曇天の冬

 


 

淀みは深く

 

盲腸半島は、いよいよ混迷を窮め、天皇陛下にまで暴言を向けてしまった。

例え戦犯だったとして、その息子になんの謝罪の必要があるのか・・・ 意味が判らん。

だとすれば、やつらがやった蛮行も、未来永劫つぐないつづける・・・ というとこはなく、

もちろんダブルスタンダードで切り捨てる。

まったくもって、約束の概念がない民族には困ったものだ。

あのような民族を、隣人というだけで、ダラダラ養い続けたのは、私らの責任もある。

大陸は島国と違って、勤勉さとか、真摯さは通らなない、野生に近い原理しか通らない。

もっと引き締めながら、鍛えてやる必要があったのである。

半島が混沌に戻るのは、そう遠くない。 おそらく、永劫に繰り返すだけだろう。

 

もしかすると

彼らが椀を手に取って食べることをできないのは、下々は犬猫のように食うべしという

宗主国からの押し付けがあった・・・ と思い至るのは、あながち邪推でもない気がする。

 

一説には

朝鮮人には、我々にネアンデルタール人の血が混じっているように、別の先代古人の血が

混じっている人類亜種だという。 とすれば・・・ 他の現生人類と相容れないのは必然だ。

 

美女を中国に貢ぎ続けてきた朝鮮人たち。 無駄に流行る成形手術は無縁ではない。

彼らの削られ尽したプライドを、持ち直すことは、おそらく我々の謝罪でもなければ、

無断な投資による富裕化でもないことは、もう判った。

 

NHKの報道は、相変わらずだ。

朝鮮人の俳優の本名は報道しないが、わざわざ高齢者の職業を無職だの、

強盗などでは自称○○などと身分を伝える姿勢は、誰の意図があるのか勘ぐりたくなる。

これだけ偏っておいて、アンテナがあるから金を払えとか、受信機能があるスマホを所持

していたら受信料を支払えなどと・・・ よ〜ゆ〜わ。

プロパガンダまがいの大河ドラマなど、望んどらいわい。

 

このごろ、調子にのるユーチューバーのなかに、武田教授なる人物がいる。

PM2.5は黄砂とカンチガイ・・・ などと述べる動画がある。 黄沙はたくさん飛んでくるそうだ。

PM2.5の中身が、黄砂なのかどうか・・・ そりゃカンタンだ。 島だとニオイで判る。

そもそも、論述の基本が、机上の数値ばかりをアテにしているから、ハズレも当然あるだろう。

PM2.5なのか黄砂なのか、もともと澄んだ大気の徳之島で計測すれば、サクッと判るのは自明だ。

こんなにクッサイ黄砂があるのか?!(笑)

花粉症と無縁の島で、北西の風が吹くたんびに、目がショボショボ、喉がゴロゴロするのか???

PM2.5だろうと黄沙だろうと、石炭の燃焼ガスだろうが、吸い込んで有害な成分は検出すべきだ。

論理の正しさのためでなく、私たちにとって正しい視点に立ってもらいたいなぁ。

そもそも、ろくな産業もないド田舎の島で、産廃を燃したような異臭が漂うだけでも問題だ。

ちなみに、西風になると硫黄鳥島の硫黄臭がすることもある。

 


 

ところで

老眼鏡をかけると老眼は進むと謂うのは、伝説だ・・・ は本当だろうか。

 

帰省していた時、室内が無闇に暗いので老眼鏡を多用していたが、とても目が疲れた。

眼鏡屋に行ってたずねたら、それは目がメガネに慣れていないからだ、という。

そもそも慣れる必要がなぜあるのだろうか? メガネは、目に合わせる道具なのでは?

