自然が豊かな?

徳゛之島

 


カラスとネオンの豊かなマチですね〜

都会の人にそう言ってみたい気がする。

 

田舎に来て、自然が豊かですねというのは、相当皮肉である。

自然を残そうとしている自治体があるのなら教えてほしい。

休耕地や廃墟のあと、間伐もできなくなった山野など

自然でもなんでもなく、単なる放置された荒地。

 

それだって自然だ!と言うのなら

台所の排水パイプのバクテリアたちと比べ

具体的にどのあたりが自然なのか明確に述べる必要がある。

単に、構成物がでかいだけではないか。

 

とまれ田舎の人は、旅人にそれを指摘されると

何も努力をしていないことなので、ちょっと表情がくもる。

口調も、やれやれやっぱりホッタラカシの山野がいいんだ

とアキラメ風になっていくのである。

そこから、ちょっと気を取り直して、

自然の産物の話で盛り上がろうとするのが常である。

 

日本は国土が狭いから、過去伐採し植林し、

どうしようもなく開発した後、取り残されて自然化しただけで

日本全国ほとんど自然はない。 徳之島も二次林ばかりだ。

 

自然が豊か=ど田舎で山野も手入れせず、野生化してますね、

産業がない、過疎で寂しい場所ですね、という意味である。

 

南国の海は言うまでもなく、サトウキビ政策でボロボロ。

食文化が失われるのも仕方ないことだろう。

クジラもウミガメも捕れないのだから、なおさらだ。

 

その上、まったく乱獲に対する意識が無いので、海岸はボロボロだ。

イセエビ(南国だとニシキエビ)など、あそこに行けば捕れるというが、

そんな苦労するほどではなかったし、行ってわんさと捕れるなら

さっさと捕ってほしいくらいだが、それもまた乱獲だ・・・

 

しかし、少ない観光客をもてなそうと

島の豊かさを見せたいばっかりに、乱獲が進むのである。

なにしろ、それくらいしか誇るものがないと思っているからだ。

しかも、取り出すと我を忘れて根こそぎ捕る。

 

話しが進むと、決まって過去の人物、遺物になる。

徳三宝という柔道家とか西郷どんの島流しの話とか

朝汐太郎力士の話もでるが、3代目だしなぁ・・・

無理に過去を引きずり出してくるしかない、寂しさは否めない。

 

あ〜そんな過去の人物を絞り出すほど、なんも無い島なんだ・・・

と、すぐさま島の全容が思い知れる。

 

闘牛とハーレーくらいはあるが、島人の慰みごと

賭けのネタである。

民俗マニア初心者なら喜びそうだ・・・が

けっして、二度見たいものではない。

 

無理してそんなこと知りたいとも思わないのに

あーあれだよ、なんだっけ、有名人が居たんだよ・・・的に進む。

 

不勉強を無理して、歴史をほっくり返すものだから、

あいまいなところばかりで、聞いている方が恥ずかしい・・・

旅行者は、半分がっかりしながらフンフンと聞かされ、

島はやっぱり何もないのかと確認するだけである。

 

どこぞの、

類似品奨励国家が、二言目に四千年の歴史・・・

などと口走るのは、同様の現象である。

ま、彼らには格安の模造品とか、だだっ広い大地とか

中○料理とかあるから有利だ。

 

とはいえ、

田舎へ行けば砂ぼこりだけで屋台も店もなさそうだが・・・

 

正直、旅行者の少ない島に来る内地人は、自分の目的に対して

島人以上に調べ上げ、情報を持っていることを忘れてはならない

というか・・・それすら知らないことが恥ずかしい。

 

わざわざ大枚はたいて、徳之島へ来るか・・・?

あんたなら・・・

 

柔道家で世の中を動かせるわけでも、産業が発達するわけでもなく

聞いてガッカリ度がさらにアップするが、それでも一生懸命だ。

内地の人間で、姿三四郎(西郷四郎)の出身地を知る人は

ほとんどいないだろう、知っていても、雑学の足しにしかならぬ。

 

近代の山口県を引き合いに出せば、

島人らの語る偉人の言葉もなくなりそうだから

僕の故郷は先に言わない方が良いようだ。

 

ちなみに言うと・・・

長州の生まれね!という反応が返ってくる。

 

