鳥生活のしめくくり
ちょっと失敗した。
M井君の博士号の論文公聴会の朝。
七時過ぎといえば、夜明け直後。 カメラを持たずに散歩へ。
オモリを持ってないので、体をたためるために軽く走って
2キロ先にある丘をめざしたのだが、カラスしかいない・・・
で、丘は竹林だったので鳥はいないだろうと
引き返そうとしたときのこと・・・
あの鳥はなに???
ジィリリリと少しにごり気味に細い警戒の声を出して
一羽が遠ざかったものの、本気で逃げる気はないようで、
もう一羽はそのまま電線にいる。
内地の鳥にしては逃げなさ過ぎである。
これまた、全然見たことのない地味な鳥。
わずかにアゴのところがオレンジ色という以外、枯れた褐色。
クチバシはツグミ科かウグイス科のような昆虫食系。
わずかに尻尾の先が黒っぽい帯状になっていた。
あーあ、手ぶらで来たら、また初見の鳥である。
家に帰って調べたところ、どうやらオジロビタキ。
どうやら、マニア連中には人気の珍鳥らしい。
田んぼの散歩中にはカメラを持っていても仕方なかろうと思って
軽い望遠レンズを持ってこなかった・・・やれやれ・・・
鳥運がよいのか悪いのか。
今年はあたたかいので、
どうも渡り鳥があまり南下していないのか、北の鳥が少ない。
代わりに?田畑には、カラスが格段に多くなっている。
どうやら、カラスに対抗する術は、
仲間と徒党を組むことと知っているようで
スズメの群れは、群れどうしがくっつき巨大化、
トンビは2、3羽でまとまるなどして、カラスの群れを威嚇、
チョウゲンボウは電線や電柱にとまらなくなり、
普段は田畑におりていたり、2羽でいたりするようだ。
チョウゲンボウが冬場に2羽で居るところなど見たことがなかった。
まだカラスの天敵はほとんどないが、そのうち攻守がバランスしそう。
(左は大量のスズメ、右は徒党を組む?トビ)
今のところ、渡り鳥らしいのは
チョウゲンボウ、ハイタカ、ノスリ、ジョウビタキ、タヒバリ、
ツグミ、シロハラ、オジロビタキくらいのもので、小鳥が少ない。
(ジョウビタキは相変わらず人懐っこい)
後日、
道の脇にある草の中から、スズメの大群がざわと飛び立ち
スズメ吹雪?気分にひたっていたところ
矢のように飛び込んできた鳥がいた。
素早いひるがえり方からすると、ブーメランのようにも。
ハイタカの狩りは初めて見たが、ハイタカの名の由来が分かった。
灰鷹とも表すがおそらく当て字、地を這うように飛ぶ鷹、這い鷹だ。
不思議なことに、まったくメスしか見られぬ。 今のところ。
林の中からたまに出てくる、ツミと思っていたのがオスだったりして・・・
オスは大きさが、ハトくらいしかない。
これまで、大きいからメスのハヤブサだなと思っていたタカには、
どうやらコイツが混ざっていたようだ。
伊勢の平野で、こんなのが狩りをしているとは思わなんだ。
ほか、
ツミ、トビ、スズメ、メジロ、ヒバリ、ウグイス、ホオジロ、ホオアカ、
アオジ、アオサギ、ダイサギ、カワウ、ムクドリ、ヒヨドリ、
モズ、カワラヒワ、エナガ、コゲラ、クサシギ、ハクセキレイ、
セグロセキレイ、キセキレイ、カワラバト、キジバト、
なぜかまちなかにイソヒヨドリ・・・といったところ。
川辺で、エナガがススキの茎に潜む虫を食べていた。
これまで、コゲラ(小型のキツツキ)では観察できたが
エナガも食べるようである。
アオジやウグイスも同じ場所に入るので
同じように食べているだろうか???
