砂利時計?が刻む 大切な時
それと 大切なココロ
伊勢からの帰り道の出来事である。
世の中には、意外に変なことは、相変わらず多い。
東名高速で、何度も50キロ規制に遭うが、なんの謝罪もないし
払い戻しなど到底ありえない、だが、それでいいのだろうか???
JRだって、電車が遅れたら謝罪くらいするぞ!
草むしりくらいで50キロ規制を、何の抵抗もなくするな馬鹿者!!!
と、あえて言いたい。
一方
鉄道と違って?道を間違えたら行過ぎたインターで
Uターンさせてくれる優しさがある。 もちろん料金は加算されない。
(特別回転承認をもらいUターン)
その寛大さ、その温かさがあるのに、50キロ規制の重みを
分かっていないのではないか。
高速道路の高速さをを頼れなくなったら存在する意味がない。
が・・・50キロ規制を気楽に発動しているNEXCO。
多分、路上メンテナンスは昼の安い賃金で・・・といったノリで
草刈しているのだろうが、それは主旨が違うのではないか?
キチンと予告し、割引するなどして当然だ。
そもそも草刈は計画業務ではないか。
50キロ規制したら、その区間分は国道と同じだから
払い戻しして当然。
しないなら、せめて詫びるべきではなかろうか?
競争相手のない官製企業の悪癖は根強く根深い。
更に
前方作業中 注意!などと、
生命安全第一の高速道路で注意≒危険の源を作るなど
言語道断な上に、注意せよ!と利用客に命令する始末。
どうなっているのだ?この無法危険行為は。
これまで、高速道路の常識だ・・・みたいな感覚でいた自分が
変だ、変すぎると気づく。 そりゃ泣き寝入りというか、諦め過ぎ。
ほんの少しの気づかいで
高速道路はもっと安全快適になるだろう。
首都高の人為的な渋滞など、呆れるばかりだが、
謝罪もないし割引もないのに、甘んじているなんて笑えない。
ドライバーの方々よ、見逃すな! 泣き寝入りするな!
人と物流の根幹たる高速道路が、無駄に存在してはならぬ。
NHKアーカイブスの販売行為以上の暴挙がここにある。
誰のために存在し、誰の稼いだ金で作られたのだ?
しかも強引に集金しておいて、不祥事を何度も起こす。
だから派遣切り騒ぎのような大失態が起きるのだ。
金で都合よく曲げに曲げた仕組みの象徴である。
企業本位の価値観、法や慣習の捻じ曲げた解釈では
社会的バランスが取れない。
いつか必ず清算する時が来る。
大人なんだから、早いうちに直そうや。
どうせ、いつかバレて続かないんだからさ、
それともまた、子供や孫ににあがなわせる気?
そういう人多いんだよねぇ、人間らしくない、サルっぽい人。
さて本題
父母から餞別をもらってしまった。
家族と別れる事が、これほど寂しいと思ったことはない。
別段、横浜から6時間かかるところが、今度は8時間くらいに
なるだけだろ、と思うが・・・徳之島は相当遠く感じるようだ。
僕のココロが弱すぎて折れ、移住してしまうわけだが
さすがに父母の寂しそうな姿を見ると気持ちが揺らぐ。
僕は長男なのに結婚もせず、ダラダラとこんな生活を
いつまで続けているんだろうかと、情けなくなる。
結婚は全てではないが、生物的には全てかも知れぬ。
今更ながら、孫の顔も見せられないでいる・・・
ちょっと変な意味でココロが痛む。
痛む前に結婚しとけ!子供作っとけ!と
突っ込まれることうけあいだ。
大切な時間を無駄づかいしていたのではないが
壊れてしまっては後の祭り。
一言で言うと、背伸びしすぎて壊れた。
自分を自分が追い越して、走り続けられなくなっただけだ。
己を忘れて、絵空事の自分に突っ走ったツケ。
すなわち、自分で考えず他人や企業の価値観を
そのまま自分の価値観に置き換えたのがソモソモの間違い。
バカは死ななきゃ治らないと言うが
絶対に、死ぬ前に治らにゃいかんモンだなと思う。
だけど、大好きな女性とても、ナンピトのペースにも
合わせることを心底出来ないのが僕である。
移住するのも、伊勢で父母と暮らすのが不自由だからだ。
スケジュールを決めると急に不眠になってしまうのだ。
独りダラダラ生活する神経になっているから、
予定がないこと、これが一番の回復のタネ。
でもなんだか、たまねぎ剣士みたいな人生になってる?
