あらゆるモチベーション「ゼロ」
なんとなく、おかゆ大戦、改
ふたたび長男は最悪の不眠状態が続いてしまい
これまた最悪のメタボ状態である。
しかし、直そうという気力がない。
何しろ何にもやる気がない。
土日など、食欲もないし、せいぜい夕食だけ。
ユルユルになろうとしたらガタガタになった、のだ。
友はいろいろハッキリ指摘してくれるが
正直なところ、もう人生の目標がないので直す目的がない。
会社の仕事も良く分からぬ。
販売会社は売ってナンボだが、売るロマンがない。
なんか、売ったほうも売られたほうも、半信半疑で
完全燃焼していない感があって、仕事が疑問だらけなのだ。
まーそれが友の言う中小企業の悲哀なのだろうか。
大体、販売行為自体がこれから破綻する社会が来る。
安く作って高く売る、右から左にモノを流すと価値が出る社会は
もう終わりなんだよ。
ただそれが、早すぎる判断か、ありえないと思うかは自由だよなぁ。
長男の神経は崩れかけ、ガス屋の価値なのか業界の常識なのか?
どーでもいいが、給与並みにイイカゲンなのに、ハードボイろうとし
美学をかたろうとする、仲間の姿勢が痛ましい。
よからぬことに理由は必要ないし、言い訳はあるが意味もない。
無論、武勇伝でもない。
もともと、何事にも意味が存在しないことは、
互いにじゅうじゅう承知しているはずなのに。
長男は、3歳のときに包丁をお腹に当てていたんだよ。
烈火のごとく、神のように絶対的存在の両親に叱られる恐怖
鬼母は愛に満ちていたからこそ、厳しすぎたのかもしれない。
社会構造や、仕事どころか、ずっとずっと
生きることに疑念を感じ続けてきたところがある。
今は本当に優しいだけの母だが・・・
地球上の生物は、遺伝子を残す以外の目的は持っていない。
思考の飛躍ではなくて、基本だ。
人間だからと人間だけのスケールで何を考えても、それは虚構だ。
なにしろ、もともと意味が存在しないところへ、存在の位置づけも
考えず、その上に美学なんぞも、ハードボイる必要も意味がない。
ただ、本人が価値を感じるか・・・だけだ。
長男は、都会の人たちの良く分からない行動パターンと
雑然として、味のない人造領域だけで生きようとする
思考自体も、結局理解できない。
イヌイットが住む世界と、チベタンが住む世界は
つながっていたが、生き方も価値観も全く違うのと同じことだ。
たとえ同じ人種でも、生き方が違うのは確かなことだ。
結局長男のチャレンジは販売会社に来たことで
反面教師を得た?、というところか。
結局販売とは結果先行主義に過ぎない。
分不相応でも美人のカミサンと結婚したい!と思ったとして
結局美人と結婚したと思っても、好みはみな違っていて
何か披露宴の反応が思わしくないないの?ひょっとして???
みたいなものかもしれない。
肝心の販売目標は、本来の幸せとか、上役の求める価値観とは
合致しないところを、アメリカ的に、金だけで縛れるか!?
と思ったら、やっぱり違っていたことは体感できた。
体感できただけに、気持ちとしては仕事に疑念が残る。
長男自身は、やることに自分なりのヤリガイを持たせる。
でも、頑張れば頑張るだけ便利屋になるだけで
ついにモチベーションがゼロになっちまって
休日は寝たきり、食事は夜の一回にまでなったのだ。
これはガス屋が悪くはない、長男の価値観が
合致する部分がなかったというだけだ。
前の会社と同じ、会社という組織は同じことを極める。
販売なら販売、製造なら製造、だからネクストステップがない・・・
いずれにせよ、またしても
自壊したのには違いないので、当然、自己回復を試みる。
これまでは薬漬けでなんとかしてきたが
今後3ヶ月で、抗うつ薬を止め、計画を家族と友人に報告し
しかるべき時期に、確実に実行する。
結婚もしないでのほほんとしていた30代だったが
この事態は織り込み済みだし、むしろ現代の経済危機は
高校時代に予測できていて、その後
物量、経済優先社会に呆れ果てた大学生活の終わり、
(日本に空虚とはいえ勢いのあった、バブルのころね)
ひねくれた卒業制作(芸術大学の卒論のかわり)も
いやみが強かったためか、最後の評価は「良」だった。
この大雨社会が読めなかった教授らは、どうしているだろう。
他人の同情も同感も要らない、そこに必要なのは現実の読みと
DNAを残すことと同様の意味を、自分の存在や活動で残すこと
それだけだ。
終わったら、人生が終わっても、何の問題も、後悔もない。