話しついでに、オスのコゲラにある赤い羽根を
ようやく撮影できた。
後ろ頭に左右一枚ずつ生えているそうで、普段は見えぬ。
餌探しが絶好調で、興奮しているついでに見えたよう。
実のところ、写らないな〜、全部メスだな〜などと
ぼやきながら撮影していたところ
幸運の女神が、ちょいと気まぐれなお歳暮をくれたよう。
今年、不況で配りきらなかった幸運が
たまたま大掃除でもしていて、コボレ落ちてしまったのかも。
こういうタイミングに見えるんだなぁ・・・
また観察に燃える材料が増えた。
島で庭にもやってくるのは、そっくりさんで亜種のアマミコゲラ。
あまりテリトリーにこだわらないようで
案外、移動量は多く追跡は難しいヤツだ。
奇妙なのは
本来多いはずのシジュウカラには、まだ会えてない。
さて、久しぶりの大阪。
M井君をはじめ、モズ博士Tの弟子ら研究者軍団と
南大東以外で会うのは初めてだ。
ゼミの部屋とやらで、M井君は発表の練習を始めるという。
芸大ではゼミという言葉を聞かなかったので、どういうものか知らぬ。
ミンミンゼミとかアゼミチなら分かるが・・・
大学院のH江さんらが、夕方からの打ち上げ料理の準備中。
湯とおししたブリと、面取りし下ゆでした大根をなどを用意していた。
大東の研究室がそのまんま大阪に来た感じである。
こう言っちゃなんだが・・・島ではバリバリに子育てしている適齢。
手際が良くて当然といえば当然・・・
と次の瞬間
味にうるさいモズ博士Tのメガネが、キラリと光る。
すると、ブリ大根の味付けをするハメになってしまった・・・
え?論文発表を拝聴に来て、味付け役なワケ???
たしか、南大東でもH江さんの料理当番で、
魚のおつゆを作ったような。
発表練習するM井君の声と、ブリ大根のぐつぐつとが部屋に響いて
ゼミの部屋というのは、つくづく奇妙なところだなと思った。
練習をゆっくり聴くどころか、火加減がきがきじゃない!
しかも換気できないようなので、換気にも気をつかう始末・・・
ほどなく本番。
M井君の発表はナカナカ分かりやすく、練習より格段に上手い。
大東で磨かれただけあって、なかなかやる男に成長したな。
都会の出来事など、大東の生活に比べたら小さなことばかりだ。
直前の練習では30分の発表が45分になってしまったが
本番はピタリと収めてしまうあたり、直前の練習で
少し頭が冷やされ、整理されたようだ。
M井くんにとっての論文発表など、全て体に染み込んだ事柄ばかり。
島で度胸は培われているから、必要以上に緊張しなければ
全ての事柄が自然に口をついて出るのである。
心配しなくても、うまくいって当然。
論文の発表は、言葉の巧みさ、スムーズさとは違い
聞き手の好奇心を揺さぶり、質問したくなったら大成功と思われ、
論文の読み上げでなく、論文の着眼点と面白さを伝えて
共感してもう発表なのだろうと解釈できる。
内容全てを説明し尽くさず余韻を残し、聞き手の顔に目を配る
私からM井君には、この2点をお願いしてあった。
さすが大阪人ということもあり、言葉もスムーズ。
専門用語や、データ解析手法などは理解不能とはいえ
素人の私にも理解した気にさせてしまうプレゼンだった。
そういう意味で、発表はあっけないほど成功裏に終わる。
打ち上げで、M井君や仲間たちと飲む酒は、何より美味い。
本当に嬉しそうなM井君や仲間たちを見て、僕も本当に嬉しい。
もちろん、ブリ大根もけっこういけた。
女性らが下ごしらえした、大根の隠し包丁に救われた。
さすが・・・
ちなみに論文の内容は
内地から南大東へモズが渡り、住み着いたとき
内地のまま多数の卵を育てると、親が体力を失い
細菌や寄生虫によって短命に終わってしまい
