シマらしき 生活顛末

 


 

乱れ盛りの潮流

 

移民だ人手不足だと、妙な話題で揺れ、本題が見えなくなっている世論。

半島が共産化しようとしているのに・・・ つまらんことで現実逃避するポン人。

やれやれ・・・

 

3K職場に、あまり信用できない海外からの人災を用いたい経営者を、否定する民衆。

しかし、経営どころか、社会を俯瞰したことも、自分から仕事を開拓したこともない人材。

体のいい評論家になったつもりだろうが、浅薄な人生をさらすだけで、説得力はないが、

そういうのをNHKが垂れ流し、ニュースキャスターが感情的コメントを加えてしまう。

有料コンテンツを提供する公共放送が、ジャーナリズムでなく、世論誘引お平然と行う。

人類が無駄に増えると、社会性が暴走し、こうした方向性になるのか・・・と勉強になる。

 

客観でなく主観ばかりが重視され、果ては自国第一、ツイート外交首長が発生した。

今後、どのように世界は再構築されていくのだろう。

 


 

役場で、闘牛勉強会なるイベントが催された。

動物愛護の観点から、知らないところで闘牛が禁止されようとしている今、

文化財として早々に指定しておくべきではないか・・・という動きを起こしたのだ。

 

伊仙町は、公設闘牛場までこさえて、文化財指定した。

指定すればモラルがアップし、クソをまき散らして牛を散歩することもなくなるだろう・・・と。

やはりというか、想像通りモラルはアップせず、あぐらをかくことに直結してしまった。

 

天城町では「興業」という性格上、すべてを文化財指定すると、制約が大きくりすぎるから、

「牛なくさみ」時代から残る、伝統的儀礼を指定する方針とした。

 

都会的な徳之島町は、賭けなどのブラックな心象を嫌ってか距離を置き、時期尚早との

判断を崩していない。 警察官が配備されるなど、意外と興業は物々しい。

 

ところで

青の読者諸氏は「徳之島といえば闘牛」と知ってらっしゃろうか?

島のアイデンティティとして、多くのシマンチュに信じられている、娯楽のウシ喧嘩。

ヨコハマと謂えば山下公園あらため、夜の大桟橋デートだろうがっ!!! と叫ぶが如き、

闘牛無くして、観光はない!と謂うのだが・・・ホントに観光資源になっているのだろうか?

シマンチュのこっちゃから、統計データは無いんだろうなぁ。

 

さておき

闘牛は、徳之島の島民にとって、唯一誇ることができる行事となっていて、

誰しも観光と謂えば、必ず闘牛を思い浮かべるよう設定されているのだ。

なにしろ肯定するとき「ウシ ウシ!」と謂うくらい、当たり前にウシ好きなのだ。(笑)

 

従って

内地基準の思慮の浅い動物愛護の風潮によって、闘牛文化を封じられることは望ましくない。

自分を慰めるために犬猫を避妊去勢して飼い殺すことを、家族などと言い切る程度の尺度で、

ウシを勝負させるとカワイソウ・・・などと、軽はずみに判断をされるのは不本意極まる。

 

闘牛の歴史は、もともとダークではない。 

だが、戦後に始まった闘牛は、昔からの「牛なくさみ」の域を外れて勝負や賭け事に走り、

変貌した闘牛を好むこと自体、眉をひそめるシマンチュが増えてしまった経緯がある。

 

もとより

闘牛を飼育することは、平均収入の少ないシマンチュにとっては負担が大き過ぎるのだが、

強い闘牛に育てば、高く売れる・・・から、人生の賭け・・・のような一面も持っている。

 

とかく、易きに流れがちなシマンチュ志向が災いし、だいぶ趣旨がズレっ放しで今に至る。

 

歴史を遡ると、例の薩摩藩の黒歴史が横たわっている。

貨幣すら流通させず、サトウキビ栽培の奴隷としてシマンチュは生活していた砂糖地獄時代。

貨幣もなく、物品も支給のみだったことから、内地のように士農工商でなく、士農のみだった。

江戸時代、内地の工商=工芸、商業がどれほど進歩したか、実感がないのである。

鉄砲すらコピーし、改良し、ヨーロッパより進んだ武器開発に至り、輸出までしていた・・・ような

歴史を認識できていない。 そうした卓越した職人が、身近にいないからである。

物を見たら、工場で自動的に作られて、運ばれて店頭に並ぶ、くらいの認識しかない。

 

薩摩藩の締め付けは、内地人の我らにとっては想像の外にあるほどだった。

年貢の取り立ては厳しかったが、金銭や物資の流通を封じられた社会はなかった。

外様でありながら実力をつけ、蓄財するために奄美群島を財源にしていたのである。

 

