時は、流れるわけで
この秋初めて伊豆大島へ赴いた。
歳ガイもなく転職し、初めての秋、体力も人生もたそがれ気味な金曜夜
大島へ赴くにはそれなりの思い切りがないと踏み切れないご時世となった。
相変わらず、破壊的に手際の遅いオッサンが発券装置にはりついていた。
が、変わったのは、オッサンよりは多少パソコンに心得のあるパートさんが
操作していたことだ。
とはいえ、段取りの悪い東海汽船の窓口では乗船15分前を切っても
人が並んでいる始末。
前回乗ったときは、乗船時間を過ぎ、出航時間を過ぎても手続きが遅れて
出航が遅れた。
僕の直前に手続きしていた連中は、予約を変更してしまったために
登録情報がおかしくなり、窓口では対応できないらしく、対応する気もない。
あげくに、島の窓口で予約確認するようにと、オッサンから命令され放題。
確かに、確認すべき東海汽船の竹芝窓口は業務終了している時間だが
謝る事も、お願いするでも、事情を説明するでもなく「島で確認して」と
言い放つとはイカス!違国アメリカに居るみたいだぜ、オッサン・・・。
オッサンはさしづめ違人に違いないぞ。
週末、疲労コンパイを押してやってきて、その扱いを受けたらば
長男ならブチキレていただろう。
以前の長男なら気分を悪くしそうだが、正直、今の日本には
こういうことが日常にあふれている。
国全体に余裕も責任感もなくなってきている事を、今更憂いても
寝つきが悪いだけなので、さして気にすることもなくなった。
要は島へ渡れればそれでいい。
ましかし、東海汽船・・・会社、腐ってるようだ。
船底まで腐ってないコトを祈りつつ乗船。
5時15分、早めに起きた顔はズイブン目の上がはれ、寝坊っぽい顔。
気分は太平洋の釣りに備えてキリリとしているのだが、すれ違う人の
僕を見る視線が、なんだか怖がっているようにも思えた。
もともと、長男はコワオモテ系の家系であるから、仕方ないのだが
昨夜、ぎりぎりで家を出たため、髭もそらなかったから尚更のこと。
久々に見る大島は、風景は変わらないのに、なぜか僕の目には
少し変わって見えていた。
島が小さく見える。
大島で下船する人はそう多くなかった気がする。
早めに下船ロビーで待っていたから、雑踏に巻き込まれず
バスまで来れたからそう思うのかも知れぬが。
凪の海、晴れのはずを、重たい雲をしょった三原山が
微妙に懐かしい。
10ヶ月ぶりくらいだろうか、その間あまりにいろんなことが起きたから
ずいぶん前に来島したかのように錯覚にひたる。
ポイントまでは、路線バスで30分以上。
降りるとき、初めて東海汽船のバスの運ちゃんが時刻表をくれた。
ここの時刻を良く見てくださいと、裏表2面になっている紙を渡してくれた。
こんなに普通に、サービスのよい?バスだったか??
バスを降りてすぐ
聞いたこともない鳥の声に気をとられたが、まずは磯だ。
一瞬、超望遠レンズのデジカメが欲しくなったが、断ち切る。
このシーズンは人が多くなり、磯に入れるかどうか微妙である。
連休前というタイミングだったためか、ほとんど人が居らず、更に
ポイント手前に駐車スペースがあり、既にレンタカーの連中が居たが
おちおち焦らずに身支度してくれていたので、すっとポイントへ入れた。
あそこで鳥を撮影していたら、ポイントはなかったろう・・・。
さて、入ったは良いが、海が違う。
沖合い300mくらいに潮目ができるのだが、異様な光景が展開している。
草刈ガマで水面を下から切り上げるようなしぶきが上がり、時折魚が飛ぶ。
飛んでいる魚は、マグロのようだ。1m、10キロはあろう。
こんな光景は南国でもそう展開しない。
南国の場合は、もっとサイズが大きく、2m以上のマグロが飛ぶ姿を
時折磯から見かけることもある。
しかしここは大島だ。
しかも、止まない。
不思議なことに、追う魚は見えるが、追われる魚が見えない。
長男は遊牧民には遠く及ばないが、視力は1.5+で、10キロもの魚が
いざ食べようとする魚が水面から飛び出せば、見えてもおかしくない。
つまり、餌食となっている魚は異常に小さい魚なのだ。
カツオやマグロは、高速で泳ぐために、横には口が開かない。
進化の過程で、エラを開閉する機能を捨ててしまったためだ。
