赤いヒゲの冬鳥
相変わらず、ぐだぐだな与党で、選挙の無力さを感じるなぁ。
タカイチのネツゾー発言は図星をつかれすぎて、よほど緊張したのか
判断を間違えた発言であった。 判りやすすぎて驚いたわい・・(笑)
今さら配慮したとか、いろいろ根回しし、論旨をずらそうと文脈を考えた
ようだが、所詮は独裁政権の裏側なんて、ソンナモンだと念押しした
までのことである。
権力と利権の結びつきは、資本主権社会において根幹の関係性だ。
自由とか民主主義などは、単なる隠れ蓑に過ぎない。
ただ問題は、ウマイコトやれるかどうか・・である。
ダメ田首相など、異次元のなんちゃらとか、脳内が御花畑みたいだし。
プーちんが、ベラルーシへの戦術核を配備する・・と決めた。
ルカシェンコ大統領の独裁では、所詮、彼の気分か、失脚によって
手のひら返しは予測可能だから、裏切るなよ・・と念押しの意味もあり
ベラルーシからしてみれば、むしろ戦略核と謂えるかもしれない。
そのような危うい地域へ本物の核を配備することは、敵に回った時や
クーデターに利用されるのを恐れて、大半はダミー弾頭に違いないが、
ロスケにとって敵味方ともども、有力なハッタリになることも違いない。
いきなり不快なもの謂いになるが、季節の変わり目は、ウツがキツイ。
とゆ〜か南国では、内地風の季節の変わり目は、とても長くないか?
なまじ寒くならない秋、なまじ春のような半端な気温や雨が続く・・・・・
冬枯れを見ずに済むのが幸せと感じてきたが、反動はないのか???
冬から春にかけ、分厚い雲の曇天が多いから、朝がさっぱり明けない
なんてことも少なからず。
不快とゆ〜か、明けない朝が多すぎるのも事実で・・
そんな折
今朝もムリヤリ散歩へ出かけようと、車のドアに手を掛けたら、
やにわに「キュワ〜ン」の声がし、ノゴマがさえずりはじめた!?
声のする高い枝をしげしげ眺めるに・・見つけた! んが・・枝カブリ。
撮影しているワシに気づいたのか、さえずりを休んでしまう。
ましかし、さえずる姿を、はじめて観た!
夏の北海道ではアタリマエらしいが、ここは春の徳之島のわが家だ。
この春は練習熱心で、わが家のジャングル庭園で毎日のように鳴き、
心を癒してくれていたのだが、本気で鳴くのは珍しい。
いつも、キュワ〜ン♪ と宣言してからさえずるわけでなく、
それは卒然1、2回しか鳴かぬため、録音するチャンスすら無かった。
これまで、その声は聞いたことも無かったが、この春になって
ジャングル庭園とゆ〜か、キッチンのすぐ前で何度か鳴いたから、
ノゴマの仕業だと覚ることができたイキサツがある。
そのあと、なんやかやで手前に下りてきてくれた♪(笑)
んだが、一瞬のことでフォーカスが遅れ、後ピンになってしもーたけど、
角度によっては、喉の赤みが地味に写るんもんだなぁ。
これも、擬態の技なのか?!
