予測していない、甘さがある・・・奄美だけに・・・?

かといって、外に向かって商売できる気力もない。

 

島は、こういう危機を待っていたのかもしれない。

まだまだ油断できない日々は続くが、少しだけ進化する必要が

あるのかもしれないと、感じるこのごろ。


 

さーてさて後半

 

友人の家具屋さん兼、コンビニ経営者が

未体験物体を喜捨してくれた。

 

パックに入った、どろりとする物体。

うぬう・・・最初はツナマヨネーズと思ったらエビが入っている。

そういえば、こんなのばパンに入っていたり

あろうことか、手巻き寿司に入っていたりするのだろう。

エビツナマヨネーズ、略して味覚破壊食材ETMである。

あれ?STMか??

 

ま、エビごとき、一見たいしたことない変化だろうが

料理と科学の経験がある向きには分かるだろう。

エビはプリプリを維持するために水分が必要だが

マヨネーズの塩分が浸透圧でしぼりとってしまうからだ。

 

うぬう・・・味は・・・?

やっぱりか、エビは形だけだな・・・

ゆでたエビに、塩分をあらかじめ辛めにしみこませて

浸透圧をおさえているが、エビの風味は全くなくなっている・・・

コレはエビとは言えないね。

 

オイシンボっぽいセリフにの出来上がりか?

 

エビの形をした塩っぱくワシャワシャとし

ふやけたスルメみたいな物体がツナマヨに身を投じていた。

どこかの冷凍倉庫に、サイズ不ぞろいなベトナム産むきエビが

眠っているのだろうか・・・たいがいこういうのはリサイクルだ。

中華やちゃんぽんチェーンが、仕入れ縮小でもしたのかも。

 

それにしても

どうやって食したものか・・・

たまには究極マヨラーメニューも良いだろうが

ご飯にかけて食らうというのはいただけない。

 

同時にもらった、少々甘そうなパンにサラダとして仕込むことに。

キャベツと和え物にして、エビツナマヨサンドである。

こ、こ、これが噂の(誰の噂だ)・・・ETMサンド・・・

 

うーん、うーん、うーーーん・・・

 

微妙だ、甘いパンだからか?極めて想像通りの味、

というか想像した以上の味が全くない。

サンドイッチというのは形だけで、ETMと甘いパンを

一緒に口に含んだだけの味であった・・・

キャベツなんかどこへ行ったか味もしない。

 

マヨとツナが叫び、エビがうめき、キャベツは他人のよう

パンはどこ吹く風でわが道を行く。

他人丼というのがあるが、異世界あるいは

パラレルワールドサンドとでも表現したらいいのか

まったく平行線の味が口の中で溶け合わずに砕けていく感覚。

 

ついでにノリも挟んでみたらよかったのだろうか。

アサクサノリは、意外にパンと合う。

海苔トーストというのもあるくらい。

仲介役がいれば、もしかすると・・・と建設的に考えてみる。

 

が・・・今となってはETMと甘いパンが揃って

我が家へやってくることはないだろう。

 

次にETMがやってきたら、どうやって利用するか

今から考えたくなるくらい、組み合わせようのない食品だ。

 

肉じゃがとカレー粉くらい、当たり前に組み合わさってくれる

食品というのは少ないのかもしれない。

 

ETMは、単なるマヨやカレー粉と違って、

すでに調理済み食品だから、更に複雑な組み合わせが

難しいのである。

ラーメンにボルシチを組み合わせるようなものか。

ともあれ、これ以上は無駄に悩む必要もなかろう。

 

その夜、ETMの影響からか、ふと炊き込みご飯で

あまった鶏ムネ肉を見て、良からぬことを思いつく。

 

もし海外でしょうゆだけあれば、うどんが作れるのか?と。

パスタにしょうゆ味の鶏スープだとどのような麺になるか

試しておきたくなったのだ。

 

ETMは味覚を通じてイマジネーション能力を破壊するのか?