将来を夢見ることも、学んだり、文書を残すこともさせなかった薩摩藩。

娯楽や絆を深める儀式として、牛なくさみは行われていた。

生きる事とサトウキビ栽培をすることのみ、許された社会だった。

農耕牛の、畑を起こすなどの技術を競ったり、喧嘩もなせていたが、勝負は重視されなかった。

大切な農耕牛が傷つくのは、本意ではなかったから。 

 

ただ

大正になり、ようやく薩摩藩から解放されたころ、闘牛専用のウシを飼うシマンチュが現れた

らしいのである。 そのくらい、闘牛は島の男の娯楽として、生活の一部として、好まれていた。

 

さて

イベントでは、沖縄から来た動物園長が、次々と驚きの発言をした。

とかく非難される角研ぎだが、雄ウシは、自然の状態でも自分で角を研ぎ、戦いに挑むとか、

ウシがただエサをもらうだけでなく、人が与えることで、エサでなく人に興味を示すようになる

飼い方が優れている・・・というのだ。

 

一同、なるほどね゛〜の連続だった。

 

更には

内地人が認める文化財の在り方として、「形式と品格」が必要だ

と結論したのであった。

 

そうなのだ、これが最もシマンチュには理解できない事柄であったし、会場に居たほとんどが

コトバだけ理解して、中身はサッパリだったことだろう。

 

薩摩藩の黒歴史により、生きること以外、最小限の風習しか残すことができなかったシマ。

品位や品質を究めるといった発想を、完全に封じられてきた民族なのである。

 

一方で

シマではとかく、生活に余裕がないとか、金にならないという理由で、面倒な事からすぐ逃避。

努力や探求が軽んじられ、むしろ考えないことが美徳・・・くらいの勢いで、

無判断に突進するような生活が、未だに主流である。

このあたりは、半島や大陸系の民族にも近い志向が存在するから、猛烈に抑圧されると

そういった風土になるのかもしれない。

 

昭和どころか、平成も終わろうとするのに、楽で易い方へと驀進を続け、坂道を下るシマ社会。

 

工事現場が小便臭くなったり、芝生が荒れ、備品が破損するなど、破壊だか創造だかわからぬ。

何事もテキトーだから、勝手に窮まってしまう代わりに、自分から物事を究めることもない、

そのような民族にとって「品格」など天蓋の果てにある、高尚概念でしかない。

 

すぐさま食えもしない、楽にもならない事柄は無用の長物にしか思えないのは、自明の理。

プライドや品格、品質などは、考えるに値しない事柄として、これまでずっと切り捨ててきたのだ。

 

薩摩藩による、砂糖地獄で培われた、閉じた未来を憂うことなく生き抜く気性が、

今も根強く残るシマ。 江戸時代から、もう何年経ったろうか・・・

 

待てない 金ない 考えない

 

のままで

大型動物の流血を伴う遊興について、筋が通せる道理はなかろう。

 

失ってみて初めて・・・シマンチュの心の中に在る、闘牛の重さを知る手立てはないが、

途方に暮れる姿を見るのは、忍びない。

 

違法にクソをまき散らす牛主らにペナルティーを与え、全体責任として

興業を一時停止にしてみる・・・と、少しくらい解かるだろうか???

役場職員や警察官の家が、手ひどくイヤガラセされる事態に陥るかもしれぬが。

 

謂わば、闘牛は唯一、シマ社会の気概を奮わせる儀式であり、必要悪となっている。

戦時中の死者の数では沖縄が多かろうが、生活の厳しさは、桁違いに奄美は厳しかった。

 

闘牛の勝者となった牛主はヒーローであり、誇りとされるべき存在として保たれることが、

あるいは、それらを支え上げることのできる周辺の家族やファンが、盛んでいられることが、

シマのアイデンティティにつながっている現況を・・・伝統と呼ぶのかどうかは別として・・・

これらを、カワイソウなどという短絡で、アッサリ切り捨てられたら、悲劇の一言では済まされぬ。

薩摩藩よろしく、またしてもシマの文化と未来を奪われてしまうことになる。

 

自然遺産になってしまえば、いよいよ動物虐待の逆風が強まるのは必定。

例えば、足りないサトウキビ農家が、アマミノクロウサギなんて、迷惑千万なだけだ、

などと謂うのを、世界へ拡散されてしまうことは、時間の問題だろう。

動物の命を何とも思わない島だと周知されれば、闘牛どころの騒ぎではない・・・んだがなぁ。

リスクを想定するなどと、イキナリ無理は謂わないが、せめて想像くらいしてほしいものだ。

 

幸か不幸か、地球で最も長い王朝、二千年あまりの伝統と格式「伊勢の神宮」が、

生活圏にあったから、「品格」の重みについては、ある程度の認識はある。

シマの風習は、伝統こそあるが、品格については皆無で、むしろ見かけは貧相で、質素だ。

生きることにおいて平等で、形式美などという無駄な権威主義を必要としていなかったからだ。

しかも文化とは、好ましさを共感できる行為や物品で、品格は必須でない。

 

