それでも、磯釣りはほんの少しのゼータクだと思ってきた

 


ガス屋に転職して、まだ半年にならぬが、釣りにいける。

肝心の友人たちは要職にあるので、なかなかいけない。

この年齢になると、嫌がうえでも責任が増えて

暇になっても、部下がいると早く帰れないし

無論、いそがしくても帰れないのだが、どうにもやるせない。

 

やるせないが、せっかく手にしたささやかな自由だし

いつものようにひとりで釣りに行っておく。

 

今年は週末ごとに嵐に雨、シケととんでもない秋だったが

最終便と心に決めて、思い切って大島へ。

この秋「たったの」二度目。

それでも、行けるだけヨシとせねばならぬのは分かっている。

要職にある友人たちと違い、無責任で身軽になったのだが

今度は地球がままならない。

 

秋磯でやらねばならぬことが、三つあった。

 

先日友人の友人が作ってくれたステンレスの輪を

テストすること。

 

大島にいけないガス屋の友人たちに代わり

磯のカンパチを独り占めし、せいぜい釣りまくること。

 

どういうわけか、最近恋しくて止まない

栗蒸しようかんを、太平洋をみながらほおばること。

 

である。

 

世の中そんなに甘くはない。

毎度の事ながら朝一番の臨時便で磯に着いたら

誰も居ない。

ラッキー!と思ったが、よく見ると波が磯を洗っていた。

 

それでも多少しけている方が良かろうと

雨合羽も濡れても大丈夫なウェットスーツ素材の靴下も

持っていってあったので、平気だった。

 

さて、釣り始めると、これが滅法よろしくない。

風が思いのほか強いのだ。

 

この日の長男の釣り装備は

ほぼ対荒磯強風荒波ヒラスズキ仕様だったが

ヒラスズキと違い、沖を狙う釣りに来ていたのである。

カンパチもそこそこに、あわよくばマダイだのヒラメだの

実は内心、本命をホウボウと決めていた。

 

確かに青物(ブリ、カンパチやヒラアジ)は釣って楽しく

食べても美味しいが、白身の深い味わいに真っ向から

勝負できるのは、多分僕の知る限り、カッポレだけだ。

 

結局のところ、美味さで狙うのは白身であった。

 

ありあまるヨコシマな釣り意欲とは別に

風はどんどん強く、波はバシャバシャと

長男に打ち付けるようになっていった。

 

風が強くなると

沖合い70mくらい先にルアーが着水するやいなや

糸がどんどん風にあおられてふくらんでいき

ルアーは水底に着かず、あまつさえ着いたとしても

強風に竿があおられ、荒波に糸がたたかれて

感じることができないのだ。

 

むむむ・・・

 

自称、波浪好きな長男であったが、この有様には閉口した。

波しぶきにステンレスガードが虚しく光る。

(傷一つつかぬ丈夫さ)

 

どげんしたらよかろーもん・・・

そうだ、ヨウカンでも食べて考えよう、ということに。

 

朝日と潮騒(怒涛?)の中で食べる栗蒸しようかんは

パンメーカー製だが、ことのほか美味であった。

波しぶきが塩味で甘さを引き立てたか?

 

ふと

そういえば、竿が耐えられるかか分からないが

ウソかホントか鉛より重いというタングステンでできた

100gのジグ(金属製ルアー)を持ってきていたのを思い出す。

 

竿、70gまでしか投げられないよな・・・

 

といいつつ、すでに90gのルアーを投げていた。

南大東で使う竿などメーカーの限界値が60gなのに

平気で100gを使ったりしていた無理な実績?があったのだ。

 

朝食とヨウカンをいただき、意欲復活!

早速実行だ。

 

鉛製より一回り小さく、風をものともせず飛び、

荒波を押し切ってスイと沈んでいく。

竿はぜんぜん平気みたいだ。

 

す、すごいな・・・これ。

 

高めのジグのさらに倍もする値段だけのことはあった。

が、魚の反応は別だった。

このところ、急に水温が下がったのはダテではなかろう。

魚の反応も急変によるものだろう。

 

ルアーが傷つくということは、何かが居るが

掛からないというか、食いついたことを感じることは

タングステンをもってしてもできていなかったのだ。

波風に打たれる糸や竿からは魚信がききとれない。

 

そうこうしているうちに、竿先がわずかに重くなった。

ルアーが糸に絡んだときに重くなるから注意している。

ん?と糸を巻くのをやめてみると

ククククッと竿先が動いている。

おおっ!こんな状況で魚が食ってきたな。

よしよし、この引きの弱さはホウボウかも・・・と

期待したが、磯際にきたのに引かなさすぎる。

 

