忘れ物多き

陸路海路2000キロ

 


徳之島住民初日が水曜日というのも、何かの縁か

この記事をアップできるのは、転がり込む先が見つかったからだ。

といっても、電話回線しかないが・・・

 

話は少々月末へもどる。

 

引越し荷物を全て送り出し、不動産屋へ部屋と鍵を返して旅路につく。

横浜青葉インターへ向かう途中、同期の友、Sちゃんから入電。

運転中なのでほとんど会話できぬまま東名高速を走り出した。

 

すると

横浜から遠ざかるほどに、涙がぼろぼろと止まらぬ。

時折記事に目を通し、文章の感じで体調、心調を察する友の気遣いと

横浜にいろんな忘れ物をしてきたような気がして、心が抑えられぬ。

高速運転中だから人知れず泣くだけ泣けるのは幸い。

前が見え辛いのが難点。

 

忘れ物は、忘れられないから・・・忘れ物なんだなぁ

と思った。 (忘れられる物は、落し物?)

 

人生で一番長くすごした横浜。

いろいろあったからだろう、高速で飛び去る風景と同じように

すばやい走馬灯のようなのがココロの中で飛び去っていく度に

涙がぼろぼろ、ぼろぼろ出て、せっかく車中だが歌の練習にならぬ。

厚木まで続いた。

箱根まではやんでいたが、沼津で復活し日本坂あたりまで続いた。

何をそんなに忘れ物したのか、忘れ物がそんなに寂しいのか、

後悔なのか、詫びる気持ちからか、何もかもナイマゼに泣けた。


とりあえず伊勢に帰ってから一日静養して

そこから一日700キロを走破して関門海峡を渡り

海峡に面したホテルルートイン門司港に宿泊。

夕食は、ホテル直前にあったスーパー大栄で調達した。

 

困ったのは静養するはずだった伊勢の一日。

我が家の家族は僕が抗ウツ薬パキシルを服用していた

普通の状態しか知らない。

オヤジの一言で死にそうになった・・・

 

「お前、島に骨を埋める覚悟で行くんじゃろうの」

 

ま、古い農耕民族の考えだ。

鳥のように移動しないから大地が腐り、自らの首を絞める生き方。

 

それ以上に、移住にどれだけの人にお世話になり

決心するのにも、どれほどの勇気が必要だったか

島のことも知らないオヤジ殿に言われたとき、

無知への反発がおしよせてきて・・・ けれども

なんとか年老いたオヤジ殿を傷つけぬよう説明しようとする

己の考えが混乱し、処理できなくなった。

「そんなの、わかんねーよ、生きるためならどこへでも行く」

半分、腹も立っていたので、こう応えただけだった。

 

その場は良かったが、

良くしてもらっている島の友人に応える情熱が

足りなさ過ぎるのではないか・・・という思いが強く

寝床に入ってしばらくして、思いと不安が未知の混乱に陥っていく。

 

すると・・・

心臓がガガガガガっと暴走し、胸が締め付けられ

以前から時折襲われた、不自然に喉を突き上げるような痛みが込上げ

ついに息ができなくなって、更に加速度的に頭の中が混乱していく・・・

 

やばい!頭の中を真っ白にしないと死ぬ!

昔から頭の中を空にするとき、真っ白で無限に広がる場所を

思い浮かべることにしている。

何とか間に合った、というか気が遠くなりかけたのかも知れない。

  

心拍は徐々に戻り、 バクバク状態くらいまで戻ってくれ

息ができるようになる。

た、助かった・・・と思った。

 

その後、今度は胃腸が活動を停止し、腹痛は全くないままに

腹はぎゅるるるーと鳴り続け、朝まで激しい下痢に襲われた。

鹿児島へ向かうより早く、下り超特急。

 

僕は無責任に口数が多い方だ。

どれほど言葉が大きな意味を含むのか、軽はずみか

よくよく体で理解したような気がした。

人のことを思って・・・などとは片腹痛い。

思ったようでいて、なんのなんの

実はそれほど深くは思うてないものだ。

 

人の人生を左右するような言葉が、瞬時に出るような覚悟の人間など

そうそう居るはずがない。 悟っているわけもない。

ま、それを感じたとて、悲しいかな軽はずみばかりの口数が直ろうか・・・

 

かく言うオヤジ殿は家族を振り回し、自分の写真の夢を追い

伊勢にやってきたのに、今ではカメラから遠ざかっている。

そんな男に覚悟があったのか?そんなのに言われたら腹も立つ!