エラを自力で開閉しないということは、魚を吸い込むことができないため
小さめの魚を、スピードで追い上げて口の中へ収めるしかないから
おのずと小さい魚になるのだが、それにしても10センチを切っているようだ。
300mかなたとはいえ、全く見えない。
見えないが、沖合いで妙な波が立ち上がり、ただならぬ魚の群れが
水面下を移動しているようである。
1994年10月から大島へ通っているが、こんなことは起きたことがない。
もちろん、昨今の温暖化が、地球にしてみればさしたる誤差の範囲内
程度の変化に過ぎないとは分かっていても、目の前でこんなことが起これば
我々の生活環境が、ヒトの生態にとっては大きく変化していることに
背筋が冷える思いがする。
夏、台風や水害で亡くなった方々の尊い犠牲は
単なる自然の災いで終わり、記憶からうすれ
人間の営みは、むしろ変化を望むかのようにバクシンし続けており
来年の台風や水害は、更に想像を超えてくるだろうし
暖冬と予想される冬の大雪も全く予測できない怖さがある。
関係ないが、気象庁ですら、過去のデータを参照できなければ
予報も予想もできない現実が、この夏のことで分かったはずである。
ともあれ
沖合いの狂宴は7時前の到着の時、既に始まっており
8時半ごろまで断続した。
ポイントが遠いことは、さして問題ではなくて、300mくらいなら
運がよければポイントを手前に寄せてくることができる。
が・・・その間には、またしても、カメ・・・・
夏休みの徳之島に続き・・・である。
ウミガメが出ると、なぜか釣れない、全く釣れない。
ジグ(オモリのようなルアー)を投げては、水面でスキップさせ
しぶきを上げて音を出し、狂宴が岸に近いところでも起きているように
思わせるしかない。
(90gぐらいのジグ)
しぶきが小さすぎて効果が薄い気もするが、はるか沖合いで
しぶきを立てる手立ては他に思いつかぬ。
しばらくスキップさせたら、今度は沈ませて、高速でしゃくる・・・を
ひたふるに繰り返す。
反応が無ければしゃくり方を変えながら、投げては引く。
デスクワークに戻った長男の腕はなまりにナマっており
竿をしゃくる腕が思った以上に、すぐだるく、重くなっていく。
すると、今度は少しサボって、海底をたたくようにヒラメを狙ってみるが
この高水温でヒラメが居るとも思えないのが悲しい。
水温は23度を下るまい、南大東の5月ころの水温と同じだ。
Tシャツ一枚にライフジャケットでも汗ばむ陽気で凪である。
隣で釣っているメジナ師が、流れに任せて異様にこちらへ流してくる。
2回ほどルアーでひっかけ、一度は仕掛けを切ってしまった。
悪気は無い。
でも、不思議とこちらのテンションは下がる。
ルアーは表層か磯から遠くしか釣らないとでも思ったのだろうか?
糸の出具合、仕掛けの距離ぐらいは感覚を持って欲しいものだが
視線は明後日の方向を見つめている・・・
それでも25センチくらいのメジナを上げた。
そんな腕にしてはかなり立派。
何で釣れたのか分かっているのか微妙だが。
流されて幸い磯際へやってきたから釣れたのだ。
勘違いして本流釣りを決め込んでいた感があるが
ここは足場こそ荒磯だが、海底は果てなく砂地、沖合では釣れぬ。
ほとほと重いルアーに疲れたころ、もう竿を仕立てて仕掛けを作り
軽いプラスティックルアーを投げる。
普通のシーバスロッド(スズキ用)を使い、磯際を狙うのだ。
あれだけ疲れ果てた腕なのに、4.2m14フィートの竿が
玩具みたいに軽い。
「この竿、中身空っぽでインチキなんじゃないの?」と思う自分が
可笑しかった。(竿の中はふつう空洞に決まっている)
(小さな?ダイワの4000番)
どうやら、体はナマっているが、感覚は春先からの「野放し旅」以来
南国中物仕掛けに馴染んでいるようで、内地の仕掛けが
とてつもなく、軽く小さい事が、ちょっと嬉しかった。
悲しいかな、ルアーには何の反応も無い。
いや、反応はあるのだが、反応を感じられる魚は来ていない。
ルアーを見ると、キズが入っている。
鋭い引っかきキズ・・・・ダツがルアーをくわえに来ているのだが
全く感じられない。
まめを作り、文字通り手を尽くしたが、マグロも、イナダもサバも
全く何もあたって来ない。
不思議とカメは恨めしくなく、カメ駄目だソングすら思いつかなかった。
