ともあれ 十年
おととい、島に住んで10年となった。
思えば、あんまり釣りしないで過ぎたなぁ。 大物釣りも、ほとんどしていないし。
ストレスがなくなってしまえば、釣り意欲も減退するし、膝もだいぶ悪うなったこともある。
思い返せばイロイロあったが、サラリーマンでないまま生きてこられたことは、嬉しい。
自由こそが、島に来た理由の根本であるからには。
釣りも観察も食事も仕事も全て等価。 愉しいことこそ最優先である。
島に来て最も変わったのは、メディアに登場するようになったことだろう。
自然好きが人生を放り出し、本気で10年も遊んだのだから、イロイロ発見できるのは必然だ。
得意の鳥類どころか、魚類のウンブキアナゴを始め、自然現象、はたまた去年は固有植物など、
嬉しい事ながらも、名が何べん新聞に載ったは、もはや覚えてない。
テレビに出ることはほとんどなかったが、わが家にはテレビがないしなぁ。(笑)
けども
有名になるのは有り難いが本意でなく、特段メディアに出たかったワケではない。
徳之島のシマンチュは、内地どころか奄美大島や沖縄本島にすらコンプレックスがアリアリだが、
いかんせん脳力が低いので、自分らを客観することがマルッキリできない。
島の実力を知ってもらいたいからだ。
内地のオッサンふぜいが見つけられる程度の事物は、シマンチュでも見つけられるハズだ。
ちなみに、脳力の低さは、差別でも中傷でもなく、おそらくシマンチュのせいでもない。
薩摩藩の苛烈な砂糖地獄時代において、考えないでアッケラカンと暮らす性格が、
選択的に生き残ってきた結果であることは、想像に難くない。 DNAには逆らえない。
どのくらい過酷だったかは、薩摩藩で2回しか起きなかった一揆が、双方とも徳之島だった
事実を踏まえれば、民族性そのものが変異してしまうほど苛烈だったことが、うかがい知れる。
その薩摩藩のお陰もあって近代化した日本ながら、黒歴史は教科書には載らない。
先週末
撮影目標のひとつに到達した。
去年から始めた、ザトウクジラの撮影。 もちろん陸っぱりである。(笑)
どこから飛び出すか判らないのが、もっとも厄介なところだ。
本物を見たかったし、観光マップのネタにのためにも、ぜひ町内の海岸で撮影したかったが、
そもそもオスたちが競るほどの頭数が回遊しないので、なかなかブリーチしなかった。
元来、太平洋側を南下するから、東側の洋上で見られることが多いが、
今年は西側を回遊する個体が増えている。
きのう、また近所でクジラを見た。
ここでは、先月ガイドして以来のことだが、今年に入ってのべ3回目。
わが家からクジラまで、1キロくらいのところ。
穏やかな時に5分だけ見回してから、仕事に向かうようにしている。
とかく、自然の撮影は長時間ねばることが本意・・・ のように思われがちだが、
私は自由な時間をゲリラ的に使って、確率を上げようとしている。
カンタンに謂えば、長時間でなく、いろんな場所に赴く回数を増やすのである。
長距離移動はせず、近距離をマメに。 時間も燃料もムダが少ないと思う。
相変わらず
鳴きマネは続けていて、実験も欠かさない。 じわじわレパートリーも増えている。
冬場、警戒心の強いシギの反応は、ことさら面白い。
オッサン的なフォルムと、シギの声のどちらを信じたらよいのか、悩んでいるアカアシシギ。
鳥たちは、目の解像度は高いが、おそらく大半は動体センサーとしてのみ利用してい、
高度な認識技術?のようなものはほとんどない。 蛇や猛禽などは認識するものの。
そのぶん、声の認識に神経を払っているようだ。
先日、空港の草地にヒクイナ(ヤンバルクイナの遠い親戚)がいないか鳴いてみたら、
一発でヒットしたのも、愉快だった。
子どもの頃、こんなことできたら、今頃は全く違う人生を歩んでいただろうなぁ。
ともかく
鳴きマネによって、常人には到底撮影できないシーンを易々とカメラに収められるのだから、
恥ずかしくも強力な特技となっている。
鳴いているアカショウビンの撮影は、最も得意とするところ。
こうした、動物写真家でも憧れるカットを、地元の案内看板に用いるのは、なかなか心地よい。
いかなる看板業者にも、デザイナーにも、動物写真家にも実現不能な、地味な看板だ。
あんまり自然過ぎて、おそらく誰も気づくまいが・・・
どうせ持っていても売れやしないから、必要な時には気前よく使うことにしている。
今年はもっとまじめに撮影して、フォトライブラリーで売ってみようか???
地味ついでに、このカメラとの出逢いも、ジワジワ嬉しかった。
今や手放せない、サイバーショット。
小動物の撮影にはもってこいで、さらに5m防水だから、沢やビーチでもOKである。
小動物を迫力あるパースペクティブで撮ることができ、図鑑には向かぬが、作品としては面白い。
このカメラがなければ、まったく気づかなかったジャンル?である。
一眼レフでは到底撮影できない、奇跡的なカットを、手軽に撮影できるのだからたまらない。
ただいま、シリーズ総勢4台ほど保有しているし、ズボンのポケットには必ず入っている。
壊れやすいのが玉にキズと謂うか、ソニーらしいと謂うか・・・
さて
島では一日三食、すべて家て摂ることが多い。
料理の技前はさておき、レパートリーは増えた。
それと、自分の味付けに飽きてしまうことが多くなり、レトルトやインスタント麺なども、
ある程度食べてみることにしている。 浮世離れした味覚になっても困るからだ。
いつ食べたか覚えていないほど昔に食べた、チキンラーメンを食べてみた。
昔のと麺が変わって、カップヌードル風の平たい麺になっている。
実はわりとツマミとして、生で?食べることはあるのだが、玉子入りでこさえたのは人生初。
玉子はチン玉を用い、丼を温めておいてお湯を注ぎ、さらにレンチンしながら完成させた。
完璧な出来だったんだが、ナンだこの味は・・・ 鶏の竜田揚げ風味ではないか!?