 

海外にはネギはないが、まそれは試作品ってことで。

 

うぬう・・・こ、これが噂の・・・西洋うどん・・・

昔から、パスタを和風に食べる噂を聞いたことがあったが

これまた想像どおり・・・まったく・・・見たまんまの味。

 

和麺とちがって塩分が入っていないので

何の味も無い麺と、鶏スープの味そのまんまだ。

すっかり忘れてた、パスタは硬茹でにして、スープやソースの

なかで煮揚げるのが僕の流儀だった・・・

しかも塩分を入れずにゆがいたので、延びるのも早い。

パスタの香りと、やさしい味のスープがまったく合わないし

太さのわりにコシのないパスタが、ちょっと受け入れがたい印象。

 

ETMの影響で、調理能力まで弱められてしまったようだ。

おそるべしETM。

 

戦場で使えば、このマヨラーメニューは恐るべき武器になろう。

食べた者の味覚と頭脳を破壊していく、ETM兵器だ。

日持ちするかどうか分からぬが、それも含めて

ちょうど酸っぱさが苦にならない味が付いている。

チョイ悪くらいでちょうど良かろう。 ついでに腹痛も催す。

米兵に差し入れするならETMだな。(笑)

 

こいつらを食べてから

生物運はよくなったようだ。

アカマタ(ハブを食うヘビ)や、

オカヤドカリ、大きなヒラタクワガタのオスが

我が家で見られるなんて、夢のようである。

 

ただ、Oちゃんに促されて飼ってみているが、

狭いところに閉じ込めて、死んでしまわないか心配だ。

やっぱり生き物は、自然の中でジタバタしてこそ

美しいものである。

臨時タッパーの家で、じっとしている姿は痛々しい。

(夜は活発にカサカサと音を立てて耳障りだが・・・)

 

こういうのってOちゃんは好きなのだろうか・・・

虫屋の観点とはそういう虫を見て嬉しい感覚なんだろうか・・・

 

僕にとっては後ろめたさのカタマリのような行為だ。

手入れしようとすると、一生懸命僕を威嚇する姿は微笑ましいが

彼をここで拘束しても、なんのトクもなかろう。

ま、栄養満点の純黒糖は、いやというほど食べられるものの。

 

これとて、クワガタの味覚破壊?になってしまわぬかと心配。

渋くて甘みの少ない樹液生活にもどれるのだろうか。

 

拘束することも、されることも、最も嫌いな事柄である僕が

一番、性に合わないことである。

うぬう、Oちゃんが見にきたら、すぐ逃がしてやるとするか。

 

雨が降った後は、晴れているときよりも

生き物の通りかかることが多いので、梅雨は最高のシーズン。

マジュンも来ないかなぁ・・・

マジュンなら飼ってみたい気もするのだが。

顔が笑っているみたいでかわいいし。



話は全く変わるが

先日、面白い体験をした。

私は小さいころから読書が苦手である。

なので国語も何もかも苦手であったが、後から理屈をこねる分野とか

短い式でまとまって形のある数学(ベクトル)、歌や技術、美術は

好きであった。

 

でも、

不思議なのは、文章が好きなのに、読めないでいた。

それがどうやら

脳みそにとって文章が読みづらいから、だったようなのだ。

 

小学の教科書は読みやすく行間があいているので音読できたが

高校にもなると行間がつまってきて、歴史など苦痛そのものだった。

なぜか国語の本だけが、縦書きだったりした。

 

社会人になって20年、自分から読んだ本など数冊に満たない。

2冊?くらいだろうか。図鑑は別として。

漫画ですら、単行本のサイズなら頭に入るが

無駄にでかく手が汚れるジャンプとかサンデーとか

時間つぶしの病院や、床屋で見る程度で記憶には

全く残っていないし、ぶつ切りでは意味が分からないストーリーに

飽き飽きしていたことも手伝っていた。

 

