長男の求めていたもの

(Text only)

 


久々にテレビを見た。

日曜美術館、一応長男は文系でも理系でもなく

ゲージツダイ出であるからして、時たま見る。

 

モディリアーニをやっていた。

だが、美に驚いたのではない、その言葉だった。

 

「私が求めたものは、無意識だ」 

 

長男はずっと悩ましい人生を送ってきた。

なぜ釣りばかりするのか、なぜ次は動物やら鳥撮影なのか、

最大の謎は、どうして人と約束すると憂うつになるのか・・・

最愛の人と約束しても同様であった。

 

自然が好きだ、というのとも違うし、アウトドアが好きでもない。

人間付き合いは大の苦手だが、その逃げ場の果てが

自由だの釣りだの撮影だのというには凝りすぎだ。度が過ぎだ。

 

無意識を求めていた、と聞いた瞬間、真理だと直観した。

 

意識してもどうしようもないもの、本能の赴くもの、

自由気ままに気の向くまま、凝りたいものに凝ってきた。

 

魚も動物も鳥も、ままならないが、ユエに美しく追うのは楽しい。

生きるのも同じ。

仕事して金が欲しかったわけではなくて、

楽しいことで金が手に入るのなら、そうしたかっただけである。

勉強しなきゃとか、そういうのではなくて、そうしたかったからだ。

 

今は違う。

義理だの勉強だのと、頭で考えたことばかりしている。

頭でっかちになったのは何故なのか良く分からぬが

ユエにどうやら人生のモチベーションを失った原因らしい。

 

考えて計画して、その通りになるように努力する。

そんなワケないじゃないか。

長男は、努力するために頑張るのではない。

好きだから頑張るのであり、結果的に努力風味なのである。

目的と手段を間違えてしまっていたようだ。

 

努力しようとしても駄目なのである。

 

カバンを重くしているのも、努力せずして

いつしか自然と超望遠レンズが軽くなるからである。

南大東に釣りに行くのも、いつか運が向けば美味い魚が

食べたい連中と食べられるからだろうから、荒磯へ赴く。

赴いているうちに、激しく荒い磯歩きも得意になる。

 

なんも努力なんかしていない。

 

ガス屋になって、苦労して資格を取ったときも

電気屋にない技を身につけてガス屋になりたかったからだ。

だが、今はなんか違う。

 

ガス屋というのは、なんだか目的がないように思える。

ただ売り上げを上げれば給料が増える・・・それだけでは

どうもモチベーションが上がらぬのは当然だ。

まー何かしら頼られる存在、作って欲しいとか

期待しているとか、高い買い物でも買ってよかったと言われるとか。

 

そのための手段は用意しているのだが、経済サイクルが短く

売り上げ実績オンリーな販売会社において、お客様との良い関係とか

頼っていただける存在というのは、ちょっと矛盾しすぎている。

要望が高すぎるのだが、それが動物的な生存競争チックでもある。

 

その場で踏みとどまり、更に高見を目指すものは半端ではない。

反面、踏みとどまれない社員も多い。

 

金は稼ぐためにあるのではない、使うためにある。

時間は働くためにあるのではない、生きるためにある。

お金は幸せのためにあるのではない、買うためだけにある。

努力と根性は苦労のためにあるのではない、

苦しくても楽しいから発揮するのだ。

 

さあて、分かってしまったからには、どう行動しようか。

なんか、社員の目標管理なども任されてしまった。

いいのか?入社二年未満の長男にそんなことさして・・・

小さなウツを抱えている身には、ちとキツイが、悪くない経験だ。

 

あと一人でも、踏みとどまれるような会社になれば

それはそれでいい。

しかし問題は、そんな実力も経験もない長男なのだが。


さて

話は変わるが、最近気になることがある。

21日のNHKの夜のニュース番組で、水泳の北島選手が

「辛い(からい)思い」とツライはずなのに、プロンプタ*の

文字を読み違えたことや・・・

チベット問題で聖火リレーに反対する人に対して、

人の盾を作るために中国系の人間を影でアオる中国政府の

動きも気になるが、それ以上に月の動きが気になる。

(*プロンプタ、カメラの前に文字を表示させるアンチョコ機材で

 ハーフミラーを使っているため、レンズを見ているように見えて

 セリフを読み上げることができるナカナカ良くできた逸品。

 微妙に視線が下になるので、気を付けていれば見分けられる。)

 

釣り人だから月齢、潮汐が気になるのではない。

実は2月の満月の夜、長男は人を、しかも静寂な母子を

狩りたいと思ったことがあった。意味は全く分からなかった。

 

このところの無差別殺傷事件は、計画的とも思われるが

一方では、ほとんど満月大潮の日に起きている。

 

不眠症でストレスが頂点に達していたとはいえ

長男がなぜ意味不明なモチベーションを持ったのか?

 

我々哺乳類は漏らさず全て、海からやってきた生物だ。

月の動きイコール潮汐に影響されても、何ら不思議は無い。

理解不能な無意識に起こる衝動ならば、可能性は無ではない。

 

また、光市の事件で元少年に死刑が宣告されたことに対し

NHKが国学院のサワノボリという男にインタビューしたところ、

ヘラヘラ笑っていた。

被害者の死も、加害者の死刑も笑えるネタなのか?!

