静かならぬ生活
火事、火事よーっ! 火事、火事ぃー!
女性の叫び声が前の道を走りぬけ、日常は簡単に一転した。
とりあえず、財布とケータイとカメラを持って外へ出た。
県道方面へ降りると、数十メートル離れた家にある小屋が炎上。
南国は湿気が多いから、木材も燃えにくいだろうと思ったが
まったくあてはまらず、炎は思うままに火炎を空へ、家全体へ
延ばしつつあった。
ゴウゴウと、小屋が燃えているというには、激しい炎。
人を助けようとか、逃げようとか思う前に、すさまじい炎に
ただ、時折シャッターを切るしかできなかった。
炎に焼かれ、母屋が燃え上がり始めた。
炎は、生き物のように天空へ吼えている。
わずかに吹く風の風下の家の主人が高熱にさらされる中で
アタフタしている姿が見えたが、助けたいとか、家財を運ぼうとか
そういう気持ちは起こらず、ただ呆然と見ている自分が居た。
言い訳はしないが、あまりに凄まじい炎に
近寄ることを体が拒絶していた。
一見怖いと感じぬが、近寄ることすら発想できない。
本能的に、深い恐怖があるんだろうと、今にして思う。
おそらく燃えはじめから20分も経っていないころ
消防車がやってきたが、もはや全焼の様相を呈し、
家はそこここが、とめどなく奔放に燃えていた。
空に吼え、屋根を這い回る炎の群れに、放水が始まり
炎は火の粉を残しながら煙になっていった。
最も危険だ!と思っていたLPガスボンベは、熱に耐えたのか
ガスが少なかったのか、無事であった・・・
独り暮らし、ガスが切れてそのままだったのかも知れない。
台所のサッシは溶け、しずくのようになっていたが、
コンクリの壁は残り、断熱していたのだろうか。
上空の電線が焼けるのを見て、ああ、停電やら電話不通が面倒だ、
などとモッサリ考えていた。
家に帰ってパソコンを見ると、ネットが不通になっていて
電話線が焼ききられてしまったことに気づいた。
蒸し暑く、焼け焦げの臭いの夜・・・
テレビのない我が家で、ネットが不通などとは予想していなかった。
エアコンがなく窓を開放しているので、雨雲レーダーが必要だった。
延焼というのが、火の粉より、ガラス越しに起こると知ったのは
次の朝、現場検証が行われている時であった。
ガラスが溶けるのは1000度より高い温度、焼き物の上薬だが
物が燃える温度は遥かに低く、ガラスの向こうにある物が
燃え始めて延焼に至るのは、さして難しくも何ともない事だった。
県道沿い、燃えている家の近くで、4月にも火災があったという。
火災があった家は、空き地になる。
現場検証のあった次の朝、家の前の道をトラックが走り
家の庭をすれ違いに使っている・・・
ん?と思って見に行くと、もはやさら地になりかけていた。
次の日
さら地には、なぜかケージに入った鶏3羽が置かれていた。
突然の空き地は火事のあとなんだなぁ、本当に。
島の人がなぜ悩まないのか分かった顛末があった。
ある朝、バイクのオバハンが乗りつけてきて
水道の検針に来たが、あんたは無届で住んでいると言って来た。
とんでもない無礼な発言に、言葉を失っていると・・・
役場に行ってないから、オバハンに検針の依頼がないという。
知ったことか。
自分たちの組織のことを棚に上げて、人を疑うなど・・・と思ったが
コレか!と後で得心がいく。
島の人は自分に対して徹底的に甘い、ダラダラに甘ったるい。
つまり罪悪感とか反省といったものが不在なのである。
何と幸せなことか・・・
ただ、このような無智もうまいで無礼な振舞いだと
島の外では、とてもではないが生きていかれない。
まず人を疑い、自分が悪くても反省せずに忘れる。
コレだ、無駄にダラダラ長生きするには、この精神構造が基本!
