一年ぶりの不健康診断について
たまらんぜ、7キロオーバー。
魚なら嬉しいサイズだが、腹から下の体重増加である。
独身でありながら、この体たらくはナンだ!
長男の名はどこへ行ってしまったのだ!
力んでも叫んでも、7キロは重くなっている。
なんだか半年くらい前から、足が組みにくいな・・・と
思っていたが、こんなに脂肪に充満していたとは。
うつや、不眠症のせいにしても始まらぬ。
運動不足だし、体重のせいで、腕立てのチカラはアップし
カメラを持った感じは軽くなったが、磯での体は確実に重く
動きにくくなっていた。
しかし、眠い・・・・・・
先週は、一週間のトータル睡眠が20時間を切る。
この半年、睡眠は断続的に一日平均4時間弱だ。
それ以前から付き合ってきた不眠症だが、この半年は特にキツイ。
体がだるく、目まいもしないのに、足が勝手な方向に歩く。
方向修正もなかなかままならない。
クリーニング屋に持っていった中に、パンツや靴下が混じる。
その上、受け取ったスラックスやワイシャツをヤオチュースーパーに
忘れてくる。
まったく、緩みすぎてしまった。
ユルみたいとは思っていたが、ここまで緩むとは想像以上だ。
と、いってはいるが、さして気にならぬ。
長男が長男らしくなくなっても、緩んで恥ずかしい忘れ物が増えても
それはそれで、今のぶんである。
それを受け入れずに、うつに逆戻りするわけにもゆかぬし
くよくよ考えすぎる性格も、あまり良いものでないと分かったわけだし。
今すぐ洗わないとヤバイパンツも、脱ぎたてだった靴下も
ちゃんともどってきただけのことだ。
デブになったが、この一年、「知る」のではなく
様々な事柄が「分かって」きた。
これまで計画も、洞察も、才覚も人より優れたヤツが居たが
幸せらしい幸せに見えなかったが、コレハタシカナコトダ。
自分の苦痛を人にも強い、自分の家族もないがしろ
自分の尺度のみを秤として、世を量り、重き背負ったような姿。
だが、それら苦労人に支えられているのが
小さな幸せをたくさん持っている我々でもある。
それが群れをなす動物のあるべき姿。
それ以上でもそれ以下でもない事が分かった。
群れを率いるものは、リスクも大きいが、得られるものも大きい。
先に生まれたものは、世の中で俺が始めて作ったのだ
と、うぬぼれることができ
後から生まれたものは、その恩恵を当たり前として、踏み台として
また遥かに優れたものを作りだそうとする。
いいじゃないか、それはそれで。
自分がありたい姿であれば、それでいい。
だが、人に強いることもソレでいいが、強いられる事を
受け入れてイイかは全く別だ。
受け入れるも受け入れぬも、己しだい。
僕は何年か前、受け入れることは間違いだ、
己のやることではない、と覚った、だから今ここにいる。
少なくとも数十倍、世間知らずではなくなった、
と、思える一年である。
地域のガス屋という小さな世界だが
そこに居ることで、日本全体が見えてきたように思う。
グローバルだ、英語で会議だ、豊かさだ、文化の進展だと
自分たちが信じてきたものは、実は恵まれた一部の人間が
余裕しゃくしゃくとしているとき、片手間に信じられる事柄であった。
そんな余裕がない人たちが満ち満ちているのが真実の姿であり、
あのころ、信じていたことに感じた違和感が
ああ、やっぱりそうだったんだな、と分かることが出来た。
先週「生き急いでますよね」と言われたことがあった。
確かにそうだった。失われる体力、感覚・・・今やっておかないと
あれもこれも、老後にやれる事ではない、と常に考えている。
だが、実はその大半が、老後にもやれることが混じっている。
一人で荒磯に行くことは難しいだろうが
仲間となら老後でも行けそうだし
今は馬鹿でかい望遠レンズでしか撮影できない鳥たちも
あと20年後には、そんなものは不要になっているかもしれない。
ただ、今の瞬間は、今撮影しておかないと、二度とない。
これだけが確かなことであると気づくだろう。
今やる事は何か、というのはこうして決まる。というか決める。
おっとさっきは
またまたやっちまった。
ワイシャツの胸ポケットにベスト電器でヤナ客ついでに
新しいデジタル一眼レフ、キヤノン40Dのテスト用に持ってった
コンパクトフラッシュカードを入れっぱなしだった。
今回こそは、パンツも靴下も、不純物なし!と
確信していたが、とんだところでまた不純物がクリーニングに
混じっていた。
そんなこととはつゆしらず、
ヤオチュースーパーで98円のサンマを物色中していたら
クリーニング屋兼御茶屋のオカミサンが
ズカズカとやってきて「まぁたあったわよ!もう!」と渡してくれた。
まいったぜ、まったく・・・と思っているのは、むしろオカミサンだろう。
まいりついでに
全く無関係というか、立ち寄ったヤオチューでのお買い物情報だ。
辛口のピーマンときいて
ピーマン好きで唐辛子好きの長男にとって
この上ないハイブリッド植物が生まれたものだと感心し
レジで副店長に「どのくらい辛いの?」と問うたところ
そんなに辛くないと思いますよ・・・・って食べてねーだろ!