子どもの頃、初めて食べた時も、コレのどこがラーメンなのか苦しんだものだったっけ。
コショウを振ったり、玉子を溶くものの・・・ 改善することはなかった。
こうした、理解不能な味があるのも、また愉しい。
なにしろ、昔なら絶対に食べなかっただろう、辛酸っぱいエスニックなカップ麺、
トムヤムクンヌードルが、今や最も好きなカップヌードルになったし。(笑)
チューブパクチーも欠かせない。
好みもずいぶん変わった。
おそらく、トムヤムクン系が食べられるようになったのは、島の大気が臭いからだろう。
鼻が小々の臭気には慣れっこになり、より刺激的なニオイを好むようになったようだ。
一方、味覚というか、加工肉食材が徹底的に苦手になり、特にハムやソーセージは絶望的。
肉の味がせず、異質なナニかの違和感が絶大に感じられ、とても食べ辛くなってしまった。
今も、チルドルームに、皮がプチプチするウィンナーがあるが、やはり食べあぐねる羽目に。
昔、コレでご飯を食べていたことが信じられないほど、不味い。 ナゼなんだろう。
それでなくても、島には美味しい外食が無いから、スーパーの食品が大切んだんだが・・・
意外なことかもしれないが、魚の入手には本当に苦労する。
まともに漁獲がない、みっともない島でもあるから、味がないのにヤタラ高額な刺身類や、
輸入した鮮度の低い魚が揃っている。
あえて美味しくないマグロの血合いなどを、なんとか食べられるようにしてみたりした。
もともと、サバの塩焼きの血合いが大好きだったこともあり、すんなり慣れてしまった。
臭みをとる調理法もあるが、しばらく香草やワインなどに漬け、香ばしくステーキ風に焼いて、
鮮度の高い血なまぐささを味わう。(笑)
なにしろ貧乏のどん底だから、健康管理は真剣である。
味よりも栄養価で食事を摂るようになったし、おそらくそのために、栄養価の優れた食材ほど
美味しく感じるようになったらしい。
ともあれ
このところスーパーの肉が特売されにくくなり、玉子で暮らす日が増えたのは困ったものだ。
そのぶん、ダイエットにはなっているようだが・・・
女子の関係については相変わらずで、自由を優先するあまり、サッパリが続いている。
無論、島女子は独身かどうか判りにくいところも否めない。
都会のようにオシャレに凝る・・・なんて女子はほとんど見かけず、普段着な感じだから、
主婦やらナンやら判らんのだ。
そうこうしているうちに
どえらい不眠に悩まされるこのごろ、付き合いどころではなくなった。
いつも寝起きのような、赤い目をしているから、目がゴロゴロする。
目薬は、家にも仕事場にも、バッグにも常備しているが、焼け石に水と謂ったところ。
撮影も観察も、釣りも仕事も愉しいが、食事がいまひとつ美味しいと感じられない。
季節の変わり目だから、精神的にキツくなっているらしい。
嫌な予感がするのは、嬉しいことがあったあと、なぜかリバウンド?が発生し始めたことだ。
何もないハズなのに、落ち込む感覚・・・ いささか厄介なんだよなぁ。
そうなると、あらゆるヤル気を起こすのに、だいぶエネルギーを使うし、時間もかかる。
ニンゲンたるもの
苦労もしないで、いつも好きなことばかりしていると、楽しいことも感じなくなる・・・からか?
都会でしか実現できない事もあったろうが、少なくとも島でなければ実現しなかった事も
そこそこあった。 島に来たことが正解だったかは判らぬが、無駄ではなかったと思う。
そして
私の得た徳之島の客観的な価値を、一過性のメディアでなく、キチンとした形に残す活動が
観光マップや文化遺産データベース、そして広報誌の連載、シリーズ天城遺産だ。
次号では、古い文書を読み解き、アッと驚くような大胆仮説で物議をかもしてみようと思案中だ。
<<<紙面のキャラも、アッと驚く!?
んま゛〜 所詮は鳥類ネタだから、シマンチュの腹の足しにはなるまいが・・・
日本における鳥類学の歴史上、そこそこ響く内容であろうことは、約束できる。
チマチマ思うだけでは無価値なままだから、キチンと表現+発信し、世間に問う事は大切だ。
町の文化財保護審議委員なのだから、なおさらだ。
鳥を観察し、撮影し、古い文書を読み、持論を明文化し、キャラを描いて発信するオッサンが
世界中に何人いるのか・・・ 知らぬが。(笑)
私は今でも、徳之島は好きにはなれない が・・・ 嫌いにもなれぬ。
他に行きたい場所が見つからぬだけだが、徳之島ほど生活に恵まれている生物のフロンティアは
世界を眺めても、そうそうありはしない。 治安と謂い、物流と謂い、言葉の壁と謂い・・・
もうしばらく
飽きて気が変わるまでは、居させていただくしかあるまい。
飽きる以前に、地元の釣れなさを克服する方が、私にとっては重大事案であるんだが・・・