自然のなかの探し物は

      か〜な〜り 難しい

 


 

情報の津波

 

あれだけ我が国に好き勝手している困ったチャンだが、ODAの終了とか、通貨スワップとか

くすぶっていた経済問題が、派手に現実化してきている。

気まぐれドナルドの不平等経済戦術が、ボディブローのように効きだしたようだ。

為替操作は謂うに及ばず、株価が下がるときは、証券会社のトレードルームに軍隊を送り込み、

物理的に売買を制止したりする連中だから、さすがのドナルドも肝に据えかねたのだろう。

一帯一路は、ホントなら素晴らしいのだが、パチ理想でしかないから、総スカンも無理はない。

しかも経済のやりとり、やりくりについて、共産主義は苦手であることも、謂うまでもない。

資源などのバックボーンがあってこその、無理強いだったが、それももう足元のはしごを

外されたような状況である。

 

 


 

全国的に、ガソリンが高いという。 私が給油しているスタンドだと、175円になっている。

ガソリンは太古から無理矢理に受け継いだ資源だから、再生は利かない。

いづれこうした事態が頻発するだろうと思っていたから、さしたる驚きではない。

それよりも、これらの価格変動に対して、税額10%を上乗せされたときに、わが家の経済は

さらにジリ貧が加速していくのに不安を感じるだけのこと。

 

それだけの強制的投資に対して、リターンはなく、老人たちに分配されて消えていくのは不本意だ。

ぶっちゃけ、島の老人たちは子煩悩だが、内地ではたたダラダラと生活するのを支えるだけで、

生物的生産性については、ほぼ絶望的である。

だが、有権者数としては、無駄に増えてしまうから、そちらにカネがばらまかれていまうのが

資本主権社会の、基本的な弱点であり、汚点である。

未来を信じ、先行投資するのは、体力も脳力も貧弱になった民草に対してではないはずだ。

切り捨てろとは謂わないが、傾斜分配は必要である。

 

ところで

いきなり老眼鏡が合わない。

合わせて作ったから、合わないというのは正しくないかもしれないが、老眼鏡のピントが合う奥行は

意外とピーキーで、50センチほどの、読書には遠い中途半端な視距離に設定されている。

作る当初から気になっていたが、コンナモンデスというのが眼鏡屋の言い分だった。

他人が鈍いとは謂いづらいが、私はデザイナーだからか・・・ピントが合わない現象に対して

目が常に反応し続け、メガネの性能を無視して目が働くために、効き目の右目が痛くなる。

現代の科学なんて、まだまだコンナモモンで、ガッカリである。

遠近両用にすればいいじゃないか・・・というのは、幾重にもニブチンで哀れになる。

遠近両用とは、先の50センチ用と、1m以遠がパンフォーカスになるレンズを組み合わせただけで、

30センチや80センチといった、生活シーンで頻出する距離をサポートしていない。

それに不便を感じていないなら、もともと目がボケ気味だから、安いメガネにした方がオトクである。

デザイナーのみならず、手工芸や大工などを営まれてる方は、かなり不便されているんだろう。

世界でも、光学技術に秀でたポンメーカーだけに、そろそろブレークスルーが欲しいものだ。

 

ちなみに

老眼鏡をこさえる際にリクエストした視距離は30センチほどで、

釣り仕掛けを組み、本を読む距離だったが、半端に遠目であるために疲れがすこぶる早い。

他方で、普段作業するパソコンモニターとの距離は80センチくらいだから、サッパリ合ってない。

メガネ業界の旧い常識は、たぶんここ50年くらい変わっていないんじゃなかろうか???(笑)

だが、感覚的に自分を磨いていない業種や人生経験のポン人にとっては、メガネの見映えは

目の方で合わせる志向であるようだから、私は異端すぎるのかもしれない。

それとも、私がもっとも危惧している、ボケでも十分イケている感じなヒトばかり・・・なのだろうか。

私は、視覚に対しては、極端にニブチンが許せない派であった。(笑)

 


 

さて

きのうの夕、勝手な思い込みを多分に盛り込んだスプーンが、根掛かりしてロスト。

フロントフックはチヌ針、リアフックはスズキ針で・・・かなりカスタマイズしてあった。 

 

きょうはちょうど好天で気温も高くなったから、引き潮から間もないゴゴイチに、探索へ出かけた。

価格的には総額で数百円ながら、カネがあっても買えないのが島である・・・の判断からだ。

もちろん、回収後は仕事にもどる手はずである。

 