と思いつつ「ふーん、なら安心ですよね」と言って
サラダにしたら地獄が待っていた。
地獄は一次災害(辛み)より、二次災害が甚大であった。
そりゃもう、すんげー辛い。
ピーマンの中に赤黄色いのが混じっているので
熟れているのから食べようと、サラダにしてみたのだが
熟れているのではなくて、唐辛子のDNAの発現だったのだ!
辛い、熱い!
しかも口がタラコになりそうだ!
なんだこの首から上の無数の汗は!
慌てて、風呂場へ行き、顔を洗った直後から
なぜか、顔が熱くなってきた。
う・・・いかん!
きざんだ時のピーマン液が手に染み付いていたのだ。
それを顔を洗ったはずみで顔中に展開したのであった。
顔中が痛い、熱い、ヒリヒリがたまらない!
微妙にクセになりそうになりながら、かなりの危険を感じた。
1時間も戦ったろうか。
クセになるか、痛さを受け入れるか・・・微妙な境界に立っていた。
結論は出ぬまま、平穏な日常、普通の顔が戻ってきた。
長かった、あの熱いひととき。
ピーマンにしては、なかなか深い体験であった。
クリーニング異物混在事件多発より
ずっとこちらの方が苦痛を伴い、キツイ人生である。
なぜにピーマンのサラダで、これほど辛さ辛さ(つらさからさ)に
サイナマサレルノカ・・・チョウナントハ、イッタイナンダ・・・
ピーマンが間違っていたのか、
よりによって、熟れたと勘違いし、辛いピーマンだけを
サラダにしてしまった判断が間違っていたのか。
イキオイ、ピーマンの辛さによって、人生の優先事項も
人格すらも蒸発させられてしまうところであった。
ほとほと、極々私的大惨事た。
多分、ダレモマチガッテイナイ。
そこには、とてつもなく辛い、緑の中に一部だけ赤黄色い
変わったピーマンが存在していただけだ。
キムチの数倍辛いピーマン。
一体、記事の主旨はどこへ言ってしまうのだろう。
ついでに
今年の夏は、長男の予測はハズレて
ヒョウはほとんど降らなかった。
ちょっと暑い日もあるが、案外、着実に秋もやってきている。
ただ、動物の移動にはかなりムラがあるようで
わが横浜の日吉には、スズメがまだあまり戻っていない。
シジュウカラもである。
朝の通勤時間には、異様な静寂が流れているが
ダレもそれに異様を感じていないようだ。
長男なんぞ、平成関東大震災の前触れではないかと
心配したりしていたというのに。
鳥は自由でいい。
戻れない場所に行く必要はない。
でも、ときおり、キーンという耳鳴りがした後
どこかで地震がおきているようである。
長男もテレビで見たように、地震の前の電磁波が
聞こえるのやら聞こえぬのやら。
本日10/10、朝キーンときたら23区直下のは当たってた。
敏感な人は方向性をも感じるというから、首を振ってみたが
どっちを向いても同じだった・・・まさか直下だったとは。
小さなころから時折、不思議な耳鳴りを感じていたが
そういうことだったんだろうか???
ま、どうにもまとまらぬが、今はともかく
辛いピーマンでも食べて、汗をいっぱいかいて
ムダに増えた体重を減らさないと、CO2の無駄づかいだ。
またチャレンジしてみるとするか。