与えることが大切、とも思うが、受け取るかどうかは
受け取り手次第で、期待してはいけないと思う。
大事だと思うんだよなぁ、社会に属しながら、社会の行く末を
正そうとする考えを持つことは。
自分の信じる正しさが間違っていても、誰かのが当たればいい。
ただ、
身内や同属が死んでも気づかず、その生活をダラダラ続けるのは
断じて賛同できんのが、やはり長男の、昔からの考えだ。
何しろ、人の死は空ろだ。
と、ずっと以前、たぶん中学のころ考えていた。
生きているという現象が何の意味を成すのか判断していた。
今の結論は
魂があるならば、いずれまた、親子か恋人かは別として
現世界か、別世界かどこかで、再会する。
死は、短い体のしばりの中に閉じこもった考えで
悲しくとも、悲しくなくとも、意味はなくただ、自分もいつか死ぬ。
それが今日この直後の事故なのか、あるいは不意の災害で
全ての親族を失い、涙も出ない状況で弔った後なのか・・・
考えても無意味だ。
それだけだ。
大切なこと、それは自分が大切だと思うことを、大切にすること。
まー欲を言えば、他人の共感も得られればよいが、
共感は必ずしも同じ感じ方ではなく、心が一時的に共振しただけで
感覚を共有したという満足感にすぎない。
それが大切なのなら信じるのが大切だ、それだけだ。
モチベーションはゼロだが、固い頭は固いままに。
長男は、家族中で一人目の男の存在であってこそ長男であり
危機感をしょわされて、本人の気づかぬうちに愛を集中され
未来を期待されてしまう存在・・・なのだ。
でも、もうそれは一抜けようと決めた。
本家は徳島にあり、我が両親は三重にあり
我は関東にある。
その他の親戚は、中国地方、四国、同じく関東に散らばる。
誰がどこに居て何をするかは、やっぱり勝手なもんだ。
育った地域にへばりついて居られるのは
一部の幸せな人間に過ぎないのだろうと思うし
それは一方でしがらみ過ぎて息苦しいと思う。
なー、友でいてくれる皆様よ、ちょっとわがままに無茶するが
死にそうになったら助けてくれないかな。
それまでは意地張ってみたいんだ。
官僚が、国が、社会が高速で走り続けるか
高高度を飛行している・・・そこから、飛び降りようとする
行為になるのかもしれぬ。
だから、長男自身も怖い・・・が、行き先を通過してしまって
戻れないところへ乗っていても、仕方がないが
乗っていたほうが安全なような、でも乗っていても
どんどん行き先が遠ざかる。
そんな感じが、意味もなく自分で自分を締め付けている。
行き先を変えれば?とも思うが、当面の用事を済ませるには
やっぱり降りなければならぬ。
通過してしまった場所へ戻るか、行き先を変えるかで
ずいぶんとバカみたいに悩んでしまって、頭が変になってしまったが
ここらで、一方を片付けてみたら、悩みも一個消えて
心も軽くなるだろうと思うのだが・・・
さてさてさてと
手元にある睡眠薬を全部飲もうかなと思ったけれど
中途半端に効かなかったら嫌だと気づくと、まだ生きようと思う。
寝てばかりの休日、一度だけの食事でも、
摂るからには美味しさを追求してしまうのが長男のサガだ。
ちょっと手を加えれば変身するヘルシー手抜き料理は無いか
と思いついたのが徳之島のぼろぼろ、おかゆ料理だ。
どーせ心も体も、信頼もボロボロだからお似合いだぜ・・・と
タソガレたわけではない。
理由はともあれ、確実に痩せた大戦だ。
おかゆは作るのが汚れたり面倒だったりするが、いい方法を
ふと簡単に思いついたからだ。
炊き立てのご飯をみているうちに・・・ここへ水を入れれば・・・
おかゆか・・・しかし雑菌が入って腐りやすいだろうなぁ・・・
ならば沸騰した湯ならば???
自分で言うのも変だが、目的を得た長男の結論は速い。
これが決め手であった。
沸騰直前の湯にはもう雑菌は居ない。
沸騰させるには、臨界点を超えるエネルギーが必要だ。
沸騰前の滅菌された熱水を炊き立てのご飯に注げばどうだろう!
省エネ、手間いらず。
完全に湯でおかゆ化するには3時間くらいかかるが
そこから更に冷媒で熱をとって、冷蔵庫で保存するので
時間はあまり気にしない。
この時間の無駄が現代の主婦にはできないようであるが・・・
片手間にやれることは、時間がかかってもやれると思うが。
硬さは足すお湯の量しだいであり、冷蔵庫でけっこう日持ちする。
あとは、水出しした茶で割れば、こくのある消化の良い茶粥?