大島の空はいつしかスッキリと晴れ、潮風はさわやかに吹き始め
秋磯のさわやかな午前は過ぎていく。
磯はいい。
何があっても、何が起こっても
自分にとって何一つマイナスはなく、後悔もない。
体が、磯に立てる限界の体力を下回ってきていることを除けば
磯にいるときにはすべてを忘れているひと時が流れる。
時折、クロサギが視線を横切り、秋に追われるように渡り鳥が
海面すれすれを群れ飛ぶのも見える。
しばらくするとタカも上空にやってくる。
毎年、こうして秋風だけを楽しんで帰ることが何回あったろう。
誰に教わったでもなく始めた磯ルアー釣り。
この先、まだまだ海も変わるだろう、長男も体力をとりもどし
長く永く磯に立てるよう、変わり行く海の生き物に伍して行けるよう
進化せねばなるまい、と心に何かが湧いてくる。
この事柄をもって、多分生きる事の実感にしてきたように思う。
磯に立つことは、どうしても辞めることができない・・・
理由になっているだろうか。
(のどかなバス待ち)
帰りのバスはかなりイカレたレモンイエローだ。
これまでの観光バスでは燃費も悪いので、どこかの中古の
路線バスを買い入れたのだろう。
しかも、経費節減のために、整理券も出さぬ始末。
整理券は?ときけば、パネルの10番を見れば分かるという。
確かにそうだが・・・しばらく乗降客がないと、送り忘れて
料金が分からんようになるのは何とかしろよ。
どこもかしこも、傷んでいるこのごろを、また感じてしまった。
その日の出帆港は島一番のにぎやかな町、元町港。
といっても、夏以外はひなびたものだ。
ひなびた感じは、ゆったりして悪くない。
秋はいつも元町の安部森さんでトコ丼を食べるならわしだ。
その前に下の土産屋さんで、荷物を置かせてもらうのも
最近のならわしになった。
毎度のように「今日、帰るんですか?」と
おばちゃんにたずねられるのもならわしで
こちらは記憶力が多少傷んでいるのではなくて、そういうもんだ。
毎回「そうなんです」と笑ってこたえるのもならわしのうち。
金曜夜に来て、土曜の午後に帰っちまうキチガイな釣り人は
そう多くないから、毎度確認してもらうことで、再認識できる。
今日のトコ丼はご飯も炊き立てで、とっても美味しい。
(トコブシのわたまで入っている)
でも、ここで何が一番美味しいっていえば、ぬか漬けだ。
ちょっとショッパく出汁のきいたアシタバの煮びたしもいいが
ここのぬか漬けのあさ漬けは厳しい島の生活なかにあって
人の温かさを感じられ、小さな旅情にはとても合う。
(大根一枚食べてから撮影・・・)
秋晴れの昼下がり、ラガー瓶を空けながら、ゆったり味わう
トコ丼とアシタバとぬか漬けは、最近のお気に入り。
釣れなくてもいいというのは言い訳だが
荒磯に立ち続け、無事帰りにトコ丼を食べられる小さな幸せ感は
長男の大きな生きがいの一つ。
もう、12年も続く、長男の秋の欠かせぬならわし。
ふとみると、港の待合の外に足湯が出現しており
新たなならわしになるだろうか。
(首のタオルは実は魚をつかむウェス)
一番手前に入ったが結構熱め、しかし向こうはもっと熱いのだ。
寒くなったら味わいも変わってこよう。
海は夏のまま、人間は冬を迎えるころ、カンパチは釣れ始める。
今年のヒラスズキは伊豆大島へ接岸してくれるだろうか。
もう、例年という考えは捨てよう。
カンパチは初冬に釣れ、ヒラスズキは運良く水温が下がって
シケが続けば釣れるだろう。
八丈島には大型のヒラスズキが居るといわれるが
昨今の高い水温に耐えられそうになく、絶滅に瀕していても
不思議はない。
何しろ、夏場はイソマグロが巡ってくるのだから無理もなかろう。
自然が変われば、釣りも人間も変わらねばならぬ。
さて、もう少し先を見越して進化できぬものか・・・長男の何かを。
追伸
ジャンプするマグロの写真は撮れなかった。
300m先で1mのマグロということは
10m先の3センチのニイニイゼミと同様なので超望遠レンズでも厳しい。
しかも、どこから出現するか分からないしジャンプ時間も一秒以下。
3倍ズームのデジカメで撮る気にもならなかったのだった。
むろん、カメラに触る時間がもったいなかったのもある。
なぜかカメラに触ると釣れないのは困りもの。