逆に少ない卵を何度も産み、育てる方が有利だという。
エサが多く、内地より子育てを促しやすい環境だが
たくさん育てたいという本能を抑えなければ
逆に残せる子孫が少なくなる現象を見出したという。
モズが何らかの方法で多産本能を抑制することが
大東で繁栄できるかどうかの一因であることが分かり
生息を続けることで、本能(あるいは進化)の方向転換が、
観察される可能性もある、とくくっている。
感染したモズを解剖し、寄生虫(線虫)を撮影した画像は
とてもエグイものだったが、それ以上に
30匹もの寄生虫に耐え、生きようとするモズの姿に
南国の厳しさが伝わってくる。
これは大阪の前日、
伊勢でご近所のご夫婦と会話中に現れた、ハイタカのシルエット。
のどもとの丸い張り出しは、どうやら線虫らしい。
伊勢は南国ではないのに、タイムリーだなぁ・・・
人間の生息域では、水が豊富だと人口が増えやすいが
疫病も発生しやすいのと似ている。
生命が多様な場所は、すなわち病原も多いということだ。
えらいところへ、引っ越したもんだな・・・お互いに。
モズ博士Tのマンションで明かした朝
朝ごはんに美味いアサクサノリをご馳走になった。
窓の外に大阪の見慣れた都市風景が目の前に広がったのだが
どうも気分的にオカシイ。
鳥や動物が少ないだけでなく、昨夜のことと、都会の思い出が
ないまぜに頭へ流れ込んでくるようで、だんだん気分が曇る。
普通なら、感慨ぶかい思い出にほのぼのするところだと思うが
一つしかないココロが無数の記憶にふりまわされ、
目の前の現実に反応できないほどに混乱していく。
やっぱり、僕の頭は変になっているな・・・
せっかくなので、カッコウの生態に関する講義も受けたかったが
これ以上情報を増やさず、早めに帰路についたのは正解だったよう。
近鉄線に乗り換えようと鶴橋へたどりついたときは、
かなり気分が悪くなっていた。
M井君らとの夜はとても嬉しく、楽しく、気分は絶好調だったのに・・・
一時間一本の急行は、さっき出たばかり。
本当は急行でのんびり帰りたかったのに、それどころではない。
松阪まで特急券を買い、そそくさと乗車。
ノイズキャンセルのウォークマンを耳に入れ
雑然とした市街地風景をなるべく見ないように、目をつぶる。
動植物が住めなくなった、四角いがれきの原のように感じられ
とても見ていられない。
過去の記憶が降り積もった廃墟のようにも感じる。
そんな場所へ、こびりつくように生きている人間の姿が
なおさら虚しく見えるから、手前勝手に神経を逆なでしてしまう。
一時間近くたち、名張(なばり)をすぎたころだろうか、
ようやく平静にもどってきて、気分が落ち着いてきた。
草ボウボウの雑然は平気になったが
四角いまちの風景には、アレルギーが発生しているよう。
昼ちょっとすぎ、松阪へ着く。
近鉄とJR線のジャンクションでもある。
立ち食いで、でろでろに伸びた伊勢うどん似のうどんを食べ
落ち着いたかに思えたが、近鉄電車とJRのディーゼル車両が
つくりだす騒音と排ガスで、やはり小さな限界がきそうになる。
やっぱりノイズキャンセルオーディオを耳に入れておくことに。
んごごごごごごぉぉぉーんと、エンジン音を響かせ
レールバスは出発した。
料金表と運賃箱兼両替器が、運転室横にある。
放送によると、無人駅では整理券をとり、運賃箱を利用せよという。
とても七面倒な鉄道であった。
あえて人家をよけているかのような、何もない田畑を進む。
停車する駅の周囲にも民家が少なく、不思議な風景だ。
不安定な気分のなか、自分でドアを開くんだ、大丈夫かな・・・
などと小さく悩みながら、鉄路は故郷の風景を後ろへと流していく。