 

冷酷も残虐も、非人間性も、すべてこの男の所作にも現れている。

ナンだ、この妙な光景と現実は・・・

 

経済が疲弊し、日本社会がおかしいというのは簡単だが

この現象をサラリと受け流す我々の神経もどうしたもんだろう・・・

余裕がないからなのか、それが大人でいいのか・・・

もし次の無差別ターゲットが自分か家族ならば・・・

多分起こった後でイカり、狂うだろうが、そのニュースもまた

お茶の間でサラリと笑い流されるのである。

 

今、我々の眼前には、目指すべき先人の後姿も

自らの理想も見えていないのだから。

 

例えば

社会主義は、一部の人間の利益のために社会が築かれ、

資本主義はその名の通り、資本が主権を持っている。

 

最近、あの懐かしい、歴史で習った民主主義という言葉を

20年以上聞いたことがないような気がする。

 

別に板垣になりたいわけでもないし、

そうか、あれは自由民権運動だったな・・・

自由民権・・・これまた勝手さのカタマリみたいな言葉だが

士農工商の世界からは夢の向こうの理想・・・

とでも言うべき、命がけの思想だったろう。

 

資本が主権を持つという、空論が招いたのは

サブプライムローンに代表される、空米切手にまで

依存するような妙な世の中になってしまっていたのに

全然気づかなかったふりだけで、気づきたくなかった。

 

親鸞の語った真理に通ずる

「わかっちゃいるけど、やめらない」ままに突き進むことを、

地球に許容してもらえた時節を生きてきた。

が・・・多分折れかけているのは人間だ。

 

季節外れの豪雨に嵐、寒気に熱風、強烈な低気圧。

たったそれだけのことで、高速道路も鉄道も麻痺する。

 

誰しも言うだろう、一生懸命生きてきたのだ!と

知的生命体であることを、急に動物と同義に置き換えて正当化。

次に、将来の高齢者のことも考えずに、

目の前の保険料負担が増えた瞬間・・・急に知的になる。

知的であって知性は無いようにも思えるが。

 

結局、それが人間の限界なのだろうか。

 

何とかの法則・・・なんてのの桁違いに以前から

親鸞が語った一言に、人類は従うしかないのだろうか???

すげーな、それは人類史最大の流行語?大賞だ。

 

知的、つまり知「的」であって知力を支配できる存在ではない。

あくまでそれっぽい「的」な存在・・・が真理なのだ。

 

先達は全て、後身に依存する手段を学習し、因襲し

ツケを払うことを知らない。

多分、こうして暴熱キューブパソコンでまたまた記事を書く長男も

ムダに電力を消費して、無駄に文章を書いて、ムダに酒を飲む。

 

だとすれば

我々が知りうるあらゆる生命、怪しげな宇宙船に乗って

地球にやってきているかもしれない連中も含めて、

他の生物を打倒し、調和させたいと思いつつも、それは調和ではなく

せめぎあいである事を越えられずに、自らの住みやすい環境を破壊し

先達と同じ終局、絶滅を繰り返す存在なのだろうか。

それは一体、だれが企画し、作られた仕組みなのだろう。

 

世の中は、基本的なところが、最も不可解という砂上の楼閣だ。

だがしかし、それはなぜなのだ?

 

そう思うこと自体が、楼閣を作る原動力なのか?

一見、左右揃った体を持つように見えてその実は左に心臓。

右利き、正確には左右対称ではない顔・・・

何がそう決めたのか、分かっていない。

 

反面、では左右対称に近い形がなぜ進化形態に多いのか。

ならば、究極的最終的には、また球に戻ることが

真に合理的なのか???星と同じ形になり、銀河と同じ形が

正しい姿なのか???

けれど、その銀河の姿も様々あるし、しかしそこにあるのは

球と重力と遠心力。

 

まー、生物が地球と同じく無重力に適応したら球体を目指すだろうが

重力の働く星の上でのみ進化するならば、球体にはらなぬだろう。

 

このへんで、閑話休題。


思うこと、想うこと、夢を見ること。

人それぞれにあったり無かったり。

長男には明らかにある。

が・・・直線的に行こうとしないのはヘソマガリだからか?

 

うつ病風味の精神状態のためではなく

小学校高学年のころから進化せず、そのままだ。

未来は見えぬほうが楽しいが、見ようとしてしまうし

あまつさえ、未来を予測して、更にその先をも予見しようとし

SF絵巻を日常的に愚脳に描き続ける癖がある。

何より、なぜ生物は生物として

「生きているという特殊な現象」を持たねばならなかったのか。

 

無意識にというか、自然に考えてしまう長男である。

止まらない、止めようのない思考である。

 

止まらぬ脳を制御できぬのと同様に

止まっているのか動いているのか分からぬ無意識。

大切なことはあえて述べる事を無意味と記するが

我想うところに、我思う姿あり。

我想うところに、我想わざる姿と共に思う姿あり。

我想わぬところに、我の思いは断じてない。

ゆえに我想う先にありながらも、我想う姿なき未来に

我は居られぬということだ。

 

想うことはするが、思うことの先はつまらぬ。

これが長男の弱点だ。

決定した瞬間に、それはつまらぬ事になってしまう。

結婚できない原因はココに帰結するのだろう。

我ら理想を持った空想を描く知性「的」哺乳類。

 

その様に結論すると、次の言の葉が出てこぬ・・・

 

長男は、どこへ行くのだろう、行きたいのだろう。

少なくとも想う先のその先に、また想うことのできる世界へ

この先に雛形があるのなら、長男は必ずつまらぬだろう。

 

つまる世界こそ、長男の楽しき世界。

いかなる行き詰まりがあっても、可能性がありさえすれば

想いが募る時を楽しみ送る事ができる。

 

来週は、つまる世界を求めて、また大東へ。

しかも、なんか知らんがブーメラン買ってしまった。

無論、投げるのが目的ではない。

小さいころからの夢だった、ミドメランを作るのが目的だ。

またまたマニアックな趣味が増えそうである。

長男は、オタクマニア?マニアオタク?ではないかと

感じたりする今日この頃であった。


なお

来週は南大東から発信する予定です。


ではまた