普通だったら抑え切れるが、頭の中が整理できないので

感情だか考えだか分からなくなり、

ただただ混乱が自分を締め付けだす・・・という現象のようである。

 

何だかしかし、自分自身で制御できなくなってきて

ハレモノ取り扱い注意になってしまっている。

島の人や友に迷惑がかかり過ぎねば良いが。

 

一方では、精神を暴走させれば人は死ぬのかもしれないと

思われる現象を体感した。

映画マトリクスで、精神だけを分離して仮想世界へ入るが

そこで死ぬと本体も死ぬ・・・というのは違うんじゃないの?

と、思っていたが、正にその通り死ぬだろうと感じた。

結局一睡もできぬ静養日となる。

 

次の朝

眠れず、シャーシャーの液便状態だったので

引越しのストレスで体調が悪いと言って朝飯を少しだけ食べることに。、

するとまたしても不用意発言。

「その体で走れるんか?考え直した方がええじゃろ」

バカタレが!ここに居たら体がもたんわ!という気力もないが、一応

「引越し荷物の延滞料、一日三千円もとられたら気になって眠れんわ」

と、お茶を濁す。

本当は1コンテナ三千円なので、九千円だったが頭が回らぬ。

この状態でウツ症状の説明など、しているだけ時間の無駄。

ささっと支度を済ませて車上の人となることにした。


さて8時すぎ、伊勢を脱して高速道路をひたふるに西へ。

第二名神には初めて乗る。

するとカーナビにデータが入っていないのだが

快晴のソルトレークの上を飛行するような画面が変にすがすがしい。

周囲は山深く、甲賀の里もちかいところなのに。

高速道路の半分くらいは、昔、空だった所を走っている。

道というビジュアルの中を飛んでいるわけである。

未来のエアカーはこういう画面がフロントガラスに映し出されて

走行というか飛行するのかもなぁ・・・なんて思う。

 

そうこうするうち道を間違えた・・・

中国道の神戸ジャンクションを目指すはずが

阪神高速の神戸を目指してしまっていた。 う、うかつ・・・

実はもともと神戸のことは知っていたが、頭が回っていない。

なので、料金所のオジサンの教えを慎重に見直す。

丁寧にルートを示したコピーが用意されている。

 

すると・・・姫路を回り播但道を行けと言うが、

途中、国道だのバイパスだのが入っているではないか!

それでなくても阪神高速は、高速とは虚言で60キロ制限の

なんちゃって高速であり、単に幅が狭い高架の有料国道を

つくってしまったが建設費を利用者負担させるための名に過ぎぬ。

まるで受信料の意味を解さぬNHKみたいなモノなのだ。

ともあれ、その先に国道を走ったらなお遅くなってしまう。

さっそくコピーはガムの捨て紙にリサイクルだ。

 

多少の遠回りは無視し、早々に三木ジャンクションを経て山陽道に乗る。

これ以上、遅く複雑な道には耐えるより、高くてもシンプルな方を選ぶ。

今の体力で10時間連続運転は限界だろうから、それ以上の混乱は

どうあっても避けたかった。

以前は18時間九州一周・・・なんてこともやったもんだが。

 

途中、

懐かしい瀬戸内に見とれ、危うくセンターラインを外しそうになりつつ

生まれ故郷の山口県防府を通過し、いよいよ関門大橋を渡っていると、

やにわに電話が鳴った。

 

もう多分二度とないかも知れぬ関門大橋のマイカー走行だ、

やっぱり橋を記念撮影し、体制を立て直していた矢先の呼び出し。

数分後、門司インターを出たすぐのところでハザードを挙げ一時停止。

電話を折り返してみると、Yさんはどうやら何としても自分の家を

僕に貸したいらしかった。

全然気を使う必要はないから、と言ってくれた。

何か裏でもあるのか・・・貸したい訳が・・・まいっか。

 

