変化は 悪化か?

 


 

聞こえづらい 雑音

 

消費増税が迫ってしまうようだ。

統計とか、アセスメントなどというものは、委託する団体に不利になるハズがない。

スポンサーに反する結果は、関係者からは望まれていないから、委託料が危うくなる。

そんな単純な社会だが・・・ 信じる者は皆、だまされ続ける。

 

ジビエの味ほどアテにならないものはない。

おそらく青の読者諸氏は、じゅうじゅう気づかれていることだろう。

肉が硬いことは、衆知の事実だが、風味についてはバラバラである。

さらに、女子においては、必ずイノシシよりシカ肉のほうが評価が高い。

シカ肉の方が鮮度と保ちにくいにも関わらず・・・である。

簡単なことだ。 鮮度を落とさないためには、低温こそ正義である。

当然、デカいシカの方が体温がいつまでも保たれ、鮮度は落ちやすい。

他方で、一定の施設で計画的に屠殺場で殺される養殖の畜肉とは異なり、

猟師の技量というか、鮮度に対する思いが、どれほどあるかによって全く風味は異なる。

いづれにしろ、シュッとしているシカの方が臭くないと、最初から感じてしまう女子の感覚は、

男子にとっては最初から怪しむしかない存在でもある。

以前、私は腐れたカルパッチョを食わされたが、それを忠告したら、女子は否定したのである。

あまりの不感に、憮然としたことがあった。

女子は雰囲気に弱く、感情のによって感覚が鈍りやすいのである。

それは弱点かもしれないが、個性だが、男子に受け入れられるかと謂えば、そうでもない。

腐れたカルパッチョは、やはりダメである。

また、ジビエは生活環境や個性も激しい。 地域によって食べるものも違う。

地元で、同じレベルの猟師から仕入れない限り・・・ 前の状態は再現しないのだから、

風味が一定しない方が、むしろ正義?である。(笑)

とかくジビエは臭いとされる。 多分、畜肉の臭みに、我々が飼い慣らされたからだろう。

実際、豚ショウガが人気である。 ナゼかと感じるポン人は、料理人以外ほとんど居ない。

ショウガを加えると美味しいのではない、臭いから産みだされたレシピなのに・・・

 


 

きのうから、キショクワルイくらい晴れている。

私の職場のひとつになってしまった?施設も、パンフ用に記録しておいた。

歴史文化産業科学資料センター ユイの館 と謂う。

おそらく、私以外に正式名称をそらんじている人物はいないだろう。(笑)

 

こうした奇跡的な晴れは、梅雨明けの7月中旬の数日に限られていた。

梅雨のさなかにバリバリの大陸性高気圧に覆われることなど、なかった。

 

ニンゲンにとっては好天だが、不自然なことには変わりない。

北風が平均で10メートル以上吹いている。

 

そして、初めての光景。

ダイサギたちが、真っ昼間に北上していた。

おそらく南風を期待していたら、繁殖に間に合わないと焦ったのだろう。

低いところを飛ぶのは、疲れてきたら、すぐさま海面近くを飛んで、地面効果を得る寸法だ。

筋量の少ないサギたちにとって、逆風は文字通り以上に命取りとなる逆境なのだ。

 

ここ4年くらいだろうか、この時節に北風が強くなったのは。

渡り鳥たちが渡り辛くなっている。

 

今年、アカショウビンが極端に少なくなった。 繁殖に失敗すれば、渡り鳥は激減しやすい。

ここ数年で、年々少なくなっていた。

この時節になると、毎朝アカショウビンのキョロロロロロロ〜を聞くのはアタリマエだったが、

もうそうした現象は、郷愁の彼方になりつつあるのかもしれない。

 

東にある浜で、釣りをするチャンスがほとんどなくなってしまったことは、なんべんも記してきた。

東風が止まず、浜の地形も変わり、水深が浅くなったのだ。

 

釣り好きの読者諸氏も、ご自分のフィールドにおける釣魚の変化には、

とっくに気づいていると思う。

 

魚は、比較的柔軟な生態で、水温に応じて移動すれば済みそうだが、鳥類は意外とガンコだ。

ヒマラヤを越えていくアネハヅルは有名だが、知能が高いために?

