青い鳥の 効きめは?
人の世の 憂さ
武漢発、新型コロナウィルスは、私たちに未曾有の難題を突きつけているかに見える。
んが、どうだろう。 東北の震災と津波は防ぎようがなかったが、今回は違うのではないか。
現代の20、30代は、世間を背負う気概がないまま、妙な成人式ののち社会に放たれている。
甘ったるい生活と、責任感の無さも手伝ってストレスに耐えられず、同期会やカラオケ・・・
体罰だの暴力反対だの、極左に依る教育とやらが招いたリバウンド現象である。
責任の重さが、たかが痛みどころでなく厳しいのを知らないまま社会に放り出されることが、
どれだけ過酷なことか・・・ それがコロナウィルスによってあぶり出されるとは、皮肉なものだ。
クラスター 集団感染源になるのも仕方ないのかもしれない。
ま゛〜いつものことだが、NHKのバ解説委員とやらが述べた。
今さら非常事態を宣言するなら、最初から出来なかったのか・・・ 思わず、アツアツの大根煮を
吹き出すところだっだわい!!!(笑)
最初からやったら、もっと熟考してから実行すべきだったのではないか・・・ と謂うのだ。
こいつらホンマに朝鮮者だなぁ。 あ〜いえばこ〜ゆ〜だけの無志向ロジック。
おまけに中共の封鎖解除のプロパガンダを、国内へニュースとして垂れ流す体たらく。
ショッピングモールも開店・・・と報じられるものの、テナントが開店しているとは報じてない。(笑)
お陰で、中共の情報をマにうけているのは、ポン人くらいなもんだ。 滑稽にも、ほどがある。
武漢の鎮静化を指揮したのは首相と都市の首長、治安、そして宣伝で、医療は含まれない。
コレで平然と受信料を無心するんだから、ツラの皮の厚みも完全に大陸系としか思えない。
気づけば、青も999回となった。
初代、青の舞台を始めたころ、ヤマハのルーターを用いたISDNの64kbpsだったのを思い出す。
通信時間あたりの課金でなく、使い放題の定額料金になったことで、感動したのを覚えている。
今や250kbpsですら、当時のもどかしさを感じる始末とは・・・ 科学とは、いつも不便なもんだ。
節約ってものを知らない。 だから、温暖化なんて馬鹿げたことになると、想像がつき易い。
あれば、あるだけ、ジャブジャブに使うのがニンゲンってもんだ。
このごろ
不思議な体験をする。 こんなことを書くと、またオカルト好きが暴走したか?とか思われそうだが
時折、なぜかババ臭? のような線香交じりのニオイがすることがある。 いつも同じニオイだ。
だいたい玄関やキッチンの窓際だったんだが、いっぺんだけ寝床でも漂っていた。
私は婆ちゃん子とゆ〜ほどでもないが、まえまえから、私のまわりで心配している感があった。
もう亡くなってから30年くらい経っていると思う。
別に霊感が強くなったとか、そ〜ゆ〜のでなく、自堕落になった私を心配すること山のごとし・・・
なのかもしれないなぁと、いささか反省してしまう。 そうそう、きょう正に、運転中に漂ってきた。
理屈はどうあれ、私の生活に心当たりがありすぎるのが、根本的な問題であることは明らかだ。
さて
内地では桜咲く春だが、島ではもう初夏≒うるずんのころのハズが・・・ 日中でも20℃いかない
ような、あるいは北風の日が続いている。 まだ、昼でもヒートテックを装備している。
そんなん大したことないと思うかもしれぬが、島は一か月後、ゴールデンウィークには梅雨入りで。
ここ数年、こうした北風が続く3〜4月になり、渡り鳥が減っているし、夏鳥も減ってしまった。
三寒四温と謂うコトバがあるが、六寒一温といった様子で寒風が続いている。
まるで内地の夏の陽光に、20℃設定のエアコンの風が吹いてくる感じだ。 陽炎も半端でない。
その朝も、羽ばたきの弱いサギたちが、足止めされ干潟が賑わっていた。
これまで、森を好む渡り鳥を探そうとしたことはなかったが、肝心の運動公園が伐採に次ぐ伐採で
高い樹木が無くなってしまったから、滞在する鳥が激減していることも分かっていた。
気まぐれに、林道を歩いてみることに。
この林道は、そこここにクロウサギの落とし物がたくさんある場所で、森林のもっとも端にあたる。
春秋の渡りでは、夜、アカハラダカやサシバなど猛禽類も休むところ。
カメラを携え、ゆっくり歩いてみる。 往路では見かけなかったものの、復路で出た!