というか茶漬け風になるし、和風のつゆや
吸い物風味で具だくさんの汁で割れば雑炊になる。
にんにく、唐辛子、肉やコンソメでスープを仕立てにし
きのこなど季節の適当な具とトマトを加え
香草とパルミジャーノレジャーノ(パルメザンチーズね)で
仕上げればリゾット風にもなる。
長男はそこへオクラをたっぷり入れてトロミをつけるのが
お気に入りだ。
オクラのとろみはコレステロールにも良いらしい。
汁気をくわえることで、2合のご飯をたっぷりとした量感で
6食に分けて食べられる。
その上夏の暑いさなか冷やしかゆに冷やし茶で食しても
消化が良いので胃腸をこわさない。
冬場、温かさが足りなければチンすれば事足りる。
簡単で美味しくて満腹で、ダイエタリー。
食後は寝るまでに時間があるので、10キロのダンベルと
お散歩することにしている。
雨が降ったらサボるし、美味しい食材が揃ったときも休んでいい。
けど、なんとなく続けることがイイ感じじゃないかと思う。
ダンベルは50mくらい歩いたら持ち替えないと
肩に変なシビレがはしる。歳になるとシビレが多くなるもんだ。
テキトーに持ち替えながら、ユックリ歩いて30分くらいで
家に戻ってくるのだ。
不況のためか物騒なのか、日吉の町内も夜10時をすぎると
めっきり人が出歩かなくなった。
けれどおかげで
ダンベル持ってあるく奇怪なオッサンの通報は減る。
最近は三国人が昼間歩き回り、ケータイで空き巣狙いのための
情報交換する姿が、町内の主婦に監視というか目撃され続けている。
変な街になったなぁ、日吉。でもなぜか好きだ。
都会なのに、自然もほとんど残っていないのに
なぜか澄んだ池にしか住めないヤンマがご夫妻で連なって
青空を散歩している・・・こういうところも、かなり変に面白い。
おかゆは化ける。雑炊にもなれば、リゾットにもなる。
消化もいいし、カロリーも低い、無駄もない。
今度の戦は、勝ち戦になるかもしれないな・・・
でも、かゆばかりでは、体力的にヘナッとすることがある。
そういうときは、奮発して、ももステーキ肉で
特製チンジャオロースだ!
細切りにしてミディアムに仕上げるのが技だ。
っていうか、最初にさっとピーマンに火を通して
温度を上げておけば、フライパンが冷えずに美味しく仕上がる。
ステーキは食べ飽きるが、赤ピーマンの甘み、唐辛子の
程よい辛味、にんにくの香りがしょうゆの風味を引き立てる。
時には肉も大切大切。
ってことで、
いよいよ秋、魚も、鳥も動く時節。
ついでにガス屋家業も忙しいときている。
パワーが必要だ、パワーが。
久々に、本気をださにゃならん刻がきたようだ。
だけどヤル気がなぁ・・・こうも価値観が四面楚歌だと
やり辛いもんだ。
ま、これもハブに囲まれた畑よりは、ずっと楽なモンだろう。
甘いぜ長男、まだまだだぜ。
ふと、こないだ考えた。
あと一週間で命が尽きるのならどうする?
「南大東で、高木研究室の連中と、釣った魚を食べる」
迷わずそう思ったのは今も変わらぬ事実だ。
なぜだろう
それに、死ぬ前にやっておきたいことは
まだまだ山ほどある・・・それって変だろ、わがままだろ!
だがなー、ヤル気なくしてはナンモ起こらんが
そもそもナシテか、ヤル気も起こらんではドゲンしたモンか
友の言うとおり、確実に長男はオカシイのだから
もう終わりたい、アレコレめんどくさいから・・・ってのが本音
けどねぇ
簡単に終われないのが大人ってもんだから辛いとこよ・・・
最近電車を止めちまう迷惑な大人も多いけど電車はイカンよ
ただ
間違っても、後悔しても、やらない理由はいくらでも見つかる。
やってくじけてやり直せなくても、それはそれでいい・・・
その覚悟は、中学生のころ、遠の昔にできていたんだから
十代にして覚悟をしたからこそ、死は怖い
だから死に物狂いになるんだ、生き物の基本はそこにある
動物を知らん人間(人間を動物と思わぬ)には分からんと思うが
三つ子の魂百まで・・・とはようゆうたモンだと思う。
たぶん長男は、自分を長男と呼ぶように、両親が目指していた
「おりこうさん」でいようと努力し続けていたけれど
そろそろ、自分が目指しているところを目指す時期
なのかもしれない。
あー、かなりやばい記事だなあ・・・