これでは島外生活は到底無理だ。 可哀相な者である。
ちなみに
NTTに登録されている番地と、大家さんからきいた番地が違うと
役場へ申し出て調べてもらったら、やたら難しい、
縮尺のない地図を放り出され、調べろという・・・
あげくに、番地で生活しているわけじゃないから、と笑った。
粗忽だ、粗忽者にもほどがある・・・自分の仕事を笑っちまった・・・
役場が土地を管理せんで、何のための地籍課だよ。
税金で食っていると、こういう連中になっちまうんだな・・・
40代だと思うが、コイツも哀れな存在だ。
どこもかしこも、コンナ風。
そりゃ〜内地は、島のジョーシキが通用しない別世界だから
商売や観光が上手くいくハズがない。
物事に対する信用の尺度が違いすぎて、外から見たら信用に値せぬ。
沖縄には、守礼の門というのがある。
島民らが自分たちの小さな尺度だけで生活し、
礼を欠くと交易できないと悟っていた琉球王家の姿勢が
痛々しいくらいうかがい知れる。 礼だけは守らねばならない、と。
ちなみに奄美群島は、沖縄と薩摩藩に支配されただけで
独自の政治文化がない。 隔絶され、たまたま固有化したものだけだ。
腕っ節は強いが、覇気がない男しか居なかったのか・・・
はたまた、覇気はあっても、勝手放題の島民をまとめられなかったか・・・
いずれにせよ、小さな一揆を起こした美談はあるが、その程度であって
従属と反発の歴史しか持っていないことで
今も沖縄や内地へのコンプレックスばかり根強い。
比較的大きく開けた河口平野などがないから、人工も増えなかったのだろう。
さらに、陸路が乏しかったことからか、同じ島内でも感嘆には移動できぬ。
集落ごとに対抗心があったらしく、まとまらないことで支配も楽だったろう。
そんな過去を経て、いまだ物流的にも、情報的にも隔たり続ける島。
なおさら都市化へのコンプレックスが加わって、そりゃもうヘンクツが
固まってしまうのも仕方のないことだろう。
島が偏見を捨てて、独立独歩できるかどうか・・・
日本の食料自給率は、バカなことにカロリー換算であって
食材が足りているかどうかではない。
島の黒糖のカロリーをナンボ足し合わせても、腹の足しにはならぬ。
内地も島々も、
いかに他に依存しすぎず独立すべきを独立して生活するかが
精神的にも物質的にも大切になっていると思うのだが、
よほど何かでダメージを受けるまでは、誰も動くまい。
実際、人が死に始めたのにインフルエンザ対策がユルユルなように・・・
ついに、我が町内にもインフルエンザがやってきた。 半年遅れか。
「隔絶されている」ということは、逆に武器になった。
万一、致死率の高い伝染病対策で、内地からの便が止まった場合
どうやって生き抜くか・・・野菜はたぶん大丈夫。
肉は肉牛とヤギでしばらくなんとかなるだろうが・・・米がなぁ・・・
自立独立できるということは、大事ことだ。
このところ
急に涼しくなっていたので、これで眠れる・・・とおもう間もなく
動物たちも快適になったらしく、庭が騒がしい。
成長したのに、二匹が連なってキャラバンで歩くジャコウネズミも出現。
何頭も寝床の四畳半の前にあるシークニンの下に住んでいるらしい。
フキュキュキュキュキュキュ、ツィ!ツィツィ!
声と、少々臭いはするけど、けっこう可愛げのある住人だ。
ネズミとは姿を現しているだけで、げっ歯類でなくモグラに近いそうだ。
ちなみに、昆虫大好きである。
庭に猫がやってくるのは、こいつらを食べるためもあるようだ。
なにぶん
走りまわっている場所が、寝床から3mしか離れていないので
夜な夜な9時〜1時の間が騒がしいから、困り者・・・
もちろん、コノハズクも鳴くヤモリも健在。
このごろ、軒先の蛍光灯(縁側は憩いの場所らしい)を
夜通し点けておくと、虫もヤモリもクモも、そちらへ行くことがわかって
とても重宝している。 うれしい新発見。
ジャコウネズミは、庭からは逃げないし、
動きもネズミよりずっと遅いはずなのに、撮影はかなり苦戦中。
灰色の毛に小さな目、オートフォーカスが迷ってしまうので
当面は、毎夜?苦戦を楽しもうと思う。
ところで
ただいま寄生虫である。 ん? 帰省中、帰省途中。
ま、ただ食いしに帰るのでどっちでも変わらぬ。
初めて分かったのだが、ジェットは大阪から鹿児島を経由して
そのまま徳之島へやってきていて、とても乗り継ぎはスムーズ。
機内清掃がなければ、乗り継がないで、そのまま乗ってられる。
