春風は暴風と友に

 


春一番が吹いたその日、直後から気温は下がりはじめ

6時間後には10度以上下がって冬に戻ってしまう。

春一番の強風のあまり、風じん現象が発生した。

(ランドマークタワーがかすむ)

 

日本の気象も、ずいぶん宇宙レベル風味な過酷さを

帯び始めてきたようだ・・・といっても、10度など

大気のない星から見れば、誤差レベルだが。

 

昼と夜が200度くらい違う・・・なんてのは、普通だ。

空に普通にある月ですら270度くらい違うようだ。

 

地球上の生物が、いかにヌルイ存在なことか

それでいて、全てが、なんていとおしいことか・・・

 

冬の低気圧は、どれだけ暴風吹き荒れようとも

報道としては単に低気圧・・・だから、つい油断してしまうのだろう。

高気圧との気圧差が威力のバロメータなのに

不思議と脳の発達した人類も、学習しない生物である。

っというか、自分で判断することを忘れすぎ、

金さえ払えば、誰かがやってくれると思っていたことが

どれだけ無意味だったか、そろそろ学習しませんか???

 

専門知識など不要、数値を見れば分かること

怪しい臭いがすれば食べないこと、幼稚園でも学べること。 

大人がバカでもイバレタ時代など、とおの昔の話・・・

 

大人が必ずしも賢い必要はない、

ただ勘が鋭く、経験を忘れない毅然とした姿勢

それだけでいいのだが

忘れているなら家族は不幸だ。

 

優しさと、叱ることも出来ず、ヘラヘラしているのとは違う。

 

まー親じゃない長男が言うのもなんだが

最近の親は叱らずに怒っている!怒りを子供にぶつけている。

我が鬼母も、ちょっとその感があったことは否めない。

朝は機嫌が悪い・・・ただそれだけのことで

ちょっとした事をきっかけに、怒鳴られたものであった。

 

その怒りの程が余程にすごかったのであろう

周囲からは、母が怖くないのか?と問われたこともあった。

 

長男にとっては唯一無二の優しい母であったというか

その母しか知らぬので、そうとしか思えなかったのだが。

 

今も優しい母、おふくろ様にかわりない。

 

オヤジ殿方が、確かに叱る回数は少なかったが

確かに怖かった。

 

ガキ大将で野球部だったオヤジ殿の強さと優しさは

長男には、けしてまねできない懐の深さがある。

 

どういうわけか、長男は孤独相の個体として育ってしまう。

仲間によらず、いつしか独りで行動することが普通になった。

 

孤独相も行き過ぎると厄介なもので

愛したい人が現れても、孤独が勝ってしまう。

孤独とは寂しさではない、無限に広がる自由奔放さである。

昔は寂しさを感じたこともあったが、今はなくなった。

 

孤独力、などと呼ぶ学者もあるようだが

どれだけ孤独の味を噛み分けているやら。 

 

考えること、しっかり忘れないこと

独りで考えること、独りで判断すること

その大切さを知っている人は、少ないかもしれない。

自分の力で考え抜くことをサボってはいまいか?

大人らしき存在たちよ。

 

そうしたことの積み重ねで、風じんよりもっと激しい現象が

今年の夏、来年の冬には顕現するだろう。

 

我らが発想する根源が、経済と言っては高尚すぎと思うが

金によらない部分から価値観を発想する必要があることが

おそらく身内の命によって知らされる未来が待っている。

 

むしろ、その身内の命が自分であった方が

幸運であるような未来が待っているかもしれぬ・・・

 

だが、そんな環境の中にあってこそ

独り独りの考え方の異なりが、無限の未来を切り拓く。

長男が結婚しない意味を、風じんにかこつけたりはしないが

だれかが、自らの身をもって何かを変える姿が今、

必要なんだろうなぁ・・・と思う。

独りの考えと一人の考えとは違う。

誰に納得されなくても、自分なりに追究し続ける考えこそ

独りの考えだと信じている。

 

不眠症にやられて、3日に一度は一日眠る必要が出てきた

役立たずで情けない我が体だが、やる事は、なくはないようだ。

 

生物多様性という言葉を認識した人間の未来は

その意味を噛みしめた末の結果でありたい。

 

暴風、豪雨、酷暑、極寒・・・ちょっと地球がすねただけで

我々のもろい社会は悲鳴を上げる。

誰かの命も危険にさらされる。

 

我らが目にしている春や夏、秋冬は、

もはや思い出の中のそれとは違っているようだ。

 

ところで

話は全く360度といえば元に戻るが

平面確度とは次元の違う話の向きへと変える。

 

久々に釣りの面白さ、古代から引き継がれた

狩りの本能の示す仕掛けとは、現代に存在するのか?