島のすごさは、実はたくさんある。

島から出ていない人が多いことや、内地から戻った人たちが

ワケアリである率が高いこともあって、

ほとんど自分たちの島を認識せぬまま、静かに暮らす場所なので

それはそれで仕方がない現象である。

 

オトナの内地人なら、

偉大な柔道家の話もキチンと聞き流してあげよう。

 

しかも

全く柔道が盛んではないのも、なおさら寂しい事実。 

南国は継続性が乏しいので、そのあたりがまた

一段と寂しさにつながっているように見える。

 

けれども

島のネットワークの素晴らしさは

インターネットどころの話しではない。

 

その辺の人を何人か連れてくれば

まず島中の人を探すことができる。

 

それが当たり前の社会ということが、認識されていないだけ。

 

以前、電器で食っていたころ、

セキュリティとプライバシーは相対的なものだと学んだが

全くその通りで、

島はプライバシーはごく薄いが、セキュリティレベルは高い。

集落に入ってきた見慣れぬ人間は、誰かが必ず記憶している!

だから開けっ放しで大丈夫なのである。

 

人間の目に勝る、安全は無い、が、島にはある、潤沢に。

年金暮らしのお兄、お姉が多いが、彼らこそ要である。

先人らが、庭先でボンヤリしてくれているだけで、

安全、安心な町になる!

それが当たり前に見えるから、島の人はアテにしてないが

人間の目ほどシッカリした安全はない。

 

たいがい、島の犯罪は、ご近所の仕業である。

 

というか、

ワザワザ島内の、金にもならぬ学校や家屋に入るのは、

ご近所か、バイクに乗れる違う集落の子供しか居ない・・・

 

警察に行かずとも、更正してくれればそれが一番いい。

が、逆効果なら辛いものがある。

軽はずみな若年にとって、恩を仇で還すのは、

よくよくあり勝ちなことであろうが・・・若過ぎ=バカだからねぇ・・・

将来、子供ができたら、同じように思うだろうけど。

 

犬や猫も放し飼いなのと同様、

子供も放し飼いみたいだから、困ったもんだよ・・・

 

しかも、

ろくに歩けないじーちゃんが、バイクに乗るのに

無免許でノーヘルなんて、普通なもんだから始末が悪すぎる。

 

都会も都会だが

田舎も田舎、ド田舎だから、根性までクソ田舎である。

 

オジイ自身のウカツが、子々孫々を阿呆にすることすら

分からぬほどバカなのだ。 全く始末が悪い・・・

 

やれやれ。

 

バカは死ななきゃ治らない、ではない

バカは子々孫々までバカになる。

 

知らぬは仏どころか

知らぬはバカばかりなり・・・しゃれにもならぬ・・・

 

歴史を直接受け継いだ濃い文化に気づかず、

ゆるさとバカさがしたたかに伝授される文化・・・

おこちゃまというのは、悪い言葉や悪いことを

なぜか覚えようとするものなのだ。

南国の不況スパイラルはこうして日々生産されている。

ダメ人間に、いい仕事があるはずが、

信頼があるはずがないではないか!

あいさつすらロクにしない、幼稚園からやり直し!

ないのか、幼稚園・・・

 

あ゛〜もう

気の良い、大好きな島人らをバカバカ言うのは疲れた!

 

けれどもである、

 

たぶん、超絶不況になり、心底助け合うのは

ボランティアなどではない、本当の人のつながりだ。

生き残るのは、島の人たちのように思う。

ぜったいに内地の人より生き残ると思う。

仕事も約束もチャランポランだが、絶対的な人としての約束が

暗黙のうち、頑固に守られ続けているような気がする・・・

 

真の島国根性ってのは、そういうことだろうと思う。

閉鎖的で、皆が親戚で、困った者を絶対に放っておかない根性。

何かが起こったとき、すぐ公によらず、自分たちで何とかする社会。

 

釣具が折れたとき、一番強力な接着剤でくっつけるが

やっぱり、そこが折れる。

けれど骨は、折れた部分が太くなり、

二度とふたたび同じ場所が折れないそうだ。

 

やっぱり人間は物とは、ひと味違う。

 

島人の大切なところは

最初にして最期まで変わらぬ絆だと思う。

ま、くされ縁までシッカリ含まれているが・・・

 

