10月より
平成無責任社員になりました
(Text Only)
本日10月1日から、いよいよパート社員になった。
これはいい、とっても気楽。
今まで苦楽を共にした仲間たちだが、今の僕では
無理やり一緒に残業して体調を崩すより、責任を小さくして
ぱぱっと切り上げられる立場が心身ともに助かる。
一度壊れた精神はそうそう元に戻らぬので
世間の常識的な定時出勤、ついでに残業・・・はもうキツイ。
当初は
リハビリしながら働けるだろうと入社したガス屋だったが
社長や役員のすぐそばにいるので、アレコレと難題が
出されてしまい、再び壊れてしまったのだ・・・やれやれ。
最近また2、3時間睡眠が続いている。
仕事は面白いのだが、急なのと前例が無いのとで
ヒントはもらえるのだが、誰も教えてくれない仕事が多い。
しかも、どうにも納得いかない、販売のための販売行為・・・
そりゃ駄菓子屋さんでもできるわぃ!
従業員何百人もかかえてやるこっちゃないと思う。
だから、経営数字を見るにつけて、どーもしっくりこない。
処遇を上げるとか、高付加価値企業を目指すとか
ぜんぜんそんなのカンケーネーを繰り返すのだから。
なので
パートになって、しばらく気楽にヨロズ屋をやろうと思う。
直接、経営っぽ事には関わらない立場が良いのだ。
飽きっぽいので丁度いい、とも言う。
とはいっても・・・
パート社員なのに、相変わらず社長の隣の席というのが
スゲーよなぁ!どんな会社だよ。
文字通りパートさんは、社員さんが座り辛い社長の横に居て
パーティション代わりにもなっているのだろう。
一方
ストレスも減るけど、給料も生活スレスレになる。
この際だから
生活はなるべく小さく小さくまとめてゆきたい。
お金よりも、気楽で自由な生活を選ぶことにした。
が・・・結婚は遠のいたかなぁ・・・
元々、友とつるむことも、会社とつるむことも苦手だ。
人の下にも上にもつけぬ厄介者なので、具合がいい。
小学校のころから通信簿に書いてあった・・・
「協調性に欠ける」と。
心も身軽なのか、薬を減らしたのに気分が晴れている。
ところで
ギックリ腰をやった。
クリーニング屋の奥さん情報から
近くに結構充実した整形外科があったので
さっそく朝、診療時間より少し前に出向いたら・・・
すでに、店構え?というか、医院の門構え?に
不似合いなほどに、大きな傘たてがいっぱいであった。
しかし、どういうわけか待合に人はお一人だけ・・・
入ってみると、既に診療ではなくリハビリの部屋に
ジジババの群れが、腰を伸ばしたり、電気をかけたりと
ほとんど自力で治癒の努力をしない?常連の集合がひしめく。
傘の数とは無関係に診察はすぐに回ってきて、
レントゲン・・・その後は少々待たされて、群れに合流へ。
ジジババの群れは、畑仕事も運動もせず
男性に至っては、趣味も無く、友人の交友関係も少なそうな
どうしようもなく、ただ恩給で死を待つような生き方しか
見てとれぬ、虚しげな群れであった。
参考までに、大正の大恋愛で結婚した、我が頑固ジジイも
出不精で似たような生き方だったためか、脳卒中で逝った。
半年後、伴侶を失い後を追うように力なくばあちゃんも逝く。
戦中戦後を頑張りぬいた恩方々がこの群れかよ!
幸せを求め続けた結末がこれらだってのか!?
老後に楽をするというのは、ただ単に老いることなのだなぁ。
経済的に役立たずになったから、恩給で生かしとく・・・
ようにしか見えない、とっても哀しい姿であった。
これじゃあ、医療費だの、恩給がなくなったら・・・
なんか、皆が楽しくて社会の役に立って、体も頭も使える
そんなことをしないと、ジジババも日吉本町もやばいなぁ。
まーしかし、反資本主義的に生活を小さくまとめる立場としては
そーいう発想は、やめとこう。
ジジババだって生き物だ、自分たちで当然なんとかするだろ。
都会は人間の数が多いから、文殊の知恵もたっくさん出るはずだ。
でも本来、自活力を失い、自然界なら、ライオンだの熊だの、
カモメだのに食われるような、弱った体を引きずって
未来の邪魔になるような御老体は、生きる意味をわきまえられよ。
僕でさえ、こんな情けない精神を引きずって生きるぶんには
わきまえようとしているのだから。
といっても、そんなジジババはこれを読むことすらできぬだろうな。
大事なことは人それぞれなんで、僕は僕の大事を通そうと決めた。
更にまた、死してなお、ただ無駄に焼却され灰にされ
エネルギーを浪費して大地に戻れぬ切なさは動物として捨て切れぬ。
せいぜい、これまでいろいろな恩方々に教わったことを
誰かの役に立て、さらに教わりながら、もっと役に立てるような
生活を目指すつもりだ。
こう記述すると、社会から外れて、異端として生きるように
読み取れるかもしれないが、本人はそんな気は毛頭ない。
頭髪はもともとなくなりかけだが・・・
お金とは違うものを欲張りたい、といったところかなぁ。
さあ節約だ。
お湯は夏は37度、秋の今は38度設定。
最近は蒸気がついたくらいのラップは洗って再使用したり
LED照明で明かりをとったり、必要によってティッシュを
半分ずつにして利用するなどしている。
しっかし、ギガビットネットワークのせいか?
電気代は減らない。
45インチテレビも一ヶ月3時間くらいしか点けないのに
独り暮らしで3,500〜4,000円を超えることもある。
一個、スイッチングハブを停めてみることにした。
本当はハブ付き無線LAN付きのブロードバンドルーターに
まとめたいところだが・・・
なんかルーターはプロバイダーの強制レンタルなので
困ってしまう。
あいかわらずおかゆは好調で、二合飯を6回に分けて
食べられる。
おかげでちょっとウェストが元に戻ってきた。
ただ、具というかアンをたっぷり作って、丼いっぱい食べても
2時間でお腹がすいてしまうのが、健康にグーというか
お腹がグーである。
けど圧倒的に、普通のかゆと違うところがある。
炊いたご飯にお湯を混ぜるだけなので、一切米粒が
つぶれない、欠けない。粒が生きたかゆになるのだ。
この美味さが、続いている理由かも知れぬ。
料理で何かを煮て作るとき、いったん沸騰したところで、
ふたをして蒸らす、そうするとムラ無く火が通りやすい。
余熱で火を通すことで、時間はかかるが、火力は節約できる。
たんぱく質は、豆腐か納豆か、かつぶしにゴマ、
あとはイワシとか、あ、それと最近お気に入りの高野豆腐。
高野豆腐は意外で、出汁を洋風和風に変えることで
いろんな味になるし、出来立てをたべると、不思議なことに
あの独特の高野豆腐臭さがないから、是非おためしを。
ってことで、それでも前進と信じつつ
過ぎ行く時を楽しんでいこうと。