そのつながりで、島の一便は昼過ぎになるカラクリだったのだ。
鹿児島で少し時間があったので遅めの昼ご飯に。
握り飯を持ってこようかと思ったが、空港のそばが食べたかった。
高いし、さして美味いとはいえなかったが、なんと美味しいことか。
内地の懐かしい味がし、どんぶりを一度も盆に置くことなく
最後の一滴まで汁も飲み干した。
もう、引っ越して何年も経ったような味がした。
初めての伊丹空港。
33℃の予報だったが、停留所の風がすずしい。
難波までリムジンバスで、そこから近鉄へ乗換え。
実は少し下った上本町からが近いのだが、
リムジンバスの時間が合わないので難波にしてみたら
結局乗車する特急は同じだった。
そうだよな・・・そんなに便がたくさんあるわけでなし・・・
何年ぶりだろう上六、上本町。 駅名は大阪上本町になっていた。
特急は4両編成とカワイイ感じだ。
さすが関西、エアコンの効きは抜群、長袖を用意しておいて正解♪
実は、動物と風の音しか聞いていない生活なので
ソニーのノイズキャンセル付きメモリプレーヤを携行していた。
飛行機はフライト時間が短いので使わなかったが
一定の騒音と、気圧の関係で耳が遠くなるので、少し眠られた。
難波の街や駅を歩くのには、たいそう助かった。
外すと、信じられないくらいの雑音が飛び込んできて驚かされる。
久しぶりの都会、何年ぶりかの大阪に、いろいろ思い浮かぶ。
あ、そういえば、大阪は新型インフルの街だった・・・
そういえば、大阪には同郷のSが居るのだった・・・家は京都だっけか・・・
別にインフルでもないのだが、エアコンの寒さで出る咳がはばかられる。
旅費だけで何ヶ月か暮らせるが、不眠症などなどの具合が
どうなっているかを確かめるのもあっての帰省。
電池で動くクラシックなデジカメ、持ってくれば良かったなぁ。
コンパクトな防水デジカメが壊れて、けっこう不便。
磯へ泳ぎに行くと、アオリイカに囲まれたりして、
残念な思いをすることもあるが、体一つで海へ入るのも悪くない。
電池切れやシャッターチャンスを気にする必要もなにもない。
近鉄特急の車窓からのぞむ内地の風景は、
草丈が短くて、マムシ以外怖いものが居ない、
やぶこぎし放題の緑が広がっている。
アスファルトの脇に生えるしぶとい草も、破壊的な成長ではなく
とってもマイルドな感じがする。
さっきから、後ろの方の席で歌っている女性がいるなぁ。
伊勢と大阪はずいぶん遠いと思ったが、
実家が松坂よりになったこともあって、一時間半しかかからない。
島の小物釣り用に、安い延べ竿でも買っていくかな、松坂で。
こうして、のんびり近鉄に揺られてパソコンを打つとは。
キーボード表面が、この半年の使い込みでテカッているのに気づく。
難波から上本町の間で、ノートパソコンを使う人が乗っていたけれど
ケータイがすごくなったからか、そんなにパソコンは
モバイルにはなっていないなぁ・・・
狭い国土なのに高い通信料を払わねば、ネットにつながらないから。
電車に乗ってGyaoとか見られたら、多分もう少し使われそうだ。
ネット閲覧とメディアプレーヤーか・・・創造性低いぞ・・・
ちょっとした時間を使ってブログ更新は良いかも。 あ、起動が遅いか。
単なる暇つぶしの道具なら、どう考えてもケータイに分がある。
などと存分に、無駄に考えたりするのも、悪くない旅路。
榊原温泉口の金ピカ観音様の手前に、像が増えた!?
しかも、自由の女神と、ギリシャ彫刻の巨大版・・・意味がわからぬ。
徳之島の名物づくりも、こんな風になるのは怖いな。
世界3大ガッカリ、マーライオンを超える何かを作りそう・・・
後ろへ飛んでいく風景には、杉林が多い。 竹林も多い。
島の道端に生えるのはススキなんだ、それで草丈が極端に長いし
道にはみ出して車をシャーシャーこすって大変なんだ・・・
どでかい旅行かばんを、上の網棚に乗せてあるけれど
落ちてこないし、大丈夫みたいだ。
伊勢中川、伊勢方面と名古屋方面の分岐点。
その昔、芸術大をめざして津の塾へ通っていた頃、
乗換えで待っていた駅、ベンチには伊勢名物、
エコを先取りしすぎた、あのリサイクル餅、赤福の看板は変わらぬまま。
次は松阪、そろそろ降りる準備をするか。 海側の出口だったな。
内地の空気、夕暮れ、騒がしく耳に音が入り込んでいるはずなのに
心底やすらいでいる。 不思議なココロのお休み週間になりそう。