そんな雑な精度の光学レンズを、繊細な目に装着するのは、どうなんだろうと感じ始める。

 

島に帰ってきてからしばらく用いたが、あまりに目が疲れるのでやめたら、不要に戻った。

今週に入り、古い書物のコピーを読むのに、ふたたびかけてみたところ、また極端に視点が

遠のいてしまって戻らない。 正直、とても困惑している。

 

私は、視覚については特殊で、ピント位置を自分で操ることができるが、

そのような事例を科学が認めるかどうかは別として、現在の老眼鏡のピント位置が

左右で2センチくらいズレているために、とても右目が疲れるのである。

その事実を知ることは、おそらく常人には難しいかもしれないが、私には特に苦も難もない。

 

くわえて

距離設定が、読書より遠く、パソコンのディスプレイより近いという、とても半端な位置にあり、

いづれにおいても疲れるのである。

 

もともと

老眼の原因は、レンズ部分を伸縮させたいのに、柔軟性が失われネバリがあるために、

調整には、これまで以上の筋力が必要となるわけだが、レンズの伸縮に限界がなければ、

筋力をアップすれば済む話である。

 

一方で

老眼鏡をかけることで、伸縮させる筋肉を、ほとんど使用しなくなってしまう。

これは、科学でも簡単に実証できるというか・・・ 語るまでもない事実だ。

 

つまり

筋力が必要になったのを、安直に老眼鏡をかけてしまうことで、なおさら失わせ、

ピント合わせの機能をどんどん鈍化させていくのが老眼鏡の働き、と考え至る。

 

はずなのに

眼科医も、眼鏡屋もそろってそれは伝説だ・・・ と言い張るのだ。

確かに筋肉を使わなくなることは、目が楽をすることだ。

が、目の自由な調整機能を、自滅的に失うのは、あまりに滑稽だと思うんだが。

世間的には、老眼鏡肯定論が、なぜか伝説的に語り継がれ、

ネットにも眼科医の論述として、さも本当のように流布しているのである。

 

確かに

老眼鏡は便利だし、今や伝説的に便利な道具となっていることは確かだ。

しかし、そのような道具が体に好ましいというのは、あまりに話がうますぎる。

なら、セグウェイや、電動カートみたいなのを多用すれば、老人は幸せに暮らせるはず。

 

しかし

実際は、倒れにくい四本足の杖や、乳母車などが全盛で、楽をすると歩けなくなるからと

警鐘を鳴らしちゃったりしているではないか。

 

目は使うな、足は使え・・・ そういうもんだろうか???

確かに視神経が脳の一部なら、破壊したら回復できないのも合点がいくが、

水晶体やらそれを稼働させるのは、筋肉的脳細胞?ではないと思う。

もとより、実際に筋肉を動かす感覚が、私には実感できるし。

目は脳の一部のようなものだから、逆にボケにつながってしまうのではないか?とも

かんぐってしまいたくなる。

 

同様に

高血圧だとか、塩分の摂り過ぎだとかも、根治させずに商品レンジを増やすための情報。

様々な薬品や食品が、相当よけいに消費される仕組みを提供している。

私の上の血圧は、ずっと20代後半から170近いんだが・・・ 特になんもない。 

もう、四半世紀になるんだけども。

さらには、悪い悪いというものの、具体的な原因も、現実的に発症する病気も無いから、

なぜ恐れられているのか、よくわからない伝説の病状なのである。

 

そうした、経済拡大の医療的な欺瞞情報は、巷に満ち満ちている。

おそらく、精神的にも身体的にも弱体化したポン人にとって、思想の左傾化は必然で、

それを利用したビジネスモデルが、医療的欺瞞による商品開発の促進・・・ に違いあるまい。

弱っているニンゲンは、あらゆる手段を用いて、無条件に救われなければならない・・・

などと無思考かつ妄信する民草が、増えすぎてるためだ。

 

あなたの飲んでいる薬は、根治を目的としているか? いや、絶対にしていないだろう。

現象を抑えるだけで、飲み続けるべき・・・ とされているに違いない。

世の中そんなもんだ。 信じる者は、みなだまされる。

だますより、だまされる方が幸せらしいから、それはそれでヨロシかろうが。(笑)