確かにジョブチェンジの素みたいな中途半端に便利人間だけど・・・
そうそう
ジョブで思い出した。
大量の失業者を出した、人為的なのに未曾有の?年明け。
いや、本当は温暖化のほうが深刻だから
失業問題にかまけて忘れたフリをしていても確実に着実に
進行しているから駄目よ。
ましかし
政府もバカじゃないみたいで、仕事ではなく「働くこと」を
考え始めている。
ちょいと僕の方が早かったか? でも大切、気づいて嬉しい。
「働き」が認められて、持続可能になったときに仕事になる。
しかし働きがい=仕事になるとは限らない。
働きにはなるが働きがいにつながるかは本人次第だし
常に働きによる役立ちは変化する。
本来自動車なんてそんなにポンポン買い替えるものではない。
しかも日本人が作ったんだから壊れない。
売れなくなるのも、うなづける。 携帯電話みたいなものだ。
買い替えなくても困らないから。
役立ち以上の市場を重視したから破綻した、当然の事態だ。
経済的に考えたら、国が無理やり推進している原子力発電の
深夜電力が一番安いかもしれない。
でも、それ以前に、電気自動車は高価なので
買い替えに要する金額と比べたら
どれだけガソリンで走行できるだろう・・・と考える。
しかし化石燃料は確実に温暖化を進める。
経済的というのが、誰の何のためか、経済で全て片付くのか
よくよく考える必要え、判断する必要がある。
今や
既存の仕事の大半が古くて回らないのに、無理して回す時代。
景気は一見、この先少しもとに戻るように見えるだろうが、
経済格差を利用して利益を得る社会構造は崩壊する定め。
成長を当たり前として育ち、民主主義ならぬ、資本主義を傘に
役立ちを無理やり作り出すのも限界があろう。
しかも、受益者は経済格差の上部の者に限られている。
資源が高騰する社会が早めにやってきて良かった。
だが、便利になって久しい宅配便などの物流のほとんどが
何億年もかけて生成された化石燃料を燃やして、
CO2、排ガスやチリとして、我々の肺を満たす空気中に
大量放出されている。
何千、何万トンも一日に大気へ放出されるのだ。
大気はでっかいゴミタメだ・・・的な生活を親しんでいる。
東名高速に乗っていると、目に見えて減るガソリンメーターが
ココロをしめつける。 車は世界中で何台動いているのだ?
原油産出国が、よくもまあ国ごと地盤沈下しないものだ。
船も車も飛行機も電力も化石燃料だから、我々の肺にも
ズイブンたまってるんだろうなぁ、いろいろと・・・
アサリが干潟の浄化をするように、大気は人間の肺でも
浄化するんだろうな・・・
そういえば
アサリは江戸前などと自慢げに、調子に乗っていて
ズイブン食卓にのぼってるよなぁ。
潮干狩りするアサリの元は大半が北朝鮮産かもしれぬが
北朝鮮の化学汚染事情はおいといても、東京湾には
まだまだ汚染が残っている・・・というか、茶色い水を
飲む勇気があるか???