オイソレと繁殖地を変更できず、苦行のような渡りを代々つづけている種は少なくない。

アネハヅルの場合、繁殖地との間に、ヒマラヤが勝手に盛り上がってしまったのだ。

 

気候変動をモロに受け、減っている鳥に、メダイチドリがいる。

これまで海岸以外で見たことはなかったが、コチドリのように運動公園を歩いていた。

 

あれやこれや遷り変わることは、おそらく悪ではない。

生物には、いつものの試練でしかないからだ。

 

むしろ変化に弱いのは、長寿になり進化を遅らせてしまったニンゲンの方ではないか?

ニンゲンの社会システムは安定を基本にしているから、資本にしろインフラにしろ、脆弱にすぎない。

無駄に変化させた張本人が、もっとも変化に弱いかもしれないなんて、なんと優れた摂理だろう。

 

 

それはそうと

かねがね感じるが、人類はホンマに、幸せな未来を目指しているんだろうか???

架空に近い社会システムに従順になりすぎて、目的と手段をはき違えて久しい気がするが・・・

おそらく、ほとんど必ず青の読者諸氏も、違うことなく金策第一のために働いていると思う。

 

私はこれまで、歴史など役立つと感じたことはなかったが、縄文や旧石器時代を学ぶことができて、

好かったかもしれないと感じ始めている。

弥生時代以降、明らかに、土地と蓄財に囚われている。 所有欲にコダワリすぎて、ボロボロだ。

農耕は不安定な社会を産んでしまったことを、現在は否定する学習要領になっているが、

ほとんど間違いだ。 農耕にしても放牧にしても、弊害だらけである。

現代においても、台風が来たくらいで農家は死ぬ思いをする。

支えているのは賭博の延長、保険と来てる。 賭けが基盤システムとは、まったく困ったもんだ・・・

 

ただまぁ

定住することによって、言語の統一などが容易になったことで、権威主義と資本主権ベースの

暴力抑制による疑似安定的な格差社会が形成されることになった。

私たちが根本としている文明とは、暴力と格差による社会形成と同義である。

正義か悪かは、後の歴史が正してくれるだろうが、お陰で文明や科学が発達するに至った。

 

私たちは、カンチガイしていることがある。

ニンゲン社会は、文明は高度化したと思っていないか? たぶんそれは概ねハズレだ。

高度化でなく、利権(資本)を重んじる連中が組み上げた、ご都合の複雑系である。

仕組み的にはオモシロイかもしれないが、不公平で、高度でもない、カネを捻出し、

『上』の者が有利になる、既得権益を助長するための、コンセプト的には単純なシステムだ。

『地道な強欲システム』とも言い替えられるだろう。

強欲は、生物がもともと背負った業だから、たぶん問題はないと思う。

ただし、ニンゲンの社会システムにおける、平等や公平にとっては、相対する概念だ。

富める者が、貧しきを救うのがアタリマエのようになってしまっているが、

おそらく青の読者諸氏や、ポン人は根本的に違う考えを持っていると思う。

もともと富める者も貧しき者も、助け合えばイイだけ・・・ だと。

 

社会性とは、そもそも眼前の個人的利益だけを追及するのを否定することから始まる概念だ。

そのことを体験的に理解できるのは、おそらくポン人の思想が最も近道だと思う。

お互いさま、お陰さま

 

 

閑話休題

ニンゲンが、ニンゲンのためだけに生きてきた・・・ と考えないのが日本人である。

その血を引いているから、私は自然が気にかかるのだろうと思う。

 

おそらく

権力による曲がった倫理から、科学は 『人類を亜種に分化 』 しているとはしていない。

しかしながら、体色、食べ物、生息する地域が異なる以上は、亜種レベルである。

体質も、体温も異なるのだから、亜種でないと述べる方が難しかろう。

そういうのを唱えると・・・ レイシズムだナンだと叫ぶ左系の輩に叩かれるワケだが、

科学的厳密には、否定する理由は成立し得ない可能性が高い。

この際、未熟な科学を是とする前提で、都合よく流用させていただくと・・・ である。(笑)

 

ともあれ

気候が変動しているのを、ヒシヒシと感じているこのごろ。

かててくわえて、この夏もまた、台風がハッチャケるかと思うと・・・背筋が冷えて涼うなる。

いや、台風に便乗した竜巻も増えるだろうから、コンクリ家屋のわが家もヤバそうである。

 

温暖化は、いろんな意味で、他人事どころではない。 定住の危機である。

その深刻さは、フクシマの被災者の方々が、もっとも体感していらっしゃる。

環境の変化は、ジワジワでなく、意外にも大胆に襲来するものなのだ。

 


ではまた