3月2日の目的地は関門海峡を渡ってすぐの門司。

カーナビの案内が終わりそうなとき「スーパー大栄」が目に入ったので

夕食を調達だ。 主夫魂は枯れていないようだ。

宿へは18時ごろチェックインと伝えてあるが、18時すぎごろ入店。

4つで半額150円になった鶏飯のおにぎりと思いきや、

懐かしいマゼゴハンのおにぎりだ。

炊き込みとはちがい、チラシ寿司のように味の付いた具とたれを

ご飯に混ぜた、味ご飯である。

オカズはなぜかフライやてんぷらになった鰯を使った南蛮漬け、に

タコの酢の物、二つとも定価で160円。 お手ごろすぎる。

 

レジに並ぼうと思ったら、財布がない・・・最近よくある、サザエさん現象。

ただし、ドラ猫追跡とのセットではなく、財布忘れのみの単品現象。

 

レジのお姉ちゃんに、財布を忘れた旨を申し出て車へ取りにいった。

今度こそと、レジに並んだら前のオッサンが酒を買っている。

お?酒もあるのか、ではともう一度店内探索。

ビールを調達し、更にホテルに隣接したローソンで月桂冠を購入し

バンタン整ったはず、と信じてチェックイン。

 

カーテンを開けてみると、関門海峡や大橋が一望できる!

8階はダテではなかった。

朝食とラジウム温泉・展望大浴場付き、そしてこの展望で

5,500円は安い!もちろん駐車場も無料。

 

ま、スーパー大栄のニーチャンが割り箸を聞いてこなかったのが

惜しまれる・・・

島での自炊セットの割り箸を思い出した。

塩、しょうゆ、一味、まな板、包丁、ラップなどの入った袋で

駐車場に戻るだけで事なきを得た。

昨夜の腹のストライキが嘘のようであった。


3月3日

中国地方は雪だが、九州は雨で助かった。

ホテルは快適で十分眠れたので、早めに出発。

 

しかし、まずいことに?

搭乗手続きまでに余裕で到着できるとわかっているので

妙に安心して眠気が襲ってくる。

 

緑川SAで早めに「海鮮ちゃんぽん」なる、鮮度はキャベツだけ!な

すなわち「キャベ鮮ちゃんぽん」を食べ更に南下する。

 

あー眠い、歌っても効かなくなったから、ガムかもう・・・

もうじき鹿児島だからガンバラにゃと思った矢先、

ペースメーカーにしていた前方の11トントラックが急ブレーキ!

更に前方には横転したての軽自動車がある。

 

まずい、火災にならぬか?人はまだ脱出してない。

先ほどトンネル内で追い越して行った白いベンツの

運転者と友人も続いて降りてくる。

僕の前に110番していた。

 

まずいことに、ブラインドになったカーブの終わりで横転、

後続車が飛ばしたまま突っ込んでくる。

通報中によろよろと、割れた後部ウィンドウから運転者が

はいだしてきたが、後続車の危険は続く。

 

以前

一般道だがこういう場所で自損事故をやらかしたのを思い出す。

慌てて発炎筒を焚き、間抜けにも中指を焼けどしつつ

手を大きく頭上で振りながら合図し、路上中央へ置いてみたが、

すぐに燃え尽きそうになるので今度は三角版を置くことに。

 

トランクから取り出し組み立てると、白ベンツの助手席の男性が

危険をかえりみずに設置に向かってくれ、その後も手を振り

後続車に危険を知らせ続けてくれた。

ベンツも突っ込みそうになり、右側の助手席の彼が運転手より

早く発見できたのが身にしみているようである。

 

燃料もれはないが、発火の危険もなくはない。

横転した車の右の窓が上に向いていたので

空回りしていたエンジンを慎重に止めておく。

 

おそらく一報から20分くらいで、高速隊が反対車線に到着。

しまった、キロポストは言ったが、下り車線と伝えてない。

一番近いところから来るので、上下車線が違うことは止む無しだが

警察関係の仕事をしていたのに、なんともはや。

聞けば、鹿児島県警は横転した車両があるのに

119番の救急出場を要請していなかったのは残念だった。

 