と、頭でっかちになってしまった長男だが

シンプルになろうと考えてみた。

 

男の釣りは1本針に限る。

 

それは過去も未来も同じと思っているのが長男だ。

小さなころから、針は1本が好きで

置き竿という待ちの釣りが嫌いで仕方なかったが

オヤジ殿がけげんな顔をしていたことも確かだった。

 

でも、長男の釣りたい気持ちは、たった一つ。

体に感じる、魚の振動、躍動、鼓動だ。

釣れることが楽しかったのではない・・・変な子だった。

 

それを感じずして釣れた魚は、文字通り、釣れただけで

釣ったわけではない。

釣れた魚と釣った魚のちがいが分かる釣り人は

ナカナカである。

 

長男も半分は釣れた!である。

昨年の17キロのロウニンアジはそれだ。

釣れた・・・であり釣ったのではない。

 

掛かってからのヤリトリは「釣った」だと思うが

ロウニンアジを釣りたかったわけではない。

 

男子は常にこのような、つまらぬ価値観にコダワリ、

悩み、また挑むを繰り返してしまう。

それ自体が長男を駆動してきたし

ダルイ体となった今でもやっぱりそれは変わらぬようだ。

 

ちょっと前フリしたが

早い話が、現代の一本釣りとはコンナンかな?と

作ってみたのがコレだ。

 

一本釣り漁とは、カツオの群れを見極め

餌の生きイワシをまきながらシャワーのように散水して

そこにパニックしながら寄って来るカツオを

男らしい毛針を水面直下を滑らせて釣る釣りだ。

熟練の技と体力と勘が融合した偉大な漁である。

 

が・・・長男は釣りをしているのである。

まあ、時にモズ博士Tひきいる鳥類学者軍団のために

彼らと一緒に楽しい食卓を営みたいために命をかけて

漁をすることもありはするが、普通は釣りだ。

 

手前勝手な考えだが、

彼らとの食事は、命をかけるに値する、

長男には家族と並び一番大切な食卓である。

その時こそ殺気に満ちた漁師になるが、

それ以外は普通の釣り人なのだ。

 

餌もまかずに一本釣り・・・良い、長男らしい想いこみ

長男らしいキテレツ浪漫ではないか。

仕掛けは至って簡単、針を一本にしてみた・・・ってバカ???

 

分かる向きには分かるだろう。

針には返しがない一本針である。

 

万一、これで何か釣れたら、この仕掛けの秘密を語ろう。

釣りも人生も浪漫に満ち満ちていたほうが楽しい

うつや不眠症の原因になろうとなるまいと

長男流の源流は、結局ココにある。

 

南大東に向かう季節、今年の春風は、

それに相応しく暴風で、初めて見る風じん現象を見せた。

地球が変にがんばっているのだから、

義理堅い長男も当然、変にがんばらねばなるまい。

 

今日、友から電話があった。

最近声を聞かないが、何でも相談しろ!と

仲間じゃないか!と。

 

長男にも仲間がまだ居てくれて良かったなぁと

しみじみ思った。

孤独相の長男なのに

なぜ仲間で居てくれるのか不思議だが

居てくれて本当に助かったと思う。

 

長男とて、一人ではない、仲間と共にあったのだと

今日はじみじみしている。

仲間のことも忘れるほど、長男は自分の内に閉じこもり

それが孤独相だと勘違いしていたに違いない。

 

仲間かぁ・・・

良い響きだ。

幸せな響きだ。

 

今夜の酒は最幸にうまい酒になりそうだ。


ではまた