枯れ葉にならず、冬も色あせるこのとない南国の森のなかでも、輝きすぎる青い鳥だった。
あまりに青いから、錯覚かと思ったくらいだ。
存知だろうか? オオルリを。
実は、島に来るまで知らなかったが、北海道から九州まで、全国の森林で繁殖しているそうだ。
青い鳥より、グリーンフラッシュの方が霊験あらたかなことは体験済みだが、それでも嬉しい。(笑)
ずいぶん前、いっぺんだけホームグラウンドの運動公園で見かけたことがある。
興味のないニンゲンには、ただの小鳥だろうが、私にとって珍しい鳥との出逢いは宝物だ。
居場所の目星をつけられたとしても、鳥に出逢うことは、並大抵のラッキーでは無理である。
いかに偶然をたぐり寄せてくるか・・・ まき餌して寄ってくるようなものでもないし。
幸運を探すために、運を使い果たした感も否めない気がしないでもないんだが・・・
そんなコンナで
アレから幸運と謂えば、好みのストレートど真ん中の人妻に会った、くらいしかなく、
さっぱり実益につながっていない。 実益とは、具体的には鮮魚でなくてはならないのだ。
せっかくの潮回りなのに、朝が13℃台まで冷え込んでしまうから、イノーの水温が上がらず、
さっぱり魚が入ってこないままである。
今回の青い鳥の効能は、回数か、制限時間か・・・ いづれにしても、期待薄な気がしてきた。
運気というのは、体調の気とも連動するようで、このところ調子悪すぎる。
北風は、鳥の渡りには深刻らしく、4月になってから、ヤツガシラが飛来した。
半月遅れの渡来である。
わが家の上を飛ぶサシバも。
大半はもう渡ったようだが、遅れたのか、ワザトなのか。
羽ばたかないから、渡りは比較的消耗しないハズなのだが、遅れる理由はなんだろう。
少し風が弱まった夜、干潟にいたシギやチドリたちは一斉に北上していき、みごとに空っぽに。
それと連動するように、あまり見かけない鳥たちも飛来しては去っていく。
カモなのに、シマアジという。
全国的にも珍しい、オニアジサシ。 カモメ並みのデカさなので、当然ながら目立つ。
南方系のようで、このごろ渡来が増えている。
この体躯で頭から浅い干潟の水たまり?に突入するから、見ている方がヒヤヒヤする。
外洋でダイナミックに捕りたくても、南方ではアジサバイワシのような群れる魚は少ない。
南西諸島では冬鳥の主流だと思っていたが、そうでもないらしい、ムネアカタヒバリも通過。
この冬は、ばっちり越冬していたから、ほとんど毎日見かけていた。
越冬しているときは、こんな立派なムネアカ?ズアカ?でなく、何タヒバリか判らぬ姿になる。
タヒバリと謂うと、美空ひばりのあのヒバリ? と思うかもしれないが全く別物で、セキレイ科。
白黒なのにナゼか派手目に感じる、あのハクセキレイの親戚筋である。
完璧な?草原性なのか、ムネアカタヒバリが枝どころか、電線にとまるのも見たことがない。
他方で
あと10日もすれば夏鳥が飛来しそうな時節なのに、まだ渡らずにねばる冬鳥たちがいる。
シロハラや、ツグミたちだ。 いづれにしろ、ツグミ科。
うかつに渡ろうとすれば、力尽きて海ボチャだから、賢明な判断と謂えるのかもしれない。
子は未来ではあるものの、そもそも産む親が死んでしまったら、未来など微塵もありゃしない。
ちなみに
南西諸島では珍しく、留鳥になって久しいムクドリたちは、もう営巣を始めている。
冬鳥としても、いろんなムクドリ類が渡ってくるが、その渡ってくる数を増やしているのが
在来種となっているムクドリたちである。 たぶん、内地よりいささか早めになりつつある気がする。
鳥の繁殖スイッチは、温度ではないようだが・・・ 体内時計でもないとすると、虫の増加か?
昼の長さの変化か? あるいは総合判断か? 総合判断でオスメス同時に繁殖意欲≒性欲がアップ
するのか? ほんまか? などと興味は絶えぬところだが、進化してきた時間は、鳥もニンゲンも同じ。
ただし、鳥になってからの歴史の方が、たぶん、類人猿などよりずっと長く永い。
その間に、インド亜大陸が移動し、ヒマラヤが盛り上がってり、極東の浅い海から、日本列島が
できあがったり、アレヤコレヤあったのだ。 ソレにくらべたら、地上を移動するだけのサルの歴史は
そして、今や季節そのものが変わるワケか・・・ 酸素が少なかった古代よりは、ずいぶん楽な
ハードルなのかもしれないなぁ。 一日は短いわ、そのぶん一年の日数は多かったわ・・・ だし。
そういえば、鳥たちは、飛ぶために怪我や病気にはすこぶる弱い。
だが、そうした淘汰の速さが、生き残りにつながっているのかもしれないなぁ。