また来週、また来週、いつになってもスッキリしないので

とても疎ましかった。

 

人間の記憶には、記憶しやすいスタイルが存在すると

物の本で読んだことがある。

電話番号が4桁で切れていると覚えやすいように

覚えやすいまとまりがある。

チャンクという。

 

先週、7月からやることになったパソコン教室の

CM用の画面を作っていたら、課長が上から順当に

文章で読めるように、という。

役場の運営するケーブルテレビ、AYTの番組外で流れる

静止画の画面についてである。

 

え?テレビ画面を上から読むやつがいるのか?と思った。

 

彼は画面があっても、紙面であっても

視線の先から順当に読む読書派らしかった。

なぜワザワザ画面で、上から下まで順当に読ませる必要があるのか

そもそも、メディアのあり方として、読ませるメディアではないという

考察が無いにしろ、そのステレオタイプもない人間がいたことに驚愕した。

この時点で、私「も」間違っていることに気づいていない。

 

いろいろ考えるうち、彼は左脳人間だということが分かってきた。

一方こちらは、小さいころから家の中でうごめく物体に

目が行って、冬でもゴキブリを見つけてしまう方。

テレビっ子だったということのなのだろうか?

 

しかも、小さいころからお団子くらいからボールくらいの

小さなイラストをあれこれ描くことを楽しんできた右脳派?

そのころのイラストの大きさが、脳の認識しやすさを決めた

のかも・・・しれない。

小学校以前に描いていたみたいだし。

 

つまりこう。

私はものを見たとき、理解する前にボール大の範囲を見回す。

味気ない文字列は飛ばしてカラーの絵や模様を、先に見るのである。

新聞や本、ポスターに風景、女性の頭の先から大好きな太ももまで

一瞬に見回してから、あらためてディテールに入るが、

左脳型人間は、どうやらシーケンシャルに、思った場所から

順当に理解しようとするらしかった。

 

脳の働きそのものが違うので、彼の語っていることは

まったく不可解で、無駄な考えだと思ったが

それぞれ、育った環境や遺伝により、物事の理解の仕方は違うのだ!

脳の理解構造自体が変わっているのである。

 

一方

彼は、人間全てが彼のようなタイプとしか思っていない。

想像するということを知らないのも、ちょっと問題だ。

そして私も、そんな妙な現象など、想像したくないのであった。

 

脳の構造が違うので、相容れようが無いが

そこはそれ、彼の満足のいくように作っておくほうが無難だ。

タバコを吸う人間にとって、タバコは脳の絶対命令だが

そんなの吸わない人間にとって、理解できるハズもない。

ただの臭い煙を吐く浪費人間だろ?といった現象に似ている。

 

こと日本社会では、左利きの人が少ないこともあり、

後天性右脳人間を含めても、理解プロセスの違う

右脳派が少ないのは明白だ。

つまり、僕は少数派っぽいのだ。

 

僕が文章を読めないのは、視線の外まで文章がダラダラ続き

逆に、見えている隣の文字を読んではいけない・・・という

ごく当たり前のロジックによるところだ。

目に入っても、読まないという、脳に取り込まないという

排他処理をすることが、右脳型には難しいのかもしれない。

左脳型にとっては、判読不能、人が話す言語でもない現象を

入ってきても、無視しやすい理解構造なのかもしれない。

 

したがって

右脳では分かり辛い?古来の筆記方法が災いし

イライラして読めなかったのである。

一方、左脳型だと、視線内に文字があっても気にしないでいられる

のだろうと想像する。

 

おそらく僕が読みやすい文章は3センチ角くらいに

まとまって書かれる段組なのだろうと、心当たりがある。

近くの文字を記憶していられるくらいの長さと大きさなら

問題ないのだと思う。

順番に行を読み進むように考えつつ、実はウロウロと

違う行の文字を頭に入れながら・・・

 

このホームページの書き方もおそらく同様の理由から。

 

