台風を やりすごし
きのう、島で再び武漢発コロナウィルス感染者が見つかった。 しかもクラスターだ。
シマッチュはとても盆を大切にしているから仕方ない・・ と割り切れぬ気持ちが膨らむ。
さらに、旅行客もソコソコ見られるのも、気になるどころか苛立たしい。
別に、私が一年半も島に引きこもるから・・ と謂うわけではなく、人命に関わる危険を
無視できるほどストレス社会なのか、日本人のお互い様お陰さ様の精神が希薄だ。
東北の震災時は短期的に絆をかかげて乗り切ったようだが、今は全く違っている。
アレはたぶん、震災の外側にいた人らが、マコトシヤカニ流行らせただけで、
当事者だらけになると、虚言で励ますような薄っぺらな行為すらできない情況なのだ。
ワケのワカラン奴から感染させられ、自宅療養と銘打った、ほとんど治療放棄を受け、
苦しみながら死んでいった感染者らに、恨み辛みをたずねてみたいものだ・・・
だだまぁ、そうした現象からして、このパンデミックが摂理であることは、容易に判る。
いつ起こるか知れない戦争に頼るより、より確実な人類の削減が動き出したのだろう。
想えば、戦争になれば、頭のネジが元々ない連中が、核兵器を用いるだろうから、
他の生物に影響を与えず、効率的に人類を減らすのには、特定のウィルスが有効だ。
それはそうと
厄介なワクチンなど開発せずに、西洋医学お得意の対処料業で、肺炎を抑え込む・・
薬品をこさえた方が、速いんじゃないか? と思うんだが。
結局、週末は台風で、林道の観察会も流れた。
一部には、引率する私たち3人が、あまりにクセのある面子だから、混ぜるな危険的な
様子を眺めてみたい・・ と念じて参加される向きもあったようだ。 私も実は残念だ。(笑)
仕事も沈滞してい、釣りもままならぬから、干潟の野鳥を眺めるくらいしか愉しみがない。
非繁殖の個体が居残って、周年見られることがわかった、キアシシギ。
クロツラヘラサギなど、目立つ鳥が残っていれば、わざわざ確認しようなどと考えなかった。
先にもあるように、とてもカニ好きなシギなのだが、ほぼ食べるのは胴体だけなんだが・・・
それを狙う滴?が現れた。
秋の渡りで、早々もどってきたオオメダイチドリが追っている方向が、
キアシシギのくわえているカニとは、違うのがわかるだろう。
振りちぎったあとの足を、拾い食いするためにヒツッコク追い続けている。
これほどマメで狡猾な採餌方法など・・ どこで学習したのだろうか。
両種とも、繁殖地はかぶらないので、少なくともオオメダイチドリは幼鳥でなく、
どこかでキアシシギと共に、越冬していた経験があるハズだ。
しっかし、この個体は不思議だ。
これまでの私の常識では、今はまだ夏羽のハズなのである。 が・・・ 冬羽である。
赤茶っぽい夏羽から換羽中などでなく、シッカリと冬羽。
青の読者諸氏には、メニヤックすぎて申し訳ないが、小さな生活をsちえいると、
より小さなことが気にかかるモノなのだ。
いやはや、もしかして鳥の世界にも計られぬ浪が来るのか・・・ とも危ぶんでみたり。
このコサギに似たサギを存知だろうか?
外海が時化ておらんのに干潟で採餌する、クロサギである。
この姿を眺めるに、本当の黒詐欺ではなかろうかと思ってしまう。
南方ほど、白色型と黒色型の割合が半々に近づくと謂うウワサがある。
冬場、カワウなどが飛来していると、黒いのも干潟に入ってくるものの、夏は白である。
クロツラヘラサギこそ渡去したものの、毎夏、コサギ、チュウサギ、チュウダイサギが
越夏するから、それらに敵視されないよう、白いのだけが入ってくる・・ のだろうか。
サギと謂うのは、細く弱々しいわりに、横取り上等な気の荒い連中なのである。
磯や浜より安楽に採餌できるから、張ってきているつもりだろうが、
透明度の低いイノーでは、打率が良からぬように思う。
イソヒヨドリは、海辺にいたからその名があるが、今や内陸へ進出して久しく、
似たような現象尾なのだろうか・・・
ところで
体の異変に驚いて、ただいま減酒しているのだが、コレだけは止まらないくて困る。
ウィルキンソン炭酸は、今やビールよりも余程に好ましい。 いつでもグビグビ飲める。
酒代がかからなくなったぶん、心おきなく飲むことができるようになった。(笑)
このごろめっぽう、ビールが好ましくない。
不味いのではなく、深く濃い味わいのビールに合わせられる料理が、わが家にない。
飲む機会を失っているのだ。 揚げたての鶏から揚げが・・ 懐かしい。
もっとも好むビール系飲料は、アサヒのスタイルフリー・パーフェクトである。
キリっとスッキリしていて重くないから、とても飲みやすい。
んだが・・ やはりキン炭の持つ、キレッキレののどごしには及ばない。
実は
月曜からギックリ腰で休んでいる。 無論、クラスター対策も兼ねて・・ である。
急ぐ仕事もないから、過去の写真を見直したりして、のんびり過ごしている。
伊豆大島で釣った魚を、大都会の商店街で酒と物々交換とか、遠い南の島で
釣った魚を宿のお客や、研究室の女子大生などと共にいただくとか・・
サラリーマンにしては、単に釣りへ金をかけまくった以上の愉しい時間を過ごしていた。
ただ、私のように肝の小さい男には、仲間や女と共には実現できなかったことは判る。
反面、独り旅の自由とは、元来そういう顛末への近道だったに違いない。
ハードディスクのなかを検めていたら、昔の青を見つけた。
元々は釣り具や旅の記録などを記すHPだったが、99年から週一記事をを始めていた。
当初の記述では、心に寂しさが残っていたが、今となってはカナリ失われてしまった。
寂しさが失われると、どうなるか・・ ます、人の死に悲しみを伴わなくなる。
横浜にいたころの、酒屋さんや、南大東島のホテルの方々などとのやり取りを思い出し
なにやら、今の自分とは別人だったような気分になった。
12年は、ソレナリに長かった・・ と謂うことか。