ドアの開ボタンを押してホームへおりる。
田丸は小さな駅だが無人でない。 駅員さんへ切符を渡す。
旅行番組で見るような小さな駅から、とりたてて駅前らしくない
田舎のまちなみのなかへ踏み出し、ひたすら田畑をめざす。
駅から家までは2キロ程度しかないようだ。 初めて歩いている。
いつも散歩している、見渡す限りの平野へ出たとき
北風が心地よく、ようよう心持ちが普通に戻っていくのを感じる。
ほっとして景を見たとき、こんな大きな寺院があったのかと驚いた。
重厚ないらかの造りが本願寺に似ているなぁと思う。
小さいながらも田丸城下の城下町だったから
今より、しっかりした集落が形作られてたのだろう。
近くには更に4寺と、2神社がある。
豊受大神宮(伊勢神宮・外宮)や斎宮まで目と鼻の先だが、
信仰が生活に密着している地域なのかもしれない。
小さな町にも、様々な歴史があったろうことを物語る。
伊勢の歴史など毛ほども興味がなかったが、歳のせいか・・・
城下町のたたずまいに、少々感動するようにもなった。
帰ってきてからのこと
おふくろ様が地元のGEOでDVDを買いたいというので
付き合って訪れてみたが、一秒でも早く出たいと思った。
何かゴチャゴチャと沢山のモノが置かれていると
何を見てよいか分からなくなり、頭が混乱し始めるようだ。
古本だのDVDだのゲームソフトだのと、今見ても未来に見ても
さして変わらぬものばかり。 今見ても仕方ないものが勢ぞろいだ。
不思議と、スーパーの野菜売り場などは平気だが
あまりに品揃えが良く、無駄に広い店舗は、少々嫌気がさしてくる。
こんなにモノが必要なんだろうか・・・と。
一方
実家に居るときは、極力カメラを持って田畑に出て
くだらないバラエティ番組などを見る両親を避けてしまう。
あんなものを頭に流し入れてどうなるものでもないし、
今の自分には気分が悪くなる以外、何ものでもなかった。
ネットの無料動画だったら、気に入らなければ
すぐに停止するなり、別のものを探せばよいが
テレビというヤツは、探すのも面倒なら、番組の造り自体も
時間枠一杯に薄く分散した情報しかないので
多少チャンネルを選べても、見たい情報が見つかる打率が低い。
そのうえ、早送りできないし、CMもわずらわしい。
現代のメディアとは思えないほど、融通に乏しい。
天気予報のデータを見るのにも、時間がかかりすぎ
ついついケータイで見たくなる。
よくもまあ、あんなユルい垂れ流し情報を見ていたものだと
以前の自分が異質に思えるほどである。
ということは、確かに僕の中身が変化したのだろう。
そんなにイラチになったわけでもないと思うが
不便なものを、無理やり退屈しのぎに眺めていたのだろう。
島に来てから、外に出ればすぐに観察できるようになって
本当に便利になったと感じている。
島の生活が良いのか、島に合わせて脳が変化しているのか
いずれにせよ、無作為にモノや情報があふれた現代社会の
一般的な都市生活?が合わぬ体質になってきている。
もう戻れないのやら、戻りたいとも思わないですむのやら・・・
ともあれ
奇しくも伊勢へ帰省し、両親宅で寄生生活しながら、
奇声を発して鳴きマネしつつ、寄生された鳥を撮影、その直後
南大東で寄生中に見舞われ、ある意味、余命を規制された
モズの論文に至るとは、ダジャレ人生にもほどがある。
そういえば、大阪帰りに松阪から乗ったのは
たしか紀勢線だったような・・・
ダジャレでしめくくる年というのも
オヤジっぽくて、いい年の瀬かもしれない。
みなみな様も、よいお年を。
迎える年は
運気が上向イタ、チょっといい年になりますように・・・
本当はもっと、ドカンと景気のいい年になりますように・・・