しかし

内地は本音よりも建て前が高い位置にある、権威主義社会である。

ましてや、闘牛が好まれるようになった原因が、現代ポン政府の礎となった薩摩藩の黒歴史を

ベースとしているのだから、全力でつぶされても、仕方あるまい。

 

闘牛を愛するなら、今こそ立たねば、無くなるんぞ・・・

全力で、闘牛の好ましさを、人生の客観的優良点を世界に向かって語るのは、今しかない。

あのスペイン闘牛の興業はファンの減少で、あっけなく禁止された・・・

けれどシマの闘牛は、生活の一部で、もっともっと重い のに

 


 

金曜の朝、今ごろになって、ようやく初釣果である。

お持ち帰りは、チヌに続いて本年ようやく2匹目となる、貴重な釣果となった。

やっぱりソフトルアーで、ツバメコノシロを狙った。 相変わらず、いまいち美味そうに見えないなぁ。

 

反応が薄いので、派手な動きにしたら・・・余計に反応がなくなって、ユル〜いいつものパターンに。

リールひと巻きで、竿をいっぺんフワッとあおる感じの、シンプルアクション。

遅いアクションだから、ゴリっとした根掛かりのような食い込みになり、引き波かアタリか判り辛い。

白波のちょい沖側がポイントで、波の影響が大きいから、ルアーを長く泳がせるのが地味に難しい。

仕掛けは0.8号PE+3号フロロ・リーダー、11グラムのジグヘッドにソフトルアーと、定番に戻した。

たまたま、ジグヘッドがくっついたソフトルアーが、フラッシュJシャッド4SWだっただけで、

3〜4インチなら、何でもOKなんじゃないか・・・と信じて、投入することにしている。

付け替えたりするのが、メンドクサイから・・・とも謂う。

スプーンは、投げても飛び過ぎて、効率が悪いので止めることにした。

 

実は、これまたヒット後の取り込みが地味に厄介で・・・ もっとも波が渦巻く場所で掛かるため、

アワセが効きにくいから、緩めて沖へ戻して弱らせる・・・ワケにもいかず、さりとて巻けばいよいよ

波打ち際の波にもまれることになり、仕掛けへの不意の負荷が大きくなってしまう。

幸い?この時期になると、水温が低めのせいか、あまり走らなくなり・・・スリルも薄めになる。

楽にはなるものの、釣り味は一段と減退てしまい、イタシカユシ ヨシワルシ。

 

のべ竿に、1.5号通しのフロロ、ソフトルアーで波に立ち込んだら、もっとスリリングだろうか?

ヒラアジが掛かったら、竿ごと持っていかれるだろうから、スリリングなのは間違いない。(笑)

 

ともあれ

味は抜群だ。 生臭さが無さ過ぎて残念なくらいだが、二日目にはもっと美味しうなった。

柔らかくなったかと思ったのに、薄造りにしても、まだまだプリップリ!!!

血合いの色は、初日より鈍っているし、熟成して生臭さもやや増し、普通の魚レベルに近付く。

<牛刀の切れ味に問題あり(汗)

それでもまだ、スッキリ風味過ぎてワサビが向かないから、タレに凝ってみた。

島唐辛子とニラを漬け込んだ丸大豆しょうゆを、ポン酒で少し割って・・・米酢を一滴垂らす。

かすかな酢によって、強い旨味が一層甘く感じられ・・・いわゆるひとつの、人生最幸の味に♪

ヒラスズキ、カッポレと、同格に並んだ瞬間だった。

コレで寿司を握ると、トンデモナイことになるんだろうなぁ。(笑)

 

圧巻は、アラ汁だった。

ほどよく脂がのって、これでもか!という旨味。

持ち帰ったのは40センチ弱だったが、強烈な旨味が出ていた汁は、たっぷり三杯分。

 

シマ料理の探求も、欠かすことはできぬ。

美味い出汁は、素麺つゆに向いている。 シマらしい、究極の逸品・・・に近い気がする♪

内地だと、イサキでやると手軽で美味い。 真冬のヒラスズキでも、こっくり美味かろう。

鯛素麺ほど豪華ではないものの、鮮魚の出汁で食べる素麺は、代えがたい味わいがある。

茶漬けや、おじやも好いのは確かだが・・・

 

ツバメコノシロは、姿が芳しくない。

ゆえに、見た目や気分で味が左右する向きには、一生美味しうもない魚種に違いない。

けれども、国産でこれほどクセがなく、旨味の強い、キテレツな生態の肉食魚が居ることを

誰かが知ってれば、それはそれで値打ちがあるんだろう・・・と信じて釣り続けている。

男子には、何事にも無駄に大義が必要なのだ。(笑)

 

ネット情報では、せいぜいまーまーレベルの味とされているのは、嬉しいことだ。

ファンが無駄に増えたら、それでなくても少ない私の釣り場で、活動し辛くなるし・・・

 


ではまた