改行せずにダラダラダラダラダラダラ記述することはできる。

もともと長い文だから・・・

でもプツプツ文毎に切らないと見渡せないので書けないのだ。

書きながら少し前の文章を同時に見ているのだろう。

あまり前行、次行が沢山入ってこないように、

行間はPタグであって、普通の改行のBrタグは使っていない。

僕は自分の理解力はそこそこだろうと思っていたが

右脳使いと左脳使いの間では、文章すら通じにくいという

現実を思い知るにつけ、理解力はどの時点のどの観点で

発揮されるかは未知数だ、と思った。

 

気づかなかった原因は簡単だ。

デザイナーが周りにたくさんいたので感じなかったろうし

逆に磨かれた部分も多かったのだろうと思う。

 

けれど

左脳型が、それほど文章を集中して読もうとするとは知らなかった。

僕にしてみれば、ただの読みたくない黒い文字列、グレーの帯で

まして、本来映像を見せるべきテレビ画面の左から右に

ダラダラ書かれた文字列など意味をなさない。

 

スターウォーズの最初に流れる文章は、流れる画面の雰囲気とか

画面の星々をみながらでは、絶対に判読が間に合わない性分だ。

  

僕にとって

本を読むのにどれほど集中力が必要なことか・・・

しかも聴覚がまたけっこう子供なみで、今もコウモリの声も聞こえる。

耳からの情報も加わって、それはもう読書のための集中というのは

無駄に消耗するものだ。

 

それにしても

誰か右脳型チャンク人間のための本を作ってみると

ヒットするかもしれない。

 

いうなれば、左脳派はコース料理、右脳型は点心

みたいなもんだ。

同じ料理でも先を見ないで食べるか、全部見えて食べるか

の違いがある。

ペース配分を考えれば、後者の方がたくさんの種類を

食べられるが、順番を考えなくてはならない。

一方、コースだろうが天心だろうが関係なく、片っ端から

というのが左脳型。

将来を考えようともしない政治屋は、正に左脳型の典型か?

おそらく

全体像を描くのは人生最後であって、理解も想像も難しい

理解構造なのかもしれない。

ということは左脳型の政治屋は、外交の露払い向き。

 

あー、そういえば本の話だった。

 

個人的には

一円玉くらいのスペースに50字くらいずつ収めて

ページの中にそれぞれ呪文のように浮かんでいる本がいい。

 

今の本は左脳型に片寄った文章記載手段であり

無駄はないが、無理なく理解できる人間も制限される、

ということなんだろうと思う。

 

もしくは左脳型人間を育てる教育体系であって

右脳型人間を特殊型あるいは少数派として切り捨てる

国家的仕組みともいえるのだろう。

 

ま、読書以前から、絵を描いてしまったために

脳の理解構造が変わってしまった人間がどれほどいるか

未知数だが・・・

 

未来の教科書は理解しやすい形に

文章を変形してくれると、進歩的だ。

 

ちなみに、

最近読んだ天城町誌は1ページが上下半分にくぎられ、

ダラダラあたふたと一列の文章を上から下へ

追いかけずに済んだので、多少読めたのに違いない。

文章自体もそれほど長くなかったし。

厚みは電話帳の倍くらいあったが・・・

 

欲を言えばA4なら最低4段以上はほしいところだ。

行間とはいわぬが、段落の間は一行以上ブランクがあると嬉しい。

 

あなたは

そういう悩みを感じたことは、ないだろうか???