結局、あらゆる意味で豊かな物質を含んだ海水を
最終的には人間が肝臓で浄化だ。
肝臓は正体不明、分解不能な薬物を蓄積する機能が備わる。
皆さんにもしっかり備わるから、赤ん坊からお年寄りまで
60億もあれば地球浄化機能は万全だ。
直接摂取しなくても、母乳にもあるような脂質に混ざりやすい
化学物質もある。
例えば
ダイオキシンは脂分に溶けやすい特性があって
江戸前のタチウオやスズキには含有量が多い。
当然、その魚を食べる人や鳥にも濃縮されて蓄積する。
僕が東京湾や、その界隈の魚介を食べないのは
臭いもあるが、浄化に付き合うのが嫌だからだ。
とはいえ
人間が放った有害物質は、やっぱり人間が浄化する宿命。
世の中はうまく出来とるもんだ。
劇的変化を起こさせるチカラを持ったら、数を増やす生物。
しかしその影響は、結局自分たちが一番受けることになる道理。
ま、発生させた人と浄化する人が違うかもしれないけども
他の動植物から見たら一緒だ。
それに動植物にも大迷惑をかけているし。
いつもどおり話が飛んだが、要は物質的生活水準本位ではなくて
働き本位、生きること本位でなくては、持続可能ではないってこと。
浪費拡大で豊かになれる生活は、戻ってこない、いや戻しては
イカンということなんだと感じている。
最悪
冷蔵庫がなくても生きられるくらいになる必要があると考える。
その日の食べ物はその日に採り、獲る。いわば自産自消。
釣り以外にも、勉強することはまだまだある。
そういえば、モズ博士Tは農学博士だったはずだ。
地力(ちりょく)を落とさないで栽培できる植物、教わらないと。
三姉妹農法くらいしか知らないよ。
大豆が良いと田舎で聞いたが、そうでもないらしい。
根にバクテリアを住まわせて、窒素固定するのだが、その窒素は
地中のものがほとんどで大気中の窒素は固定されにくいという。
つまり、土地が痩せたぶんで大豆が太るということだ。
大豆まで土に戻せば地力は多少回復するが、連作障害も起こす・・・
もちろん栽培なんて、やったことはないのだが。
要は化学肥料に頼らない場合、如何に太陽光で養われた植物を
有効成分として細菌類に分解させるか・・・が肝のようである。
植物は土壌のバクテリア(細菌)と密接し、地質を変えることがある。
地力を落とさないからといって、安直に持ち込んで良いとも限らず
次に植える植物や、周辺植物への悪影響が出るケースもあり
慎重を期す必要があるわけだ。
逆に
あえて変えてみるのも手は手だが、バクテリアが侵食する
影響は測り知れない。
ついでに話を飛ばすと
メリケンでバイオスフィア2という、宇宙移民への珍実験があった。
砂漠の中に、孤立した空間を作り、数名と動植物を封じ込めて
ミニ地球のような循環環境を作る実験である。
あるのは太陽光のみ。
あろうことか深刻な酸素不足に陥ったのだが、原因不明。
最後に土を調べたところ、バクテリアの爆発的な増殖が
原因だったという。 恐るべしバクテリア!