適度な毒は、体を強くする。

毒がだいぶ多い島だが、少しずつ強くしてもらおうと思う。

ハブの毒は例外だが・・・


それにしても

最近めっぽう忙しい。

 

バイトのおかげで、いろんな食材を買う資金はできたが

無人販売をめぐることはできなくなったし料理のコル時間も無い。

 

スーパーには、大した野菜はないが

時折、目を向けることにしている。

 

というのも・・・

キノコや、玉ねぎ、白ネギ、端境期に先んじて出る野菜は

内地の物が圧倒的なのだ。

 

最近、気に入っているのがモヤシ。

 

普通、モヤシは炒め物やラーメンなどに

添え物と言うよりも、個性がないが歯ごたえがあり

食べ応えのあるカサ増やし的な素材として使われていて

けしてメインにならぬ食材である。

 

久しく食べていなかったのだが、中華一番というバカなアニメを見て

食感を思い出して、買ってみた。

素晴らしい!シャキシャキ感!!でもほろ苦くこ半端な香り・・・

火を通さないと、ジメジメした栽培中に繁殖した細菌が危険だ。

 

ただ、これに勝るシャキシャキは、そうやすやすと見つからぬ。

植物の芽生えは最も元気、その力に勝る食感は

やたら歯にはさまる繊維質以外、常識的に得ようがない。

セロリとか、みず菜とか。 ま例外の天然オカヒジキがあるが。

 

大戦中には、ビタミン補給のため、潜水艦でも栽培されたというから

なかなかの食べものらしい。

 

適度にチンするのがもっとも歯ごたえと栄養価が残りやすい。

カツオだし調味料と甘味料、しょうゆ少しと天然塩で薄味に仕上げると

それはもう、やさしい風味とシャキシャキ感につつまれ

もう、モヤシの国に行ってしまいたいくらいな料理になった。

 

だが、ただのモヤシに薄味の麺つゆがかかった感じ、冷静には。

ふしぎなもので、もっと冷静に、希少な栄養価と思って食べると

たぐい稀な食感と、極端に薄味の良く似合う風味にマイッタ。

 

水分が多いためか、まったくもって味付けし辛い食材で

モヤシを専門に扱った料理はないと思う。

モヤシ炒めは、水分が飛んで、スジっぽくなるばかり

美味しい食べ方ではなく、仕方なく食べる方法だろう。

 

とりあえず、

チンして出汁で薄く味付けというキッカケがつかめたので

安くて、代えがたい食材に光が見えた。

たぶん、モヤシが美味しく感じるのは、食感とともに

体に足りないビタミンなどの栄養素があるからだろう。

乾ききった喉には、ぬるい水でも最高の味に感じるのと同じ。

 

反面、フリカケとか、スナック類は不味い。

食べやすい味だと思うのだが、ふた口目から飽きてイヤになる。

不思議なものだ・・・何がそうさせるのだろう。

 

仕方がないので、大根を輪切りにして、つまんだりする。

噛みしめるほどに、辛くなってかなわぬが・・・

 

まったく関係ないが

風呂に入るとき、思わず口ずさんだ千の風にのって「音頭」

今日は調子が良かったに違いない、ご機嫌だ。

 

まさか・・・

行進曲はないだろうと思ったら、とっくに存在した。

これには大笑いだった。

 

え?これ本当に変だが、あなたはそう感じないだろうか?

わったしのーっ、お墓のーっまーえでーっ、チャカチャッチャーって

変だろ、なんぼなんでも! 僕が変なのだろうか・・・

 

たとえば小学生が運動会で、高校生が甲子園でこの行進曲で

どこを目指すつもりだろう・・・むしろ積極的に後進曲だと思う。

どう考えても、墓参りの行進以外に思いあたらぬ。

一族そろって、墓まで行進する姿も笑えるが・・・

 

珍妙な時代である。

メロディーがよければ全てよし、君が代や般若心経も

甲子園で当たり前に行進されていたかもしれない。

 

まーしかし、

徳之島の新生写真家としてスタートしたのに

写真がちっともないホームページ・・・こまったもんだ。

 

一応一枚入れとこう。

毒之島にも春の花?

カンヒザクラ(ヒカンザクラ)が咲く2月ごろまで咲くというスミレ、

リュウキュウコスミレである。

なぜか、日当たりが今一歩の土手に咲くのが得意技。

毒っぽくて島らしい♪

 

やれやれ


ではまた