幕末に遠島されていた薩摩役人の日記、南島雑話には
「野駒 ノクマ 昔此鳥ヲアヤマリ名不詳故ニ ノト赤キヲモテ
アカヒゲト名ツク 今ノ赤髭ト云鳥ハ黄野駒トイヒシト伝」
とあり、島でアカヒゲと名づけられていたのは、ノゴマだったのだ。
後半のくだりは、現アカヒゲかノゴマのことか、不可解な記述だが・・
ちなみに
シマグチにノゴマを表すものはないが、サトウキビ畑には少なからず
越冬しているから、江戸時代にも正月が明けてキビ刈する際には、
ちょくちょく飛び出してきたろうし・・ シマッチュにとっては、森にいる
アカヒゲなんぞより、すっと馴染みの野鳥だったのは明白だ。
まずもって、現アカヒゲより、身近なノゴマの名づけの方が後だった・・
なんてことはアリエナイのだ。
そもそも
野鳥が熱心に観察され、分類されるようになったのは、江戸中期より
後であって、しかも裕福な鳥好きの大名や商人が、趣味として営んで
いたに過ぎぬから、探究心が薄すぎたり、台風などでギリギリの生活
しかできない離島では、名づけどころではなかったのである。
ただ
逆に現在では、ノゴマの越冬を知るシマッチュはほとんどいない。
機械化が進んだり、キビ刈に家族総出になることもなくなっったから、
正体不明の声が、キビ畑から聞こえる・・くらいの認識だ。
他方
赤く目立ち、高らかに鳴く現アカヒゲは、奄美沖縄にしかおらず、
江戸時代のカネモチの飼い鳥として、人気を博していたろうから、
内地では名前が必要っだところへ、アカヒゲの名が誤って伝わり、
逆輸入されて、根付いてしまったんだろうと思っている。
ほか、ある程度大きかったり、食べられる野鳥には名があるが、
シジュウカラやヤマガラ、サンショウクイなどのシマグチ名はない。
あっても、漠然としているだけで、種名は関係ないだろう。
たとえば
島では主にサシバのことをターと呼ぶが、ただのタカの意味だ。
それ以上分類する必要など、感じていなかったのだろう。
ミサゴもハヤブサも、おそらくターだったと思う。
にもかかわらず
メジロは集落によって様々な名があるが、それらはもしかすると
せわしなく鳴く小鳥をひっくるめた名だったかもしれぬ。
明治大正になってから流行したメジロ飼育だが、メジロの名が
馴染む前に、テキトーにマシキューラ、チッカーラ、イッサムィなど
もともと小鳥を表していたハズ?のシマグチが各地で定着した・・
んじゃない? かと思う。
アカヒゲの方がよほど華やかな声なのに、メジロを飼うなどとは、
娯楽として、よほど闘争が好まれていた時代だったんだね゛〜。
とユ〜か今も闘牛は廃れてなく、まだそ〜ゆ〜時代は続いている。
消防車にも闘牛が入って、まるでランボルギーニよ♪
カラーはフェラーリっぽいけども。
つい最近配備された、高機能救急車にも入ったのには驚いた!
ま゛〜確かに、守り一辺倒な対処医療にあって、救急医療だけは
攻めてる気がするし。
さておき
心を癒してくれる鳥たちは、そろそろ北へ帰る時分になった。
ホシムクドリの中には、夏羽になりかけているのも見られる。
この姿を眺めるのが、密かな愉しみだ。
国内では、夏羽を眺められる機会なんて、滅多に無ければ、
あまつさえ狙って見られるなんて、おそらく石垣島と徳之島のみだ。
この冬は、ギンムクドリの渡来が記録的に多く、60羽を超えている。
あまり遠くは渡らぬムクドリが増えるなんて・・ 徳之島の越冬は
そんなに魅力的なのかね゛〜。
クチバシの色が地味だから、まだ夏羽に換わる半分くらいか・・
ギンムクドリは姿も声もすっきりキレイだし、癒し効果は高め。(笑)
カノジョはこんなに近くで見た事ないそうだから、いささか残念。
マメに通えば、10m以内で日常的にシレッと観察できるのだ。
なぜか、1月からずっといるヘンなヤツガシラは、いつ帰るのやら。
離島の冬は暗くて気分が下向きになるが、野鳥に救われている。
島は物理的に狭いから、野鳥が渡来したり越冬する場所は限られ、
ヘビの多い森の奥で越冬することもないから、おのずと遭遇する機会
が増えてくれるのが嬉しいところ。
先の土曜、1.2キロくらいのオニヒラアジが今年初めて見えた。
んだが、そのあとはボラどころか、一匹の魚も見かけられず・・・・・
釣りできぬ離島なんて、ワシにとっては絶望的な場所でしかない。
海があるのに魚がおらんのでは、まったく話にならぬ。
これからの4月は、もっともヒラアジが活性化するシーズンとなり、
期待がふくらみそうでありつつも、不安の方が先に立ってしまう。
とかく、潮が好い日に限って、気象が荒くなるから・・ もある。
ここはひとつ
中二病ロマンタックルに、賭けてみるしかないんか!!!(笑)