人間が想像した動植物群程度ではバランスしなかったのだ。
地球のような大きなバッファ(冗長)と多様性があってこその
環境、生物バランスということになるだろうか。
バクテリアは、全地球凍結や隕石落下で岩石蒸気が満ちても
生き延びてきた覇者、酸素がなくなっても生き延びられる。
有毒ガスも、エネルギーにできるよう変異できる。
上空8000mから深海11000m、地中1000m以深ですらも
生きているというから、通常の生物では勝ち目がない。
我々動植物はバクテリアの中に生かされているようなものだ。
酸素が多くて、贅沢な環境で進化してきた哺乳類ごときでは
バクテリアを敵に回して生きられないということだ。
もちろん、栽培による連作障害もバクテリアの影響がある。
ともあれ
今回はちょっと早めにアップする。
徳之島で、家探しのためだ。
それと、Oちゃんオススメだが、最も嫌いな山登りのため。
どういうわけか小学生たちと徳之島最高峰に登るハメに。
山登りって、途中の動植物を観察する余裕がないからなぁ。
動植物を、あらかた無視して登頂だけを目指すなど虚しいだけ。
ただ登頂という喜びのために、疲れを楽しむ趣味・・・マゾだ・・・
たかだか頂上の風景より、途中の動植物の生物相が意味深い。
なので、どうせカメラが重くて体力的に登頂は無理だろうから、
途中で観察に切り替えて、下山する小学生たちを待つつもり。
オコチャマのお世話までする余裕なんてないし。
旅の行程はというと
沖縄まで飛んで、船で戻る感じなので、着くには二日を要す。
前日午後のフライトで那覇入りし素泊まりで前泊、
明くる朝7時、那覇泊港(とまりこう)出帆で徳之島へは夕方着。
時間的には丸一日、24時間くらいだと思うが時間ロスは大きい。
けれども、船旅はいい。
この時期、トビウオがそれほど居るとは思えぬし、風も冷たいが
海を見ながらのんびり島をめぐって旅できるのは嬉しいことだ。
多分・・・季節がらドンヨリ天気と思うが、与論、沖永良部を見て
徳之島入り、なかなか出来ない贅沢。
当然、帰りは逆をたどるが、帰りは一機に飛んで戻る。
夕方に那覇へ着いたら、フライトに間に合うのだ・・・多分。
横浜に戻って、不眠が復活し引越し作業は遅々として進まぬ。
でもまあ、引越し先が決まれば気持ちも前に向くだろう。
にしても、
伊勢も横浜も徳之島も時間の進み方が異な感じがする。
まっすぐでもないし、速くなったり遅くなったりする。
刻々と歳はとっているはずなのだが・・・世の中が速いのか・・・
自分がボンヤリしているだけなのか・・・
砂時計のようにサラサラしていない時の刻み方をする。
旅するカモのように身軽に、地球を自由に移動できたらなぁ。
人間はナゼか植物に似てどこかに根っこを生やしている生物だ。
自らいろんなものも背負って、根を張っていることで安心する。
あまつさえ誇りに思ったり、自己満足にひたったりする。
身軽になるってのは、案外難しくて困りもの。
しかしなんで、こんなにモノが多いんだ!我が家は。
ブータンのような、国民総幸福量をかなえようとする国がある。
それほど大げさでなくても、自分たち日本人ができるか・・・
物質的な豊かさが、笑顔を増やせるとは限らない、
幸福の場所がそこにない、と結論した国民がいたと知った。
物質的な世界を知っているが、持ったことがない国民が
なぜ、幸せがそこにないと信じられたのか、不思議だ。
大乗仏教のためだろうか。
転生を信じていて、墓もなく死者や先祖を祭る悪癖がない。
生への執着も薄いらしいのだが。
死んだ者を商売のネタや酒の肴にする風習など無用!!!
