番外編・その1 セルフタイムセントリックはミーセントリック


なーんで、国連の加盟費用も払わないような

USAの艦船に燃料を恵んでやるのか分からぬ時代、

なーんか魅力的な道具がない。

一個にしたいが、一個にするよりバラバラの方が軽くて

機能が高かったりする。

長男はガジェット派なんだろうなあ、と自覚症状なしに思うが

小物をバラバラ持つよりも、一個ですめば一個にしたい。

地図も、メールもネットも、番組録画再生もオーケーの

旧式PDA、HP4700が、いまだに手放せないのが悲しい。

 

現代の究極ガジェットはご想像通り、ケータイだ。

 

全部入り、として名を馳せるauの東芝ケータイも

肝心の機能が入っていない。

 

無線LANである・・・

 

現代のケータイは、使えなくなったら捨てるしかない。

無線LANの入ったケータイ、たとえばWILLCOMなんかの

ガジェットは引退後も無線LANを使って家で使える。

電源を入れる必要もない、ネットもメールもできるし

配線も要らない、その上省エネで小型。

 

もし防水ならば引退後だって、風呂でも使えてしまうガジェットだ。

 

●ネットが見られて

●地図が確かめられて

●潮汐が読めて

●音楽がきけて

●テレビや録画がみられて

●写真が撮れて、ためられて

●騒音をカットしてくれて

●いろんなデータが開けて

●電話とメールができるケータイ

 

今ある技術でできることばかりだ。

iPhoneなんざ半端そのもので

マニアの長物に過ぎぬのは、買いに行かなかった

あなたが、一番良く感じていると思う。

 

メールを打つにもキーがなく

脂がついて面倒な画面を、なお汚すような操作方法・・・

ありえん、メリケンは知らんが、日本では絶対無理だ。

 

一方長男は

ガス屋で、様々なことを学ばせてもらいつつ

メディアの行く先を創って生きたいと思っている。

 

では、我々が欲するものと、何が根本的に違うのか。

 

極簡単である。

テレビがだんらんを作ってきたかのようだが

たまたま夕食の場での話題に乏しい不器用な親達を助けたのが

テレビだっただけだ。

 

自分の過ごし方が中心になる、これが完璧な答えだ。

これ以外の完璧さはありえないと断言できる。

 

これまで、驕り続けるメディアに従ってきた我々だが

人間の生活は、人間のペースでしかありえないし

そうあろうとする。

ドラマにあわせた生活や、機能に合わせた

慣れなどというのは、もともと無意味だ。

 

限りある人生の中で大切な事柄は、

人生の、その瞬間最大の有意義しかありえない。

 

大切な人との、何気ない会話や

どんなにつまらなくくだらないと思える昼寝ですらも

大切な人生の栄養でありゆとりである。

そのとき、野球だのボクシングだのドラマだのは

知れば良いレベルならば、好きなときに見ればいい。

 

が、強烈な阪神ファンや、地元高校野球チーム、

はたまたF1やルマンを応援しなくてはならない時は

仕事時間だろうが寝る時間だろうが

何が何でも応援し、見聞きし、知らなければならない。

 

これが、セルフタイムセントリック、個人時間中心主義な

メディアの在り方であり、これからの社会の在り方であろう。

 

知らねばならぬことと、感じねばならぬことは

今はメディアに合わせてしまうしかなく接し方が違うが

ちょっとした理想的には

ケータイで見たい瞬間にヒョイと見る、知る。

 

昨晩から時間が過ぎてしまった新聞という古い情報や

結末をいつ知っても同じドラマなどというのは

正直どんな見方でもいいかもしれないし

つまり小さな画面でも十分であるかもしれない。

 

一方

人間の時間の自由度は、妙に不自由だ。

自ら選んで不自由になることで、満足を得るような感がある。

会社からお金をいただくために、人生を切り売りしているが

もう21世紀だ。切り売りにも自由があっていいと思う。

ま、平たく言うとマゾ的すぎである。

 

働く場にいて、一生懸命なフリをしていることで

自分の存在感を得たいと思ってしまう。

 

だが得られるのは金であって、満足でも存在感でもない。

錯覚だらけな現代において、メディアの在り方は

すでに変わってきている。

 

不況でスポンサー料が出ないので

再編集やら、再放送、安タレントのバラエティや

旅行に料理番組・・・見たくもない、知っても仕方ない

娯楽にも教養にもならぬメディア乱用が増えすぎている。

そこに、ほとんど録り放題になりつつあるHDDレコーダーが

安く手に入るようになって、テレビも好きなときに勝手に見る

メディアに進化?した。

番組時間に合わせる生活の馬鹿らしさは、皆が知っている。

 

無論、地球の別の場所で、いわんや勤務時間に

滅法大切なスポーツ対決なんかあった日には

どうせ仕事をしていても手に付かない。

だったら、いっそ、自由に楽しんだ後で

存分に働けばいい。

 

働き方、生き方にも変化の兆しが必要だ。

塗り箸でない、木の箸ならば、調理も賞味もできる。

 

ガジェットとは、

こんなマルチな強さを持ってこそ、持つ意味がある。

 

哀しいかな、今はまだガジェット(小物たち)は一個になれぬ。

それぞれが、縦割りで出来ている。

オーディオ、ビデオ、パソコン、PDA、ゲーム機

それぞれが最適化された、優れた技術でできている。

 

当然、一個だけ持つならば

ケータイガジェットはそれらを合わせたモノが嬉しい。

集めたRSS、新聞記事、ニュース番組、ドラマ、スポーツ中継・・・

あらゆるメディアを自分の見たいタイミングで、見られる時間で

気楽に愉しめることこそ、21世紀初頭の予想だにしなかった

哀しくも楽しい未来に生きるサラリーマンにはうってつけ。

 

子供のころ、こんな貧相な社会を、日本を夢見ただろうか???

根本的jに、何もかもが違っている気がする。

 

ともあれ

私中心、つまり自分セントリックな考え方で

いろんな興味のあるメディア(テレビだのウェブだのラジオだの)を

たとえば通勤時間の朝夕にチェックできるように

ダイジェスト編集してしまう・・・これが単純明快、

簡単便利な基本機能にきまり、ではないだろうか?

 

ケータイの高機能化か、サーバーにまかせるんか

今はメーカーじゃないから、そんなこたぁ知ったこっちゃない。

便利が一番、自分こそ我が世界の中心・・・・

自分の自由空間がポケットの中に広がっていてもいいじゃないか。

 

まーしかし今はまだ、未完成な商品をアレコレと買い物を楽しんだり

人力でやるしかないんだよね、色々と。

大切な事は、戻らぬ時間を後悔しないこと、そんだけよ。

 

今はトゲトゲした気持ちを癒してくれるプレーヤーZENがお気に入り。

携帯できる全ての機器で唯一、フルカラー1600万色を発色する

すんごくきれいな液晶を持った、不思議に日本人好みのしない

AVプレーヤーだが、こいつの画面を一目見ると

人間の目はやっぱり、正直なんだなぁと思うほど美しい。

 

画面が小さいときは、色再現なんざテキトーでいいと思っていたが

じゃこ天より小さい画面だからこそ、美しい画面でないと

一目でアラが分かってしまうみたいだ。

 

おじさんになり、人生を折り返したから、時間に余裕がないのか?

ズイブンと自分中心になりつつある長男であった。


ではまた