最近よくお世話になる、エソのたぐいだ。

ありゃりゃエソかよ、と思ったが、初めてのエソ。

食べられそうにはないが、美しいまだら模様がある。

 

後で調べたら、オキエソ。

 

そのページには、これまでマダラエソと思っていたのは

他のアカエソだのヒトスジエソだったらしい事実も載っていた。

エソ、奥深いやつだ・・・

美味いエソはごく少ないのだが、以外に種類が多い。

 

でも食べられないことには変わりない。

食べて害はないが、不味いだけらしい。

放流して正解。

 

結局、今年の秋磯最終便はオキエソ一匹だけ

さびしい限りだが、オキエソだってひとつの命。

口を引っ掛け、陸に引き上げておいてがっかりするのは

人間の身勝手すぎというものだ。

 

最近めっきり自然に、海に、感謝しなくなっていた長男に

曲がったココロを思い直させる一尾となった。

 

まあ、がっかりはがっかりなのだが・・・

感謝の心は戻ってきた。

 

帰りのバスまで余裕があるのでバス停二つ歩く。

バス待ちもあと数分というところで、道端のアシタバに気づいた。

季節外れだが、その名の通りアシタバ、新芽は年中あるようだ。

 

もう少し前に気づけば、もっと採れたろうに・・・と欲を感じつつ

ちょっとだけ摘んで帰ることに。

 

シケているので、岡田港から出帆となり、足湯はおあずけ。

トコブシ丼すらおあずけだが、久々の岡田港である。

そう、岡田港ではイカそうめん丼が待っている。

シケのとき、ヒラスズキ釣りの帰りに食べる定番を

早めにいただくこととあいなった。

 

相変わらずご飯はぬるいが、卵はいつになく凛とし、

しまったイカの身が美味い。

いつしか瓶でなく生ビールも飲めるようになっていて

島の常識もうつろいに満たされていた。

 

とんでもない天候の読み違えだったが、心は晴れた。

帰りの船では、激しいイビキに自ら起こされつつ

また寝るを繰り返し、心地よい船旅を過ごしたのであった。

アイポッドのヘッドフォンの跡がくっきり頬について

かなり格好もバツも悪い東横線の帰路が待っていはしたが。

 

あくる日は昼になっても、すっかりアシタバを忘れていた。

おもむろにリュックからだすと、全くみずみずしい。

アシタバの活力、生命力はたいしたものだ。

急に難しくなるが、こういう姿を見ると、宗教によっては

菜食を許す逃げ道も分からぬでもない。

植物の生き死には分かりにくく、すぐさま死ぬ動物の生命とは

生命のありかたが違うのは明らかだ。

植物を一個の命と都合よく解釈すれば

その葉を生きながらにして煮炊きしたり

あまつさえナマで食らうのにも抵抗がなくなるだろう。

 

だが、こうして摘み取ると、葉は葉として生きている。

あるいは、土にさせば、また一本の命ともなりうる。

 

まあまあそれはおいておく。

長男は特に宗教論者ではない。

 

この時期のアシタバは、少しかたそうなので

いったん湯がいて刻み、ちょっと長めに煮びたしてみた。

 

それでもなお、香り豊かにシコシコとした歯ざわり。

美味い。

厳しい島暮らしだろうが、アシタバがどれほど島民の

ビタミン源となることか。

今となっては、路傍の草でしかないようだが。

 

大半の植物が生き延びてきたのは、花実以外は

おおむね毒を持っていることが多いからだが

アシタバはあふれる生命力で補ってきたのだろうか。

全く大した植物である。

 

さて今度は冬磯、ヒラスズキ釣りの番だが

最近の天気図を見たことがあるだろうか?

(著作権やばいけど・・・)

低気圧が何個もならんでやってくる。

こんなのが毎週のように現れて予報を当たりにくくしており

予報モデルも役立たなくなりつつあるのではなかろうか。

 

冬型らしい冬型の気圧配置になってくれねば

ヒラスズキ向きの西風が吹いてくれぬので困るのだが。

それに、ガスファンヒーターも売れぬので困る・・・

ヒラスズキが釣れなくては、せっかく関東に住む生きがいが

半減してしまうではないか。

 

無理やりガス屋に転職したのは

シーズンにキチンと釣りへ行くためではなかったか・・・

 

ともあれ、人生も釣りも風まかせな長男の師走は

こうして過ぎようとしている。


ではまた