なわけだ。 僕自身、そう思ってきたから、全く同感だ。
まー、高齢化社会では葬祭が必ず雇用創出にはなるけど。
内需拡大なのか?コレ
人を死んでから大切に思うフリをしたところで
あくまで生き残った者の自己満足に浸る時間に過ぎぬ。
死ぬ前に、何らかのサインがあったはずだし
死ぬ前にしっかり付き合ってきたはずだ。
まして、付き合ってもいないのに来る連中など
義理とかいう架空の自己満足以外、何の意味があろう。
心を受け継がねば意味も意義も無い時間を消耗する。
転生を信じれば、死を無駄に悲しむことも後ろ向きにもならず、
真理を知っているのかも知れぬ、大乗仏教。
犯罪や事故で死ぬのは、モノの豊かさゆえの宿業だから
その範疇ではないが、その中で何も考えず
生活を甘んじた我が身の省みる必要は十分にあると思う。
とあるブータンの集落で、電化する話が持ち上がったが
貴重なオグロヅル(神の鳥と信じられているらしい)の
邪魔になるのと、電気が来ないのとどちらが良いか・・・と
大人から子供まで問うたところ、オグロヅルと答えた。
電力は田舎でも使われていて、携帯は子供まで普及している。
これも面白いところで、人との関係が幸せ、笑顔をもたらす
というコンセプトに通信、携帯は欠かせない道具だ。
太陽光で最低限まかなわれているし、キモを外していない。
ブータン人どうしが電話しあうことで、ブータンらしさを保てる。
田舎も都市も分け隔てなく通話することで文化が培われる
可能性に賭けたのである。
医療、福祉は無料。 ダムの水力発電の電力をインドに売って
その外貨をあてているらしい。 ヤルじゃないか!ブータン。
我らの物質的、金銭的理想は早くも壊れた。
この年末年始の日本の恥、大失態で分かったはずだ。
我ら日本人は理想を履き違えたし、自分で考えなかった。
まー、戦争に負けたから・・・という言い訳があり
実質米国の属国という事実があるにせよ、70年代以降
調子よくなった時に、払拭できるチャンスはあった。
だが、
今となっては妙な欧米文化に浮かれ、金の亡者と化してしまい
とりあえず金でまとまっているだけの「国らしき」からも
エコノミック・アニマルなどと呼ばれる有様。
そりゃオメーラだよ、「マネー・オリエンテッド・ステーツ」だ。
自分たちの道を考える、選ぶ、ということをしなかった責任を
我らは、これからとらねばならぬ道理に迫られている。
変えようがない過去をホジくっても幸せはない。
我らはオリジナル日本の未来を必ず考えながら
身近な自分らの生活を少しでも前に進める必要がある、
今すぐに。
そんなの、自分の子供の進学を考えたら
今は小さなことよ・・・とか
自分の家族の大病と比べたら大したことない・・・と
思ったのではないか???
社会から先に変わらないのなら、自分も変わらないでいい・・・と
思ったのではないだろうか?
進学も大病も、何が成したのか考えたか?
その先がなければ、人間という存在として意味をなさぬ。
目の前のことにかまけているフリをし、言い訳にする、
その思い込みの連鎖が、今につながってきた。
社会は全て人で出来ていて、国や役人が組み立てるのではない。
経営者の方々は仕方あるまい、何しろ米国ありきの金融世界で
なんとかココまで日本を押し上げてくれた苦労人の方々だから。
本来
サルで居られたら、それが最善であったろう。
我らヒト、ホモサピエンスの限界だろうから。
家族への思いをバカにするわけではない・・・が
まーその日暮らしを極めるホームレスさんらと同じような
そうでもないような・・・
霊長類、サルが生き抜くために身に着けた長所は
その様な「目前の危機」を「他の動物より巧みに回避」して
シブトク生きぬくという事だったと、研究者は語っている。
我らはサルそのものの性質を重んじている
行動原理そのものが、サルレベルそのままなのだ。
自らの文化を捨てて、いや、その意味すらも知らず
スーツ着てネクタイ締めて、メリケンに尻尾をふって
真面目でゴザイとフリをするサル途上の連中には、
もう我らの未来が造れるとは、サルである自分でも
全く、到底、皆目思えない。
国会など中学校のホームルームではないか。
人のせいにしても幸せは来ない事、わかるな皆様よ。
同じサルなら、お金と違う豊かさを、
金を持たないサルだって知っている豊かさを
ちょっと取り戻すくらいは出来るのではないか。
本質的には、人間が多すぎて難しいかもしれぬが。
そんなわけで、早めにアップして徳之島で家探し。
そんなわけで、身軽になり幸せと笑顔を得られる生き方を
今まさに実験中。
あーウツ再発中だし、まだまだ身軽にはほど遠いけれど。
業務連絡
FOMAカード廃止により、次週のアップまで
携帯電話と携帯メール以外は不通です。