島生活で大切にしているのは、生活の自由度/小回りである。

仕事は必ず、今でなければならないコト・・・ではない。 無駄に攻め、賃金を浪費することはない。

タイミングはいろいろだし、逆に労働時間だけ働けば成功する・・・ということもない。

 

それにしても

意外に水温が低く、先が思いやられる。 いつぞやの、両足ツリ状態よりも過酷な未来が予感された。

気温と水温が、ほとんど同じような感じがする。

気温は26℃くらいで、スレスレ夏日になったが、午後には雲が増えた。

 

なぜかまた、先日のようにカスミアジがフレンドリーというか・・・様子見にやってきた。

意外と、カスミアジたちは好奇心旺盛らしい。

コレはメッキサイズの小さいほうで、大き目のは40センチあまりだった。

コチラが妙に警戒しなければ、まわりを着かず離れず泳いだりする。

 

いきなり結論だが

どこかへ移動した野鳥を見つけるのは、極めて難しい・・・というか、ほぼ無理である。

だが、今回のルアーは、概ねタタミ8畳ぶんくらいの領域に絞れていたから、タカをくくっていた。

 

1時間が過ぎようとするころ、人差し指と小指がシビレはじめて驚く。

これまで、体感をしたことはない現象だ。

低体温であれば、足がツっつてしまうだろう・・・と思えたが、どうも冷えでなく血流であるらしい。

私は、肩の血管だか筋だかがヤヤコシイ個性を持っていて、鍛えていないと筋繊維が

両腕の血管を圧迫して血流を妨げるのである。

だから、冷えがはじまると、肩の筋繊維が委縮して、両腕が貧血になっていくのである。

それを防ぐ鍛錬をしてきたが・・・このごろサボっていたり、筋力全般に弱っていたり。

ギリギリした痛みを期待していた?ため、逆に地味なシビレはショックで危機感をあおってしまった。

さすが、想定外のシビレがすすむと、断念せざるを得なかった。

 

ただ

そうはいっても、ナンモなしで帰るのも残念だから・・・観察も欠かしていない。(笑)

 

45センチほどの、ハムとフランスパンのあいのこのようなフォルムのジャノメナマコをチェック。

甲幅1センチくらいの、ナマコマルガザミ・・・の遺骸。

強烈無比なワタリガニのハサミを、ナマコをツネることに専念した種。 ツネったまま死んでいた。

これはやはり、本望と謂うべきかもしれないなぁ。

 

間違いなく、この岩のあたりにあるはずだが、見つからぬ。

ふと、岩のくぼみにピコピコする、白いヒゲが目に入った。

魚たちのお掃除屋・・・ というかグルーマーとして知られる、オトヒメエビである。

ヨナマビーチでは初めてで、岸に近い岩陰にいるとは思っていなかった。

 

ボキャブラリが豊かに思えるポン語ながら、口の中をキレイにするという用語は歯磨き程度ゆえ、

魚たちの口内の食べかすや、体の寄生虫などを食べるオトヒメエビやホンソメワケベラに対して、

掃除屋などという貧相な表現しか言葉が見当たらない。

ポン人には、口内を含めた体全体をキレイに磨く・・・ような概念が存在していないからだ。

 

気になる現象がある。

コアマモか、近縁のアマモの仲間だと思うが、まわりの石くれと同じように藻が生えている。

海草に海藻が生えた・・・のである。

サンゴに藻が生えたら死んでいる様子だから・・・気になるのだが、アマモ系は枯れていない。

でも、おそらく喜んでもいないし、元気でもなさそうである。

まわりにあるオオウミヒルモも、すべてが1センチほどのチッポケな葉ばかりで異様だった。

 

この秋

とても渡り鳥が少ないのだが、海の中にも、これまでと違うナニかが起きているかもしれない。

と謂ってる反面、高温で苦しんだはずのサンゴたちはフツーで、熱帯魚もフツー。

ナニがドウ変わってしまったのかは、そう簡単ではないのかもしれない。

 

世は、共産主義者が自由貿易を叫ぶ時代になったから、ナニが起こるかわからない。(笑)

変化した気象海象に順応しはじめた生物が、違った対応をしはじめた・・・かもしれないのだ。

ポン人が信じている教科書や図鑑が、いつまで通用するのか心配になる。

ヒカンザクラの狂い咲きも、これまで以上の勢い。

 

ともあれ

これからの時代は、これまで風のナニかを探す時代になるかも知れんなぁ・・・

 


ではまた