内地の風
ギックリが治らなく、日々湿布生活である。
オヤジ殿が亡くなって数日経つが、実感がない。
と謂うか、おふくろ様の老け方がスゴイのが気になって仕方がない。
武漢発コロナウィルスのお陰で2年間帰省しなかったが、その間の激闘が体を蝕んでいた。
倒れたオヤジ殿を起こすことで膝を悪くし、手すりを持たなければ階段の上り下りが
出来なくなっている。 脳梗塞を患ってから味覚障害となり、食事を面倒がって摂らず、
ずいぶん痩せてもいる。
もともと、オヤジ殿との思い出は記憶の彼方で、そういえば高校以来あまり会ってないから
新しい記憶はさほど多くはない。
自分から訳の分からぬ精神をアレコレする薬を飲んで、パーキンソン&認知症になったから
顔を見るだけでイライラしていたことは確かで、ここ数年まったく好い心象は無かった。
プライドばかり高いわりに、家族からはアテにされてない感があったようで、その歪みが
風呂場を新品同様に保つという、意味不明な自慰行為へ走らせたのがトリガーとなって、
坂道を転がるようにウツになり、薬に走ったのである。
精神や体調に異常をきたしているのに、医師にそのことを伝えずに飲み続けたのだから
自業自得だったのか自暴自棄だったのか分からないが、今にして思えば
ミュンヒハウゼン症候群だったのではないか・・ と。
オヤジ殿の亡骸を見たとき、ずいぶん痩せていた。
おふくろ様から、施設へ入ることを告げられた時に、すべての希望を失ったらしく、
食べることを拒むようになり入院、胃に直接栄養分を流し込む手術を受けたが、もたなかった。
正直なところ、おふくろ様が死にそうだったから、入院費もかさまず、すんなりと逝ってくれて
むしろホッとしてしまった。
葬儀の日は日曜。
朝、近所の葬儀屋のところで、棺桶へ納め、午後から火葬である。
近くにある貸衣装屋で喪服を借り、火葬場へ向かった。
焼かれる際、炉へ入れられる瞬間「今棺桶から出なければ、焼かれるぞ!」と心が叫んでいた。
もともと派手な葬式はするつもりもなかったので、静かに家族葬で済ませたんだが、
折しもコロナのために家族葬がトレンドとなってい、いささか救われたような・・・
私もそうだが、オヤジ殿にはほとんど友だちがおらんかった。
若いころの自衛官姿の遺影と共に、家に帰ってきた。
自分で撮ったらしい、小さな白黒の記念写真だったんだが、異様なほどの高解像度で、
毛穴まで見えるよう。 どうやら、ブローニー判か何かで記録したようだった。
弟によると、通常勤務ではもらえぬ、類まれな勲章が写っているとのことだ。
リビングで日々眺めるに、自分より年下のオヤジ殿には、違和感がある。
時間に余裕ができたので、私が最後に住んでいた実家があった場所へ行ってみた。
平屋の官舎はアパートになっていた。 それと、津波避難場所にもなっているらしい。
周囲にあった林の多くは、住宅になって、味気ない海岸になってしまった。
堤防の道路は拡幅され、劇的に通行しやすくなってい、とりわけ、すぐ下が海だったのに
渚が遠ざかっていたのには驚いた。
浜が広がったおかげか、思ったより野鳥が多い。
カモメやカモ類があちこちにいる。 昔は、ウミウくらいしかおらんかったが。
ふと気づくと、防寒のコートの袖が擦れる音が、とても煩わしく、周囲の音が聞こえ辛い。
今まで感じたことは無かったんだが、急に。
島が静かなこともあるものの、わが家ではむしろ四六時中耳を傾けていないと
台所や風呂場へのネズミの襲来に気づくことができないので、異音を感じ取ろうとし
それが、久々に内地へ帰って異音だらけだから、頭が勝手に反応しているらしい。
とりあえず
心配事が一つ減り、あとはおふくろ様の心配をすれば済むだけになった。