 


 

奄美の島々の冬は、とても暗い。 毎年、日照不足に悩まされる。

個人的にも、とてもしんどい時節である。 もっとも寒く、もっとも暗い天候。

何年も住んでいるが、どうにも納得のいかぬ陽気である。

 

とはいえ

夏のようにカビ臭く、湿度100%、ゴキブリのカジりやヤモリの声に悩まされない・・・ メリットがある。

しかも、エアコンなしだし、すき間風ツーツーな家はちゃんと寒いので、夜の寝心地も悪くない。

寝汗をかいて、布団をぬいでしまっても、風をひくほどでもない。

 

このごろの夏は異様に蒸し暑いので、野菜すら育たず、冬の方がむしろ過ごしやすい。

湿度100%の生活は、南国の生活でもっとも苦しいもので、吸湿する繊維類がすべてカビるから、

保存と称して放置したら、すべてがカビにやられてしまうのだ。 衣類もカバンも、きんちゃく袋も。

排水口のヌルヌル、あの黄土色のやつが、わが家ではシンクどころか、上の調理スペースまで進出、

高い湿度が続くと謂うのは、そういう事なのだ。

 

このごろの冬は曇天ながら雨が少なくなったから、むしろ過ごしやすくなった、ハズなのである。

 

去年は、あまりに雨が少なかったからか、イボイモリの産卵は危機的になっていた。

この冬は、そこそこ降ってくれているので、安泰のようだ。

イボイモリは、イモリながら・・・ むしろカエルよりも水から距離感のある両生類で、こうして

産卵するのは水中ではないし、幼体はウーパールーパー然としているが、成体はトカゲっぽい。

ただし、両生類には驚異の再生能力があるから、足がブチ切れてもシレっと再生できるところは

トカゲには真似できない芸当である。

 

ユイの館(博物館)の館長から電話をいただいた、何か届いてると。

筑摩書房から発売となった「旅する動物図鑑2」に、写真を供したので本をいただいたからだ。

あまりに不自然で、シマンチュにはCG然と見えるらしい。 私もだ。(笑)

こうして波間を低空飛行する小さな生物を撮るには、真下の波にフォーカスポイントを置くが、

そうした経験に基づくノウハウは、たぶん誰も認識することはないだろう。

カメラを信じるなら、カメラの弱点も信じておくべき・・・ だったり。 科学は全能ではない。

必ずしも、被写体にフォーカスして撮影するのが正しいワケではない。 

 

気象が変動している事は事実だが、それを利用する生物が居ることも事実だ。

バイカル湖周辺から飛来すると思われるホシムクドリは、この冬やけに多い。

わが家のそばにあるガジュマルに飛来して、かしましく鳴いていた。

内地のムクドリと違って、濁った声は出さず、高く澄んだ声で様々に鳴くから、わりと愛らしい。

実にエスニックな風情のムクドリで、国内に似つかわしくない違和感が、とても嬉しい。(笑)

 

きょうは久しぶりにガイドを営んだ。 道すがら、クジラを目撃。

この冬、近所でクジラが見られるのは、気候変動のせいだろうか???

わが家からこのクジラの位置は、ちょうど1,000メートルくらいである。

 

その数日前、同じポイントでブリーチングの爆発的な水柱を目撃したが、いっぺんだけだった。

オスのテンションは、それほど高くないらしい。

島の反対、太平洋側では飽きるほどジャンプするというのに。

この海岸は、私が釣りできぬほど浅く、ジャンプするのはキケンかもしれないが・・・

 

ともあれ

ガイドはラッキーに恵まれ、なんとか完遂できた。

んが・・・ 午後の防災会議は、想定していた事柄がそのまま再現し、赤っ恥をかいた。

あれこれ事情を謂っても結果は変わらぬ。 シマンチュのユルさ、恐るべし・・・が身に染みた。

内地人に比べると、精神構造がチャンやチョンに近い事は、身をもって知ることになった。


ではまた