僕が運転者を最初に確認しながら通報したのだから

ついでに鼻の出血と、左足の打撲らしきがあったので

念のため救急出場を依頼すればよかったのだ・・・

分かっていても、慌てると全くだめなものである。

 

で・・・少々遅れて鹿児島新港へ。

手続きを済ませ、夕食の買出しへ行くも、鹿児島市内のスーパーには

駐車場がない・・・大阪ミナミみたいな感じの町並みである。

御堂筋のような広い道が縦横とナナメに走っていてわりと分かりにくい、

その上、店はあっても駐車できない、独特の町並みだ。

 

仕方なく停車し、別の店をカーナビで検索中にケータイが鳴る。

知らない人だ・・・

出ると高速隊だというのだが、なんとしても先ほどの三角版を

返しに来たいらしい。

結局、約束時間まで多めにとったが、買い物をしたあとギリギリ高速隊が

先に港の待ち合わせ場所に到着しており、車中でケータイをとるはめに。

知っててかけるなっちゅーの!違反だよ、確認されちゃったよ!

おとり捜査だよ!

到着が早いのはさすが高速隊のチューンナップ・クラウンだからか?

その早さ、さっき欲しかったとです・・・

 

徳之島へは転勤ですか?という。

なにげに職務質問???たしかに怪しさ満点だとは思うけど。

警察官との会話も全く違和感ないし。 警察業務を知っているし。

ともあれ、たっぷりとお礼を言って帰っていった。

ほがらかで西郷どんっぽい、さほどスピード感のないイメージの

高速おじさん隊員だった。

まー、クオカードとかいただいても、使い道ないしな。

 

にしても、あの横転ドライバーのことは一言もなし。

全然言わなかったな・・・実は逃走中のワケアリ運転手だったりして。

 

ともあれクイーンコーラル8(えいと)に無事乗船。

一本目の淡麗Wを明けて、メールを打ち始めたらいきなり入電。

またか?今度は何の用だ?高速おじさん隊!と思ったら

島の宿、山海荘のオバチャンからだった。

なんか気ぜわしい移動日である。

 

日曜夜の動物奇想○外に出没する、

セ○ゴクセンセイと同じ自然研の方が調査のため

たまったま、よりによって山海荘に宿泊中とのこと。

 

山海荘はどうやら、動物観察者をひきつける何かがあるらしい。

やっぱりモズ博士Tも定宿にせにゃいかんぞ。

 

さっそく情報交換の約束をし、二等寝台でコッソリとビールを二本空ける。

換気ファンが強力なためか、お弁当の臭いが充満しない部屋は

驚くばかりの過ごしやすさ。 もらいゲ○対策だろうか。

 

鹿児島市内でもとめた夕食は、タイヨースーパーの幕ノ内、399円。

(400円を切りながら幕の内の名を冠す!)

大阪以上に薄味で好感が持てる惣菜は150円と、更に嬉しいお値段である。

この調子で徳之島まで南下すると、あと数十円安くなりそうな勢い。

加えて、幕の内の右上、鯖の焼き物とてんぷらの下はキャベツではなく

キンピラゴボウとこんにゃくの煮付けの惣菜が忍ばせてある嬉しさがあった。

安いからとアキラメたくなる弁当が多いが、

これまで食した幕の内の中でも、ここまで奥ゆかしいのは初めてだ。

 

いくら食べてもくどくない、ひじき本来の味がとても旨い。

(薄味で美味しいひじき)

 

なにはともあれ

大切だった忘れ物をも忘れ去るような長旅、乗船まで1,500キロ。

事故車もなんやかんやでケアし、ゆうゆうと乗船して存分に晩酌とは

これ幸いと言わずして何の人生か?

両親の不安をよそに、なぜか雨降りのはずが

月夜に照らされた開聞岳を望みつつ内地をあとにする

2009年3月3日の宵であった。

 

錦江湾の出口にさしかかるころ

太平洋のウネリが、ゆりかごのように眠気を誘う・・・・・・・・


二等寝台の寝心地は思った以上で、めずらしく熟睡。

夜が明けると冬の日常、どんより雲に迎えられた。

 

3月4日

さあ上陸だ、いよいよ徳之島生活初日!

と思ったら、いきなり家なし?居候生活が始まってしまう。


ではまた