シリーズ
めざすは、うるデ爺(うるでじい)
第四話
「しかしやっぱり、アナロ爺・・・ぷちセブンティズ」
不眠症と気づかぬうちに、不眠になっていたころから
どうせ眠れないときは、ラジオでも・・・と、年間40日以上も
夜行ドライブ釣行を繰り返していた頃を思い出し
昭和初期の頃から最近といっても2、30年くらい前の選曲、
なんだかほんわかと暖かい「ラジオ深夜便」を聞いていた。
ソニーの大き目のラジオを使っていたが、ちょっと大げさで邪魔なので
最近は、旅の車暮らしで買った小さな、どこのメーカーともつかない
怪しいラジオを使っていたのだが、ついにボリュームの可変抵抗が
壊れてフルボリュームか無音しか調整できなくなってしまった。
仕方なく、このご時世にAMラジオを求めて会社帰りにコジマへ。
このごろ、このコジマへ寄って帰るのが習慣になっている。
なんだか、さしてコアな商品はないのだが、家電商品や
家電化したノートパソコンなどを何となく眺めていると心が和むのだ。
不思議だ。
ちょうど家路の途中にあるのでツイツイ、週何度も寄ってしまう。
店員も怪しく思っているに違いないが、こちらは別に
悪いことをしているわけでもないので、やっぱりついつい入ってしまう。
そのときは珍しく目的があって入ることができた。
ラジオ、ラジヲ、らじお、ラジカセ・・・そうだよなあ、今やラジカセでさえ
ラジMDやラジCDすら時代の置き去りにされた商品みたいだ。
「そういねぇ・・・せっかくじゃけ、もし旅先であったか方言の
AM番組を録音しとうなったら、かなえてくれるようなのがええねぇ・・・」
ブツブツ言いながら売り場をグルグル散策する。
案外MDというのはユーザーが偏っているみたいで
ほとんど高校生か、今ひとつ生活に余裕のない社会人ビギナーが
レンタルCDコピアーとして使っているようで、ラジオを聞いて
録音できて、気の利いたスピーカーがついている・・・そんなのはない。
じゃあ、カセットがついたやつなら・・・
あったあった。
やっぱりアイワか。メイドインチャイナだが、まあよかろう。
生意気なことに、長男の欲しいものを超えていた。
ステレオスピーカーにスーパーバス(低音強調)切り替え、
マイク録音機能、モノラルマイク内臓、AM、FMテレビ123チャン、
しかもロッドアンテナ搭載、ノーマルテープのみだが録音可能、
再生ならメタルテープもかかるし、ストラップまでついている。
ロッドアンテナは大事だ。この小ささでステレオスピーカー!
スーパーバス回路に、しかもストラップまでは気が回らなかった。
まるで、70年代のラジカセ全盛時代を思い出す。
当時は巨大なスピーカーを搭載し、ギラギラした銀色で
レベルメーターなんぞがついてドンスコドンスコ音の出る
ごついラジカセが流行っていた。
その上、ヤンキー(メリケン人)はそれを担いで街をかっぽしていたらしい。
当時のデザインをそのまま極限までチビにしたような
カセットケース二個分強サイズ、なんちゃってミニチュア商品みたいだ。
これで8000円そこそこで買えてしまう。
夢のような商品である。
変な感じだが、こんな商品が当時、こんな値段で実現できたろうか?
今では、ほとんど見向きもされぬ商品かもしれないが
ノートパソコンは薄く、画面は大きくなり、テレビも見られるし
音楽も聴けるだけではなくて何万曲でも収まってしまう。
ぼくが会社に入った10ン年前は、インターネットが発達するなんて
考えもしなかったが、配属されたコンピュータ事業部の商品を
デザインしながら課長に良く言ったものだ。
音楽も、テレビも、みんなパソコン一台で済ませられる時代がきまっせ・・・
こんなに早くやってきた。
音楽の聴き方も変わった。
FMで流れる、当時全盛だったジャパニーズフュージョンが
最高の楽しみだった。
スクエア、カシオペア、プレイヤーズ、今田勝、日野照正、渡辺貞夫、
パラシュート・・・
大きな八素子のアンテナを庭の真中にぶっ建ててFM愛知や
NHKFMからエアーチェックしたものだ。
そのうちシンセサイザーが普通になり、原音はどこかへ行ってしまい
音楽も演奏者の息づかいや運指が感じられない、電子化され
ミキシングされ、デジタル化されて、メロディとか歌詞とか、音楽の
部品の組み合わせを聞かされる世の中になった。
そうした音楽になった頃、長男も音楽から離れていった。
音楽が嫌いになったわけではなくて、音楽を生活のメインディッシュから
お造りについてくるベニタデや、喫茶店料理に彩りで使われるパセリ程度
の存在になっていった。
音楽を聞くことは趣味そのものであったが、今は部屋の芳香剤みたいになった。
それが音楽アーティストのデジタル化に原因しているのかは不明だが
人生の主人公を演じていくためには努力が必要なのだと分かったころから
かもしれない・・・。(ちょっとカッコつけすぎかなぁ)
だから今は、より小さなスピーカーで、モコモコ、モソモソした音で
部屋のどこかで流れているような、余韻だけのような聞き方になっている。
一番心が休まる聞き方なのである。
大きなスピーカーも要らない、原音も関係ない、
ひょっとすると、一人暮らしで、居ないはずの家族の気配を演出する
そんな存在になっているのかもしれない。
だとすると寂しいなあ。
時に励まされ、時に懐かしく、時に眠気を誘い、時に涙し、時に安らぎ憩う。
正に家族みたいだ。
それがだんだん小さくてよくなったということは
家族という存在が自分の中で、どんどん小さくなっていっているのだろうか?
一人暮らしがながいけんなぁ・・・
そういえば、カセットを買うのを忘れた。
帰って、引出しをゴソゴソさがしてみると、いつ買ったか覚えがないほどの
未開封カセットが出てきた。
100分取れるテープらしいが、磁力だの経年変化だので
本当に録音できるか分からないが、そこにこだわる必要すらない
そんな油断を許してくれるチビラジカセが家族に加わった。
モノは高級であればいい、給料が高ければいい、嫁さんは美人ならいい
魚はデカイほどいい・・・そんな自分は遠い昔にどこかへ行ってしまった。
小さくても良い、一歩一歩、自分の人生でありたい
そういう歩き方をしていきたい・・・だからアナログもいい、魚も美味しくて
ほどほどの大きさでいい、カミサンは笑顔があったかい人がいい。
デジタル化するほど、小さなアナログスピーカーで聞きたくなった音楽
効率的で高給一筋に大企業で働くほど、自分の足で歩きたくなったこの頃
なんだかアナロジー。
ちょっと洒落てみたのだが、お分かりいただけたかな???