またまた話は変わるが

 

和歌山県太地町(たいじちょう)といえば、

釣りの疲れを癒しに訪れた勝浦温泉とほぼ同じ場所で

とても馴染み深い、海の豊かな土地である。

 

ニュースでは、クジラやイルカを食べる住民の

髪の毛に水銀が多く含まれている、とあった。

 

問題は今となっては歯クジラ、つまりイルカに近い種類の

魚やイカを食べるクジラが多くなったことが原因ということと、

歯クジラがいる場所のあたりの、肉食魚類も同様に

水銀を多く持っているので、危険だ、ということである。

 

ひょとすると

天然のサーモン、オヒョウ(カレイ)、サメ、エイ、マグロ、

カツオ、ブリ、カンパチ、ヒラマサなどである。

ノルウェーサーモンは養殖なので、水銀はないだろう。

抗生物質はあるかもしれないが。

 

水銀の生物濃縮が確実に進んでいるという結果であって

クジラを食べなければ平気、のような報道が極めて危険なのだ。

あの意図的さはあまりに幼稚だが、日本がクジラを食べなくする

理由がほしい誰か、が国内にいるようだ。

食べなくすることは簡単だが、失われた文化は取り戻せない。

文化は文章ではなく伝承だ。

特に食文化は、戦乱の権力と違い途切れずに伝わってきた。

武士の文化など、日本文化の一部でしかない。

食文化こそ、士農工商全てがそれぞれに培ってきた

文化の大きな要素なのである。

 

それを単なる感情論や、国際的な取引というより

一方的な締め付けに屈するポーズにするのは、あまりに軽率。

 

京都や大坂、江戸だけが文化ではないことを

忘れてはいけない。

食は歴史、文化そのものだということを、忘れた人が多いようだ。

古文書は途切れてしまうが、食が途切れることはありえない。

 

捕鯨反対の姿勢を見せるオーストラリアだが

自分達が狩りのために持ち込んだ野ウサギが増えすぎ

ウィルスを使って大虐殺を行った国である。

 

とかく人間は、可愛がりたい動物だけを保護し

昆虫などどこ吹く風だから、うかつな保護という概念は

更に歪みを大きくするし、さりとて捕らなくても、ある程度自然が

クジラに対応するのに何百年かかかっても安定はするだろう。

 

クジラが増え、クジラが食べる大量の生物が死に絶え

そしてクジラが減り・・・の波を何度も繰り返して安定していくのだ。

 

ま、我々の科学をアサハカに使ってしまう活動のツケは

真っ先に、タイガイこういう形で現れるのであるが・・・

ヘラサギだけでなく、子供達が食べる食品にも科学が使われている。

生きていくとは、所詮は同族や他の生物を殺すことだから

血塗られた道でしかないが、食べること以上に

無駄な資産などというウタカタのものを溜め込むために

無駄に生物を殺していては、地球が続かない。

 

その頃合を探りながら進むのは、北朝鮮と米兵リサイクル問題や

インチキ商品作り放題の中国などとの交易バランスを考えるのと同様

限りなく厄介で、未来永劫続くのだ。

 

それが生物間のチカラ関係だから仕方ないが

本当に開かれた世界が正しいのかは、多少疑問が残る。

鎖国せよとはいわぬが、我ら固有の文化、社会構造を守り

発展させていく島国ならではの独立性と手法が

必要になっているのだろうと思う。

 

海外から集めた金で、海外の極めて不健康な食品を買う

それは明らかに間違っている。

カネでなんとかできる間はいいが、この春先のように

気候激化により輸入元も大不作になることも多くなっている。

 

経済活動を最低限にしてみると、

見えてくることもあるのかもしれない。

 

我らは一見、だれも殺していないように見えるが

資本主義社会は全く甘くない弱肉強食である。

貧困な国で、安く仕入れて、先進国で高く売る。

そのビジネススタイルは不変だ。

 

安く買い、使っているもの、食べているものについて

よくよく考えてみるのも、オトナの仕事だろう。

 

結局、

日本人が明治以降、アレコレ混乱し続けている原因は

価値観自体の他力本願化と借景しすぎが

根源であることは間違いない。

だが、これが官僚国家と従属民社会の限界だろうか・・・

士農工商の根深さは半端ではないようだ。

我らの明治維新は、まだまだ続いているのかもしれない。


ではまた